第9話 ソールズベリーの眠り姫
俺は静かに寝息を立てる夏希を見てため息を吐くと、出発まで続いた騒動を思い出した。
「うぅううう……今日こそくじ運の無さを恨んだことは無いわ!」
沙月が恨めしそうに口を開き、美枝は「何で私はスペイン語なんて取ったのかしら?」と、その日はまったく仕事になっていなかった。
そう! 彼女たちは居残りに決まったのだ。
「よっしゃぁああ!」
甲高い叫び声を上げているのは早苗。普段の色っぽさとかけ離れた姿に、一瞬引いたけど勝ち取ったのは事実だった。
結局話し合いは付かず、全社員を巻き込んでの大じゃんけん大会が開催された。
出入りの業者(マットのリースや清掃会社)も参加していたのは意味不明だが、俺は息を殺して静観を貫いていた。
だって、マジで怖かったんだ。
下手につつくとやぶ蛇で、どんな不幸が舞い込むか分からない。
それくらい殺気立っていた。
出発までの数日間は針のむしろだった。普段の「アキトくん」から「社長……」と美枝に呼ばれたことで俺の気の使いようが分かると思う。
とりあえずは土産を約束して出て来たが「ブランド以外認めないからね!」との声は無視出来る物では無いだろう。
※
ソールズベリーは、かの有名なストーンヘンジの近くの町で観光で有名だ。
もちろん俺たちは観光が目的では無い。ここで有る人物に会うと共に、最大の問題点を解決するつもりがある。
古い石畳を踏みながら、歴史を感じさせるホテルが見えてきた。
ソールズベリーの郊外にあるホテルは、静かな環境を約束してた。
「わあ! ステキなホテルね」
夏希と早苗の目が輝く。
「なあなあ、さっき聞いたんだが、市場が有名らしいぞ」
いや、早苗さん。俺たち観光に来た訳じゃないのですが……。
※
ホテルに着いた俺たちは、夜のとばりが更ける頃に訪問者を迎えた。
「まあ! 久しぶりね」
宿を訪ねてきたのはアイラという女性で、代々を女性が受け継ぐウインストーン家の当主で、経済界にさまざまな影響を持つ名家だ。
「うわっ! でかっ!」
夏希が驚くのも無理は無い。大きいのだ! 上品に仕立て上げられたドレスの胸元を押し上げて「Gいや……Iカップ?!」夏希が絶句するくらいに凄い。
「いやん! 大きくなったのね? もうっ! 全然顔を見せないんだから」
嬉しそうに俺を抱き寄せ頬にキスすると、九〇センチは軽く越えた頂で挟みこまれた。
「ご、ごめんなさい。それと、そろそろ離して」
俺は苦しさからタップすると、ようやく放してくれた。
美しい金髪を持つアイラは名残惜しそうに「あら? ごめんなさい。でもまだ足りないわ! 後でもっと甘えてね」
気品ある女当主だが、ちょっと天然が入っているのは昔から変わらないなあ。
実は幼い頃。彼女の元で暮らしていた時期があった。
父親がアイラの出資していた財団で勤めていた時期に、ほぼ毎日をアイラとその娘と過ごしていたのだ。
「きっと来ると思っていたわ。と言うか、遅すぎよ! 絶対に頼って来ると思ってたのに!」
笑いながら俺を離すアイラだった。
石油事業にも多大な投資を行う彼女は、確かに接点は多い。俺の個人スポンサーの一人で、触媒理論の研究ではお世話になった。
「ところで? 姉さんは来なかったんですか?」
幼い記憶でも鮮明に残る少女を思い出して俺は尋ねた。
何かと言えばアキトの世話を焼きたがる年上の少女。
その美しい姉がこの場にいないのはおかしい。何が有っても飛んで来そうだったが……。
「それは……」
アイラの表情が曇った。
「会って貰えるかしら?」
唇を噛みしめ、何かを決断した様なアイラに見えた。
※
まるで眠れる森の美女のように、ベッドに横たわるクリスティアナは眠っていた。
驚くほど痩せてやつれているのに美しい。
静かな寝息は束の間の幸せだろうか。
「こんなことって……」
幼い頃に遊び回った部屋は、病室に変わっていた。
目を瞑れば鮮明に思い出せる記憶。クリスと毎日の様に誰かにいたずらを仕掛け、それがばれる度に自分が被害を被ったのだ。
思いでの中の少女は、昔の面影を残したまま綺麗になっていた。
眠っているクリスの手を握り締めて呼びかける。
「クリス姉さん」
末期ガンと診断されたのは最近だと言う。手の施しようが無いのだと……。
「知らせないでと……。」
そういう人だったと俺は思った。何時も自分を気に掛けて、大切にしてくれていたのだ。きっと心配を掛けたく無かったのだろう。
「痛みが酷くて、常に薬で眠っているのよ」
アイラの言葉に胸を突き刺される。英国から離れて今まで、忘れていたわけでは無いが会いにも来なかった。
「遅くなってゴメンなさい」
昔約束をした。何時か必ず戻って来ると。俺が英国の地に事業を開くのも、それが理由の一つだった。
俺は思う。何か手は無いのか?
もちろん練金術師の俺は神官では無いから病気を治す治癒魔法は使えない。
でも……。
「僕が……」
転生の記憶を探る。何か手は有るはずだと……。
「絶対に助ける」
俺は誓った。何が何でもクリスは俺が助けると。
※
さてクリスを助ける手段はどうすれば良いのだろうか。取れる手段を一つ二つ考えていく。
留学時代に知り合った研究者の中には医学者もいた。彼らの顔を思い浮かべながら頭を振る。
間に合わないからと。
「やっぱり、魔法薬しかないか」
どう記憶を探っても、思い浮かぶのは一つしか無い。
俺は魔法使いなのだ。
だが魔法薬の奥は深い。単純にレシピだけでも数千通りはあった。名のある魔術師が残した物だけでもそれだけあるのだから、極めようと思えばどれくらいの知識が必要であろうか?
俺は悩んでいた。知識が足りないのでは無い。作ろうと思えばそれこそ死にかけを全回復させる薬も作れる。
だが……素材があればの話だ。
「やっぱり、一人では無理か……」
思わず独り言を呟いてしまう。
末期ガンに苦しむクリスを、救うためには魔法薬の調合をすれば良い。実際に前世の俺は体に出来た腫瘍を完治させた事もある。
しかし、ドラゴンの肝とかこの世にあるのか?
無意識に溜息が出る。思い付く素材は、すべておとぎ話に出てくる様な物。前世では、それこそ道ばたに生えていた薬草すら手に入ら無いのだから。
「探すしか無いか……」
薬効が近く、代変え出来る素材を見つける。
簡単に言えばそう言う事だ。
だがしかし……。
この世界から魔法薬を作るための素材を、理由を隠して探して貰えるか? 自身が前世の、それも魔法使いの記憶持ちと言う事実を隠して他の協力を得られるか。
「……無理だよな」
与えられた客室で、何時までも出ない答えを探しながら夜は更けていった。
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