第8話 暗雲

「契約に突破口は無いのか?」

 大江商事社長の、仙道良三は追い詰められていた。


 現在はエレコアの生産の不具合から発売を延期している。

 当初、良三はある程度楽観視していた。

 製造装置の機械図面はもちろんあるし、製作したのも社内の連中だ。

 何らかの不具合の原因究明が果たされれば元に戻ると考えたのだ。

 社内でも精鋭を集めた開発部門に原因究明の指示を出し、技術開発部が、それに当たった。

 しかし……。

「原因不明です」

 技術担当重役の説明も要領の得ない状態で、大江商事の役員会は続いていた。


「芳しくありません。まず契約は大きく分けて三つ結ばれています。一つは販売契約ですが、これは申すまでもなく通常の契約ですな」

 普段は尊大で強気の顧問弁護士が、言葉を選ぶほど弱気を見せる。


 弁護士の回りくどい説明はこうであった


 アキトが持つ特許に関わる商品を自社販売する権利。具体的には触媒理論を使った商品を、五年間に渡って独占的に販売できた。いわゆる代理店契約に近いだろう。

 ただし、商品分野は細かく取り決めされていた。具体的には大きく家電分野に振ってあったのだ。

 だから発電プラントや船舶自動車などには適用されない。

 そのために、アキトが提供している漁船などは契約外のため、大江商事が代理店契約を主張できなかった。


 次に特許を利用した場合の取り決め。これは使用した物を、販売した場合に使用料を払わねばならないと言うものだ。

 そして権利の譲渡に対する物。あくまで特許使用の権利は大江商事に与えた物で売買出来ない。借与貸与も認めないと言った事が結ばれていた。


「技術供与についてはどうだ?」

 いらだちを押さえきれずに声に出す良三。


「技術供与については結ばれていません。触媒、エレコアの本体に付いては、契約上では大江商事では製造されない事に成っていたのですから……」

「なっ! どういう事だ! 俺は見たぞ! アキトが我が社の工場で作っていたのを!」

 そう、役員を集めた場で試作品を見ていたのは確かだった。

「それは……」

「どうした? 目で見たのだ! 間違い無いぞ!」

「契約書を読んで頂けば分かることなのですが……」


 契約はアキトの資産管理会社と結んでいた。米国で特許を所得した時に設立した会社で、名目上だけの会社だ。

「あんな英文で三百ページを越える物を、いちいち読んでられるか!」

 良三は英語が出来ないわけでは無い。だが英会話ならまだしも、契約書のような細かい物は苦手だった。

 法務部の人間に翻訳させて読んではいたが、原文にはもちろん目を通してはいない。


「すべてを確認しましたが……大江商事は触媒を利用した商品の開発以外は……」

 核自体の権利に対しては完全なブラックボックスとして契約されていた。

 実際に開発されていたのは商品化の部分だけで、いわば中身以外の側だけである。

 もっともアキトが社長を続けていれば、その部分も作ってはいただろうが……。


「生産工場もパイロットプラントの扱いです。施設は大江商事のものですが、製造機器はアキト氏の権利、いわゆるリース契約に近いかと思います」

「くそう! もう良い!」


 製品の発表も、元のスケジュールではまだ先の予定だった。

 本来ならば、試作を経て役員会議の承認を受けて生産するものである。

 それを独断で発表した。

 全ては資金提供者の黒幕に、自身を有能であるとアピールするためだ。


「特許利用の契約のみで有りますから、現状使用料は掛からないのは不幸中の幸いかと」

 アキトの結んだ契約では販売に伴う使用料しか掛からない。現状では一銭も支払いは発生してはいなかった。

「あぁああ! もう良い! 具体的にはどうすればエレコアを販売出来るのだ!」

 発表は行ったが、販売時期については生産体制を整えるという言い訳で伸ばしてある。

 幸い世間はそれを信じて、株価などには影響はまだでていない。


「アキト氏に供与をお願いするしか有りませんな」

 弁護士はもうどうにでも成れとばかりに言い切った。


 午後の会議も結論は出なかった。



        ※



 株式会社HOMURAは、従業員数四十人足らずの零細と言っても良い企業である。

 社員がすべて女性なのも、謀ったわけでは無いとアキトは思いたかった。


「工場はどうするんですか?」

 総務担当の沙月は戦う気がまんまんだ!

「なに、生産は順調だ。一人や二人抜けても問題無い」

 それを受けて立つ早苗の鼻息は荒い。


 築四十年を誇る自社ビルの三階。会議室は熱気に包まれていた。

 それと言うのもアキトの海外出張に、工場からも同行させろと早苗がねじ込んで来たからだ。


「えーと……」アキトが口を挟もうとするが、すかさず二人から「「アキトくんは黙って!」」と声が飛ぶ。


「はいっ! すみません」

 これでは黙るしかない。


 普段であれば真っ先に参戦しそうな夏希はといえば……余裕だ。社内でフランス語が出来るのは夏希だけなために、同行が決まっていたからである。

 アキトとしては誰でも構わないというか、このさい社員全部連れて慰安旅行でも良いぐらいに思っていた。

 経営者としてはダメダメなのだが……。

 早く決まって下さい! 出来れば俺に被害が出ないようにして欲しい。

 アキトは祈るだけである。


 緊急会議という名の戦いは続く、不毛なキャットファイトは終わりが見えなかった。




        ※



 そのころ、江田島習作は悩んでいた。


 習作は新潟で小さな造船所を営んでいる。沿岸で漁をする漁船は、近年韓国などの安価なメーカーに押されて売り上げが減少していた。

 進む一方の為替不安は競争力を無くし従業員の高齢化と共に、一時は廃業も考えるほど追い込まれていた。


 民政党が政権を取って以来、日本という国は蝕まれていたのだ。

 だが先日アキトの会社と提携した事によって、業務は好調で近年にない忙しさに変わる。


 触媒を使った動力を使う事で、初期投資はかさむが燃料費は必要無い。三ヶ月(最大発電出来る期間)ごとの交換を強いられるが長い間ドックに入れられる事も無く、港に係留したままでの作業で時間も短かった。


 現在は核の生産数が需要を大幅に下回っていたために、新規の注文を受け付けていない。

 けれども作れば売れる状態ならではの問題が持ち上がっていた。


「これは……一度相談してみるか」

 一人で悩んでいても溜息しか出ない。習作は情けないと思いながらアキトに会いに行くことにしたのだ。



        ※



「えーと……。貸しはがし?」

 夏希は今日も、二時間かけて整えた黒髪を指先でいじりながら聞き直した。

 会議室ではまだまだバトルが繰り広げられていたが、習作の訪問をこれ幸いと場所を移した所である。


「ああ、そう言う事だ。……すまねえ」

 習作は肩を落としているが無理もないだろう。

 先日から銀行に設備投資のための融資を頼んでいた。沿岸部だけでは無く近海の操業にも耐えられるより大型の船の建造には、設備の増大が必要だったからである。


「担当は絶対に大丈夫だと言うんで、こっちもあてにしてたんだが」

 すでに工事の手配も設備の発注も済んでいた。

「どうして良いか……」

 力ない声は、日に焼けた逞しい体をも小さく見せている。

 無理も無い。断られると共に以前の返済まで求められたのだから。

「見たところ問題無いわね。私が審査しても融資はオーケーするわ」


 美枝は手に持った返済計画を見て首をひねっていた。

 決算期三期で見れば赤字と見えるが、事業計画書と受注明細を照らし合わせれば最近の業績が上向いている事がよく分かる。

 過去の資金繰りに苦しんで短期の融資残高が膨らんでいても、返済計画では破綻は無い。

 設備投資の見積もりも、過剰なものですら無いのだからこれで融資しないのは理解出来ないレベルと言える。


 ましてや貸しはがしなど、まるで潰れろと言わんばかりの行為だった。


「東洋銀行か……」

 俺は、大江商事のメインバンクである銀行を思い浮かべながら、相手の目的を考えて見る。

「やっぱり……そうだよな」

 これは俺を潰すために誰かが動いているのだ。




        ※




「頭取、良いのですか? 融資先としてはかなり将来性がありそうな物件なのに?」

 ここは東洋銀行の本店。最上階は広くスペースが取られているが使っているのは一人。

 その頭取を前にして意見を言える人物は限られている。

 審査部門を統括する彼もその中の一人だ。


「将来性か……。砂上の楼閣だな、彼らは敵が多すぎる」

 長年金融業界を生き抜いて来た男の言葉は、嘆いているように聞こえた。実際にそうなのだろう。

「悲しい現実だが、彼らの未来は無い。本来なら我々が力を貸して、守って行かなければならないのだろうが……その為にリスクを冒す事は許されはしない」

 そう言って会話を打ち切るように手元の書類を手に取った。

「そうですか……失礼します」

 この状態の頭取には、何を話しかけても無駄だと一礼して業務に戻って行く。


「ふー……上手くいかんな」溜息と共に呟く彼は、まだ将来のトップ候補の一人でしか無かった。


「何時から日本は、こんな国になっちまったんだろう?」

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