12= 残酷で優しいくちづけ

「最後は……戦いたい」


僕がふと言うと、れいちゃんはちょっとびっくりしたけれど、僕の選択をそっと支える様に笑ってくれた。


……僕は兵士として、許されない事をした。


でも、だからって、その償いのために戦いたいからと決めた訳では無かった。


本当は……最後くらい、カッコつけたいんだ。


無理だって分かっていても、どうせ死ぬんだとしても、最後くらいは彼女を守る為だけに戦いたい。


戦って……少しでも彼女に長く生きて欲しいと、そう思ったから。


「じゃあ……する?」


彼女は唇を指さして聞いてくる。

さっきは僕が暴走して台無しにしてしまわない様にと最小限にしていたから、最早戦場となってしまったその地に行くとなれば、いつもの様に痛みを無くす為のくちづけをするかという事だろう。


ちょっとだけ悩んだけど、止めておいた。


『私も良く分かってないんだけど……』


あの時、れいちゃんはそう前置きして僕に話してくれた。


それは……れいちゃんのくちづけの力についてだ。


れいちゃんのくちづけ……というか、唾液には、大きく二つの効果があるらしい。


一つは、痛みを他の刺激に変換する事。

無くなってたんじゃなくて、あれは他の……快感とかの刺激に変換されてたんだ。


もう一つ、興奮しやすくして、理性などでの制御をしにくくする事。

戦場でつい前に出てしまったのも、今思えばこれが原因だったのかもしれない。

……まぁ、それでれいちゃんが悪いなんては一切思わないけど。


そして、急に沢山摂取してしまうと、前みたいな僕の暴走……理性を完全にぶっ飛ばして快楽に溺れる様な状態になってしまうという。

あの時れいちゃんが止めようとしていたのは、これが理由だったんだ。


全て話し終わった後、れいちゃんは僕の方を見て、やっぱりちょっと寂しそうに笑っていた。


「ねぇ、最後に聞いてもいい?」

「……なに?」


戦場に出ると言いながら、しばらくここに居る理由を付けては先延ばしにするのに、いい加減区切りをつけようと思って、僕が『最後に』を強調して話すと、れいちゃんもちょっとだけ緊張した声で答えてくれた。


僕は最後に……一番気になって、どうしてか分からなかった事を聞いた。


「どうして……どうして僕だけに、してくれたの?」

「してくれた?」

「うん。……口を、こう……痛く無くなる様にっていうか……」

「……」


キスと言うのも何だか気恥ずかしかったので濁して言うと、彼女は途端に表情に影をさして俯いた。


……けど、もう一度顔を上げた頃には、何かを割り切った様な表情で笑っていた。


「……何でだろう。気まぐれかもね」

「そっか……」


気まぐれ……か。

特別な理由でも無い分、やっぱりちょっとしょんぼりしてしまっていると、それが伝わったのか彼女は付け足した。


「でも、……今は気まぐれじゃないよ」


ちゃんとフォローしてくれようとする彼女を微笑ましくも素直に嬉しく思っていると、彼女は続ける。


「それに……初めて見た時、どうしてもこの人を助けたいって思ったから」


れいちゃんの言葉に、僕は目を見開いた。


やっぱり……特別じゃない訳じゃ、なかったんだ。


それに、れいちゃんの言うことはまるで……生まれつきの運命の導きみたいだ。


「……もしかしたら、前世でも恋人だったのかもしれないね」


そんなことを思っていると、思いがけずれいちゃんからもっとロマンチックな言葉が出てきた。


前世でも恋人、か……。

なら、次生まれ変わっても、恋人になれたらいいな。


そんなことを思いながら、僕は最後の彼女とのひとときを思い出に焼き付けるように、静かに静かに寄り添い合った。



****



あるだけ背負った弾がぶつかり合って、じゃらじゃらと大きめの音を立てる。


向こうからは、最初の一機と見える影がこちらに向かって来ていた。


時刻は……10時半。


昨日はこいつらが動き出す時間帯まで、ぐっすり眠った。

起きて直ぐに出発して、出来るだけ前線を保とうとも思ったけど、れいちゃんは塔から見ているから、すぐ側で戦って欲しいと言った。


……怖かった。


くちづけはしなかった。

『れいちゃんとのくちづけ』に未練はありつつも、『痛みを無くすくちづけ』をしなかった事、後悔はしていない。


「っ……」


とうとう最初の一機がお互いの射程圏内に入り、ピタリと止まった。


何度も討伐してきたから、倒し方は知っている。


けど、この場にあいつらの敵は僕だけで、あの銃口は僕だけを確実に狙うのかと思うと……。


「っぁぁあっ!」


怖かった。

既に泣きそうだった。

きっと今、凄くかっこ悪い。


けど、僕はそんな風に声を上げながら、銃を連射し必死に走った。


そして来た、一発目。


「っ!」


辛うじて避けたものの、ギリギリだった。

耳音を大きな音が掠めて、心臓がバクバク言った。


けど、僕は走り続けた。


「……ぁっ、」


お腹に思い切り風穴を空けられて、無様に後ろに倒れ込むまで。


「はぁ……はぁ……ぁはは……」


……れいちゃん、見てるかな。


結局一機も倒せなかった。

くちづけの力が無ければ、僕の実力なんてこんなもんだ。


こんなに覚悟を決めていたって、どうしても恐怖が拭いきれなくて、一瞬だって頭のネジを外す事さえ出来ない。


……それが僕だ。


「……あーあ」


あぁ……やっぱり、凄く痛いや。


ジクジクと痛むお腹は、それよりもずっと痛いんだけど、最初足を怪我した時を思い出させて、つい最近なのにずっと前の出来事だった様にも感じさせた。


僕はしばらく太陽の方に手をかざして眺めてから、やがてゆっくり手を下ろして目を閉じた。


……そういえば、れいちゃんは痛み、感じないのかな。

それなら良いんだけどな……。


「……」


最後、どうしてか酷く穏やかな心に身を預け、静かに消えようとしていた時だった。


……足音。


さくさくと、地面を二つの足が確かに歩く音。


その足音はすぐ近くまで来て、僕の顔の横をちょっと過ぎた所位で止まった。


最初は、どこか……天国か、あるいは地獄とかからのお迎えとか、そんなものかななんて思っていた。


……けど、違った。


微かに感じるこの感覚は、忘れるハズもない、彼女の……。


「!」


認めたくないながらも、ゆっくり目を開けてしまえば、そこに映るのは確かに彼女の後ろ姿だった。


「なん、で……」


僕が掠れた声で聞いても、彼女は振り返らなかった。

突然彼女が戦場に出てきてしまった恐ろしさと焦りで、分からなくなってきていた痛みと恐怖まで見つかってきてしまう。


そんな風に、僕の荒い息だけが戦場に響く中、彼女は振り返らないまま小さく息を吸って話し出した。


「ごめんね。……本当はもう一つあったんだ。でも、どうしても言えなかった。だってこれを聞いたら、いくらしきでも私の事も自分の気持ちも、信じられなくなっちゃうって思ったから」


もう一つ……って?


僕が何とか思考を働かせていると、れいちゃんは続けた。


「……でも、やっぱり言っておきたかったから」


それから、れいちゃんはまた暫く黙り込んだ。

僕は戦場だということも忘れ、彼女の言葉に何とか最後まで耳を傾ける事だけに集中した。


……そして、彼女はやっと意を決した様に、後ろ姿のまま言った。


「依存物質。……依存性のある成分が沢山入ってて、またキスがしたいって思う様になってるの。……それを恋って誤認して、胸焦がれたり言う事を聞いたりしても、それはまたキスがしたいからなんだよ」


彼女は途中から見た事が無いくらい声を震わせて、でも最後まで言い切った。


「……ごめんね。だから、言えなかったんだ。しきはほんとは、私の事、好きじゃないから……」

「……」


それから、彼女は今度こそ本当に口を噤んでしまった。

後ろからでもぐっと込み上げてくるものに耐えてるんだと分かる程、彼女のぎゅっと握られた両手も肩も、小さく、でも確かに震えていた。


……でもそんな訳無い。

最後まで黙って聞いていたけれど、それでも僕は確かに、自分の意思で彼女を好きになったんだ。


だって……。


「!」


僕は最後の力を振り絞り、自国の兵器に向かって身を捧げんとしている彼女に後ろから抱きついた。


彼女はびっくりして固まるけれど、僕はそのまま倒れそうなのをどうにか耐え、一言言った。


「キスする前から……最初に会った時から、好きだったよ。……だから、違う」


あんなに言うのを恥ずかしがっていた『キス』も、彼女のためを思えば最初に発する言葉に出来る程、彼女の事が好きだった。

今だって、すぐにでも事切れそうな体をどうにかして立ち上がらせられる程に、彼女の事は大切なんだ。


……それは、くちづけの力なんかよりもよっぽど大きい愛だ。


科学的に作られた感情だって、僕の本当の気持ちと比べれば埋もれて見えなくなってしまうくらいの。


「っ……!しき……」


僕の言葉に、れいちゃんが今までで一番感情的な声で僕を振り返ろうとする。


……けれどその時、大きな音と共に僕達は倒れ込んだ。


これはまるで……あの時、河川敷で転んで、彼女の口づけの力に初めて気づいたあの時みたいだ。


ただ、あの時と違うのは……上に被さる様になっているれいちゃんから、どろどろとした液体が落ちてくる感覚がした事くらい。


「……れいちゃん」


お腹に風穴が空いて、背中を強く打ち付けた。


……でも、痛くなかった。


「しき」


最後の力を振り絞り、僕らは一つ、くちづけを交わしていたから。


「おやすみ、れいちゃん」


僕らはそのまま抱き合う様に、戦場となったその地の中心で静かに目を閉じた。

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