第2話 途中下車

 僕はその年の春から、遠い出張所へ出向させられ、毎日電車に乗って通勤していた。電車に乗っている時間だけでも片道五十分程。その時間のほとんどをスマホのゲームに費やしていた。


 ある時から気付き始めた一人の少年の乗客の姿。子どものあどけない顔をしていながら、身体より一回り大きな制服を着ているから目立つ。

 なぜか気になるのは、その子の顔が子ども時代の自分によく似ていたから。もちろん同じ位の年齢の弟がいるせいもあったが。


 小六位に見えるけど、実際は高校一年らしかった。電車内で試験勉強している時、問題集に高一と書いてあったので。鞄のロゴを見ると、その電車の終点近くにある私立の学校の生徒らしい。中高一貫で、ついでに大学まである名門校だ。ただし電車内に同じ学校の生徒は見当たらない所をみると、遠方から通っているのはこの子だけなのか。良い学校とは言え、通学に僕と同じ位長い時間をかけている少年に半ば同情していた。

 ところが、長く同じ電車に乗っていると、この少年が窓からの風景を割と楽しんでいる様子が伝わってきた。通学もこの子にとっては、それほど苦ではないみたいなのだ。


 そのうち、ある駅に到着した時、特に少年の興味が車窓の風景に釘付けになる事に気付いた。 山を超えて一つの賑わった町の駅に辿り着き、さらにまた山の風景が続くという、地方の鉄道旅にありがちな風景。その山と山の間の一つの町だった。何がそんなに少年の眼を輝かせているのだろう。地方らしいショッピングモール、色褪せた屋根のブティック、ケーキ屋、ハンバーガーショップ、全て全国チェーンのじゃない。どこかの学校の校庭から聞こえてくるホイッスルの音。校舎に掛けられた県大会優勝者の垂れ幕。

 一時代昔を思わせる全て。

 僕の中には、あのドラマが蘇った。もしかしたら、あのドラマの主人公のように、少年はこの町を、夢の町のように感じているのではないだろうか。理想郷ユートピアのように。


 そんなある土曜日の事だった。通常は休みの土曜日なのに、その日は締切のある仕事のために半日、出勤しなければいけなかった。正午過ぎにいつもの電車に乗ると、あの少年がいた。

「今でも土曜って、高校生、半日なんだ」と自分の高校時代を振り返り、心の中で呟く。


 いつも朝の通勤時に見る太陽は、まだ東の山裾にあり、車窓から見る風景も涼し気だ。これが昼間となると一転し、まるで違った印象の風景になる。照りつける陽の光の下に町はまどろんでいる。小さな公園では太陽を遮る唯一、頼りの木の影に帽子を被った親子の姿があった。停車した駅のベンチには、アイスの実を食べている女子高生達。そして電車は走り出し、山々が周りに迫り、小さなトンネルを幾つか過ぎると、やがて電車はあの町に着いた。

 いつもと違う時間帯ではあっても少年の眼は相変わらず車窓に釘付けになっている。そして扉の側まで来て外の様子を見つめていたかと思うと、いきなり夏の風景が広がる外に、踏み出した。


 僕は言いたかった。「すぐに電車は出発するから。早く戻った方がいいよ」と。

 子どもの頃は、友人達と電車で遠出した時よくそんな遊びをしたものだ。途中の駅で降りてホームを何歩か歩いてドアが閉まる寸前に電車に戻るという馬鹿な遊び。偶に間に合わなくて、仲間としばらくはぐれてしまう。


 ところが少年は今まで乗っていた車両に戻る気配もなく、ぼんやりとその端整な眼差しを立ち去る電車に向けていただけだった。


 ――どういう事だ? あのドラマのように、あの子はこの町に惹かれ、途中下車したというのだろうか? しばらく散策して戻ってくるとか?――


 翌週からの朝の通勤電車の中に、あの少年の姿はもうなかった。

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