先輩は僕にしか下ネタを言わない

東乃異端児

先輩は僕にしか下ネタを言わない

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 木更津防衛大付属高校。

 木更津駐屯地の近く、木更津防衛大直属のこの高校は数多くの将校を輩出した、未来の国防を担う若者たちを育成する最高の教育機関だ。


 日々、戦闘から救護など実技と座学と、多岐にわたる厳しい訓練をこなす。

それに加え厳格な規律が敷かれ、徹底した自己管理も試される。

 そんなただでさえ厳しいうちの高校は、さらに生徒たちから風紀委員を募っている。


「申し訳ありませんッ、サー」


 右京先輩は軍帽のつばに手を添えながら深くため息を吐くと、目を伏せた。

 目の前には丸太に縛られて身動きが取れない一人の生徒が、顔面蒼白でうめき声をあげている。


「……鈴木だったか。よかったな、戦場ならお前、確実に死んでるぞ」


 懇願し涙を流す鈴木に、先輩は冷淡で冷え切った凍えるような双眸でギロリと睨む。すると隣に立っていた別の生徒がライフルを構える。


「や、やめてくれ、ぎゃあああああ」

 五月雨の如く全身にゴム弾を食らった鈴木は、あえなく失神した。


 風紀委員長、立花右京。

 戦術論、兵器考査などの座学や、それに射撃や格闘、救護処置等の実技訓練も含めた、ありとあらゆる成績は全て優秀。ウチの学校で五本の指に入るほどの天才である。


教官からの強い推薦により風紀委員のトップに立ち、必ず任務を遂行する冷淡で残虐な性格は、生徒たちの間では鬼とも恐れられている。


「……まったく、就寝時間を一秒も過ぎるなど、弁解の余地もないな」

「まぁでもぉ、初犯なんだしぃ、許してあげましょ~?」

 鉄仮面のような表情で右京先輩が言うと、となりで奈央先輩は優しく笑う。


 そんな右京先輩のことを俺、相模徹も恐ろしい人物だと思う。冷淡で無慈悲な先輩は張り詰めた糸のようで、何をしても怒られそうな気がするし。


 でも俺はそれとは別の、もっと違う意味での恐怖を先輩に抱いている。


 俺はただ、じゃんけんに負けて風紀委員になった特に出世欲もない普通のイチ生徒なわけで、それに先輩とは風紀委員というつながり以外には特に面識を持っているわけでも、まして何かやらかした覚えも全くない。


 二人はゆっくりブーツの音を鳴らしながら歩いてくる。

 それなのに先輩はいつも、俺の傍を通り過ぎる間際、俺の耳元でささやく。


「ほんとアイツは、うんち、だな」


 チラリと目線を合わせてくる先輩に、俺は身体全体から悪寒が差した。

 右京先輩はなぜか、俺にしか下ネタを言わない。



「はぁ? 風紀委員長が下ネタなんて言うワケねぇだろ」


風紀委員は授業が終わると会合のため専用の教室に集まる。

風紀委員長が到着するまでのほんの数分の間、俺は同じ風紀委員仲間に人生相談を持ち掛けていた。


「ほ、ホントなんだって、この前だって、――」

「いやぁ、しんじらんねぇ、ウソだウソ」


 俺は必死に訴えるが、友人は笑いながらまるでオカルトと決めつけて変人扱いする。

人生相談と言えば大げさに聞こえるが、俺にとっては大問題だ。


 考えて欲しい。優等生でクール、それに冷淡でみんなから恐れられている人から、なぜか自分にだけ下ネタを言われるという謎展開。まさに地獄、恐怖でしかない。

 誰でもいい。誰でもいいから俺の言葉を信じて欲しい。それで助けてぇ!


「ほんとだって、この前も耳元で、――」

 がららッ、と扉が開く音と共に身構え、教室全体に緊張感が一気に増す。


 右京先輩は手で楽にするよう命じると、教団に立って全体を見渡した。


「ご苦労。――明日から持ち物検査月間が始まる。この修練の学び舎に不要なものを持ち込む不届き者には一切の情けは無用。見つけ次第かたっぱしから取り締まっていくぞ」

「ハッ、」

「よし、それに伴い我が風紀委員会ではより風紀委員同士の結束と、それと共に取締り強化を図るため、今日は一つレクリエーションの時間を設けたいと思う」


 誰も表情には出さないが、風紀委員長からの急な申し出に疑問符が頭をよぎる。

 クールで感情をあまり表に出さず、何を考えているか解らない右京先輩が、自分からゲームで楽しく遊ぼうぜ、なんて今までなかったことだ、きっと何かしらの意図があるはず。


 全員を円になるように座らせるとその中央に立ち、先輩はよしと頷いた。


「これからやってもらうゲームは『ワードウルフ』という。――これから各自に口頭でお題を伝えて回る、それは誰にも言うなよ。――お題は二種類存在し、殆どが同じお題だが、この中の一人だけに別のお題を伝える。その一人をウルフ、その他、多数派は市民とよぶ」


 先輩は淡々と説明を続ける。


「市民は話し合いの末、ウルフを見つけ出せば勝ち。その逆で、ウルフは処刑を逃れれば勝ちとなる。――そしてこのゲームのポイントは、ウルフ本人にも自分がウルフかどうかわからないということだ。これは瞬時に自身の置かれた状況を把握する認知力と洞察力、判断力の訓練もかねている。――しかしまぁ、これは娯楽だ。負けたヤツには罰などはない、ぜひ気楽に楽しんでくれ」


 わずかにだが先輩の口角が上がった気がして俺の背筋に寒いものが走る。本当に何もなければいいが。


 お題は順番に言い渡され、次は俺の番だった。

 右京先輩は自分の顔を俺の耳元へ寄せると、その息の混じった声で、それは小さく、でも絶対に聞き取れるほどの、いや、聞き逃したなんて言い訳ができないほどにはっきりと、それはそれは素晴らしい発声で、――先輩は言った。


「う・ん・ち」

「――ッ⁉」


 俺は言葉を失った。それでゆっくり、恐る恐る先輩を見る。


 頭脳明晰で冷淡な天才エリートの風紀委員長、立花右京。そこには自分にしか見えない角度で、今までにないほど満面の笑みを浮かべた先輩が、そこに立っていた。

いま、全てがわかった。先輩は俺を、完全におもちゃにしようとしているッ‼



 額から汗がにじむ。

 目をつけられているのはわかってたけど、まさか先輩は、俺で遊ぼうとしてるのか? そもそもお題がうんちって何だ、動揺してる姿を楽しもうってことか?


 いや落ち着け、冷静に考えるんだ。

 焦る気持ちを抑えながら考えを巡らせる。多分お題をうんちにしたのは「お題はうんちでした」って供述させて、俺をつるし上げるため。


 きっと先輩は「俺がそんなこと言うわけないだろ」ってすっとぼけ、「相模君ってそんな人だったんだ」と俺だけ腫物扱いにして、それを見て楽しむ気だ。


 ゴクリと唾を飲む。

 だがまぁ、お題がうんちなら確実に俺がウルフで間違いなさそうだ。だったら市民側のお題を聞き出して成りすませばいい。

 大きく息を吐くと、周りを見渡す。右京先輩は一人一人にお題を言って回るが、そのペースは入念でゆっくりと伝えている。しかしその光景に、どこか違和感を感じた。


「……」

「……⁉」


 右京先輩が顔を離した途端、生徒たちは顔を赤くしたり、何やらモジモジしたり、男にいたっては笑いをこらえる者もいる。


「⁉……な、に?」


 それはまるで聞いてはいけないものを聞いてしまった、まさにそんな感じ。


――まさか、市民側なのか、うんちがッ!


 背中から汗がだらだら流れる。

 落ち着け、そんなハズはない。ここには女子もいるんだぞ⁉ うんちが市民側ならただのセクハラだ、右京先輩も立場が危うくなるハズ。


――ここは一旦様子を見よう。


 何事も結論を急いではならない、俺は頭をフル回転させる。

 どうせ俺をハメようとしているのは明らかだ。ならもう一つは特徴が似通ったお題だろう、あまりにも違うものだったらウルフ側が簡単に悟ってしまう。


 ならなんだろう、排泄物か? ……それはないな、結局セクハラだ。

 あとは色、形、臭い、とかだろうか。


 既にお題はみんなに伝わり、右京先輩が開始の合図をすると、タイマーに表示された三分の文字が減り始めた。


 すかさず一人の生徒が手を上げる。


「あ、あの色は何色でしょうか?」

 みんなお互いに警戒しあいながら口元でつぶやく。

「……茶色」

「僕も茶色です」

「私もッ」


 同じ意見だったのか、みんな口々に安堵の息をこぼす

 そうか茶色か、まぁね茶色っていってもね、二百色? あんだっけ?

 俺が不安をごまかしていると、隣どうしで座っていたカップルの、その男の方が笑いをこらえきれず噴き出して彼女に向かって言った。


「ってかお前の、すげぇべっちょべちょだったよなぁ~」

「ちょ、やめてよもうぅ」


 頬を赤くする一見真面目そうな彼女からすっと目を逸らす。

 た、多分、二人で食べたカレーがみずっぽかった的なアレだろう、そうだ、そうに違い無い。……じゃなかったらその特殊性癖は二人の秘密にしておいておくれ。


 そしてまた誰かが挙手をする。

「はいッ、僕のはめちゃくちゃ臭かったですッ!」

 なんの宣言だよ。


 それにしても、聞けば聞くほどうんちに吸い寄せられていく。

 それとも俺、実は市民側なのか? だとしたら誰も得しないし、本当に先輩の狙いが解らない。


 だからこそ、その狙いを探るためにも、意を決して自分から動いてみることにした。


 ぴしっとと挙手をすると立ち上がって、俺は右京先輩に向かい合った。

「質問です。――奈央副委員長に」


 俺はいつも右京先輩の傍らに立っている彼女、奈央先輩に目を向ける。

 風紀委員の中で一見ナゼこの人が副委員長なのか疑問に思うほど他のメンバーと比べ緊張感がまったく無く、どこかぽわぽわした雰囲気を漂わせている。


 恐怖に自供してしまう右京先輩に対し、どんな相手でも包込むような包容力で、この人の前では誰でもコロッと真実を話してしまう。


 それで、ついたあだ名は聖母。


 奈央先輩は「どうしたのかしらぁ~」とゆるふわな笑みを見せてくれる。そんな先輩に後ろめたさもあったが、勝負に出ることにした。


「かたちは、どんな感じでしょうか?」


 流石の右京先輩も、こんな慈愛に満ちた女神の耳元にうんちなんて言えるハズが無い、もし言ってたら俺が殺す。


 奈央先輩はそれならぁ~と一呼吸おいて、

「とぐろを巻いてましたねぇ」

 と即答した。


「な、に……」


 俺は背後から目線を感じた、浅はかだった。あの人は冷淡な人だ、恐る恐る振り返ると、そこには凍えるような目で、まさに勝ち誇った笑みを浮かべる右京先輩の姿がそこにあった。


 俺は力なくその場に沈みこむ。

 やったんだ。あの人は本当に、やりやがったんだ。そう思うとなんだか身体から力がみるみる霧散していくようだった。


 気が付けばみんなのんきに楽しくゲームに興じている、そんなみんなの頭の中はうんちで埋め着くされているのだろうか。本当はみんなもうんちが大好きなんだ。だから先輩と結託して俺を騙してるんだ、そうだ、そうに違い無い。

 そう考えると全てがばかばかしくなってきた。もうこんな茶番は終わりにしたい。


「……てかバカにしてんのか、とぐろ巻いていましたって、――ん?」


 だが突然、ちょっとした違和感に気が付く。


――なんかみんな、過去形というか、何かを思い出してる感じだよな。


 よく見るとお題の特徴を確認しているようで、なにか共通の話題を話しているようにも聞こえる。

 それにとぐろを巻いてるイメージはうんちだけじゃない、ベターだがソフトクリーム。駅前のコンビニで子供が「コーンに乗ったうんこぉ」つって母親にしばかれてるのをよく見かけるし。


 もし仮にうんこじゃなくて、……そう『アイスクリーム』なら、溶ければべちゃべちゃになるし、どっかの企業がカルボナーラ味とか出してたりするし、チョコ味なら茶色だ、それなら一通りの辻褄が合う。


 すると俺はハッとして一つの仮説が頭をよぎる。


――きっと先輩は市民側がうんこだと思い込んませ、それで諦めた俺に答え合わせで「せーの、うんちぃ」と言わせることが狙いだったのではないか? ただ普通にゲームを楽しんでいた空間で、急に下ネタを言うしょうもないヤツとして、俺を吊るし上げようとする算段だったとしたら……。


 俺は息をのんだ。一縷の望みに掛け右京先輩の見えない位置で拳を握る。

 これで、勝てる。俺はその事実を確認したい一心で、口を開いた。


「いやぁ、冷たいっすよね、あれ」


 でもこの時、俺は勝負を焦り過ぎた。少なくとも、自分からうかつに発言すべきではなかったと思う。


「……は?」

 風紀委員室の誰もが、俺を凝視した。


「冷たい、はないよねぇ~」

「そうだねぇ~」


 短い息が漏れる。完全に硬直し、俺は言葉を失った。

 その時タイマーが時間の終了を告げた。


「……そこまでだ、これから投票に移る」

「ちょ、まって、いや、いま思えば熱々だったわぁ、全身火だるまだったぜぇ~」


 しかし誰も俺の話を聞こうとはしない。みんなから一斉に指をさされ、本当におれは火だるまになった。


「正解、市民側の勝利だ。ウルフの、――相模くんに答えを教えてあげてくれ」

 右京先輩はぱちぱちと手を鳴らす。


「お題は、――せーの、サーターアンダギー」

「は、へ?」

 自分の耳を疑った。うんちと、全然違う。


「ちょっと待って、べちょべちょって、臭いってなんすかぁ? 確かに茶色いけどとぐろ巻いてないでしょおぉ⁉」

「あぁ~、そういえば相模くん居なかったですねぇ」


 絶望の色を浮かべる俺に対し、少々困惑気味だったみんなに変わって、優しい奈央先輩がぽわぽわ説明してくれる。


「え~とですねぇ、この前アウトレットパークで沖縄フェアがやっててぇ~、差し入れ頂いたんですよねぇ~、とぐろを巻いたハブがモチーフの、サーターアンダギ~」

「とぐろを巻く、……ハブ?」


 するとカップルの二人が説明を受け継ぐ。


「それをコイツさぁ、パサパサ感が苦手だからってシリアルみたいに牛乳に浸して食っててさ、ほんとマジうけんべ?」

「……もう、ばか」

 彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする。


「僕はヤギ汁味に挑戦しましたぁ! 臭かったけどおいしかったです。――委員長!」


 俺は顔面蒼白でその場にたたずんでいた。そしてゆっくりと振り返る。


「残念だったな、相模。冷たいと言っていたが、氷菓とでも思ったか? 確かに特徴だけとらえればそう思わなくもない」


 右京先輩はまるで獲物を目の前に舌なめずりをする狼のようにじりじりと距離を詰めていき、そしてニヤリと笑う。


「だが君のお題はチョコソフト、ましてカレーでもないだろう?」


 これは偶然だ、誰もがそういうに違い無い。だがこの場にいる俺だけは知っている。

 全てはこの人が仕組んだこと、ただ俺をうんちとのたうつ変態につるし上げるための、全て計画的な犯行。


 俺がこのゲームに乗った時点で、既にこうなる結末だったんだ。

 右京先輩は俺が思いついていたお題の候補をつぶし、俺を追い詰める。


「それでは相模くんにお題を聞いてみようか」


 ここまでするのか、俺にうんちと言わせるためにこの人は……。

 もはや呆れかえっていた。そして観念したとばかりに大きく息を吐いて、それで口を開く。


「ドーナツ」


 先輩は大きく目を見開く。

 そして風紀委員会室に大きな共感の声が響く。


「あ~、ドーナツね。いい塩梅のお題出すね、委員長」

「……」


 言葉を失った先輩を見て、俺は胸をなでおろした。

 市民側のお題がサーターアンダギーとわかった以上、サーターアンダギーに似たものをただ言えばいい。もし先輩がそれを否定してくれば、今度こそ「お題はうんちだった」と事の経緯までカミングアウトする。そうすればさすがにみんな右京先輩を怪しむはずだ。


 右京先輩はじっと俺を見て何かを考えると、俺にしか聞こえない音で「ちっ」と舌打ちする。

 そして先輩は手を叩いて注目させる。

「今日の会合は閉会する。全員持ち場にもどれ」


 右京先輩はそのまま教室を後にする。俺はそれを見届け、力なくその場に座り込んだ。


 きっとこれからも先輩は俺をハメようとしてくるかもしれない。

 何故なら先輩は、俺にしか下ネタを言わないから。


                               完



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