花贈る君への恋心

蜜柑 猫

霧雨のち晴れ

 桜吹雪が全身にふりかかった――

 振り返ると、彼女は笑って早咲きの積もった花びらを手のひらいっぱいにすくってこちらにふりかけ「やーい、先輩」と屈託のない笑みを私に向けた。


 それが思い出に残る彼女の姿であった。


 黒髪で、眼鏡をかけていて。

 いかにも生真面目そうな顔とは反対に、フレンドリーで誰とでも仲良くできる社交性のある性格に最初は驚いたものの、やっぱり見た目以上に勉強も得意だった彼女に、当時部活動に勤しんでいた私にとっては、異例な存在だった。


 そんな彼女と初めて会ったのは図書委員での仕事で、当時予約や取り寄せた本が委員会であれば誰よりも早く読めるということだけで委員会に入ったものの、実際仕事をしてみると、そんなちっぽけなメリットよりもはるかにデメリットの方が上回っていて。


 損はしていないんだろうけれど、やっぱりどこか退屈に感じていた時のこと、たまたま同学年の一人が欠席した事で、後輩がその穴を埋めることになったそれが、彼女との初めての出会いだった。

 今思えば運が良かったと思うけれど、当時もう一人のメンバーがこの時から顔を出さなくなって、自動的にそんな彼女と共に図書委員の仕事をするようになったのだ。当時は推薦の事もあって、基本無遅刻無欠席で真面目に部活動に勤しんできた私は、初めはほとんどそのことなどどうでも良くて「後輩に変わったのか」という他、あまり気にも留めて居なかった。

 けれど、それから一週間後の事だった。

 いつも通り、カウンターに座って受付をしていた時、傍らに座る彼女が話してきたのだ。


「今日は人少ないですねー」

「そーだね」

「今日は雨でジメジメしてますねー」

「そーだね」

「……傘持ってきました?」

「……持ってきてないよ」


 その日はいつになく暇だったので、彼女が話かけてきても特段変には感じはしなかった。


「そう言えば先輩ってなんで図書委員なんて入ってるんですか?」

「……は?いきなり何?」

「いえいえ、ただ、柏木先輩って確かバスケ部ですよね……なんでこんなに時間のかかる図書委員になったのかなと」

「別に、ただ……………………まあ、本が好きだからかな?」

「へえ、因みにどんな本が好きなんですか?」

「えっと……ハリーポッター」


 そう聞かれた途端、本当に好きなものを言ってはいけない気がしたので、無難にそう答えてみたけれど「あ、先輩今嘘つきましたよね?」と、彼女は悪びれることも無く、そうからかってきた。


「うるせーよ」

「ごめんなさい」


 けれど、それから彼女と私の距離はどんどんと近くなっていった。


 彼女は元剣道部員だったが、病気で運動ができなくなった事、好きな本はキッチンだという事、自分とは誰よりも話が合う事、手先が器用だという事、髪を弄らせたらここじゃ一番だという事、試合の日には母親の弁当だけじゃ足りないという私の愚痴を聞いて、手製のお弁当を作ってくれるという事、将来は医者になりたいという事、そんな夢を聞いて私がなれそうというと、その夢を称えるととても嬉しそうな安心したような顔をする事。


 そして――


「先輩ってレズとかってどう思います?」

「は?」

「同性愛のことですよ」

「さあ、まあいるんじゃないのとは思うけど」


 どこか彼女はそわそわしていた。

 まあ、講演会の後だし、そうなるのも仕方ないのかもしれない。変な気持ちにはなれど、決して悪い気分ではなかったし、自分にもあるのかもなんて一度考え、そして親しい人となら悪くないんじゃないかな、なんて思ったりそうではなかったり……。


「イズミこそどうなんだよ」


 ちょっとからかうつもりで聞いてみた。

 すると、少しもじもじしてから「私……多分……」と呟いたところで、利用者に遮られ、また数秒沈黙が流れると彼女は少しソワソワして「先輩は、もし好きって言われたら付き合いますか?女の人と」と聞くので「うーん、まあ考えてもいいんじゃないかな」と答える。

 別にこれ自体に嘘はない。けれど、覚悟ができていなかった。

 だから次の彼女の言葉に困惑した。


「先輩は……私と、その……お付き合いとか……ダメでしょうか……」


 これは――なんだろう、何だ、何が目的だ?

 ふと、彼女の手を見ると力いっぱいに握られ、口元は震えている。告白した本人すらも動揺している。

 答え方が分からず沈黙が続く。こんな時はなんと応えるのが正解か。

 正直嫌ではない、けれどここで「はい」と答えてはいけない気がする、きっと、多分数ミリの差ではあるけれど、私と彼女との好きの意味合いにズレがある。きっと、多分……明確な差が――けれど、私は「いいえ」とも応えるべきでない気がする。

 だったらなんと応えれば言いのだろうかと、考える。


 考えるけれども、答えは出ないから感じたそれに従う他はなかった。だから――


「ちょっと考えさせて」


 雨は一段と強く降っている。歩きで登下校しているのもあって、少しは整理がついてきた。それでも、どこか逃避先が欲しかったから、激しく体を動かせる部活に入っていてよかったと心から思う。

 しかし、彼女が早々に打ち明けてくるとは思わなかった……いや、そもそも自覚がなかったとも言える。あそこまで落ち着かないのは見たことが無あったから――


 思えば、あの時の行動もほとんどが無意識のうちから来たものなのかもしれない……。


 彼女は何を思っていたのだろうか、

 彼女は何を感じていたのだろうか、

 彼女は何を考えていたのだろうか、

 彼女は――


 湯船に映る自分の顔を覗くと曇った表情が伺え、髪を乾かしてる時も尚その曇りは晴れず、とうとう眠れなくなってしまった。

 ふと、目を閉じると、彼女の顔が瞼の裏に映る――瞬間身の昂ぶりを感じて、枕を強く握り締め――いつの間にか深い眠りについていた。


※※※※※


 起きると、早朝の眩い光に目が痛む。

 昨日の雨で、雲一つない晴天の空模様だった。


 それから身支度をして、家を出る。

 もう夏も終わる。

 その侘しさを肌で感じながら、首元へ吹き抜けていく心地良い風に吹かれながら、彼女は学校へと歩みを進めた――


 早朝の教室はまだ誰もおらず、外の景色とはまた違った寂しさを醸し出していた。

 机の、床の、木と埃と剥げたワックスの香りが乾いた空気に乗って教室中に漂っている。椅子に座って空気を吸い込んだ……このままでいい気がしたけれど、やっぱりどこか居心地が悪くて窓を開けて空気を入れ替える。

 慣れない制服は、こんなにも心をくすぐるものなのか。


 ふと、ドアの開く音が聞こえて振り返ると、彼女が居た。


「やっぱり先輩も来ていたんですね」


 ジッと見つめて、なんて言っていいのかわからなかったので、小さく「うん」と頷いて「おはよう」と微笑を浮かべた。


「早いじゃん」

「ええ……まあ」

「いつもはもっと遅いのに」

「それこそ先輩だって今日は朝練ないじゃないですか」

「そうだね……きっと落ち着かなかったから」

「わ……たしもです……」


 最初、どこか期待に高揚する彼女は、瞬間抑えるように口を小さくする。

 僅かな沈黙の後、笑んで私はいった。


「少し歩こう」


 廊下は教室と同じ空気で、違う事と言えば少し肌寒いくらい。

 そんな空間の中二人分の足音がタン、タン、となる。


「考えたんだけどさ……ずっと、ずっと、イズミとのこの1年間……やっぱり気持ちに整理つかないや」


 傍らを歩いていた彼女は次第に速度を落として、私の背を遅く、けれど確かに追いかける


「でもさ、でもやっぱりそう言うものなんだって思ったからさ――」


 瞬間、背中に張り付く――彼女の体温を感じ取る。

 それはあまりにも脆くて、あまりにも弱くて、あまりにも繊細で――泣きそうな、でもそれを寸前で抑えようと、今にも崩れそうな感情を乗せた声だった。


「先輩は、やっぱりダメですか?私じゃやっぱりダメですか、私、今まで分からなくて、分かろうとしても分かれなくて、だからどうしようもなくて……だから唯一相談できる人が先輩だったんです……柏木先輩だから、言えたんです……嫌われてもいい、もう一生傍に居られなくなっても良い、だから――だからッ!先輩に話せたんです、先輩だから……せんぱいだから……」


 彼女は酷く泣いていた。

 もう止めようにも止められず、ただただ、その場に彼女の泣く声が響き渡る。


「でも……今になって怖気づいてしまいました」

「私だって怖いよ――でもね、イズミ……そんな寂しいこと言わないでよ」

「……え?」

「ほら、涙拭いて……まだ使ってないからさ」


 そうハンカチを差し出す片手を彼女は二つの手で受け止める。


「先輩……ダメです」

「どうしてだい、きっと先輩は……先輩はきっと優しいから『じゃあ、こうしたら信じてくれるかな――』



――風が止むその瞬きの合間の一瞬は、きっとどんな記憶よりも長く、そしてどんな瞬間よりも短いのだろう。

 けれど、確かに示した先輩の口づけは、後輩の私を驚かせて、言葉にして理解するよりも先に納得させた、それは深く長い一瞬で、故にすぐにその事を受け入れられたのだった。


 嗚呼、抱きしめていいのだと――



 唇から伝わるのは震える感触、けれども背中に回した両の腕は決して放そうとせずに必死であった。

 校庭から差し込む光は影を通して二人を包み込む。


「もう十分」


 彼女の頬に手を添えて唇を離す。

 涙で濡れた彼女の顔を、ハンカチで拭うと何かを伝えたそうに、必死な顔をするけれど、喉に詰まっては出てこないのか、顔を胸に潜め「強く……だきしめてください――先輩」とくぐもった声でいうので、強く、強く抱擁した。


「こんなに小さかったんだね」


 抱擁する彼女は自分より、一回りも二回りも小さかった。

 いつも傍らに居たからこそ、そこまで変わらないと思っていたのに近くだとこんなにも違うのだなと、私は右手を彼女の後頭部へと寄せて優しく添えた。



『イズミ――ありがとう』



 風が吹く。

二人の肩を掠めるそれは、温かくそしてとても懐かしい物だった。

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