どこかのかなた

第1話

 真っ黒い中に月ばかりが明るく浮かんでいた。真昼のようなとまではいかないものの、黄色く光る月に照らされながら私は一人歩いていた。

 秋の夜はつるべ落としと言うが、確かに最近日が暮れるのが早くなった。住居の間に水田がぽつりぽつりと見えた、頭を垂れた稲穂が月光を浴びて金色に光っている。家路を急ぎながら、私は姉のことを思い出していた。

 姉が消えたのはちょうど今夜のような、星光よりも月明かりが目立つ夜のことである。

 私と姉は一つ違いだったが、互いを遊び相手として双子のように育った。幼い頃は、本物の双子のようだとよく言われたものだ。姉妹仲も良く、成長してもそれは変わらなかった。姉妹というよりも、どちらかと言えば友達のような印象が強く、おそらく姉も同じようなものだったろうと思う。 二年前に姉がいなくなるまで、ほとんど喧嘩もすることなく同じ時間を過ごしていた。

 ふと風が頬を撫でた。十月の肌寒い空気に首をすくめ、私は足を早めた。 姉がいた頃は、このように一人で帰宅することもほとんどなく、二人で他愛のないことを話しながらわざとゆっくりと歩いていた。

 途切れ途切れの街灯が照らす道に私以外の影はなく、少し離れた家々からの笑い声が私の耳に絡みついた。普段であれば今気になりはしなかったろうが、姉を回想していた私は喪失感のような寂しさのただなかにいた。 暖かな家族の笑いは苦痛以外の何者でもなかった。

 ここのしばらく先に竹林がある。そこを突っ切れば家への近道なのだが、生い茂る竹に光が遮られ、昼でも小昏い。そのため、日が落ちてからは使わないようにしていた。だが、今夜はそこを通ることにした。早く家に帰りたかったし、あの笑い声から少しでも遠ざかりたかったのである。


 砂利を踏む音がやたら大きく響いた。昏いと覚悟していた竹林の道は思っていたよりも明るく、砂利道に月光が影を長く焼き付けている。見上げると、竹の葉の間から相変わらず明るく輝く月が、私の上をつけ回していた。

 姉は月が好きだった。月の美しい夜など、 カーテンを開け放して月を見ながら眠りについていた。もともと昼間よりも夜を好む質で、子供の時から時々夜中に月の下で庭を歩いていた。

 以前聞いたところでは、昼間よりも煩わしいことがなく、静かなところが良かったらしい。そして、

「あとな」

 と、姉はその後で笑いながら付け足した。

「夜一人で歩いてると、世界に自分しかおらんような、世界が自分のものになったような気がして、 面白いんよ」

 今日のような月夜であれば、必ず縁側で月見をしていた。 もし失踪していなければ、きっと縁側で好きな菓子をつまみながら、 今日も月見をしていたことだろう。

 私もよく誘われて何度かお相伴にあずかったが、あいにくと私にはあまり楽しさがわからなかった。 ただ、もし月見をしたとして、今回誘ってくれるかどうかはかなり怪しかったが。

 姉が消える少し前に、生まれて初めて私達は喧嘩をした。原因は些細なことである。 私が姉に交際相手がいると話したのだ。

 それも確か月見の最中だった。特別に何かあったというわけではなく、話の流れでふっと漏らしたのだが、それに対して姉が予想以上に動揺し、かつ怒った。 見たこともない私の相手を罵り、私に別れろと半ば脅すように迫った。 私は何故姉がそこまで怒るのか理解できなかったし、恋人をけなされたこともあり、売り言葉に買い言葉で姉を罵倒した。

 それから私と姉は、互いに口を聞くことも顔を合わせることもなくなり、姉が消えた日までそのまま続いていた。

 今思えば、姉は寂しかったのかもしれない。しかし、その時はそんなことを思うこともなく、ただ姉に腹を立てていただけだった。 わだかまりを抱えたまま、姉がいなくなったと聞いたとき、私は激しい後悔に襲われた。

 そして二年が過ぎ、姉は遺体も見つからず行方不明のままであり、私は姉のいない日常に慣れてしまっている。


 皓々と輝く月光の下、長く黒く伸びた影が私の後に従っていた。 それなりに歩いたが、竹の群れはまだ視界の奥へ続いている。私の足音と、時折吹く風に笹が揺れる音がどこか虚ろに聞こえてくる。

「今日は随分きれいなお月様じゃなあ」

 びくりとして振り返ると、後ろにはただ薄明い砂利道があるばかりで、人の影どころか犬猫さえいなかった。

 幻聴だった。

 にもかかわらず、私は逃げるように早足になった。そこに誰もいないとわかっていても、また姉の声が聞こえてくるような気がしたのだ。

 明るく光る月は、長く黒く伸びた影は、まだ私から離れない。

 歩いても歩いても、暗く沈んだ向こうに竹の林が続いている。

 私は走り出した。 息が弾んで喉が痛んだ。 得体の知れない恐怖に怯える頭は、ばかげた考えを生み出しては押し殺していった。

 姉は、私が彼女以外の他人と、時間を共有することが許せなかったのではないか。私は姉を大切に思っていたし、姉もそうだと思っていた。 しかし、もしそれが違っていたなら。私以上に、姉は――。

 唐突に竹林が終わった。目の前には池があり、その向こうには舗装された道と灯りのついた家が見えた。どうしてか、池を越えて私が辿り着けることはないように思えた。

 池は夜空を映し込んで漆のように黒く、そして月も冷たく顔を映していた。

「なあ、一緒にお月見しよ」

 また声が聞こえた。振り返っても、きっと誰もいないのだろう。

 風が吹いた。 笹が静かに鳴っていた。 暗い水面に立った漣は、まるで姉が笑っているように見えた。

 夜に迷った私の前では、真っ黒い中に月ばかりが明るく浮かんでいた。

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どこかのかなた @Lovetebasaki

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