第23話 足切り

「無理無理無理無理無理無理! こんなの絶対に無理!」


 現実は無情だ。誰かの成功に触発されて己を奮い立たせたところで、その瞬間から能力が底上げされるわけでも、自前の精神性が上書きされるわけでもない。死の隣り合わせの状況で思考し続ける胆力は輪花には備わっていなかった。挟み撃ちにして近づいてくる凶悪な鋸の軍勢に思考を乱され、とてもじゃないが攻略法を見つけ出すことなんて出来なかった。そうして狼狽したまま悪戯に時間を消費し続けた結果、出口側から迫る鋸はもう一メートルの距離にまで迫ろうとしている。


「いや、やだ! 来ないで来ないで」


 冷静な判断力を失い、輪花は前から迫る鋸から距離を取ろうと咄嗟に後退ってしまう。


「いやあああ――痛っ! いああああああああっ!――」


 後退った瞬間、両足首を鋸がこそぎ取り、肉と骨を削られる激痛に輪花は絶叫した。自重を支えることが出来なくなり、その場に膝をつく。


「痛い……嫌よ……助けて積木さん」


 必死に膝で歩き、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で輪花を入り口付近の士郎に助けを求め、そして絶望した。目が合った士郎は、興味を失ったように冷めた表情で溜息をついた。デスゲームの中で唯一信頼出来ると思った士郎。脱出したらまた会おうという約束。あれは一体何だったのだろうか? 悲し気な表情を浮かべてくれたなら、悲劇のヒロインの自分に酔って死んでいけたかもしれないのに。これではまるで役立たずのゴミを見るような。


「嫌、死にた――あああああギィアギィィ――」


 膝下に鋸が食い込み血肉を掻き散らし、輪花はその場に倒れ込む。そのまま輪花の全身を鋸がこそぎ取っていき、眼球と口の位置にも生きたまま鋸の刃が食い込んでいく。絶叫はすぐに鋸の回転音と混ざり合い、残されたのは激痛と僅かな体の痙攣のみ。ついに全ての鋸の刃が輪花の肉体を通過していき、噴水のように夥しい出血を撒き散らしながら、輪花だったものは惨たらしい挽肉と化した。通過した鋸の歯には血とも内臓とも判別がつかない赤色がこびり付き、長い髪の毛が大量に巻き付いている。


「お気に入りのパーカーだったんだけどな」


 あまりにも惨たらしい光景に冴子が目を逸らし、兵衛や龍見でさえも不快そうに表情を顰めている中、士郎だけは血を吸った大量の端切れと化してしまったパーカーへの未練を口にするばかりであった。


『蘆木輪花様。残念ながらゲームクリアとはなりませんでした。次の挑戦へと移る前にステージの清掃を』

「片づけなくていい。このまま俺が挑戦する」


 ドラコの言葉を遮って、士郎が突然名乗りを上げた。


『こちらは問題ございませんが、本当によろしいのですか? ゲームマスターの私が言うのは筋違いかもしれませんが、ステージの光景は凄惨極まる。積木様の心理状態に悪影響があっては困りますので』

「この程度で心が乱れるような善人じゃないよ。構わず続けてくれ」

『畏まりました。ゲームの仕掛けのリセットだけ行いますので、少々お待ちくださいませ』


 清掃はしないにしても、ゲームとしての体裁は整えなくてはいけない。輪花の亡骸を挽肉にしたままその場で静止していた仕掛けが壁に収納され、五十メートル地点から先は鋸のない廊下へと戻った。もっとも、鋸で削り切れなかった輪花だった肉塊がど真ん中に転がり、廊下中に血痕や肉片が飛び散った廊下はこの世の終わりのような光景ではあったが。


「君は義憤に駆られるようなタイプじゃない。何か思惑があるのね?」

「蘆木さんの死は無駄じゃなかった。彼女が体を張って攻略の道筋を示してくれましたよ」


 士郎は廊下の先をやや高めに指差した。目を凝らした冴子もそれに気づき、発言の真意を悟った。


「なるほど。あれは確かに道筋ね」

「そういうことなので、ちゃっちゃとクリアしてきます」


 士郎をクリアを確信し、意気揚々とスタート地点に立った。二ゲーム続けて不参加だったので、肩慣らしに丁度いい。


『ドラコの玩具箱第五ブロック。ジャンプ・クラウド。積木士郎様の挑戦です』


 スタートと同時に士郎は駆け出し、待ち受けていた回転鋸の列をハードル走のようにリズムよく、確実に飛び越えていく。デスゲームでありながら、生存よりもタイムアタックに全力を注いでいるのではと錯覚させる程だ。そうして危なげなく、五十メートル地点まで到達した。


 この先、七十五メートル地点周辺は肉片と血の海が広がっているが、士郎は雨上がりに水たまりを歩くぐらいの感覚で、躊躇なく血の海の上を歩いていく。そうして七十五メートル地点に到達した瞬間、輪花の生き血をたっぷりと啜った死の軍勢が前門と後門を閉ざし、士郎目掛けて進軍を開始した。士郎は焦らずに、鋸が目前まで迫るのをじっと待ち受けている。


 ――気をつけてね、積木くん。


士 郎なら大丈夫だと心の中では思いながらも、殺人経験のある装置に取り囲まれる様子には恐怖を煽り立てる腐臭が纏わりついている。冴子は自然と、祈るように両手を組んでいた。


「そろそろかな」


 士郎はその場で垂直に跳ぶと、空中の何も無い空間へと手を伸ばした。次の瞬間、士郎の両手が透明な何かを掴み取る。そのまま士郎は腕力で体を持ちあげて足を地上から浮かせた。


「あれは透明なはりか何か? あんな物が用意してあったとは」


 士郎が何もない場所を掴み始めて最初は驚いていた兵衛だが、直ぐにその意味を理解した。隣では士郎のクリアを確信し、冴子が小さくガッツポーズを作っている。


「そうでもなければ、あの大量の鋸をやり過ごすことは不可能よ。ゲームのタイトルはジャンプ・クラウド。雲のように浮けというドラコからのメッセージだったみたいね」

「予想していたとはいえ、積木はどうやって正確な位置の把握を? 躊躇なくあそこに飛びついたようだが」

「遠目だから分かりにくいけど、よく見ると派手に飛び散った蘆木さんの血が付着して、ぼんやりと輪郭が浮かんでる。積木くんはそれを目印にしたのよ」

「だから蘆木の死体を掃除させなかったのか。どこまでもイカレタ野郎だ」


 兵衛の声色には侮蔑よりも警戒心の方が強く感じられる。死体さえも有効活用して勝利を掴もうとする判断力と狂気。積木士郎は危険だ。


「これで第一段階はクリアと」


 それぞれ反対方向からやってきた鋸の軍団が足の下で交差して通り抜けていったのを確認すると、士郎は安全にその場に着地。ゴールに向かって進んでいく鋸の集団を追いかける形で九十メートル地点まで進んだ。ゴールに到達した鋸が折り返して戻ってくる。もう一度だけ透明な縁に捕まって通過をやり過ごさなければいけない。士郎は再びその場でジャンプして透明な縁を掴み、腕力で体を持ちあげる。真下を鋸が通過していったのを見届けてから安全に着地し、次の鋸が追いついてくる前に廊下を駆け抜けゴールラインを踏んだ。


『積木士郎様。ジャンプ・クラウドを見事にクリアなされました。仲間の屍を越えて進んでいく姿には涙を禁じ得ませんでした。観客の皆様、積木様に盛大な拍手を!』


 心にもない営業トークを繰り広げながらドラコが場を盛り上げた。

 ゲームクリアと同時に全ての鋸が廊下の壁へと収納され、他三人も安全に通り抜けられるようになった。もっとも、士郎が清掃を断ったせいで、凄惨な血の海はそのまま残されており、そこを渡らなければいけないが。


「今回のゲーム。モチーフは足切りからしらね」


 士郎に合流した冴子がステージを省みて分析する。血の海を渡ってきたことで、血の足跡が足元に残されている。


「ジャンプを多用するシステムと蘆木輪花という名前。まず間違いないでしょうね」


 鬼が足元で動かす棒や縄をジャンプで飛び越えていく昔ながらの遊戯、足切り。今回ドラコはそれを足ごと切り落とすような鋸で表現したようだ。


「蘆木さんは、よっぽど運営側に睨まれていたんですかね」

「どういう意味?」

「透明な梁に気付けたとしても、蘆木さんの身長だとギリギリ届かなそうなんですよね。仮に届いたとしても、非力な彼女じゃ自分の体を持ちあげるのは厳しいかもしれない。男性陣はもちろん、綾取さんの身長でもたぶん届きますし、バランス調整をミスった可能性もあるけど、あれだけ用意周到なドラコがここだけ抜けているというのも奇妙な話でしょう」

「運営側は蘆木さんを殺す気満々だったということ?」

「憶測の域は出ませんが、彼女はどこかで竜の逆鱗に触れてしまったのかも」


 蘆木輪花がデスゲーム運営の資金の一部を横領しようとしたことは、今は亡き彼女と運営側のみが知っていること。外野である士郎たちは知る由もなく、真実は闇の中だ。他のプレイヤーにはまだ生還の可能性はあったが、蘆木輪花だけは決して許されることはなかった。龍の逆鱗には決して触れてはいけない。

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