未確認飛行物体

双峰祥子

第1話

 その昔、友人とルームシェアをしていた。五階建てマンションの最上階だったが、エレベーターはなく、一階はヤクザの事務所だった。その隣は新興宗教の集会所で、日曜ごとに家族連れの信者で賑わっていた。

 間取りは2DKで、バストイレセパレート、ベランダ付き、エアコンなし。ダイニングキッチンを共有スペースにして、家賃を多めに出している友人が六畳の洋間、家賃少なめの私が四畳半の和室を使った。エアコンなし、というと苛酷な環境に聞こえるが、マンションは川べりにあって、しかも角部屋なので風通しがよく、窓を開けていれば暑さは十分にしのげた。

 五階建てでしかも周囲に空間がある、断崖絶壁のような建物だったので、夏のあいだ我々は窓を開けたままで寝ていた。どちらの部屋もベランダに面していたが、友人の部屋がサッシの掃き出し窓なのに対して、私の部屋はドアだった。

 ドアでも十分に風は通るが、ただ一つ困るのは網戸がない事である。蚊という生き物は五階の高さなどお構いなしに現れる。おかげで私はいつもドアの脇で、電子蚊取り線香を焚いていた。時たまトンボなど入ってくることもあったが、それもまたご愛嬌だ。

 しかしある夜、風呂上りに自室で寛いでいると、そのドアからいきなり何かが飛び込んできた。虫、などというサイズではなく、かなり大きい。黒くて、しかも不規則にあちこち飛び回る。

 一瞬、何が起きたのかわからず、中腰のまま固まってしまったが、よく見るとそれはコウモリだった。

 これは一体どうすればいいのか?

 焦るうちにも、コウモリは狭い部屋の中をひらひらと移動し、下手をするとぶつかってきそうである。しかし、と私は考えた。コウモリといえば超音波である。彼らは暗い洞窟の中でも超音波の反響を利用して、ぶつかる事なく飛べるそうではないか。だとしたら私にぶつかるのはおろか、部屋の出口が判らずに右往左往など、あるはずがない。

 そこで私はコウモリに冷静な判断を促すため、彼(?)を自室に残したまま、共有スペースへと避難した。友人はまだ仕事から帰っていないので、孤独な闘いだ。

 待つこと五分。そろそろ出ていってくれたかと覗いてみると、コウモリは床に落ちたエコバッグの上で昏倒していた。パニックで気を失ったのだろうか。超音波伝説の崩壊である。

 しかしいくら気絶しているからといって、野生のコウモリに近づく勇気はない。いきなり復活などしたら大変である。ともかく、彼らは暗い場所で生きる動物なのだから、まずは明かりを消してみよう。私は部屋の入口からめいっぱい腕を伸ばして、電気のスイッチを切った。

 そして再び待つ。今度は念を入れて十分ほど。それから静かに襖を開けて部屋を覗くと、既にコウモリの姿はなかった。ほとんど虚脱状態で中に入って明かりをつけたが、何か変である。よく見ると、コウモリはエコバッグの上で脱糞アンド放尿という置き土産を残していた。

 まあ、小鳥とそう変わらない大きさなのだから、残していったブツもたかがしれている。それでもちょっと腰砕けになるような衝撃があった。もちろん、エコバッグは処分した。

 

 それからしばらくしたある日、なんと再びコウモリが襲来した。彼らは本当に何の前触れもなく、いきなり飛び込んでくる。ただ、私にとってこれは初めての経験ではない。またか、と思いながら、今回はすぐに部屋を暗くした。

 ここまではよかったのだが、そして共有スペースに避難、という段階で、コウモリが私についてきた。予想外の展開である。私は慌てて自室にいた友人に助けを求めた。こうなっては仕方ないので、玄関から廊下に誘導し、廊下の窓から追い出そうという作戦だ。

 友人にも先日の話はしていたので、彼女はコウモリ襲来、と聞いても取り乱さず、多少の悲鳴はあげながらも玄関のドアを開けてくれた。それを椅子で固定し、息をひそめ、身を低くして待つことしばし。

 どうもこのコウモリは前回のものより頭が良かったらしく、さほど迷うこともなく玄関へたどりつき、そこから廊下へ抜けて、窓から出ていった。

 私と友人は肩で息をしながら、勝利の喜びを分かち合った。そしてようやく落ち着いた頃、友人は思い出したように言った。

「私の友達にも、部屋にコウモリが入ってきたって子がいるけど、彼女、あんまり怖いから掃除機で吸ったんだって」


 私は昆虫や小動物を怖がる性質ではないが、女として少数派だという自覚はある。クモやゴキブリに半狂乱で怯える友達は何人も見てきたから、そういうものだと理解している。だからこの女の子の気持ちも、判らなくはない。

 パニック状態で、とにかく目の前から消えてほしい、の一心だったのだろう。しかし吸い込んだコウモリは一体どうなったのか、そっちも十分恐ろしい。

 恐怖心が引き起こす暴力(コウモリを掃除機で吸うのは、やはり暴力だ)に手加減はない。敵を消し去るまで、理性は忘れ果て、徹底的にやる。これは相手が人間であっても変わらないと思う。

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