第23話 天ヶ崎舞羽とピクニック 2


 その山というのが尾成おなり山と言って、猫の尻尾のように連なった緩やかな傾斜の山であった。


 僕らの通った小学校からほど近いところにあって遠足でよく利用されている便利な山である。とうぜん僕も舞羽も何度も登ったことがる。しかし、見晴らしのいい場所などあっただろうか?


「友達から聞いた」と言う舞羽に連れられて、僕と彼女の双子の妹である蝶は木洩こもれ日の綺麗な山道を歩いている。


「お姉ちゃんね、今日のために早起きしたんだよ」と、蝶が僕に耳打ちした。


「どうりで、今朝は部屋にいないと思った」


「絶対にゆう君と行くんだって一生懸命だったんだよ。来てくれてありがとう」


「別にお礼を言われるようなことじゃない」


 そう答えて、僕は夏の匂いを吸い込んだ。「たまにはピクニックも悪くないだろう」


「あっはは、なにそれ」


 僕達は清涼な小道を行くのである。目にも鮮やかな緑が夏の爽やかな陰翳いんえいを伴って風に揺れている。それはなんだか舞羽を歓迎しているように見えて、夏の妖精たる少女は木洩れ日を受けて一層輝いているようだった。


「ほら、早く早くー!」と僕らを振り返って右手を振り上げる。


 あんなに楽しそうに笑う舞羽の頼みをどうして断れようか。


                  ☆☆☆


「お弁当を食べます!」


 山の中腹に着くなり、舞羽がピクニックシートを広げて言った。


「いや、景色はどうした」と僕が言うのと同時に「色気より食い気……お姉ちゃん」と蝶が頭を抱えた。


「いーじゃん! 今日はこのために来たんだから!」


 エドガー・アラン・ポーの『庭園』において、この世の至高の芸術は『自然』であるとうたわれている。個々に見ればなんでもないような樹木や草花が、こうして一望のもとに結合されたときの圧倒。バラバラだった色彩のつなぎ目はステンドグラスよりもクッキリと美しく、無秩序で、一つの壮大な生命であった。


 僕は不覚にも感動してしまったのだが、舞羽は景色になんぞ微塵も興味が無いようで、バスケットの中からせっせとお弁当箱と割りばしを取り出して3人分の取り皿と一緒に配った。


「ゆうも、座って座って」


 と、花柄の可愛いシートを手でぽすぽす叩いて僕の隣に座り込む。その舞羽を挟むように蝶が座り、僕らは3人並んで食事にした。


 お弁当箱に並べれられた色とりどりの料理。から揚げたこさんウィンナー湯でブロッコリーなどなど、彩りも考えられて盛り付けられたお弁当は見た目も美味しい物だった。


「これ、ほとんど手作りか?」


「うん。蝶と二人で作ったよ! ねっ?」


「そうだねー。ていうか、ほとんどお姉ちゃんだったけど」


「蝶は味見係だったからいーの!」


 舞羽がおかずをとりわけて、蝶が紙コップにお茶をそそいだ。僕はから揚げを食べてみた。鶏のもも肉であろうか。歯を立てた瞬間に感じるサクッとした食感。次いで溢れ出す肉汁が舌に染み渡る。ころもは厚すぎず薄すぎず、程よい弾力が僕らのあごを楽しませた。


「美味いな。これ本当に舞羽が作ったのか?」


 僕が驚いていると、舞羽はぱっと顔を赤らめて「……うん」と頷いた。


「褒められて嬉しいんだよ。お姉ちゃんはっ」


 と、蝶もなぜか自慢げである。舞羽は俯いたまま首を左右に振って「うーー」と恥ずかしそうに唸った。


「ふーん。2段目は何が入っているんだ?」


「はえっ?」


 舞羽が料理上手だとは知らなかった。けれど、これだけ美味いのだからもっと食べてみたくなるのが人のさがであろう。


「どれどれ2段目は………ほう、これは、なんだ?」


 僕は1段目を取り外してみた。そこにはあの世が広がっていた。


 1段目を天国とするなら2段目は地獄であった。食材の墓場とでも称すべきか。焦げただし巻き卵ややたらピンク色のポテトサラダが詰め込まれている。まさに死んだ料理をほうむるためのグレイヴヤードがそこにはあった。


「み、見ないでぇ………」


 舞羽はさっきと逆の感情に顔を赤くして両手で覆ってしまった。


 お弁当箱は30センチ四方くらいの大人数用だった。その2段目にこれでもかと敷き詰められた地獄。1段目とのギャップに僕が驚いていると、舞羽はバッと顔をあげて蝶の肩をぼこぼこ叩きだした。


「なんで、なんで持ってきたの!? 私、イヤだって言ったじゃん! これは失敗なの、上手くいかなかったの! なんで持ってきたのーーーー!」


「でも、ゆう君のために作ったんだよ? 味は良かったからさ、食べてもらいなって」


 せっかくゆう君のお母さんに好きなモノ聞いたのにさ、と蝶は付け加えた。


「いわっ、言わないでよ! ばか! 蝶のバカ! …………ばか、きらい」


「あ……………」


 舞羽は目に涙をためていた。


 とたんにその場の温度が下がったように思われた。


 暖かい日差しの中での和気あいあいとしたピクニックだったはずだったが、蝶の少しの気遣いと舞羽の乙女心の双方が悪い方に転がって、僕達は押し黙った。


「冷めても美味しいポテトサラダのレシピ聞いて、だし巻き卵もいっぱい練習して、家でいっぱい作って練習したのに、なんで、なんで、ゆうの好きなものだけ失敗しちゃったんだろう。見られたくないのに、ちゃんと、成功したものを食べて欲しかったのに…………」


「………………ごめんなさい」


 気まずい沈黙が広がった。蝶も下を向いて顔に影を落とす。


 舞羽の指にはたくさんの絆創膏ばんそうこうが張ってあった。それは途方もない努力を連想させた。いっぱい練習したと言う言葉の通り、いくつもの失敗を経て、ようやく成功して、それでこのピクニックでお披露目しようと考えたのだろう。だけど、本番に限って失敗したから、見られたくなかったのだろう。


 けれども僕は気骨ある男であるからして、女性を悲しませたり恥ずかしい思いをさせたりしてはならない。


「そうか。もらうぞ」


 と、僕は2段目を取り上げると、箸を直接突っ込んだ。


「へえっ!? ダメだってば!」


 舞羽は慌てたように僕の腕につかみかかったが気にすることはない。


「うまいぞ、これ」


「美味しくない。美味しくないから!」


「そうか? 僕は美味いと思うけどな。うん、美味い美味い」


 僕はすっかり平らげた。本当に味は悪くなかった。ただ見た目が悪いだけであって、舞羽の練習の成果はちゃんと現れていた。


 だからこそ、僕が食べきるべきだと思ったのだ。


 僕は満足していたけれど、みるみるうちに減っていく料理を舞羽はどんな気持ちで見ていたんだろうか。


「わ……わぁ………や、いや、いやぁ………」


 と、恥ずかしいとかやめてほしいとかの感情が渦巻いて、抑えきれない感情の欠片をこぼすように、舞羽は言葉にならない小さな悲鳴をあげていた。


 空になったお弁当箱を舞羽はどんな気持ちで見ていたのだろう。


「ごちそうさまでした」


「……お、お粗末、さまでした」


 僕がお弁当箱をシートに置くと、舞羽はまるで呪縛が解かれたように蝶に抱き着くとお腹のあたりに顔をうずめて「うううううううううう」と唸った。


 蝶は、お母さんのように舞羽の頭を撫でながら「よかったねぇ」と落ち着かせていた。


 と、僕の方を見て「ありがとう」と笑いかけてきた。


「別に、本当に美味しかったからな」


 僕はそう答えた。


 ―――やぁぁぁぁぁぁぁ。という舞羽の悲鳴が町中にこだました。


 良いピクニックだったと、僕は思うのである。

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