第35話 声も眼差しも

 とうとう始まった大神完二と一文字真子の対決。

 

 お題は書道。

 

 勝負は簡単、お題に沿って字を書き、どちらが達筆かAIに判断して貰うだけ。

 だったのだが、ここで一文字真子がまさかの物言い。


「お題の文字が諸行無常だと、賑やかなイベントにそぐわない気がします。もっとふさわしい言葉があるのでは」


「むっ……」


 ここに来て、初めて戸惑いを見せる大神。

 体に仕込まれた機械はもう「諸行無常」を書くようにセットされているので、ここでお題を変更されると少し面倒なことになる。


「一度決めたことを変更するってのは男らしくねえなあ」


「私、男ではないので」


「……」


 決められた演出を期待以上にこなすことに関しては申し分ないキングであるが、演出から離れたアドリブに対しては若干もろいところがある。


 挑戦者の申し出をどうするか判断するのは、七番勝負の司会進行役、通称シルヴィの便利屋、風間あやめであった。


「確かに一文字さんの言うとおり、縁起が良い言葉じゃないわね」


 彼女は個人的に仁内と大神のやり口を呆れてみており、どちらかといえば一文字真子に肩入れしているところがある。


「無病息災にしましょう。それでいいわよね、大神くん?」


 これで同じスタートラインでしょと言わんばかりの風間。


「ああ構わんよ。なんであれ楽勝だからな」


 言葉では強がるが、右肘の辺りをゴリゴリかきむしる大神。

 大慌てで設定変更しているようだ。


「じゃあ、挑戦者、一文字さん、お願いね」


「はい」


 ふうっと息を吸い、ゆっくりと吐く。

 その仕草だけで、場内が一瞬のうちに静まりかえった。


 肩まで伸びた長髪をまとめ上げ、慣れた手つきでゴムで縛ってポニーテールにする。

 文字を書く際に髪が邪魔になるからしただけのことだが、この何気ない仕草が破壊力抜群なのが黒魔子の恐ろしい武器であろう。


「か、かわいい……」


 誰かが呟いてしまうほど、一文字真子はこの場にいる全員を釘付けにした。


 腰を落とし、ゆっくり筆をとり、硯にたゆたう墨汁を毛先に吸い取らせ、純白の紙に筆を置き、紙を愛でるように筆を動かしていく。


「お姉ちゃん、変わったな……」


 そう呟いたのは桜帆だ。


「ちょっと前はお祭りがあっても絶対行かなかったし、誰かに誘われても柄じゃないってまっすぐ家に帰ってくるし、中学の修学旅行なんか自分から休むって言ったし。そのわりにベランダから外をぼんやり見てたりして……」


 桜帆は嬉しそうに琉生を見上げる。


「こんな大勢の人たちの前に自分から出ていくなんてホントに信じらんない。人を好きになるとここまで変わるんだね。お兄ちゃんのおかげだよ」


「俺はなにもしてないよ」


 本当に何もしていない。

 ただ、真子さんが凄いだけだ。 


「たぶんお兄ちゃんも私も、こういうイベントって冷めた目で見ちゃうと思うけど……、もう少しだけ、お姉ちゃんにつきあってあげてね」


 鋭い指摘に琉生は苦笑し、そして頷いた。


「わかった。こうなったら絶対勝ちに行くよ」


 一文字さん頑張れ! と声を出したくなるくらい気持ちが盛り上がってきたが、書道対決である以上、声を出せる雰囲気ではない。


 しかし琉生はあることに気付き、激しく驚いた。


 真子さんはほとんど紙を見ていない、筆も見ていない。

 

 俺を見ている。

 自分と筆をちょいちょい交互に見ながら、迷いなく筆を動かしている。

 その顔には笑みまであった。


「ノールック書道……!」


 にもかかわらず紡がれる文字は惚れ惚れするほどの美文字。

 黒魔子の集中力、目の良さ、優れたバランス感覚から来る構成力、筆裁きで、これ以上ないほど完成された「無病息災」ができあがっていく。


 実際、黒魔子はゾーンに入っていると言って良かった。


 人混みが苦手だった。


 黒魔子にとって、人の眼差しと声は、体を刺してくる剣でしかなかった。

 

 変な奴、バケモノ、ただの機械。

 そう思われている気がして、苦しくて、体温が上昇して、めまいを覚え、倒れそうになるのだ。


 だから、外に出るのを極力避けた。

 できるならずっと家にいたかった。

 黒魔子にとって通学路ほど気が重くなる場所はなかった。


 誰かに見られるのが嫌だったし、声をかけられるのも辛かったから、近づくなオーラをビンビン出して、人と距離を置いた。


 なのに今はなんともない。

 どんな眼差しも、どんな声も、彼を見るだけで平気になる。


 彼を見ていれば怖くない。

 彼がいてくれれば本当の声が聞こえてくる。


 私のことを変な奴だなんて誰も言ってなかった。

 頑張れと言ってくれている。

 可愛いと言ってくれている。

 

 だから大丈夫なのだ。


 筆を運びながらますます楽しそうに頬を緩ませていく黒魔子を横で見ていた大神完二は、とうとう言った。


「やばい」


 仕上がっていく文字を見るだけで、もうだいたいわかる。


「これはやばい……」


 恐るべし精密機械。

 噂には聞いていたが想像を越える能力。


 しかしそれ以上に大神は感じる。

 これはただの機械が書いた綺麗な文字ではない。


 ちゃんと心がある。

 本当に「無病息災」を願って書いている。


「参った」


 大神はあっさり認めた。


「これ以上の文字は書けねえ。あんたの勝ちだ」


 その一言で、体育館は今日一番の盛り上がりを見せた。

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