第5話 ギャルは机を椅子にして、
ボツボツとビニール傘に当たって弾ける雨粒の音。ベタつく湿気。
学校の最寄駅から校舎までの通学路は、うちの生徒でいっぱいに埋まっていた。
こんな真っ当な時間に登校するのは、本当に久しぶりだ。気が滅入る。
色とりどりの傘に負けじと、道に咲くあじさいが露に濡れて輝いていた。
駅で待ち合わせたのか、電車から一緒なのか、傘の距離を離れてさえ、友達と熱心に話している人も多い。
道ゆく一般の生徒たちは、まるで僕とは違う世界の住人のようだった。
まったく根拠もないが、全員が明るく、青春を謳歌しているように見える。
それに比べて……
僕は肩身が狭くて身を縮めた。
この人たちのほとんどは、きっと『留年』なんて言葉を教師から聞くことはないのだろう。
どこぞの調査によると、全日制高校で留年する割合のは、〇・三パーセントらしい。
昨日調べた。
〇・三パーセントというのは、交通事故に遭う確率と大体同じだそうだ。
しかも、一口に留年といっても、病気や怪我みたいなやむを得ない事情による人もたくさんいるわけで、それらを考慮すれば、僕みたいに自分から道路に飛び込むような真似をした人間は、ちゃんちゃらおかしい数しかいないのかもしれない。
ため息が出る。
この世のすべてが僕を笑っている気がする……
と思ったとき、タイミングよく、ギャハハッと下品な笑い声が爆発し、僕は思わず身をすくめた。
が、どうやら対象は僕ではないようだ。
後ろの方から、女子グループの尖った声がキンキンと鼓膜に刺さってきた。
「……で、そこに陰キャばっか集まってるワケ」
「なにそれこわ。ウケんだけど」
「空気暗そー」
「だからお前そこ入れっつって」
「うわ、入れたの⁉︎ サイテーじゃん!」
ギャハハッ!
甲高い笑いを聞いた途端に、僕の脳内では、小中とああいうギャルにバカにされてきた記憶がフラッシュバックしてきた。
どうして、一軍女子は僕の机が椅子に見えるのだろうか……
いや考えるな! 登校できなくなるぞ!
僕は頭を振って思考を追い出す。
考えるな。考えたら、足が止まる。
足が止まれば、人生の谷間に落ち、インターネットマウントおじさんになるだけだ……
正門をくぐり、昇降口を上がって下駄箱に靴をしまい、普通教室棟へ。
二年C組の教室に入ると、気づいたクラスメートたちから、物珍しげに視線を注がれた。
床を見てやり過ごす。
僕の席の近くでは、バスケットボールを持ち込んだクラス一の陽キャでクラスカースト上位者が、シュートするフリをしていた。
何の練習になるんだろう……
そんな疑問はもちろん口に出さず、後ろをそっと通り過ぎようとした僕に、彼は話しかけてきた。
「あっれぇ? 陰野くんじゃん! 久々じゃね? 元気してた?」
「あ、あぁ。はい……」
昨日もいたよ……
その反論も口には出さず、僕は逃げるように教室隅の机に突っ伏した。
横にも前にもクラスメートはいたが、当然誰も話しかけてはこない。
夜通しの情報収集(という名の現実逃避)によって、僕の唯一の友達であるところのインターネットから教えてもらったのだけれど、出席日数というのは、とにかく教室に『いれば』カウントされるらしい。
寝てても、起きてても、『いれば』いい。
だから、とにかくいる。
昨夜、そう決めた。
我慢だ。
人目を逃れ、路傍の石となって、誰にも言及されなければ、実質ここは自分の部屋と同じ……
「おはよう! みんな!」
梅雨の気怠さを弾き飛ばすかのように、インハイがやってきた。
彼は教卓に着くと、全員の顔を見回す。
そして、僕とバッチリ目が合った。
し、しまった……声がでかすぎてつい顔を上げてしまった……
「おぉ、来たな!」
ゴリラの快活な言葉に、クラス中が振り向いて僕に注目した。
僕は赤面した。
今すぐ、全力で、帰りたい。
とはいえ、こんな風にインハイゴリラは繊細さとは無縁の男で、戦って倒した不登校は数知れず、不登校クラッシャーの名をほしいままにしていたからこそ、配慮されるとは僕も思ってはいなかったし、そもそも、学校の先生というものには、はなから期待などしていなかった。
だって、考えてもみてよ。
教師なんて、社会人になってすら学校に戻ってくるような人間たちなのだから、構造上からいって、彼らが学校から逃げたい僕の味方であることはまずないのだ。
まぁ、そうは言っても、初日からこんなに晒されるとも思っていなかったけどさ……
最悪のスタートとなったホームルームが終わると、すぐに数学の授業が始まった。
教科書の指示されたページを開くと、僕の知らない数列、定理、記号……
そりゃそうだ。
高校の進捗速度は、中学までとは比較にならないほど速い。
丸々二ヶ月も休んだら、もう簡単にはついていけない……
🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸
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