【神田夜宵視点】萩ちゃんの様子が変だ

 萩ちゃんの様子が変だ。

 今日の帰り道、ものすごく悲しそうな顔をして急に走り出すから心配になってそのまま家を訪ねたけれど、応対してくれたお兄さんの椰潮やしおさんの話では、誰とも会いたくないと言って、部屋から出て来ないのだという。


 それでも、「待ってろ! もっかい行ってくる!」と言って果敢に飛び込んだ椰潮さんに、床においてあったものを手当たり次第投げ付けたらしく、戻って来た彼の腕には、何によるものなのかわからない擦り傷があった。ていうか、飛び込む椰潮さんもすごいと思う。


「これが反抗期ってやつなのかもな!」


 椰潮さんはそう言って何でか嬉しそうに笑っていた。何事にも動じない、すごい人だ。


「萩ちゃん、どうしちゃったんだろ。そんな乱暴なことするような人じゃないのに」


 クラスの中には、萩ちゃんの髪が茶色いからって不良だと決めつけている人もいる。彼に寄ってくる女子も、なんていうか、見た目が割と派手で、こっそりお化粧をしているような子が多いから、そういうのもあって、「女子を取っ替え引っ替えしている」みたいな噂もあるし。


 だけど、萩ちゃんの髪は地毛だし(ちなみに椰潮さんもだ)、全然不良じゃない。悪いことなんてしてないし、乱暴なことも絶対にしない。女子を取っ替え引っ替えなんてとんでもない。僕はまだ萩ちゃんから恋愛の相談を受けたことがないけど、恋をしたことがないか、それかもしくは、誰にも――寂しいけど親友の僕にも言えないような恋をひっそり温めているかのどちらかだと思う。


「心配するな、夜宵」


 肩を落とす僕の頭をガシッと掴み、そのままワシャワシャと撫でる。椰潮さんはきっと、僕のことも弟みたいに思ってくれてる。僕にはお姉ちゃんがいるけど、お兄ちゃんはいないから、それがちょっと嬉しかったりする。


「矢萩はな、まぁ突発的にやっちゃっただけだ! 俺が部屋を出る前に、ちゃんと『ごめん』って言ってたし!」


 俺じゃなきゃ聞き取れないような声だったけどな! と家中――いや、下手したら僕の家まで聞こえるんじゃないかと思うくらいの声量で言い、椰潮さんは高らかに笑った。


 もちろん萩ちゃんにも届いていたようで、「余計なこと言うな、馬鹿兄貴!」という怒声が聞こえてきたけど、それに対しても、「なー!? 可愛いだろ、俺の弟!」と笑っている。色んな意味で器の大きい人である。知ってる、萩ちゃんは可愛い。


 会いたくなくても、電話、いや、メッセージなら。


 そう思って、リビングのソファに座り、テーブルの上に置いてあるスマホを手に取った。学校には持っていけないので、日中はここに置きっぱなしなのだ。すると。


「萩ちゃんからだ!」


 僕が送るよりも先に、萩ちゃんからメッセージが届いていた。内容はごくシンプル。


『さっきはごめん。』


 それだけだ。

 それだけだけど、安心する。いつもの萩ちゃんだ。仲の良い僕達だってたまには衝突もする。傍から見れば「そんなものは喧嘩のうちに入らない」らしいけど、僕らにしてみればかなり深刻なやつ。だけど大抵の場合、萩ちゃんの方が先に動く。僕はそういうところまで鈍臭いのだ。萩ちゃんの優しさに甘えてばかりで情けない。


『何かあったの?』


 そう送ると、一瞬で既読がつくのに、返事は一向に来なかった。長考しているのだろう。長い文章でも打っているのかもしれない。それだけたくさん悩んでいるということだろう。大丈夫、どんな長い話だって僕は全部聞くよ、萩ちゃん!


 だけど返ってきたのは、


『別に。』


 の一言だった。

 

 どうしよう。

 やっぱり萩ちゃんに何かあったのかもしれない。


 でもきっと明日になれば。

 またいつもみたいに一緒に学校に行って、歩きながら色んな話をして、それで、そしたら。


 そう願って朝を迎えたけど。


「ごめんね夜宵君。矢萩、何か用事があるって言って、七時前に出ちゃったのよぉ!」

「そうですか」

 

 一緒に行くとは言っても、別にどちらかが迎えに行くとかそういうわけはない。いつも一緒になるのだ。だから僕は、いつも萩ちゃんが家を出るくらいの時間になったら、玄関で待機している。萩ちゃんはいつもものすごく元気よく行ってきますって言うから、それを聞いてから家を出れば良い。


 だけど今日はそれがなかった。

 ギリギリまで粘ってみたけど、何も聞こえない。痺れを切らしてドアを開けると、ほぼ同時にお隣のドアが開いて、萩ちゃん!? とそちらを見たら、そこにいたのはお母さんの沙也子さやこさんだった、というわけである。


「体育祭、近いものね! リレーに選ばれたみたいだから、その練習かもしれないわね!」


 なんて笑っていたけど、練習なんてない。確かに萩ちゃんは選手リレーに選ばれてるけど、朝練なんてないことを僕は知ってる。だって、僕も補欠で選ばれてるから。


 萩ちゃんはきっと、僕にも会いたくないんだ。

 だから、僕に気付かれないように、こっそり家を出たんだ。


 そう考えると、鼻の奥がつんとして、涙が込み上げてくる。沙也子さんにバレないよう、僕は学校に向かって駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る