御伽花死 2

 散らばった欠片を拾い上げる。汚れを拭うと陶片のように硬質な白さが現れる。私は骨片に魅入られ、手に乗せてじっくりと眺めた。ひとの内側はこんなにもきれいなものなのか、と。頭蓋骨の破片を一枚ずつ掌に載せて、血糊とすり潰した脳を膠代わりにして張り合わせてみる。掌の窪みに収まるぐらいの小さな盃が組み上がったところで、重さで自壊してしまう。外側に張り付いている髪の毛が邪魔なんだ。せっかくの美しい骨が、髪と頭皮で台無しになっているんだ。

 突如として花人の頭から咲いた花が、脳から芽吹いた無数の薔薇が、内側から押し上げて頭蓋骨を破裂させてしまった。

 私の、ほんの隣に座っていた花人だ。脳漿と血液を右半身に浴びてなお、夢見心地の陶酔から目覚めなかった。頭に咲く花は脳に根を張っているんだ、と聞いたことがある。私のこめかみに咲いた白百合も、桂花の目に咲いた金木犀も、脳内に発芽する原因があったのだ。

 吹き飛んだ頭蓋骨の上半分。桃色の脳が覗けないほど埋め尽くされた薔薇。発芽は留まることを知らず、鼻孔や耳、口と頭中至る所から生えて咲かせる。当の花人は喉の奥から、熱っぽく蕩けた喘ぎ声を聞かせるだけ。もはや意識などありはしない。

「きれいなお花畑!」

 どこからか風南の声がした。集まった花人たちは、口々に褒めたたえ羨んだ。手を叩き、唄を歌い、酒を呑んだ。

 花人なんて、みぃんな頭の中お花畑なんだから。

 私に飛び散った脳の破片を指先で救い上げる。頭蓋骨片の小皿に盛り付けて眺めていると、どうしても口に入れたくなる誘惑に駆られる。それは抗いがたく、背中を強く押してくる。してはいけないと理性が抵抗するけれども、なぜいけないのか、ちっぽけな私の理性には説明できなかった。

 無力な制止は何の意味もなさない。彼女の脳はするりと口へと滑り込んだ。皿から吸い上げるように呑む。小さな桃色の肉を口の中で転がす。舌触りがよく、味は濃くもったりとしていて、口腔の温度で溶け出した甘い肉汁が広がる。

「……美味しい」

 意識と感覚が何重もの膜で隔てられ、ぼんやりと遠い。耳元で響いたその声が自分のものだと気付くのに、たっぷりと時間がかかった。自分の衝動的な行為を理解するには、その倍を要した。

 緩慢な仕草で口元に左手をやる。弧を描く唇からは息が漏れる。指先に当たる振動で、どうやら私は笑っているらしいとわかる。聞いたこともないような甲高い嬌声をあげて、乱れて姦しい叫び声だ。そして、理性の及ばない右手は、手づかみで花人のこぼれた肉をむしり取っていた。欲求のままに、衝動に忠実に。花束になった薔薇の彼女は死んでいないというのに。むき出しになった頭から、顔から、花が散ってしまうなんてお構いなしに貪ろうとする。

「あ、あ……ぁ、あ!」

 ずいぶんのろまな悲鳴をあげて自分と行為を繋げる。血と肉まみれの手を引き抜いて、花束から離れる。

 私は信じられなくて頭を抱え込む。頭を掻きむしった拍子に顔の覆いが取れて、惨状がより明白に現れる。眼前に突きつけられる。血も、肉も、花びらも。辺りにばら撒かれ、犯人はひとりきり。行儀悪く食い荒らされ、散らかされた花人。彼女は私を憐れむように、言葉を失くして嗤っていた。

 私がやったんだ。

 私は彼女を食べちゃったんだ。

「わ、私は……私は、どうして、なにを!」

 下腹部が痛み、不快感が突き上げる。

 吐き出した。どろりとした粘液に包まれ、すり潰されたヘドロ状の肉。甘酸っぱい臭気が立ち上り、私の目と鼻を刺してさらなる吐き気を催させる。二度、三度、胃の中身がなくなっても。自分の内臓をひっくり返して洗い流したかった。

「ちがう、私じゃない。こんなの、私じゃない」

 吐き出した唾液と涙に溺れながら、その場の誰にも見られなくないと、地面に顔を擦りつけた。

「みるな、みるなぁ!」

 これは私がやったんじゃない。私じゃない。

 こんなの美しくない。かわいくない。

 おぞましい、獣の醜態だ。

「すばらしい、すばらしいわぁ。さすがよ、月華」

 拍手の雨が降り注ぎ、私の背を打った。風南は称賛と共に、嗚咽する私を優しく不気味に撫でる。

「あぁ、なんて愛おしい。やはり、あなたはどうあってもあのひとでしかないのだわ。本当に噂に聞いた通り、魂に刻み込まれているのよ。それとも私たち花人の本能なのかしら? 抗えない、深い欲望が、本来の気持ちが、あなたに思い出させてしまったのかしら!」

「なにを、言ってるの……風南? おかしいわ、あなたも、あなたたちも」

 恐る恐る顔をあげる。満面の笑みを浮かべた風南がいた。笑っていた。いつもと同じ、屈託なく、無邪気で、可愛らしい、小さな陽だまり。気持ちの悪い笑顔だった。

「喜んでいいのよ、月華。あなたは、あの方に選ばれたのだから、これほど栄誉なことはないわぁ!」

 風南の言葉が理解できない。彼女は花束になった花人のことなど一切顧みない。私のことを誉めそやし、しきりに羨む。今夜偶然あったはずなのに、彼女は前から私に眼を付けていたような口ぶり。それにあの方とは誰のことだ。様々な疑問が押し寄せ、脳内の混乱を加速させる。

「わからないって顔ね。でも、何も心配しなくていいのよ。今すぐ思い出す必要も、理解する必要もない。あなたは心のままに、欲望に従って生きればそれが一番なの。期待しているわ、あなたは私たち花人の希望なのだから」

「風南、お喋りが過ぎるよ」

 その一声で、騒いでいた花人らが静まり返る。

 主催と思しき、白い衣をまとった花人が私に歩み寄る。苔むした地面を踏みしめる素足は美しく発光し、風南は膝を折って足の甲に口付けをする。近くで見ると、白い衣服は細い花びらをレース状に編み上げたものだとわかる。全身を覆うように咲いた花。五枚の花弁の花縁が繊細な糸状に枝分かれして、隣り合う花弁同士の糸を絡み合わせてある。

「あなたを連れて来るなんて勝手、聞いていなかったンだけど。下手したら、この子が飲んでしまうところだったじゃない。あまり勝手なことはしないで」

「藤香様、お許しくださいませ。私は月華に思い出して欲しかっただけなんですの。夜気の火照りにあてられたらきっと、こうなるってわかっていました。これもあの方の、ひいては花人全員のことを考えて行動したまで。私なりの真心なんですわ」

「いいように言ってンじゃないよ」

 藤香と呼ばれた花人は、薔薇の花束になった花人の元にしゃがみ込んで、残っていた顎の輪郭を撫でた。

「また失敗か。上手く行かないもンだね。この子は廊下にでも飾っておいで」

 彼女が指示を出すと、覆面の花人たちが薔薇の花束を連れて行く。それでわかった。中庭に通るまでにいた置物のような花人たちがどうやって出来上がったのか。彼女の酒に混ぜられたものが、花人を物言わぬ花束に変えたのだ。

「ええ! だから、この子なのですわ。みぃんな心待ちにしておりますもの」

 風南はこの実験じみた宴会の意味を叫ぶ。だから、私がなんだというのだ。

 藤香が斜幕の向こうから視線を向ける。一瞥されただけで私の身体は熱を帯びる。桂花に匹敵するほどの強い引力が、彼女からは発せられていた。

「ごめん、あなたを巻き込みたくないンだけど。私たちはあのひとには決して逆らえない。あのひとが要るといえば、私たちは従うほかない」

 藤香はしゃがみ込んで、体液でぬかるんだ私の顔を優しく拭う。

「あなたたちは、なんのことを言ってるの?」

 私の問いに、藤香は眉間に皺を寄せた。苦痛に耐えるように、悲しい貌だった。

「恨むンなら、桂花を恨みな。あの子がはじめたことなんだから」

 鈴の音が鳴る。屋敷中に響き渡り、居合わせた花人らが一斉に色めき立つ。

「今夜はずいぶん早いお帰りね」

 藤香が溜息と共に立ち上がる。ほかの子らも慌ただしく、誰かを迎え入れる準備に慌ただしい。なにもかも状況についていけず、へたり込んで呆けたままいると風南に立たされる。

「月華はもう帰らなくちゃ、ここで壊れちゃったら連れてきた私が怒られちゃう」

 そのとき、どこかで扉が開いたんだ。

 香りが屋敷に押し入ってきた。屋敷の奥にいるはずの私の元へも漂ってきて、鼻孔を掠める。それが誰のものなのかわからぬ花人はいなかった。夜の色を塗り潰してしまう、濃密な紫紺の芳香。咲き乱れる藤の紫。怖れと快楽に総毛立つ。心臓が握りつぶされたように、引き絞られた。

「宵藤太夫のお帰りよ」

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