第13話

 暗い部屋。

 壁やに当たった僅かな光と、少女の顔を照らす光のお陰で、かろうじてその部屋の様子がうかがえた。

 少女はカーテンの下の、部屋の隅っこで体育座りをしながらスマホ画面を睨みつけている。両目から涙をこぼしながら。

 少女が顔を上げた。

 俺の視界が右へと移動する。部屋の角、洋服棚、そして机——少女の視点と同化していた。

 目線が下がる。

 やぶれたノートの切れ端や中身が溢れたままの鞄が落ちる床に、何かの白いケーブルが見えていた。

 視界が、カメラが、近づく。

 視界の下部から右手が生え、ケーブルへ伸びていき、そして拾い上げた——吊るのか?


 どうやら俺の咄嗟の選択はギリギリで間に合ったらしい。

 自分の年代と比べてもかなり幼いこんな少女に首を吊らせるなんて、とても酷い選択をしたのはわかっている。しかし「飛び降り自殺」よりも失敗する確率が高そうに思えた。幾分かマシに、思えた。だが——。

 本当に失敗するのだろうか。

 首を吊って本当に死なずにいられるのだろうか。

 本当はどちらを選んでも死を免れる事なんてできず、無駄に苦しませる選択をしてしまっただけではないか。

 目先の希望を、疑心と不安が恐怖となって、塗りつぶしてゆく。

 

 少女が持つケーブルを軸に映像は回り、ケーブルを見つめる少女へ向かい合った。

 今度は少女を軸に映像が回る。

 右斜め前からの少女の顔、右から見た少女の横顔、そして少女の後頭部、という順のカメラワークだ。

 やがて離れて行き、少女の後ろ姿を映す。

 少女が部屋のドアに近づく。

 ドアノブにケーブルを。どこでそんな結び方を覚えたのか。

 ドアノブの下には頭一つが入りそうな輪っかが出来上がっていた。

 ——くそ。何故一番見たくないシーンを、一番見たくないアングルで、見せつけてくるんだよ。

 少女がこちらを向き、ドアノブの下でしゃがむ。

 ドアに背中を押しつけながら、輪になったケーブルを両手で掴む。

 輪の中に頭を通そうとするが、ノブが頭に当たり、入れにくそうだ。

 やがて頭が輪の中に通り、少女は両腕を下げる。尻は床についておらず、体が少しだけ下がった。ケーブルが少しだけ首に食い込む。

 暗くてもわかるほどに無表情なその少女が目をつぶった。

 しばらくその体制で止まり、口で息をしている。

 どれくらいの時間だろう。とても長く感じられた。少女はまだ首を吊っていない。首に輪を掛けただけである。少女にその選択をさせたのは俺だ。

 このまま諦めて欲しい気持ちが強まる。

 だがその場合、この少女はもう一つの選択をするだろう。

 ——どうか、このまま続けてくれ。でも、死なないでくれ。


 少女が再び眼を開けた。そして再び、ギュっと、眼を閉じた——。


 次の瞬間、勢いよく脚が伸びた。

 身体がドアにぶら下がる。

 踵が床についてはいるが、尻は床についていない。

 ケーブルが耳の下辺りに食い込んでいた。

 体が揺れる。

 少女がまた眼を開けた。

 膝を曲げようとする。

 だが床が邪魔して曲げられない。

 両腕を下に伸ばした。

 だが床へは届かない。

 脚をバタバタさせる。

 両腕が曲がり、両手でケーブルを掴もうとした。

 だが首とケーブルの隙間に指が入って行かない。

 口を開け声を出すが、その声は小さい。

 その悲鳴は、微かな呻き声にしか聴こえない。

 やがて再び手が下がる。

 やがて再び脚が伸びた。

 開いた口から舌先が少しだけ覗いている。

 びくん、と両肩が上がっては下がる。

 それが何度か続く。

 両膝もびくん、と微動する。

 その度に体が揺れる。

 少女の眼は見開かれているが、焦点が合っていない。


 びくん、びくん、びくん。


 少女の頭が下がり始めた。

 少女が痙攣する度に、ケーブルが緩んでいるようだ。

 やがて床に、尻がつく。

 びくん。

 ケーブルがほどけた。

 ケーブルは少女の首に、緩く巻き付いている。

 少女はうなだれ、時折り手や脚が微動した。


 ——これは、どうなんだ? 死なずに済んだのか? どうなんだ?


 とても長い時間の様にも感じたし、数分程度の出来事だった気もする。


 映像がゆっくりと、その部屋の中よりも更に、暗くなっていく。

 そしてゆっくりとまた、明るくなった。

 何処かの廊下だ。

 白い壁に、ベージュ色の床。

 壁には幾つか四角い引き戸がついており、その多くが開けっぱなしになっていた。

 その内の一つから、何か出てくるものがある。車椅子だ。

 白衣を着た女性が車椅子を押し、その部屋から出てきた。そして、こちらへ曲がる。

 車椅子に座っているのは先ほどの少女だった。眼は虚で、体が左に少し傾いている。手は両股の間に置かれていた。口からは涎が垂れている。


 近づいて来た。

 目の焦点がこちらに合う。


「——あ、お、おあぁさん、あろね。ああし、あいろうるらから」


 ……。

 …………。

 ……………………。


 ————ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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