第3話 王子くんはスパイシー?

 佐藤さとうくんは「こっち」と言って私を社会科準備室に連れ出した。


「ごめんね、遠回りさせて。ここなら大丈夫だと思うから」

「うん、いろんな人が見てたね。佐藤さとうくん、人気者なんだ」


 ここに辿り着くまでに、何人もの人が佐藤さとうくんを見ていた。中には私のことを誰だという声も聞こえて、朝練で菜々ななに言われたことが少し頭の中をよぎった。


「みんな、俺と話したことなんかないのにね……」


 佐藤さとうくんの目元が少し歪んでいた。こんなふうに注目されるのが毎日続いたら、疲れてしまうだろうなと私は思った。


佐藤さとうくん、大変なんだね」

「ありがとう。でもここは鍵も閉めたし大丈夫。先生にも許可をもらって借りたから」


 気を取り直すかのように、佐藤さとうくんが笑顔を浮かべた。そして、彼は私の目の前に紙袋を差し出した。


有沢ありさわさん、昨日は驚かせてごめんね」

「いや、私の方こそ、言い逃げしてごめんね」

「これ、よかったら食べて欲しいんだ。開けてみて」

「え……?」


 受け取って中身を確認すると、そこにはケーキが何切れか入っていた。


「これは……パウンドケーキ?」

「うん。どうしても諦めきれなくて。これ俺が作ったんだ。食べてみてくれないかな?」

「でも……」

「お願い、おいしくなかったら断ってくれていいから!」


 佐藤さとうくんがまた両手を合わせて目を瞑ってる。

 昨日、あれから作ったのかな?

 私に食べて欲しくて?

 よく見ると、佐藤さとうくんの両手は、ほんの少しだけ震えているみたいだった。


「じゃあ……いただきます」


 私はパウンドケーキを一つとって口に運んだ。

 口の中に、バナナのいい香りが広がる。それから、くるみの香ばしさとほんの少しのキャラメル?

 しっとりとした生地にくるみの食感が楽しい。

 なにより、とってもおいしい——!


「その顔は、及第点てところかな?」

「ん?」


 いつの間にか目を開けていた佐藤さとうくんがそう言って目を細めた。

 私がケーキを飲み込んで首をかしげると、彼はさらににっこりと笑って、私に手を伸ばしてきた。その手が、私の口元に触れる。


「ケーキついてるよ。かわいい」

「え!!」


 佐藤さとうくんは私の口元からつまみ取ったケーキの生地をそのまま食べてしまった。目の前で起きたことの衝撃で、私は身動きが取れなかった。


「うん。まあまあか……。でもまだ父さんには敵わないね」

「あ、え……今……」


 私がおそらく顔を真っ赤にして、口をぱくぱくと開いていると、佐藤さとうくんは今度は少し意地悪そうに口元を上げた。


有沢ありさわさんて、おいしいものを食べてる時、幸せそうに顔が緩むよね。俺、それがすごく好きなんだ」


 も、もしかして「シュクル」でケーキを食べてる時の顔、ずっと見られてた?

 私は恥ずかしくてたまらなくて、顔がどんどん熱くなった。もう消えてしまいたいけど、さっき鍵がかかってるって言ってたから逃げることもできないし……。


「あ、有沢ありさわさん。そんなに恥ずかしがらなくていいよ?」

「は、恥ずかしいに決まってるよ〜。前からずっと見てたんでしょう?」


 佐藤さとうくんが慌てて私の顔を覗き込んでいる。困ったように眉をハの字に下げている。きっとあまりの恥ずかしさに私が泣きそうになっているからだろう。

 私はグッと涙を堪えて飲み込んだ。


「確かに前から見てたよ。なかなか話しかけられなかったけど、俺嬉しかったんだ。父さんのお菓子は世界一だって思ってるから……。あんなにおいしそうに食べてくれる子がいて、本当に嬉しかったんだよ」

「本当?」


 私の問いかけに、佐藤さとうくんはまっすぐ私を見て頷いた。


「本当だよ。だからこそ、有沢ありさわさんに試作品の試食をお願いしたかったんだ。どうしても……ダメかな?」

「う〜ん……」


 今度は上目遣いで私の顔を覗き込んでくる。

 なんか佐藤さとうくんの目って、普通の人の何倍も輝いて見える。

 断りにくいなあと思っていると、彼はそれを察したように一歩踏み込んできた。


「俺、毎日何か作ってるから、部活の後食べにきてくれるだけでいいよ。もちろんタダ」

「ええ、タダ?」


 佐藤さとうくんが口の端をグッと上げた。

 しまった、食いついてしまった。けど、後悔してももう遅かった。

 ここから、彼は畳みかけるように語り始めた。


「そう、毎日でもいいんだよ。うちのケーキセット安いとは思うけど、中学生には痛手だよね? コンテストに出すつもりだけど、結果まで有沢ありさわさんに委ねるつもりはないよ。君にはちょっと背中を押してほしいっていうか、誰かの反応がほしいなって思ってるだけだから気負う必要はないよ。だから……ね?」

「う、うん。それじゃあ……」


 佐藤さとうくんが一言話すたびに、一歩前に出てくるから、私は距離を保つために一歩下がっていた。気がつけば、壁際に背中がくっついていて、言い逃れる言葉もなくしていた。


「じゃあ、いいの?」

「はい……」


 私は観念して、静かに頷いた。

 途端に佐藤さとうくんの目がさらにパアッと輝く。


「やった! 有沢ありさわさん、よろしくね!」


 こうして私と佐藤さとうくんの秘密の関係は始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る