第2話 王子くんのお願い

「た、ただいま……」

「おかえりー! あさひ、遅かったわね。なんか息切れしてるし……どうしたの?」


 帰宅後、母が玄関まで出迎えて眉をひそめた。

 それもそのはず、私は汗だくで息も絶え絶えだからだ。


「学校の近くから……走ったから……」

「ええ? 電車に乗らなかったの? こんな時間なんだし、二駅でもちゃんと乗りなさいよ」

「うん……」


 おそらく口を尖らせているであろう母を背に、私は冷蔵庫へ向かった。急いで麦茶を出してコップに注ぎ、一気に飲み干す。

 それから「先にご飯食べるでしょう?」と言って茶碗を持っていた母に断りを入れて、お風呂に入った。


 湯船の中で、さっき「シュクル」で起きたことを思い出す。


「シショクヤク……試食役かあ……」


 佐藤さとうくんは、コンクールに出場するためのお菓子の試食をお願いしてきたんだ。


「さすがに、無理だよね……」


 呟いて、顎まで湯船に沈み込む。

 私には、人にはうまく説明できない特技のようなものがある。

 私は、他人より味覚が敏感なんだ。

 ソムリエの父の影響で、子供の頃からいろんなものを食べてきたかららしい。特に甘いものに対してそうで、おいしいと思ったお菓子やお店は人気になることが多い。


 佐藤さとうくんが真剣なのは伝わったけど、だからこそ荷が重くて、私は「ごめんなさい」と言って走って帰ってきてしまった。

 けど、今さら言い逃げしてしまった罪悪感で胸がモヤモヤする……。


 次の朝。部活の朝練がある私は家族の誰よりも早く家を出た。


「あさひ、おはよう!」

菜々なな、おはよう!」


 体育館に行くと、すでに練習している部員が何人かいた。奈々ななもそのうちのひとり。小学校の時から同じチームでバスケをしている仲良しだ。

 私は他のみんなに挨拶をして、奈々ななと一緒に準備運動を始める。


「ねえ、奈々ななのクラスの王子くんて、本名は違ったんだね」

「え、あさひ、知らなかったの?」

「うん、昨日初めて知った」


 菜々ななが大きな目をさらにまん丸にして私を見上げた。彼女は私よりは少し小柄で、クリっと丸い黒い瞳が小動物みたいで可愛らしい。


「そんなことがあったんだ。そういえば、前にあさひのこと聞かれたんだった」

「え?」


 菜々ななはすっかり忘れていた様子で当時のことを話し始めた。私は寝耳に水で驚きだ。


「部活が始まってすぐくらいかな。「いつも一緒にいる背の高い子、なんて名前?」って聞かれたの」

「そうなんだ……」


 そんなに前から?

 でも声をかけてきたのはつい昨日のこと。もしかして、すごく勇気を出してお願いしてきたのかもしれない。

 私は昨日よりも罪悪感が大きく膨らんで、手を止めて俯いてしまっていた。


「断ってよかったんじゃない? あの人って本当に人気だから、仲良すると面倒なことになるかもだし」

「そ、そうなんだ」

「そうそう。それに私たちも大会近いんだから!」


 そう言って菜々ななは立ち上がると、ボールを持ってドリブルしながらコートに入っていった。


「そうだよね……」


 小さな声で呟いて、私も菜々ななに続いてコートに入った。


 昼休み。給食を終えてクラスの友達と喋っていたら、ドアの方が騒がしくなった。見てみると、そこには佐藤さとうくんが立っている。


「え、王子じゃん」

「なに? 誰かに用事?」


 こっちを見ている気がする。そして、私と目が合うと、にっこりと笑って手を振った。


「あ、こっち見た?」

「え、うちらの中の誰かに用事かな?」


 一緒にいる友達もソワソワしながら髪や制服を整えてる。本当に彼って人気なんだ。

 まさかと思いながら私が彼から目を逸らすと、入口にいた男子が大きな声でこう言った。


有沢ありさわ〜! 五組の佐藤さとうが用事だって!」

「「ええ!」」


 友達含め、クラスの女子たちの声が被った。みんなが私を見てる。

 思わず私はその場で肩を丸めて身を縮めた……つもりだった。


「ちょっと、あさひ? どういうこと?」

「王子と知り合いなの?」

「あ、いや、どうなんだろ……?」


 なんて言っていいかわからず、曖昧な返事をしているうちに、友人たちは私の制服を引っ張って立ち上がるよう促してきた。


「まあいいや、いいから行きなよ」

「そうだよ、王子をお待たせするなんてダメだよ!」

「ええ……」


 バシッと背中を叩かれて、私はその勢いに乗っかるように入り口の佐藤さとうくんのところに向かった。


有沢ありさわさん、ちょっとついてきてくれる?」


 王子こと佐藤さとうくんの笑顔はキラキラと輝いていて。

 私は背中に刺さるクラスメイトの視線も相まって、逃れることはできなかった。

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