一本道

口羽龍

一本道

 敦夫は東京に住む男だ。今年の春、長年勤めた会社を定年退職で離れた。妻に先立たれ、子供たちは独立し、広い家に一人暮らしだ。定年退職して以降、外に出る事が比較的少なくなり、孤独を感じている。


 敦夫は山里を走っていた。ここが敦夫の故郷だ。久々に故郷に戻ってみようと思い、やって来た。ここに来たのは20年ぶりだ。そこで暮らしていた母が亡くなって以降、全く帰っていない。故郷の幼馴染はどうしているんだろう。とても気になるな。


「もうここを離れて半世紀ぐらいか」


 思えば故郷を出て、東京に来たのは今からちょうど50年前だったな。あれ以後、定期的に家に帰っていた。だが、その度に気付くのが、賑わいがどんどんなくなっていくものだった。最後に来た時には、数件しか家がなかったという。


「どうなっているんだろう」


 敦夫は左に曲がった。この道をまっすぐ行けば故郷、柿本(かきもと)だ。敦夫はわくわくしていた。どうなっているんだろう。楽しみだな。


 だが、敦夫は異変に気付いた。一本道を行けども行けども民家が見つからない。あるのは民家があったような空き地ばかりだ。まさか、柿本の集落は消滅してしまったんだろうか?


「あれ? 何もない」


 その後も走らせたが、民家が全く見つからなかった。柿本は消滅集落になったと思われる。


「もう誰もいなくなったのか」


 敦夫は戻り、ある空き地にやって来た。実家のあった空き地だ。今では民家が取り壊され、何もない。自分が生まれ、15歳まで育った家がなくなるなんて。信じられない。


「昔はここに家があったのに。もう何もないのか」


 敦夫は呆然と立っていた。辺りにあった民家はみんななくなっている。だが、田畑は残されている。ここで農作業をしている人がいると思われる。だけど、その田畑は別の集落の人のものだろう。


「もう誰もいなくなった?」


 と、1人の女性がやって来た。幼馴染の夏子(なつこ)だ。まさかここで敦夫と再会するとは。


「あっちゃん?」


 その声に気付き、敦夫は振り向いた。敦夫は驚いた。自分の名前を知っているとは。幼馴染の夏子だろうか?


「うん。そうだけど。なっちゃん?」

「うん。そうだよ」


 夏子は笑みを浮かべた。しわが目立つようになったけど、敦夫にはわかった。あの時とあまり顔が変わっていない。


「ここ、何もなくなったんだね」


 夏子は知っていた。ここは10年ぐらい前に人がいなくなった。東京で暮らしていて、まったく柿本に帰らなくなった敦夫はその事を知らなかった。


「うん。10年前に、誰もいなくなったんだ」


 夏子は横にやって来た。そして、敦夫の実家のあった空き地を見つめている。昔はここでよく遊んだものだ。だけど今では、何もない空き地になってしまった。あの頃が懐かしい。だけど、もうあの頃に戻れない。


「そんな・・・。僕が行かない間にこうなってしまうなんて」


 敦夫は呆然としている。20年間帰らない間に、故郷がなくなってしまうなんて。自分は仕事ばかりでまったく気にしていなかった。どうして自分は気づかなかったんだろう。


「驚いたでしょ? 今まで何をしてたの?」

「東京で働いてたんだよ」


 東京と聞いて、夏子は子供たちを事を思い浮かべた。今では子供はみんな東京で働いている。時々ここに帰って来る時が唯一の楽しみだ。夫を亡くし、1人で暮らしている。


「そうなんだ。私はずっとここで農作業をしてるの。だけど、もうここには住んでないよ」

「もう人がいなくなったから何もないんだね」


 敦夫は賑やかだった頃の柿本を思い出した。あの頃は多くの民家があったのに。今ではまるで何もなかったかのように空き地と田畑が広がるのみだ。


「寂しい?」

「もちろんだよ」


 敦夫は寂しいと思っている。定年退職で話し相手がいなくなり、ネットサーフィンでただただ交流するだけだ。だけど、実際に会えないから寂しいな。


「資料館に行ってみる?」

「うん」


 2人はこの村の資料館に行く事にした。柿本の資料や写真もここにある。一緒に故郷を懐かしもうと思った。


 2人は敦夫の車で道の駅に併設された資料館にやって来た。週末という事もあって、資料館にはハイカーがそこそこ来ていて、賑やかだ。消滅した柿本とはまるで正反対だ。


「ここにあるんだね。知らなかった」

「そうでしょ。5年前にできたんだよ」


 この道の駅は5年前にできた。ここにはレストランや簡易宿泊所の他に、資料館も併設されており、柿本をはじめとする消滅した集落の資料や写真が展示されている。


「ふーん」


 2人は資料館に入った。資料館は茅葺き屋根を模した外観だ。資料館の前には受付があり、年老いた女性がいる。


「入場料は500円です」


 2人は共に500円玉を年老いた女性に手渡した。


「どうぞご覧ください」


 2人は資料室に入った。外観だけでなく、中身も民家を模したもので、写真や農具が展示されている。


 と、敦夫は1枚の写真を見つけた。そこには男の子がいる。幼馴染の太郎だ。大阪に行ったっきり、全く連絡を取っていない。今、どうしているんだろう。気になるな。


「そうそう! こんな風景だった」


 夏子はその写真を見て、寂しくなった。もう空き地ばかりで、消滅した今を考えると、下を向いてしまう。もうあの賑わいは戻ってこない。


「もう何もないんだね」

「思い出でしか残らない。そして故郷の記憶は忘れ去られていく。悲しいね」


 敦夫は考えた。こうして故郷の記憶は失われていくんだろうか? そして、自分が生きた記憶も忘れ去られていくんだろうか?


「そうね」

「ところで今、どうしてるの?」


 ふと、夏子は気になった。東京に行ったのは知ってるんだけど、それからどうしていたんだろう。気になるな。


「東京で結婚して、子供に恵まれたけど、もうみんな独立して家を出て行ったよ。で、去年、妻を亡くして、今は一人暮らしだよ」


 敦夫も一人暮らしなのか。自分も一人暮らしだし、お互い様だね。


「そっか。私も一緒だわ。子供はみんな家を出て行っちゃったし、夫はおととし死んだの」

「そうなんだ。またここに行きたいな」


 敦夫は思った。今後もここに時々来て、故郷の事を語り合おう。そうすれば、寂しくないから。


「またおいでよ。そして、故郷の思い出を語り合おうよ」

「うん」


 敦夫は笑みを浮かべた。そして思った。自分はまだまだ一人じゃない。夏子がいる。そして、ここは故郷の村だから、ちっとも寂しくないんだ。

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一本道 口羽龍 @ryo_kuchiba

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