隣の女

香坂 壱霧

───美容室にて

「ドライブしてたんです。そのとき、車の窓を開けてなかったのに、突然、車の中を冷たい風が通り抜けていったんです。ぶわあって、髪の毛が乱れるくらい。おかしいでしょ?」

 隣の席の女性と美容師の会話は、店内に響いている。客は、私とその人だけ。美容師は、その客の話に相槌をうちながら聞いていた。

「あの風みたいなの、なんだったんでしょうね。すっごく、怖かったんですよ」

 女性は、声を震わせながら言う。でも、顔は怖がっているようにみえない。

「それ、心霊スポットに行った帰りでしょう。面白半分で行ったとしたなら、霊からの警告じゃないですかね」

 美容師は、声のトーンを落とし、声色こわいろを変えて言った。女性を怖がらせるため、からかうためにわざとそう言ったのだろうと感じ、私は顔をしかめる。

「警告? ってことは、次はあんなもんじゃなくて、ガチでやばい体験するってことですか。やだな、どうしよ」

 美容師の言葉に、女性は困惑しているようだった。怖いといいつつ、やはり恐怖感は見えない。

 担当美容師が来るまでの待ち時間、私は雑誌を読みながら、隣の女性の話につい聞き入ってしまっていた。

「うわ、すっごい。ほら、見てください。鳥肌たっちゃいましたよ」

 女性は、声をうわずらせている。

「そういえば、怖い話をしていると霊が集まるって聞いたことあります。今、集まってたりして」

 女性は、その状況を楽しんでいるようで、ふふふと笑っていた。

「どうでしょうねえ」と、美容師はかわすように応える。

「聞いた話ですが。人が集まる場所、特に水や鏡があるところに、霊って集まるものらしいです。そういう話をしていなくても。していたとしたら、より集まるってことなんでしょうね」

 美容師は、声のトーンと落としていた。他の客──といっても私しかいない──に配慮しているのかもしれない。

 でも、すぐ隣に居る私には聞こえている。

「美容室や病院には全部そろってますからねぇ」

 美容師のしみじみとした言葉に、女性は、「うわあ、そんな事言うから、鳥肌! ほら、みて!」と、うろたえはじめた。

「ということは、今、この周りにいるんでしょうか。私、鳥肌立っちゃってるし……」

 今度は、本当に怖がっているように見える。

「ええ、そう、ですね。……石井さん、ちょっと感じてるっぽいので言いますけど、いますね。近くに。だから鳥肌立ってるんじゃないですか」

 美容師は、小声で話しているけど、ちゃんと聞こえている。

 さすがに私もぞっとして、辺りを見回してしまった。

「ええっと、たとえば、私の、左隣? 誰もいないはずなのに、鳥肌が特にひどいから。ほらみてください」

「たしかにひどいですね……。この類いの話をしていると、必ず現れる霊がいるんですよ。自分をただの客だと思い込んだ霊が……」

 


 私は、おそるおそる顔を上げて、鏡を見た。


 ──そこに私の姿は、うつっていなかった。



〈了〉

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隣の女 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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