第5話 彼女のヒミツ

 黒魔子さまはフードを脱ぎ、その素顔をあらわにする。

 やはり一文字真子だった。


 彼女のトレードマークといえる綺麗な黒髪をポニーテールにして、少しだけ息を切らしながら、


「怪我はない?」


 と笑顔で聞いてくる。


「……」


 ぶんぶんと首を振る。

 自分のことより、気になって仕方がないのは今の状況だ。


「これはいったい……」


 どういうことなんだ。

 そう尋ねようとしたとき、一人の男がこちらに向かって容赦なく発砲してきた。


「うわわっ!」

 

 頭を抱えてうずくまる琉生であったが、黒魔子はフードをかぶり直すと、敵に向かってゆっくり歩いていく。


「このバケモノが!」


 敵は脅えながら銃を乱射するが、黒魔子は避ける動きすらなく歩き続ける。

 当たっているはずなのに、効いてない。


 命中した弾丸がポトポトと床に落ちる。


「うそだろ……」

 

 思わず呟く琉生。

 

 結局、敵は黒魔子の一撃で倒れた。


「うそだろって……」


 頭を抱える琉生に黒魔子さまは、もう一度フードを脱ぎ、素顔でこう言った。


「琉生くん、さっきはごめんね。私、こんなんだから」


 悲しそうに微笑む黒魔子。


「心も体もおかしくて、普通の人として当たり前のことができないから、あなたをすごく困らせてしまって……」


「いや、そんなの……」


 それ以上の言葉が出てこない。


「私、そろそろ行くね」

 

 琉生に背を向ける黒魔子さまであったが、未練があるのだろうか。

 思いつめた様子で琉生に近づき、その手を取って、自分の頬に当てた。


「迷子になった私を助けてくれたから好きになったって話、嘘じゃないけど、続きがあるの」


「……」


 一文字真子の頬はこれ以上ないくらい暖かく、またとても柔らかで、ずっと触れていたい気持ちに駆られた。


「美術館で絵を眺めていたあなたを遠くから見て、私、射たれた。あんな優しそうな眼で見られたら、たまんないなって……」


「一文字さん……」


 何か言いたい。

 でも何を言えばいいのかわからない。

 

 誰かを好きになったことは何百回もある。

 けれど、好きだと言われたことなんか初めてで戸惑うばかり。

 

 誰か教えてくれ、こういうときどうすりゃいいんだ?

 

「お姉ちゃん、コアの座標送っといたよ」


 桜帆ちゃんがサラッと横槍を入れた。

 この会話はここまでと言わんばかりのタイミング。


「わかった」


 黒魔子さんは小さく呼吸を整える。


「今日はありがとう。来てくれて嬉しかった」


 ここまで言えたら悔いはない。

 そんなスッキリした表情になり、黒魔子はこれ以上ないくらい可愛らしい笑顔を見せつけたあと、フードをかぶってどこかに走って行った。


 いたぞ! コアに近づけるな!

 殺せ! はやく!

 そんな叫び声と同時に、落雷のように銃声が響いた。


「お姉ちゃんはね、私が生まれる前にヤバい事故にあったの」


 立ち尽くす琉生に桜帆がのんびりと話しかける。


「10トントラックが道幅の狭いカーブを曲がるとき、お姉ちゃんが角にいるのに気付かなくって、それで巻き込んじゃって」


「……」


「医者から無理って言われて、みんなもう諦めたときにね。助けてやるからこちらの好きなようにさせろって変な博士が出てきて、言われるままお姉ちゃんを差し出したら、あんなになって帰ってきた」


「はかせ……?」


「恐ろしく頭が良かったけど、マオーバの幹部で、頭が完全にいってた。お姉ちゃんを兵器にして使い倒そうと思ってたみたい。でも命がけで助けてくれた人がいて、お父さんも必死でお姉ちゃんを隠したから、連中の仲間にならないですんだ」


「そんな……」


「信じられない? なら病気だと思えばいいよ。さわっても、れられても、何も感じない病気になってると思えば」


「……病気?」


「あなたがお姉ちゃんを抱きしめてキスしたとしてもお姉ちゃんは何も感じないし、あなたがその手でお姉ちゃんの体に触れても、お姉ちゃんはわからない」


「……」


「一応は女の子の身体してるし、心も女の子って意識はある。けどね。最低で品のない言い方になるけど、いろいろ大切な部分に、穴が空いてないのね」


「……」


 なんてことだ。


「でもひとつだけ、ほっぺたは普通の人と同じみたいなの」


 頬だけは触れられると嬉しいと言ったこと。

 いきなり抱きついてその頬をぐいぐい押しつけてきたこと。

 別れ際、琉生の手を自分の頬に当てたこと……。


「そっか……」


 琉生は頭をかいた。


「そうか……」


 ここまで知った上で、自分はどうするべきだろう。


「桜帆ちゃん、教えてくれるかな。君は緑川さんの家に行くんだよね」


「うん」


 しかし緑川氏は「一人分しか面倒を見られない」と言っていた。


「俺と一緒になれないと、お姉さんはどうなるの?」


 率直な疑問を不安いっぱいにぶつけたら、桜帆は笑うのである。


「本郷さんって本当に優しいんだね。そりゃお姉ちゃんもやられるわ」


「……」

 

「でも、これ以上踏み込まない方が良いよ。私達、どうかしてた」


「いや、そんな言い方は」


「本当だから気にしないで。私達、本当に浮かれてたの。ちょっと前までこんな体になるくらいなら死んだ方が良かったって言ってた人が、好きな人ができたから一緒に暮らしたいって言うんだもん。生まれたばかりの赤ちゃんが二本足で立ったときの親みたいに、私ら、馬鹿騒ぎしちゃった。相手がどう思うかなんて考えもしないで、良い方にばっかり考えちゃって」


 そして改めて桜帆は琉生を見つめる。


「だからもう一度言うね。私達みたいなおかしな連中につきあわない方が良いよ」


「……」


「だけど本郷さん、これだけはお願い。お姉ちゃんのこと誰にも言わないで。お姉ちゃんの秘密がバレたら何をされるかわからない。変な連中に捕まって、バラバラにされちゃうかもしれない。それだけは絶対にいやなの……」


 さっきまでの大人びた態度をかなぐり捨て、必死の形相で訴えてくる。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 桜帆に言っていると同時に、自分にも言い聞かせている。


「桜帆ちゃん、もうひとつ教えて、俺はどうすればいい?」


 心の奥底からふつふつ湧き上がってくる衝動を何とかして言葉にしようと、琉生は頭をかきむしり、とうとう言った。


「君のお姉さんに辛い思いをさせたくないんだ」

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