愛されていた。手遅れな程に・・・


 贅を凝らしたウェディングドレスを着た婚約者は、控え目に言って女神のように美しかった。


 被ったヴェールを捲り、恥ずかしそうな顔で、けれどとても優しく俺を見詰める婚約者に魂を抜かれたような気分で意識を飛ばしそうになって・・・


 ぐっと堪えた。


 誓いのキスのときに、口付けをしようとしたらそっとズラされて頬へと口付けてしまったときには側近の言った、『内心では嫌われてんじゃないですか?』という言葉が脳裏を過ぎったが、俺を見る彼女の眼差しにはずっと優しさが宿っている。


 だから、きっと気のせいだ。俺は嫌われてはいないはず。


 そう、彼女は恥ずかしがり屋なんだ。だから、こんな衆人環視の場所では俺に触れられるのを恥ずかしがっているだけだ!


 きっと、夜には・・・


 そう思いながら、結婚式を終えた。


 彼女が待ち遠しいと思いながら、パレードや式典を終え――――


 夜になり、夫婦の寝室で彼女を待った。


 なかなか来ないと思いながら、過去の俺の所業を思い出して不安になったりして――――


 それでも、彼女を待った。結局、朝まで彼女は来なかったが。


 そして、彼女のいる部屋へ行き――――


「お嬢様、宜しかったのですか? 一応仮にも昨夜は初夜でしたのに」

「ええ、構わないわ。というか、王太子殿下と寝所を共にするだなんて悍ましい。そういう話題は二度と振らないでくれるかしら?」


 という発言を聞かされることになった。


 そして俺は、


「俺に、やり直す機会をくれないか?」


 彼女に跪いて乞うた。


「あらあら、困りましたわ。わたくし、殿下のことを嫌ってはいませんのよ?」


 にっこりと、彼女は優しく微笑む。いつもの、包み込むような笑顔で。


「わたくしも、殿下のことを愛していますわ」

「っ!? そ、それならっ……」

「なので、殿下と夫婦になるのは無理です。つきましては・・・お飾りの正妃を立派に務め上げますのでご安心くださいませ」

「なぜだっ!?」


 そう詰め寄った俺に、


「それは、わたくしの問題でもあるのですが・・・」


 彼女は笑顔で続けた。


「公務はちゃんと致します。けれど、殿下と寝所を共にすることはありません」

「だから、なぜだっ!? それに、後継ぎはどうするつもりだんだっ!?」

「そのことにつきましては、陛下と王妃殿下、公爵である父にもちゃんと了承して頂いております。それに、殿下には侯爵令嬢がいらっしゃいますもの。なので、わたくしが無理にお世継ぎを生む必要はありませんわ」

「そ、それは・・・」


 父と母が念押しした、『後悔しないな?』という言葉が耳にこだまする。


「侯爵家も、筆頭ではありませんが有力な貴族派の家として有名ですもの。政略的にも、なんら問題はありませんわ。それに・・・」

「それに、なんだ?」

「あ、いえ。これは・・・その、なんでもありませんわ。わたくしの個人的な問題ですので」

「君の問題だという、それをちゃんと教えてくれ。怒ったりしないし、不敬にも問わないと誓うから・・・」


 過去のやらかしの所業を突き付けられ、項垂れながら言うと、彼女が語り出した。


✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧


 わかりました。では・・・


 人の顔を見るなりブスだなんだ、権力で無理矢理婚約者になったと文句を付け、執拗に嫌がらせをして来る年下のクソガ……いえ、道理のわかっていないお子様と、こちらこそ嫌だったのに無理矢理婚約を結ばされ、その暴言と嫌がらせとに耐え続け、わたくしは疲弊して行きました。


 こちとら義務で嫌々付き合ってやってんのに、クソガ……いえ、お子様の嫌がらせのせいで、公爵家よりも下位の貴族にも馬鹿にされて、悔しくて悔しくて、散々泣いたり嫌がったのに、婚約は絶対に解消にならず、益々クソガキは調子こいて、わたくしにキツく当たる。


 殿下のお父君である国王陛下や王妃殿下にも直談判したこともありました。こんなに嫌われいるのだから、婚約を解消してほしい、と。けれど、『国のために堪えてくれ』と言われました。『そなたの方が年上でもあるだろう?』と。


 わたくしは、絶望しました。


 そして、段々追い詰められて――――


 公爵令嬢として、王太子の婚約者として、一発で完全アウトになるようなやらかしでもしてみようか? と夢想するようになったとき・・・わたくしを見かねた侍女が、わたくしに一冊の本を差し出したのです。


 その本が、わたくしの救いになったのです。


「それはどのような本だったんだ?」


 それは・・・育児本ですわ!


「は?」


 ですから、育児本です。


 侍女は、わたくしへ言いました。『お嬢様、第一王子アレをお嬢様と対等の存在だと思うからそんなに腹立たしくて悔しくて堪らなくなるのです。けれど、想像してみてください。第一王子アレが実は三歳児なのだと』と。


 そうして、悪魔のようだと言われる、幼児のイヤイヤ期と同じだと示唆されたのですわ!


「は?」


 三歳児のワガママ!

 三歳児の嫌がらせ!

 三歳児の憎まれ口!

 三歳児のマナー違反!


 殿下のやることなすこと、全てを『あれは三歳児のすることだから仕方ない』、と。そう思えるようになったとき、わたくしは救われたのです!


「さ、さんさいじ……」


 はい。丁度、親族の三歳児や孤児院の視察で小さな子供と接する機会もありまして――――


 その結果、わたくしの母性が目覚めたのです!


 それからは、殿下がわたくしへどのような理不尽な言動をしたところで、『三歳児が駄々を捏ねているのね? 微笑ましいわ』と、穏やかで優しい心持ちになり、殿下へ苛立つこともなくなりましたわ。


✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧


 彼女は、爽やかな笑顔で俺に語った。


「俺が、君を冷遇していたことに謝罪をしたときに、あんなに喜んでくれたのは」

「ああ、あれですか? あれは、本当に嬉しかったですわ。初対面の頃からずっと反抗期で、ず~っと嫌いだと言い続けていた三歳児の子供が成長し、自分の所業を振り返ってわたくしへ謝罪したのです。それはもう、グレてしまった我が子が更生したという母のような感動で胸が震えたのです!」


 嬉しそうに頬を染めて、彼女は優しい眼差しで俺を見詰める。


 グレた息子が更生したような気分。そんな気分で、彼女は・・・女性としての彼女に惚れた俺に付き合ってくれていたというワケか。


「なので、わたくしは殿下と寝所を共にすることはできません。わたくしは、殿下のことを実の息子のように愛しております」


 ああ、だから・・・


 だから、彼女は俺との触れ合いをやんわりと拒否していたのか。


 だから、『王太子殿下と寝所を共にするだなんておぞましい』と。そう言ったのか・・・


「や、やり直すことは」

「無理ですわ」


 にっこりと、彼女は俺にとどめを刺した。


「なので、侯爵令嬢を娶る時期をお早めください。そして、周辺諸国の情勢が落ち着けば、離縁には応じますので。ご安心くださいませ」


 愛情は籠っているが、一切の恋情の見られない、慈しむような眼差しを俺に注いで。


 俺は彼女に、愛されてはいた。そう、手遅れな程の愛情で・・・


✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰⋆。:゜・*☽:゜・⋆。✰


 こうして彼女は、俺のお飾りの妻として、けれど公務はしっかりとこなしながら過ごすことになり――――


 同級生の侯爵令嬢の教育が一段落したところで、『世継ぎを生めていませんので』と言って、自ら正妃の座を退き、側妃へと下がった。


 しばらくして、俺の子を生んだ侯爵令嬢が正妃となった。


 彼女は徐々に表へ出ることを控え――――


 周辺諸国の情勢が安定した頃、病気療養を理由として、ひっそりと離縁をした。


「それでは、殿下のご多幸をお祈り致します」


 と、相変わらずの慈しむような眼差しを俺に注ぎ、彼女は城から出て行った。


 俺は彼女に恋をして、愛していた。


 そして彼女も、俺を愛してくれていた。


 ダメ息子の成長を喜ぶ母のような目線で、だったが。愛されていた。手遅れな程に・・・


 数年後。彼女が年上の男性と結婚し、幸せに暮らしていると、俺に辛辣な側近がこっそりと教えてくれた。


「お相手の方は初っ端から態度の最悪だった殿下……あ、いえ。陛下とは比べものにならないくらい、いい男みたいですよ」


 と、笑顔で俺の心を抉りながら。


 こうして俺は、盛大に失恋をした。


 ――おしまい――

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