第18話 藤宮氷菓と体育倉庫


 それはまだ夏休みに入る前の、とある体育の授業後の事であった。


 僕はその日、体育の授業準備の当番で、藤宮と共に器具の片づけをしていた。その日の授業はそれで終わりで、僕達は適当な事を話しながら授業で使った器具を片付けていた。くだくだしい話はさておくとして、体育倉庫に閉じ込められた。


「鍵、閉まってるねーー。これはあれかな? ギャルゲーでよくある体育倉庫に閉じ込められちゃった的な展開かな?」


「僕はギャルゲ―をしないから分からないが、限りなくフィクションに近い事態に遭遇していることは分かるよ」


「んふぅ、そんなゆう君に教えてしんぜよう。ギャルゲーではね、こういう展開の時、必ずムフフなCGが………あいたっ」


「襟を下げるな。馬鹿な事をやってないで出る方法を考えよう」


 僕は椅子代わりにしていたハードルから立ち上がると、尻についた汚れをはたいて落とした。


「むぅ、ゆう君のいけず……」


 藤宮は指をくわえて僕をジッと睨んだが、無視だ。無視。


 僕達は倉庫から出る事ができない。鍵が壊れているからだ。倉庫の鍵は僕のポケットの中にあるけれど刺さらないし、内鍵のノブも上がらない。生徒や教師はみな校舎へと引き上げており僕達の事に気づく人もいないときた。そして、これはおのずと判明する事だが、今日は運動部は休みだった。解錠のための鍵は鍵が閉まった室内にある、紛う事なき密室である。業者案件である。


 けれども、この窮地から脱する方法がもう一つある事を僕は知っていた。彼女に頼るのは非常に情けないが、背に腹は代えられないというもの。


 僕は藤宮に鏡を探すように伝え、唯一設置された窓から見える教室が何組の教室であるか考え始めた。


「やれやれ、どうにか舞羽に連絡できないものかな。きっとここから出してくれるはずなんだが」


「……天ヶ崎さん? どうして天ヶ崎さんが出てくるの」


「あいつ、ピッキングが得意なんだ」


「……ピッキング?」


 藤宮はきょとんと首をかしげた。まあ、普通はそんな反応になるだろう。


「うん。鍵を壊さないんだから大したもんだよ」


 天ヶ崎舞羽なら、きっと僕達をここから出してくれるはずだ。


「……へぇ、で、なんでそんな事をゆう君が知ってるのかな?」


「あーー、それはだな………」


 僕は答えにきゅうした。


 さすがに毎晩鍵を開けて侵入されているからなんて正直に言う訳にはいかない。藤宮の様子にはどこかほっとけないような、姿を消す直前の猫のような様子があったが、舞羽のやっている事が事だけに、邪推されるのもむべなるかな、だ。


「前に見せてもらった事がある………から?」


 当然、言葉を濁した僕の様子を藤宮が納得するわけがなく、


「……よく知ってるんだね」と、不貞腐ふてくされたようにそっぽを向いた。


「一応、お前の想像は間違っていると、言っておくぞ」


「別に何も想像してませんけど? あー早く鏡探さなくちゃなー。どこかなーどこかなー。鏡があれば天ヶ崎さんがゆう君のために来てくれるんだもんねー」


「……まったく」


 想像していないと言いながら、どう見ても藤宮は機嫌を損ねている。


 僕は頭を掻いて、鏡探しに参加した。


 窓から見えたのは、1-B。舞羽のクラスだった。


                  ☆☆☆


 ところが、鏡はおろか光を発する物はどこにも見当たらなかった。


 倉庫にあるのは野球部や陸上部が使う器具一式。ボールや石灰などはすぐに目につくが、合図を送るのに使えそうなものはどこにも無かった。


「でさー、鏡を使って、どうやって助けを呼ぶつもりなの?」


 藤宮がサッカーボールを指で回しながら言った。ここから出る気があるのか無いのか、目についたものをいじくっては次のおもちゃを探しに行く。どこから見つけてきたのか、グラビア写真集がかたわらに数冊転がっていた。余計なものを見つける才能にはけているらしい。そういうところは彼女らしいが。


「モールス信号でSOSを送ろうと思ったんだ。簡単にできるから」


 僕がパイロンをかき分けながら答えると藤宮が珍妙な表情で僕から離れるような仕草をした。


「……え、なにその信頼。そこまで行くと怖いんですケド。モールス信号を打てる男子高生もモールス信号を解読できる女子高生もどっちもこわっ」


「簡単だぞ? トントントン(S)ツーツーツー(O)トントントン(S)の組み合わせだから誰でもできる」


「うわぁ、体育倉庫に閉じ込められる二次元展開よりもフィクションな人たちがこんな身近にいたとは………」


 藤宮はドン引きの顔をしているが、僕は、いざという時のために知っておくべきだと思うのだ。


 と、そのとき、藤宮のお尻のあたりから緑色の紐のようなものが伸びていることに気づいた。それは体操ズボンと同じ色をしていた。


 僕がそれを指摘すると、藤宮は体をクルクル捻って紐のでどころを確かめんとする。そのとき純白の柔らかそうな布地が目に飛び込んできた。


 どうやら、体操ズボンのお尻側の縫い目がほどけているらしい。


「あ、ほつれてる! …………ということは」


 藤宮はすぐに気づいてお尻をパッと抑えた。そしてわなわなと震えながら僕を見る。その顔は怒りやら羞恥やらに赤く燃えており、「み~~た~~な~~?」と、今にもとびかからんばかり。


 彼女は倉庫内をけっこうウロチョロしていたから、その移動距離は相当なモノだった。どこかにズボンをひっかけたのだとしたら、まあ、ほどけてなくなるとは言わないまでも、生地のつなぎ目がバラバラになるくらいにはウロチョロしていた。


 きっと下着を見られた事よりも、下着の好みがバレた事に怒っているのだろう。


 彼女の履いていた下着というのが、とても口に出しては言えないような、幼い子供が好むような、


 …………クマさんのバックプリントが入ったパンツであった。


「………………………」


「…………………なにか、言うことがあるでしょ?」


 言ったら殺すけど。そう、藤宮の目に書いてあった。


「可愛くて良いと思うぞ」


「死にさらせ!」


 藤宮が放り投げたラインマーカーをしゃがんで避ける。すると、ガキンッという音がして、倉庫のドアが開いた。


「ま、瓢箪ひょうたんからこまと言うしな」


「……泣きっ面に蜂だよ」


 藤宮は、体操服の裾を限界まで下に引っ張って、パンツを隠すようにペタリと座り込んだ。


 その顔は羞恥と夕日に濡れて、得も言われぬ色気と哀愁を垂れ流していた。

 


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