第8話
ソフト開発自体は、特に大きな波乱なく進んだ。
前任者が作ったバージョンもまだ社内に残っていたので、基本はこれをブラッシュアップすれば良い。より細かく、より複雑に作り込みながらも、全体としては、統一感を失わない。
そして、これが最も大切だが、ユーザーの意向に沿っていること。
このユーザーの意向に沿う、というのが、なかなか厄介だ。というのも、この点がズレていると、『とても複雑でとても精緻だけど、まったく有用でないソフトウェア』が出来上がる。
しかも、作りこまれている分、修正するのも大変だ。
だから、開発においては、まず発注者のイメージを可能な限り詳細に掴むこと、これが大切だ。究極的には、発注者と同じ思考を、プログラマーが自分の頭の中で展開出来れば良いのだが....
そんな訳で、特に開発の初期段階では、私は度々、灰流の研究室を訪ねた。
詳しい製品の仕様をすり合わせることは勿論だが、出来る限り彼女と同じように考え、思考するために、疑問に思ったことは何であれ、彼女に尋ねるようにした。
出会った初日に、彼女から言われたことも、多少影響していたのかもしれない。質問であったとしても、口にすれば、そこに自分がいるアピールにもなるし、実際、素朴な疑問が新しい示唆を与えてくれることも多い。
有難いことに、彼女は、門外漢である私の質問にも、丁寧に答えてくれた。ある日の場面を切り取ると、彼女は自分の研究テーマについても長々と講義までしてくれた。
「いいですか、波佐見さん」灰流がホワイトボードを背に、こちらを見つめる。
生徒役は私一人だ。「物理の世界の進化は、どれだけミクロにモノを見ることが出来るのか、ということに尽きます。例えば、まだ顕微鏡などの機器がなかった時代は、主に思索によって、ミクロの世界を想定していました」
「ギリシャの哲学者の時代ですね?」私は学生時代に勉強した世界史の内容を思い起こす。
「そうです。具体的には、この世界の根源は、4元素であると考えた。つまり、火、水、風、土です。現代の感覚からすると、幼稚に思えるかもしれないですが、これが全ての始まりです。つまり、人類は文明がある段階に達した段階から、この世界はいくつかの主要な要素によって成り立っている、ということを想定した訳です」
私が頭の上に、はてなマークを浮かべているのを見かねて、灰流は補足する。
「つまり、ここに
灰流は話しながら、少しずつ興奮していった。こういうときの彼女は、まるで玩具を前にした子供のようにも見える。なおも、灰流の話は続く。
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