第5話 昭和30年代の公立中学で毎週ダンパ

この話は 今の世代だけでなく同世代にも

「ないないない」と言われるけど 本当なんですよ


今思えば 我々世代の教師はほぼすべてが戦中派

「国の為に死んで来い」と教え 教わり

何かあれば ぶん殴りぶん殴られて きた人ばっかなのに

突然 イヤホンマに たった一日で

〝これからは 民主教育やで〟と言われたんだから

戸惑うのも当たり前 他にも色々迷走してましたわ


暴力一掃とか厳しい時期で 生徒が殴られたのは見た事ないです

でもやんちゃは 黒板拭きで頭叩かれてました

触るなと言われて 真っ白な頭のまま授業受けてましたよ


廊下に水入りバケツ持って立たされたのは 母の世代(昭和初期)

うちらは 廊下に正座 (これ立つよりシンドイ)

何度も重なると 職員室前の廊下に首から札下げて座らされる

札には〝ただいま 反省中〟 と書かれてあった

新設校だったので 建物の設計が変わってて職員室前であちこちからの

通路がぶつかる いわばメインストリートだった訳で

教室移動などでぞろぞろと生徒が通る場所に 江戸時代のさらし者風に座る

クラブの先輩が座ってる と聞けば そこは通れないので

階段降りて 大きく遠回りして また階段上がって 移動しましたよ


当時 夕食時のテレビ番組は アメリカ製のテレビドラマばっかり

子供向けの〝ラッシー〟や〝名犬リンチンチン〟

西部劇で覚えているのは〝拳銃無宿〟〝ボナンザ〟〝ローハイド〟

  後のハリウッドの大スターが出ていましたよ

そして ホームドラマ〝うちのママは世界一〟〝パパ大好き〟

〝ルーシーショー〟〝奥さまは魔女〟そして〝カレン〟


敵性語呼ばわりから20年も経ず パパママ呼びがええとこの子のシンボルに

ハイスクールの学生が オープンカーで登校してる映像に度肝を抜かれ

そして学園物でよく見たのが 〝ダンスパーティー〟 だったんですよ

多分 先生たちは こういうのが民主的校風と思ったのでは?


で ようやく本題ですが これフォークダンスなんですけどね

毎週月曜日のお昼休みに 生徒会主催で 体育館で開催されてて 

壇上にプレイヤーを置いて 何パターンかの音楽が流れ

全学年の自由参加で始まります ただ見ている〝壁の花〟も含め

いつも体育館は満杯でした 体育館一杯のダンスの輪は時には二重にも

堂々カップルで参加する人もいれば スタートは同性同士で参加する人も


創立5年目位に入学した時には既に恒例行事になってましたから

始まりは分かりませんが 本当にホント

区立中学で毎週 ダンスパーティーは催されていたんですよ

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