顔泥棒

稔基 吉央(としもと よしお)

顔泥棒

僕が玄関ドアを開けるとリビングでガタッと音がして、次いでテレビから流れていた音が消えた。そして彼女は何事もなかったかのように、僕に向かって、おかえりと口にする。テレビは玄関からの直線上にあって、間を隔てるリビングドアもガラス張りだから、本当はテレビに映っていたものは見えていたけれど、僕は何にも気が付かなかったという風を装って、ただいまと応える。

「今日寒かったでしょ」

意図せず生まれた気まずさを解消するように、彼女が声をかけてくる。

「ごめんね、いつも」

スーパーで買ってきた食料を冷蔵庫へと移しながら、僕は彼女に微笑みかける。

「なんで、謝らないでよ。家の外のことは僕がするってなったじゃん。それにほら、大学の帰りだから丁度都合も良かったし」

「うん……ありがと」

そう口にしながら、彼女は依然申し訳なさそうにしている。

本当に気にしないでいいのに。

同棲生活を始めてから、こんなやり取りが幾度となく繰り返されてきた。そして毎度、僕は同じようなことを口にし、彼女はやはりどこか申し訳なさそうにする。

彼女は今どんな表情をしているだろうか。僕は彼女の顔を想像する。主張の控えめな小さくて丸い鼻に、小振りな唇。何より、特別大きいわけではないものの、綺麗なアーモンド型をした目。完璧に均整がとれているわけではないかもしれないけれど、どこか儚げで、彼女の内面をそのまま映し出したかのような顔が、僕にはたまらなく愛おしかった。


エコバッグの中身を冷蔵庫へと移し終えて、リビングへと向かう。彼女はテレビに面した二人掛けのソファに座っていて、僕も空いた方のスペースに腰を下ろす。そして、何となく彼女の顔を覗ってみる。相変わらず表情を読み取ることはできない。

彼女には顔がない。

本来顔があるはずの部分は、黒い絵具で塗りつぶされたかのようで、鼻も、唇も、目も、何も見当たらない。

先ほど彼女が見ていたテレビ番組のことを思い出す。一瞬だったけれど、そこに映っていたのは、人気の絶頂にいる女優だった。その女優は彼女とは違う声で話し、彼女とは違った雰囲気を纏い、それでも彼女と全く同じ顔をしていた。

今、僕の隣に座る彼女は何故あれを観ていたのだろう。自分と全く同じ顔で、自分では絶対にしないような溌剌とした表情を浮かべる女優に、どのような感情を向けていたのだろう。怒っていた?憧れていた?それとも……。

僕はもう一度彼女の顔に目を向けてみるけれど、やはり真っ黒で何も読み取れなかった。

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顔泥棒 稔基 吉央(としもと よしお) @yoshio_itakedaka

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