天罰必中暗闇姉妹 翡翠編

村雨ツグミ

天罰必中暗闇姉妹 翡翠編

  田口ケンジ、13歳。城北地区下山村、市立下山西中学校に通っている中学生だ。

  見た目はどこにでもいるごく普通の少年だが、彼にはある特技があった。


「ケンジー!サッカーしに行こうぜ!」


 二階の自室にいたケンジは、その声に反応して外を見た。家に面する道路に二人の男子が立っている。


「うーん、僕はいいよ」


 ケンジは決して学校の友達を嫌っているわけではないし、クラスメイトたちもまたケンジを嫌っているわけではない。ただ、彼は外で遊ぶよりも、漫画を描くことに熱中していた。実際、幼少から描き続けていた彼の漫画の腕は、すでにアマチュアの域を超えていた。本気で、将来は漫画家になろうと夢を見ていたのである。同級生はそんな彼のことを、たまに『先生』と呼んだ。彼らはケンジの作品の、最初のファンになったのだ。


「また先生が執筆中ですかー!?後で見せてくれよなー!」

「うん、またね」


 ケンジは二階から、サッカーボールを持って走り去る友人二人に手を振る。


「あら?あなた、ずいぶん絵がお上手ですのね」

「えっ?」


 放課後。近くの山で、たまたま風景をスケッチしていた時のことだった。草地に腰を下ろしてスケッチブックを開いていたケンジの後ろに、突如その少女は現れた。すらっとした、自分より背の高いその少女は、高校生だろうか?緑がかったストレートロングの髪が、木漏れ日に反射して輝いている。その顔に、優しい微笑みを浮かべながら。


「それに、これ」


 スケッチブックの端に描かれていた、ドレス姿の少女を指さす。


「閃光少女のグレンバーンさんではありません?」

「あ、はい!えっと……お姉さん、知っているんですか?」


 少女はケンジの両肩に手を置き、背後からスケッチブックに顔を近づける。自然、彼の顔とも近づき、ケンジはどぎまぎした。


「グレンバーンさん。炎をまとった拳足による空手技で悪魔を粉砕する閃光少女。かっこいいですわよねぇ。ワタクシも憧れますわ」

「で、ですよね!僕もそう思います」


 ケンジもまたグレンバーンに憧れている少年の一人だった。別に彼だけが特別ではない。女児ばかりではなく、男子からも人気があったのがグレンバーンだ。さながら、少年がプロレスラーや、武器を持った兵士に憧れる気持ちに似ている。


「実は僕、たまたまグレンバーンが戦っているシーンを撮ることができたビデオを持っているんですよ!かっこいいですよね!僕、もう何回も巻き戻して見ちゃって!」

「あら、そういうビデオでしたら、ワタクシは何本も持ってましてよ?」

「お姉さんが!?」


 ケンジが振り向くと、少女と自分がキスしそうな距離まで顔が近づいていたことに気づき、彼の心臓が早鐘を打つ。さらに少女はケンジの顔を撫で、耳元にそっとささやく。


「………………今のがワタクシの名前ですわ。ワタクシはグレンバーンさんの友人ですの。もしもあなたがワタクシの名前を誰にも話さなければ、ワタクシは明日、この時間、この場所で待っていますわ」

「は、はい!約束します!」


 少年は恋を知った。それから毎日、放課後の決まった時間になると、彼は必ずその少女に会いに行った。少女はたしかにグレンバーンの友人らしい。閃光少女の秘密をこっそり教えたり、時にはビデオカメラを持ってきて、グレンバーンの動画をケンジと二人で見た。二人の逢瀬には、ただ一つだけルールがあった。少女の名前を誰にも言わないことだ。紙にすら書いてはいけない。ただその一つのルールさえ守れば、ケンジは彼女に会うことができた。


「僕はお姉さんのことが好きです!」


 ケンジの告白を聞いた少女は、しばし沈黙する。真顔でしばらく見つめ合っていたが、やがて少女は輝くような笑顔を見せた。


「うれしい!ワタクシもケンジ君のことが好きですわ」


「お姉さん、どこに行くの?」


 ケンジは少女に手をひかれ、どんどん山の奥へ入っていく。


「この山の奥には温泉がありますの。道が険しすぎて誰も利用していませんが、ワタクシは良い道を知っていますわ」

「温泉?お姉さんと一緒に入るの?」

「いけなかったかしら?」

「……」


 ケンジは赤面してうつむく。しかし、歩みを止めることはない。


 やがて二人は乳白色に濁った泉へ到着した。ときどき沸騰したような泡が水面に浮かんでくる様子は、たしかに温泉のようだ。ケンジは着ていた服を脱ぎ、おそるおそる温泉へと入っていく。そこに少女の姿は無かった。さすがにケンジの着替えを覗いたり、自分が服を脱ぐ姿を見せるつもりは無かったらしい。さすがにそれはそうだとケンジも納得するが、妙な期待をしてしまう自分の心を抑えられなかった。


「わっ!?」


 誰かに後ろから抱きつかれて驚くケンジ。


「うふふ、びっくりさせちゃいましたわね」


 裸のお姉さんの体が自分の背中に密着している。ケンジは興奮を隠せなかった。


「気持ちいいでしょ?」

「えっと、何が?」

「温泉よ」

「ああ、はい」


 二人はしらばく体を重ねて乳白色の泉をただよっていたが、やがて少女はケンジの耳元にささやく。


「ケンジ君……ワタクシと一つになりませんこと?」

「えっ、お姉さんと一つ?それってどういう?」

「言葉通りの意味ですわ。ワタクシと一心同体になる。それはとても気持ちのいいことですわ。温泉よりも」

「でも、僕にはそんなこと……わかりません」

「ワタクシに全てをまかせてくださいまし。でも、ワタクシはケンジ君が好き。だから、あなたの合意無しにそんなことは致したくありません。だから返事を聞かせて……『はい』か『いいえ』か……」

「……はい」


 その瞬間、ケンジの世界が変わった。少女との体の境界線が解けていき、自分がこの大地と一体化したような全能感を覚えた。体がどんどん柔らかくなって溶けていく。


「ワタクシとずっと一緒に生きましょうね。ケンジ君……」


 田口ケンジの捜索願が出されたのは、それから3日後のことだった。


「あ、悪魔じゃあああっ!!ワシの孫は、山に住む悪魔に殺されたんじゃああっ!!」


 ケンジの祖父、田口トモゾウが涙ながらに訴える。


「どうして警察はワシの言うことを信じてくれんのじゃあっ!?なぜあいつを野放しにするんじゃ!?この世の正義があてにならんのなら、一体ワシらは誰を頼ったらええんじゃあああっ!?うぅ……」


 それから1年。田口ケンジの消息は、現在も未だ不明である。


 城南地区自然公園の近くに一軒家がある。大きなその家は、とある不動産会社の社長が、冬の間ときどき別荘として利用するものだ。その家に一人で住んでいる社長の娘、神埼ヒカリは市立城南高校の3年生である。しかし、今日も学校を休んで病院に行っていた。珍しく診察が正午までに終わってしまい、遅めの昼食をとった彼女は、少し時間を持て余した。

 和室に正座して本を読んでいたヒカリは、ふと窓から見えるガレージに目を移す。両親が不在なので、そこに駐車されるべき車は無い。そのかわり、そこにはサンドバッグが吊るされている。格闘技の稽古をするためだ。


(しかし、主治医からは止められていましたね……)


 ヒカリは再び本に目を落とす。

 ヒカリは城南高校空手部に所属していた。身長150cm、几帳面に揃えられたボブカットを乗せた童顔の彼女は、他校の多くの選手に誤った印象を与えた。つまり、弱そうに見える。が、強い。彼女は病欠が多いためキャプテンでこそなかったが、空手部の誰よりも速く、強かった。もっとも、最近は手痛い敗北を経験しているが。


 午後4時を過ぎた。その時、玄関のチャイムが鳴る。


「はーい!」


 そう返事をしたヒカリであったが、しかし奇妙に思った。


(今は5月。両親を訪ねてくる客などいないはずだし、空手部の人たちが来るにしても、部活が終わってから来るのだから午後5時は過ぎるはずです。誰でしょう?)

「今開けます」


 内側からドアを開いたヒカリには、最初何が視界に入ったのかわからなかった。自分の目の高さにあるのが女性のバストであることにやっと気づくと、視線を上に向ける。その顔には見覚えがあった。


「あなたは1年の鷲田アカネさん」

「すみません、神埼先輩。突然お邪魔しちゃって。最近、病欠ばかりしていると聞いて、お見舞いに来たんです。ご迷惑でしたか?」


 鷲田アカネ。同じ城南高校に通う1年生の女子だ。身長は170cmもあり、武勇伝には事欠かない。空手部顧問の寺田先生が、彼女を空手部へ勧誘するために自分と試合をさせたのは最近のことだ。結果、善戦はしたつもりだが、彼女の胴回し回転蹴りに敗れている。あれほど綺麗に負けるのは久しぶりだった。

 そんなアカネが殊勝な態度でその大きな体を丸めている。なんだかその様子がいじらしく見えたヒカリは快く彼女を招じ入れることにした。


「迷惑だなんて、とんでもない。ちょうど時間を持て余していたところです。どうぞ中へ」

「それでは、すみません。お邪魔します」


 アカネが神埼邸へ訪問しようと思っていたのは、ヒカリと試合をしてからすぐのことだった。しかし、最近の魔女騒ぎに翻弄され、すっかり時期が遅れてしまったのだ。


「すごい、大きいお屋敷ですね!」

「両親の別荘で、今は私が一人で住んでいます。贅沢ですけどね。父も母も仕事の都合で職場の近くから離れられないのですよ」

「どうして一人で?」

「病院が近いからです。城南の中央病院は設備がいい。だから、最近城西から引っ越してきました」


 たしかに、ところどころの部屋に、まだ開封されていないダンボール箱が積まれていた。


 和室にアカネを案内したヒカリは、彼女を上座に座らせる。さっきまで見ていた本を片付けようかと手にとるが、思いなおして、その本をアカネの方へ寄せた。


「お茶を淹れてきます。退屈でしたら、その本でも読んでいてください」

「そんな!悪いですよ、先輩!せめて手伝います!」

「ふふ、お茶を淹れるのに何のお手伝いですか?私はそこまで病弱ではありませんよ」


 ヒカリは面白そうに笑いながら席を立った。


「ただし、緑茶しかないことには文句を言わせませんから」

「恐れ入ります……」


 そう頭を下げて部屋から出ていくヒカリを見送ったアカネは、ヒカリに差し出された本のタイトルを読む。


『日本武道史』


 内容は文字通り、日本の古代から現代までの武道の歴史をまとめた本のようだ。なんだかヒカリ先輩の勤勉な人柄がうかがえるようだ、とアカネは思った。


 まもなく座卓を挟んでヒカリとアカネは茶を喫した。ヒカリはピシッと正座の姿勢を崩さない。アカネは、さすがにここで自室のように大あぐらをかくわけにはいかないので正座をしているが、少し足がしびれるのか、ときどきもぞもぞと動いた。


「テレビ、置いていないんですね。退屈しません?」

「私は本を読む方が好きですので」


 最初はそんな他愛のない話をしていたが、自然に話題は以前やった試合のことになった。


「あの蹴りは強烈でしたね。あの胴回し回転蹴りはビデオで何度か拝見していましたが、見るのと自分で受けるのとでは大違いで」

「その節はいろいろと失礼しました。お体に差し障りが無ければよかったのですが……」

「たしかに強烈でしたが、まぁ空手をしているとよくあることです。別に後遺症はありませんよ。病院通いは前からの持病のようなものです」

「でも、あの時は納得できる勝負にならなかったというか……」

「はい?」


 ヒカリは少し怪訝な顔をする。


「アカネさんが勝ったではありませんか」

「たしかに試合には勝ちました。でも、勝負には負けていたと思います。最初に油断して一本をもらい、投げられてからの突きで一本。私は最後に消極的な戦いをして一本を取り返しただけです」

「アカネさん」


 ヒカリが自分の湯呑を座卓へ置いた。

 アカネがヒカリの顔を見ると、そこから笑みが消えていた。怒っている、というのとはまた違う、真剣な顔がそこにある。


「アカネさんは私を侮辱するためにここに来たのですか?」

「い、いいえ、違います!すみません、言葉使いが悪かったのでしたら謝ります」


 ヒカリは首を横にする。


「あなたと私は、お互いに自分の才を尽くして戦った。それなのに、あなたがその勝利に疑問を感じていては、私の立つ瀬がないではありませんか」


 アカネは気まずそうにうつむいて、耳を傾ける。この場合、むしろ怒鳴られないことの方が辛い気がした。


「きっとあなたは、私より空手の才能があったことに負い目を感じているのでしょう?ですが、それは無用な同情というものです。才能がある者がその才能を存分に振るって戦うのは当然のことです。私は強くなりたいから空手をやっています。しかし、強くなりたいというのは、つまり今の自分が弱いと認めることでもあります。今に私は努力してあなたを超えたいと思っているのです。あなたもしっかりしてください」

「本当にすみません、アタシ……神崎先輩を、無自覚に見下していたんですね……」


 座卓に重ねた両手に視線を落として顔も上げられないアカネはやっとそう言った。そんなアカネの両手を、そっと包むようにヒカリは手を乗せた。いつの間にか、ヒカリの顔に微笑みが戻っていた。


「きっと、あなたは私が空手をやめるかもしれないと心配してここに来たのでしょう?その心配はありませんから安心してください。それに、空手には無い投げ技を受けて、不覚をとったと思えるその根性は好きですよ」


 アカネの顔が少し赤くなった。ヒカリが立ち上がる。


「戸棚にクッキーがあったのを思い出しました。持ってきますね」


「ところで、その空手には無い技について聞きたかったんです」

「ああ、あれですか」


 クッキーをつまみながらヒカリが答える。


「以前習っていた古武道ですよ。投げや寝技、関節技もあって、油断するとクセで出てしまうのです」

「アタシはその技を使う魔法少女に助けられました」

「うん?」


 話が変な方向へ行ったな、とヒカリは思った。


「その人は、低い姿勢で敵の懐に飛び込んでいって、すごい速さで縦拳突きを連打したんです。それで相手が逃げようとしたら、ちょうど先輩と同じように投げ倒して、腕を極めてから上からの突きを……」

「ちょ、ちょっと待って!」


 ヒカリがアカネの話をさえぎる。


「話が見えてきません!もしかして、あなたはその魔法少女の正体が私だと思っているのですか!?それにその手……」


 アカネの右手に、いつの間にか赤い宝石の指輪がはめられている。


「先輩、少し広い場所はありませんか?可燃物が置いていないような」


 ヒカリと一緒にガレージへと入ったアカネは、空手の型で精神を集中させる。


「先輩、見ていてください。アタシの……変身!!」


 アカネの体が炎に包まれてヒカリは驚愕した。さらに驚愕したのはアカネが閃光少女であったとわかったからだ。炎から現れたその戦士の名前をヒカリは当然知っている。


「グレン……バーン……!?」

「そうです。アタシは閃光少女のグレンバーンです。だから先輩も教えてください。先輩は蜘蛛の魔女と戦った暗闇姉妹、トコヤミサイレンスなのですよね?城西地区でも蝙蝠の魔女を倒したんですよね!?どうかアタシたちの助けになってほしいんです!」


 その言葉を聞いたヒカリは心底申し訳ない顔をつくる。


「本当に、本当に申し訳ないのですが……私はアカネさんが思っているような魔法少女ではありませんよ……」

「えっ!?」


 驚いたアカネは自然と変身が解けてしまった。


「でも、いくら変身していても戦い方まではごまかせないですよ!先輩以外にあんなすごい戦いができる人をアタシは知りません!」

「偶然でしょう……私が習っていた武術、澤山流拳法は、何も私一人だけが知っている格闘技ではないのです」

「そう……ですか」

「ごめんなさい、期待を裏切ってしまったみたいで……」

「そんな、先輩が悪いんじゃないですよ。アタシが一人、勝手に空回っただけのことです」


 そうは言うものの、アカネは落胆を隠せなかった。きっと、尊敬の念を抱いた先輩が、暗闇姉妹であってほしいという願望が自分にあったからこうなったのだ。


「秘密を明かしてくれたお返し……というほどの事でもないのですが、私の話を聞いてくれますか?」

「あ、はい。もちろんです」


 アカネに背を向けて、吊るされたサンドバッグを撫でながらヒカリがそう尋ねると、アカネはすぐに同意した。


「実は私は、あと数年くらいしか生きられないのです」

「うそっ!?」


 あまりに衝撃の告白でアカネはそれ以上言葉が出ない。


「私も医者ではないので、くわしくは説明できないのですが。筋萎縮性なんとか……だとかで。だんだん筋肉が衰えていって、最後には体が動かなくなって死んでいく病気です。今のところ、発症を遅らせることはできても、治療はできないそうです」

「そ、そんな……」


 残酷なことがあるだろうか?拳を交えたアカネは、彼女が強くなるためにどれだけ厳しい鍛錬を積み重ねてきたか手にとるようにわかっている。その成果が、このような神のいたずらのごとき病気でぶち壊されるのだ。理不尽というしかない。


「落ち着いてください、アカネさん。人はいつか死ぬものです。鍛錬の成果も例外ではありません」

「でも……でも、あと数年だなんて、早すぎます!どうして先輩は希望をもって生きられるんですか!?」

「絶望とは状況ではなく、心の状態でしかないからですよ」


 そう言って振り向いたヒカリの顔は笑っていた。この世にこれほど眩しい笑顔があるのだろうかと、アカネは泣きたくなった。


「『死ぬときは例えドブの中でも前のめりに死にたい』という坂本龍馬の言葉がありますよね?」

「はい、有名ですよね」

「あれは嘘ですよ」

「へ?」


 アカネは面食らう。


「坂本龍馬がそういう言葉を残したという記録はありません。でも、いい言葉でしょう?本当に坂本龍馬が言っていたとしても不思議とは思えない、いい言葉。この言葉が私の座右の銘なのですよ。例え最後はどうなっても、私は死ぬ瞬間が来るまで、この生命の意味を高めていきたい。強く生きたい」


 しばらく沈黙していたアカネがやっと口を開いた。


「どうして、それをアタシに教えてくれたんです?」

「たぶん、あなたの人柄を尊敬したからですよ。いみじくもあなた自身がそう言ったように、戦い方に現れる人格はごまかせないものです。それに、なんだか私だけあなたの秘密を知っているのは不公平でしょう?あなたがフェアな戦いを望んでいるように、私だって、閃光のように生きた人間が他にもいたんだぞ、って憶えていてほしいと思ったのです。他ならぬ、あなたに。学校のみなさんには内緒ですよ?同情されるのは苦手ですからね」

「……わかりました」


 アカネはヒカリに握手を求めた。


「アタシ、神埼先輩と出会えて良かったです。あなたの事を心から尊敬しています」

「ヒカリでいいですよ、アカネさん。私もグレンバーンと会えて光栄でした。閃光少女としてのあなたがどんな問題を抱えているかわかりませんが、正義は勝つと信じていますよ」


 ヒカリは玄関までアカネを見送る。


「先ほどお貸しした本、『日本武道史』にも澤山流拳法が載っています。あなたが探している人のヒントになるかわかりませんが、読んでみてください」

「なにから何まで、本当にありがとうございました。いろいろあったけど、ヒカリ先輩のおかげで元気が出ました」

「元気になれるなら、いつだって遊びに来てください。待ってますから」


 アカネが帰ったあと、ヒカリは空手着に着替えて、ガレージにあるサンドバッグの前で構えた。


「死ぬときは例えドブの中でも前のめりに、閃光のように」


 まもなく鋭い気合がガレージに響いた。


「正義は勝つ、か……」


 アカネは帰りのバスの中でそうつぶやきながら、手元の可愛らしいナイロン袋に目を落とした。食べきれなかったクッキーをヒカリ先輩が包んでくれたのだ。暗闇姉妹トコヤミサイレンスの正体を探る目的は果たせなかったが、アカネはすっかり満足していた。


(かなわないなぁ、ヒカリ先輩には。きっと、初めて拳を交えたあの日から、アタシはずっと、あの人が好きだったんだ)


 アカネを乗せたバスが夕日の光に飲み込まれていった。きっと帰ったらツグミが夕食を用意してくれているはずだ。クッキーはツグミと一緒に食べようとアカネは思った。


 城北地区、下山村。現在。

 パソコンが設置されている書斎である。失踪した田口ケンジの祖父、田口トモゾウは、甥が操作するパソコンの画面を静かに見つめていた。


「見つかりましたよ、おじさん。このホームページで間違いないようですね」


 トモゾウの甥はインターネットブラウザーに表示された画面をトモゾウに見せた。


「ああ、間違いない。これじゃろう……!」


 孫を探し続けて焦燥しきっていたであろうトモゾウが、しかしその目に再び暗い炎をとりもどす。モニターにはこう表示されている。


 一筆啓上、差し上げます。

 あなたの力で晴らせない、だれかの怨みを晴らします。

 あなたに代わって許せない、人でなしども消し去ります。

 いかなる相手であろうとも、どこに隠れていようとも、仕掛けて追い詰め始末します。

 天罰代行、暗闇姉妹 かしこ


 そのホームページの名前は『天罰必中暗闇姉妹』である。トモゾウがその噂を偶然耳にし、甥にこうして調べてもらったのだが、はたして噂は本当であった。甥がトモゾウに問いかける。


「しかし、おじさん。これはどう考えても……」

「わかっておる。金銭次第で命を奪う。これはまさに悪魔の所業よ。だがなぁ……」


 トモゾウは握りしめていた紙を甥に押し付ける。そこには失踪事件について、トモゾウが知る限りの情報が書き連ねてある。この情報をパソコンが使えない自分にかわって甥に打ち込んでもらうのだ。ただ最後に「この怨みをどうか晴らしてください」と付け加えて。


「神も仏もこの世にいない。この世の正義はあてにはならない。悪魔が微笑むこの時代、ならば仇は悪魔で討つ!例えその結果、わしは全てを失おうとも……!」


 薄暗い整備工場の中で、一人の女性が『天罰必中暗闇姉妹』に書き込まれた新しいスレッドに目を通す。


「ふーん、なるほど。城北地区、下山村ねぇ」


 彼女はハンガーにかけていた白衣に袖を通した。


「どうやら、我々が本格的に動き出す時期が来たようだ」


「床上手な処女を見つけてきましたよー!!」


 自称探偵の魔法少女、中村サナエが部屋に入るなりそう叫ぶと、和泉オトハは唖然とし、村雨ツグミは赤面し、鷲田アカネは飲みかけの緑茶を盛大に吹いた。


「いきなり何を言い出すのよ、このおバカ!」

「ぎゃふん!?」


 ここはアカネのアパート。居候をしているツグミに加えて、オトハもこの部屋に集まっていた。今アカネに湯呑をぶつけられて鳴き声をあげているサナエに、大切な話があると呼び出されたからだ。


「えーっと、アッコちゃん落ち着いてよ。それにおギンちゃんも、ちょっとわかるように話してくれないかな?なんのことだか、わけがわからないよ」


 とオトハ。ちなみに、アッコちゃんとはアカネの愛称で、おギンちゃんはサナエのあだ名である。余談だが、オトハはたまにツグミをセンパイと呼んだりもする。


「なんの話って?忘れたのですかオトハさん!例の仲間の件ですよ」

「例の仲間の件?それで床上手な処女?……あー、あれかー!」


 それは城西地区で蝙蝠の魔女による襲撃事件が起こった日の夜だ。城南地区にあるアカネのアパートまで帰ってきたサナエとツグミは、玄関でオトハに出迎えられた。


「オトハちゃん来てたんだね」

「おかえりツグミセンパイ。それにおギンちゃんもお疲れ様でした。城西地区の件はテレビで見ましたよ」


 オトハは自分の正体をサナエに開示し、是非自分たちの仲間になってくれるよう頼んだ。無論、サナエは快諾する。


「鉄の船に乗ったつもりでまかせてください!」

「うむ!良きに計らえ!」

(オトハちゃん、うまくサナエちゃんを操縦しているなぁ)


 ツグミは感心している。


「ところで二人にこれから話しておきたいことがあるんだ。ガンタンライズ、つまり糸井アヤさんを誘拐した犯人から電話があったんだよ。きっとアヤさんは生きている。でも、助けるために作戦を考えなきゃ。中でくわしく話すんだけど……」


 と、アヤの名前が出て緊張するツグミにオトハが追い打ちをかける。


「アッコちゃんにはもう先に話したんだ。それでちょっと今、ヒートアップしていてね。立てば猛将、座れば明王、燃える姿は本能寺、みたいになっているから気をつけてね」

「うわぁ……」


 オトハが忠犬ハチ公のごとく玄関でサナエたちを待っていた理由は、部屋に入るとすぐにわかった。般若のような顔をしてあぐらをかいているアカネが、「ただいま……」と小さな声で言うツグミへ、その鬼の顔のまま笑ってうなずく。


「オトハちゃん、アカネちゃんは魔法を使っていないんだよね?なんか燃えているように見えるけど……」

「大丈夫、ちょっかいをかけなかったら火傷しないから」

「地獄からの求人待ったなしですね」

「聞こえてるわよ?」

「ひぇ」


 小声で話す3人が一斉に縮みあがった。


 それはさておき詳しい経緯の説明と今後の計画である。魔法少女たちがつくる新世界秩序を拒否して、オトハがオウゴンサンデーに宣戦布告した経緯について説明した。問題は今後だ。オウゴンサンデーがなぜ暗闇姉妹ことトコヤミサイレンスを求めているのか不明だが、こちらがわざとそうしなければ敵の手に落ちる心配はないだろう。単純に強いからだ。しかし、やはり糸井アヤ/ガンタンライズを救助したければ、先制してオウゴンサンデーに仕掛けなければ埒があかない。それなら仲間をもっと増やしたいところだ。情報面もきびしい。この日サナエやツグミが出かけて調査したように、足で調べるのは時間がかかりすぎる。蝙蝠の魔女を倒せたのは、偶然と、あくまで事前の長い調査のたまものでしかない。学生として不審な行動はとりづらいアカネとオトハが平日は動けないこともあり、圧倒的にマンパワーが足りないのが現状だ。


「ねぇ、オトハちゃん。そのオウゴンサンデーという人がやっていることを公表して、他の県から魔法少女の仲間を集められないかな?誘拐とかテロとか、革命を考えるとか、やってることはむちゃくちゃだよ?」


 ツグミは意見を述べる。意外と度胸が座っているツグミは、オウゴンサンデーからアヤを取り戻すためなら危険も辞さない覚悟だろう。もっともオトハの目から見れば、ツグミの度胸は、記憶喪失ゆえに『最強の閃光少女』『人類の救世主』『悪魔も泣き出すハンター』といった肩書を知らないことからくる、無知のせいだとも思った。


「残念だけど、『最強の閃光少女』様の権威は絶大だよ。信じてもらえないどころか、おそらくサンデー側がすでに手を回していると考えた方が妥当だね。迂闊に他県の魔法少女に会うのはリスクでしかない。それに、魔法少女を否定している現人間社会を苦々しく思っているのは、オウゴンサンデーだけではないだろうからね。魔法少女社会に変えようとする革命に賛同する同士が多いのは、きっと嘘ではないよ」

「お、オウゴンサンデーさんが直接ワタシたちを狙ってくるのでしょうか~!?」


 そう疑問を呈するサナエは、頼れるみんなの鉄の船宣言をした以上は、通称『悪魔も泣き出すハンター』が怖くても引き下がれない状況に、顔を青くしている。


「たぶん直接遭遇する可能性は低いよ。『人類の救世主』という肩書がサンデーにとって利用価値があるうちは、表向きは悪事に見えるような活動はできない。これまでのように他の魔法少女を裏から動かすはず。それに、どうやら私たちの正体までは知らないらしい。知っていたらその情報で恫喝してくるだろうし、ね」

「もしも仲間になってくれるとしたら、人間社会を大切に想っているけれど、『人類の救世主』という肩書をなんとも思わない人……」


 ツグミは首をひねりながらつぶやく。


「いるのかな?そんな床上手な処女みたいな人……?」


「そして時は現在に戻ります!ていうか!先ほどの回想通り『床上手な処女』って表現を最初にしたのはツグミさんですよー!どうしてさっきから赤面して壁に顔を向けているんですか!?」


 と叫ぶサナエ。


「私、そんな大きな声で言ってないもん……」

「そうよ!アンタはデリカシーがないのよ!」


 アカネが援護射撃をする。


「うわ~ん!ツグミさんとアカネさんに対してワタシは一人、多勢に無勢です~!」

「はいはい、それでは私が助け舟を出しましょう。それで、そう言うってことは仲間になってくれそうな人が見つかったってこと?」


 オトハに水を向けられたサナエはやっと本題を切り出す。


「そのとおりです!ワタシのバイクと強化服を作ってくれた方です!魔法を悪用しているオウゴンサンデーさんとその仲間を、グレンバーンさんとアケボノオーシャンさんがやっつけようとしている、って話したら、是非協力したいって言ってくれましたよ!」

「その人の名前は?魔法少女なの?」


 とアカネがサナエに尋ねる。


「そこはこの道の淑女協定によりワタシの口からは明かせません。逆に、まだ先方にはあなたがたの正体も明かしていないのです」


 淑女協定というのは、例え味方同士でも本人以外の口からは正体を明かさないという、魔法少女たちの不文律のことだ。しかも、今の場合は信じていいのかさえ疑わしい状況だ。サナエが一方的に騙されている可能性も否定はできない。

 ツグミは、そういえばバイクを作った人の名前をサナエの口から聞いたことがある気がしたが、今は思い出せなかった。ツグミは、サナエが信用している人なら、仲間になってもらえばいいのではないかと思った。しかし、閃光少女の二人は用心深い。


「どうするオトハ?」

「とりあえず会ってみたいけれど、ここに呼ぶのは危険が危ないかな。私たちがその人の家に行って会うというのも難しいかも」

「それでは、金曜日の夜にワタシの家で会うというのはどうでしょうか?先方は暇な人ですし、アカネさんとオトハさんも土曜日は学校がお休みですから都合がいいでしょう」

「私もついていってもいいかな……?」


 ツグミが恐る恐る尋ねた。閃光少女の二人は顔を見合わせる。


「もちろん、いいわよ。アヤちゃんが心配なのは、ツグミちゃんだって同じだもの。でも、念のため顔を隠した方がいいわね。アタシたちも変身した状態でその人に会うことにするわ」


 金曜日の夕方になった。目的地近くのバス停でバスを降りたツグミは、そのまま徒歩で向かう。サナエが事前に説明してくれた通り、まもなく鳥居が見えてきた。

 犬神山神社である。社殿こそ小さいが、敷地自体は広く、春になると桜が咲き乱れ、花見客で賑わう。とはいえ5月現在、桜はもう散っているが。御社殿、つまり神様の家に向かう参道の脇に社務所がある。いわゆる巫女の控え場所で、中村サナエはそこで寝起きしていた。御守り等を販売する授与所がそこに併設されており、勝手に掲げられた『中村探偵事務所』の看板の下から、サナエが手を振ってツグミを歓迎した。


「ここがサナエちゃんのお爺ちゃんが神主をしている神社?」

「はい。もっとも、お爺ちゃんはもういい歳ですからほとんどいません。若い別の神主さんにまかせていることの方が多くて、ほとんど名義だけですけどね」


 そして(自称)探偵業をしていない時はこの神社の巫女として働いているはずだが、サナエはジャージを着ていた。


「あはは!普段からあんな面倒くさい服を着ているはずがないじゃありませんか。あんなのはお正月の時だけですよ」


 文句を言う人もいないのであろう。神社を訪れる人間は他に誰もいなかった。雇われ神主もすでに帰宅している。これなら魔法少女たちの密会にも都合が良さそうだ。サナエとツグミが社務所でテレビを見ながら1時間ほどくつろいでいると、やがてアカネが到着した。


「変身!」


 すぐにグレンバーンの姿に変わる。周りから関連を怪しまれないように、念のため時間をずらして集合することにしていたのだ。最後に来るオトハはスクーターで自由に動けるので、指定時間の直前に到着することになっている。到着した彼女は、すでにアケボノオーシャンへと変身していた。


「みんな~お待たせ~」

「閃光少女がスクーターに乗って現れるのって妙な絵面ね……」


 約束の時間となった。ツグミが駐車場に現れたライトの光を指さす。


「あれ?今入ったミニバン、あれがその人じゃない?」

「そうですね!」

「ツグミちゃん、マスクで顔を隠して」


 すっかり日が落ちた神社。社務所についた外灯だけが閃光少女たちを照らしていた。すらっと背の高い人影が、参道を歩いてくる。暗闇で顔や服装は見えないのだが、赤い瞳だけが爛々と輝いている。やがて外灯が、やってきた人物の姿をあらわにした。


「やあ、みんな。君たち閃光少女の噂はかねがね聞いているが、直接会うのは初めてだねぇ。ごきげんよう。私は西ジュンコ。君たちに協力を申し出た者だ」


 白衣を着たその女性が、そうあいさつする。


「こんばんは!ジュンコさん!」


 サナエ一人が気軽にあいさつを返すが、他の3人はジュンコの雰囲気に圧倒されていた。


「これはたしかに、床上手な処女かもしれない……」

「コラ!」


 失礼なことをつぶやくオトハを叱りながらも、アカネも似たような感想を抱いた。いたいけな少女のようでもあり、妖艶な熟女のようでもある。線の見方によって若い女性にも老女にも見えるだまし絵があるが、ジュンコはそれと同じように、矛盾した美しさをその容貌に兼ね備えていた。腰まで長い黒い髪は、どこかツグミにも似ている。ただし、ツグミと違って癖毛は無い。墨を流したような髪が光を吸いとるように臀部まで流れている。顔にも鬱陶しいほど前髪がかかっているが、彼女自身は意に介さず、その奥から赤い瞳を光らせていた。


「あなたも閃光少女なのですか?」


 ツグミの質問にジュンコは答える。


「いいや、違うね。私は西ジュンコと名乗ったはずだが?閃光少女でもなければ魔女でもない。というより、魔法少女ではないのだよ。まぁ、君たち流に呼びたければハカセホワイトとでもなんでも呼べばいい」

「ハカセ……博士ねぇ。どこかの研究員さんですかねぇ?」


 とオーシャンが首をひねる。


「私はしがない整備工さ。ただ、たまに発明品を作っているよ。サナエ君のバイクと強化服を作ったのは私であると彼女から聞いているのだろう?私はとある理由から魔導具を制作することができるのさ。それに、自慢するようだが私は顔がひろい。情報面でも君たちをサポートできるはずだ」

「どうしてアタシたちに協力しようと思ったんですか?」


 グレンが当然気になる質問をする。


「その前に君たちに質問したい。君たちは人間が好きかね?」


 あまりにも直截な物言いに、むしろ返事が遅れてしまった。


「もちろんですよ!」

「はい」

「そりゃ、まぁ我々も人間ですし」

「ムカつく奴もいるけど」


 ジュンコはその返事に満足して言葉を続ける。


「ああ、私も人間が好きだ。欠点だらけのこの素晴らしい世界を愛しているのさ。しかし、その世界の姿を魔法で変えてしまおうとする者がいる。魔法を使ってエゴを満たそうとする魔法少女たちの姿を、君たちも知っているはずだ。本来この世界にはありえなかった魔法で、それを知らない人間たちを踏みにじっている。虐げられた人々は誰に助けを求めればいい?神か?仏か?私は魔法をこの世界に広めてしまった者の一人として、彼らの助けになってあげたいのだよ」

「魔法を世界に広めてしまった者の一人?」


 オーシャンが口を挟むがジュンコは言葉を続ける。


「殺された人間たちの晴らせぬ恨みを晴らし、人でなしに堕ちた魔法少女を消す。君たちに求めるのは同族殺しだ。すでに経験はしているようだが改めて問いたい。君たちは暗闇姉妹の後継者になる覚悟はあるかい?」

「暗闇姉妹の後継者……!?」


 グレンは息を呑む。


「そう、私は君たちのような者が現れるのをずっと待っていたのだ。そのために、私は『天罰必中暗闇姉妹』というホームページを作った。真に追い詰められ、助けを求める者であれば、そのホームページへとたどり着くことができる。彼らはそこに、人でなしどもへの制裁を願うのさ。そして、闇に裁く仕事は君たちに頼みたい」


 その言葉を聞いて、しばらくは誰も、何も答えられなかった。人を殺してほしい。改めてそう頼まれると、返事を躊躇するのが当然の反応だろう。もともとジュンコを引き合わせたサナエでさえ、こんな事は初耳だった。


「すぐに返事ができない気持ちも、よくわかる。だが、まずは『天罰必中暗闇姉妹』を見てみないか?私の工場まで車で送ろう。そこにパソコンが置いてある。それに、何も君たちにばかりお願い事をするつもりはない。もともと私とオウゴンサンデーの思想とは相容れないのがわかっただろう?人でなしを誅殺する傍ら、誘拐された友人の手がかりも一緒に探そうじゃないか」


 そう言うとくるりと閃光少女たちに背を向けて、駐車場へ向けて歩き出すジュンコ。


「待ってください!」


 そんな彼女の背中に思わずグレンは問いかけた。


「あなたは、もしかして……神なのですか?」


 人間を愛し、そして意図せず魔法を広めてしまった者。グレンがイメージしたのはそれだった。しかし、ジュンコは笑いもせずに振り返り、赤い瞳を光らせながら答えた。


「私は君たちが悪魔と呼ぶ者だ」


 その言葉に、サナエ以外の少女たちが一斉に驚いた。


「な、な……なんですって!?」


「アカ……グレンちゃん、ついてこなかったね」


 ツグミは後部座席に揺られながらそうつぶやいた。ジュンコが運転するミニバンが、静かな夜の道を走っている。助手席にはアケボノオーシャンが座っていた。しかし、サナエとグレンバーンの姿は無かった。


「おギンちゃんが一緒に残っている。ハカセの工場の場所は知っているらしいから、グレンの気が変われば後で連れてきてくれるよ、きっと」

「しかし悪魔であることでこうも嫌われるとは意外だったねぇ。物別れに終わるとは実に残念だよ」


 言葉とは裏腹にジュンコは、この反応を興味深いとばかりに笑みを浮かべている。


「悪魔と戦う閃光少女の宿命かな?でも、アケボノ君。君はたいして葛藤が無さそうだねぇ」

「私は花より団子ですから。でも、グレンにとって悪魔は家族の仇なんですよ。特に、人間に姿が変わる悪魔は地雷で。……すみません、ハカセの前でこんな事を言うのもなんですが」

「悪魔としての私の生命は個体として完結している。縁もゆかりも無い別の悪魔の話に気を悪くはしないさ」

「あ……もしかして、家族みんな……だからグレンちゃんは一人で……」


 アパートに暮らしていたのか。ツグミはその気持ちを想像すると、とたんに寂しく、悲しくなった。


「知らなかった」


 ふと、グレン/アカネが以前言っていた言葉を思い出す。


「『行ってきます』って朝家を出ていった友達が、夕方になっても『ただいま』って家に帰ってこない。そんなのって、なんだか悲しいでしょ」

(アカネちゃんは、きっとその逆の出来事を経験したんだ)


 ジュンコはコンビニの駐車場へ車を停めた。


「小腹が空いたから何か買ってくるよ。君たちも何かいるかい?」

「チーズバーガーとコーラが欲しいです、ハカセ」

「じゃあ、すみません、私もそれで……」


 ツグミはともかく、閃光少女のアケボノオーシャンをコンビニに連れ込むわけにもいかないので、ジュンコは自ら車を降りた。ただ、ツグミも車内に残すことにする。


「ツグミ君……だったよね。気になるのだろう?」

「えっ?」

「グレンバーンの過去の話さ。私は他にもいろいろ買っておこうと思う。その間にアケボノオーシャン君が聞かせてくれるんじゃないかな?」


 オーシャンはニヤリと笑う。


「空気を読むのが上手ですね~ハカセ」

「それが人間社会に溶け込む秘訣さ」


 ジュンコのミニバンに少女二人が残された。後部座席に座っているツグミからは助手席のオーシャンの顔は見えない。やや間をあけて、なるべく平静な声でオーシャンは語り始めた。事実だけをかいつまんで、簡潔に。閃光少女グレンバーン誕生の物語を。


 鷲田アカネ、当時13歳。

 彼女は郊外にある一戸建ての家に、両親、そして双子の妹と共に暮らしていた。家の中の空気は最悪だった。朝から父と母が怒鳴り合う声で目を覚ますと、隣で寝ていた妹のモミジが涙を流して震えていた。アカネはもはや両親には愛情を感じていない。だが、この双子の妹だけは別だ。愛している。だからこそ彼女が精神を病む原因を作った両親が許せなかった。両親が離婚をするのは勝手だ。だが、そのせいで最愛の妹が苦しみ、その上姉妹の親権が父と母にそれぞれ移ることで、別れなければならないのが、アカネには何よりも辛かった。


「ちょっとアカネ!『行ってきます』くらい言いなさい!」

「……」


 母を睨みつけ、家を無言で出るアカネは、これが母から聞く最後の言葉になるとは知る由もなかった。


 放課後、学校からの帰り道でアカネは意外な者と出会う。


「あれ?モミジ?」


 とても家から出られなかったはずの妹、モミジがアカネを迎えに来たのだ。


「今日はなんだか気分が良いもので。散歩がてら、お姉さんを迎えに来たんですよ」


 粗暴な姉と違って、妹は大和撫子のような喋り方をする。


「そう……なら、良かったわ!」


 姉妹に笑顔が戻るのは久しぶりだった。良い事はさらに続いた。


「あら、アカネにモミジ。おかえりなさい」

「た、ただいま……?」


 母は、なんだか今朝とは別人のように優しい笑顔で姉妹を出迎える。


「アタシ、あなたたちに謝らなくちゃならないわ。お父さんと離婚するのは、やめることにしたの。今まであなたたち二人を苦しめてきて、本当にごめんなさい。これからはきっと、あなたたちにとって良い母親になるから」

「う、うん……」

「ただいまー!」

「あ、お姉さん。お父さんが帰ってきましたよ」


 父はケーキの入った箱を手に下げて帰宅した。


「駅前のケーキ屋で買ってきたんだ。大人気のイチゴタルト、二人とも好きだろ?」

「まあ嬉しいわ、お父さん。でも、これって高かったでしょう?」


 モミジの言葉に父はウインクして応える。


「なあに、家族の再出発のお祝いさ。うん?どうしたんだ、アカネ?」


 アカネはもじもじとうつむいていたが、やがて口を開いた。


「その、アタシ……お父さんとお母さんに反抗ばっかりしていて……ごめんなさい」


 両親はお互いに顔を見合わせていたが、やがて二人とも大きな声で笑った。


「そんな事を気にすることはないよ。僕たちは家族じゃないか。今までの事は水に流して、これからはみんなで仲良く暮らしていこうよ」


 両親も笑った。妹も笑った。アカネも笑った。

 モミジはすっかり体調が良くなり、二人で一緒に学校へ行けるようになった。


「ただいま!」


 家に帰れば優しい両親が待っていた。アカネはとても幸せだった。その日が来るまでは。


 休日。たまたま一人で留守番をしていたアカネは、猫の鳴き声に気がついて外に出た。


「あれ?ブンタ?」


 ブンタと名付けていた鷲田家の飼い猫である。両親が離婚をやめた日、なぜか家から逃げ出していたのである。何かを訴えるように、納屋の扉を手で押している。


「もうブンタ、どこに行ってたの?そこには何もないわよ?」


 アカネはブンタを抱きかかえるが、しかしその腕からブンタは何度も逃れ、しきりに納屋の周りを回っている。


(この納屋は何年も使っていないのよ?ここに猫が食べるような物なんて無いはずだけど……)


 不思議に思ったアカネは納屋を開けてみる。するとそこに信じられないモノを見た。


(なん……なの……コレ……!?)


 そこに積まれていたのは両親の、妹の、死体であった。体中にハサミで切り刻まれたような傷跡があるが、血は流れていないし、腐乱臭もない。だが、間違いなく死んでいる。人間にできる殺し方ではない。そもそも、今自分が一緒に暮らしている家族は何なのか?


(悪魔の仕業)


 そうアカネが気づくのに時間はかからなかった。アカネにはこの場合2つの選択肢があっただろう。閃光少女に助けを求めるか、あるいは何も見なかったことにして、この幸せな生活を続けるか、だ。だが、アカネはそのどちらの道も選ばなかった。


「ブンタ。アンタは、これからは一人で生きていくのよ」


 アカネは猫の頭をそう言って撫でる。


「アタシも、これからはそうするから」


「ただいま」

「おかえりなさい!」


 アカネは家に帰ってきた悪魔たちを笑顔でむかえた。何も見なかったことにするのか?違う。アカネはこの日以来、閃光少女を見つけ出して弟子入りし、修行を重ねて、炎の魔法を身につけた。


「お姉さん、最近とても熱心に空手を稽古していますね」

「そうね。目標ができたからよ」


 他の閃光少女たちに家族の似姿をした悪魔たちを殺させたりはしない。家族を殺した悪魔たちは、必ずや自分の手で始末をつける。1年間、密かに血の滲むような修行をしてきたアカネは、ついにそれを実行に移した。


「あの……先輩、聞こえますか!?今炎上している家に到着したんですが……」


 鷲田邸の異変に気づいて駆けつけた閃光少女の一人が、電話で仲間に報告をする。


「悪魔はもう倒されたようです。燃える家の中から、紅蓮の……鬼が出てきました……!赤い鬼が……泣いています……!」


 鷲田邸は、家族と、そしてアカネにとって幸せだった思い出の墓標として、燃え上がった。かくしてこの時、閃光少女グレンバーンは完成したのである。


「私と知り合ったのは、その後だったね~」


 そう言って締めくくるオーシャンは、バックミラー越しに見なくても、ツグミが泣いているのがわかった。しばらくして、ジュンコが帰ってきた。


「待たせたね。温かいうちに食べるといい。ほら、ツグミ君も……おや?泣いているのかい?」


 ツグミは涙を拭ってチーズバーガーとコーラを受けとった。


「私、わからないんです。悪魔って何なのでしょうか?サナエちゃんみたいな悪魔もいれば、本当にひどいことをする悪魔もいる。ジュンコさんはいい人に見えるんです。でもこの違いって何ですか?」

「そうか、ではここで一つ悪魔について講義をしようか」


 ジュンコもまた買ってきたチーズバーガーを食べながら話し始めた。


「君たちにとっての悪魔の定義は『概念的な存在が、現実世界に適応した結果生じたもの』となっているが、これは抽象的過ぎてわかりにくい表現だ。多くの者はもっと単純に、人間を喰らう化け物のように思っているが、それも一面だけしか見えていない誤りだよ。アケボノ君、悪魔がこの世界の原生生物に似た姿をしている理由を知っているかい?」

「蜘蛛とか蝙蝠とか、動物に似ている理由ですか?さぁ、考えたこともないですね。人間が生理的に嫌うから?」

「いいや、違うね。そもそも悪魔とは『この世界に生まれようとするエネルギー』そのものなのさ。その無数にあるエネルギーは、無数の形でこの世界に留まろうとする。この世界で生きていくのに適していない形で生まれてしまった悪魔はすぐに死ぬ。逆に言えば、試練に耐えて生き残った悪魔は、こちらの世界で生き残ってきた種に似た形になるのさ。そして、そうすると生き残りやすいからこそ、人間を喰らう化け物になったりする」

「人間のような悪魔と、動物のような悪魔って、ずいぶん違いますよね」


 とツグミ。


「その違いは『この世界に生まれようとするエネルギー』が『生まれようとした動機』によって変わるんだ。君たち人間の宗教として仏教があるだろう?それで言うところの『業』に近い概念でね、一言では説明しにくい」

「じゃあ、私たち人間も悪魔なんですか?」

「それもちょっと違うんだ、ツグミ君。君たちと私たちの違いは、そのエネルギーが『この世界にあったもの』か『別世界から来たもの』かなんだ。君たちはその別世界を魔界と表現したりするね。魔法の源泉もまた、そこから来ている」


 ジュンコはコーラを一気に飲む。


「話をまとめよう。つまり、人間の形をした悪魔であっても、動物型同様に生き残るのに最適な行動をとる。本当に悪魔としか思えない生き方をする個体も当然いる。しかし、サナエ君のように、そうでない者も少なくない。これって希望を感じないかね?人間という種は必ずしも他人を踏みにじらなくても生きていけるんだってゲフッ!」


 ジュンコは盛大にゲップをした。


「あーあ、いい話だったのに、最後はなんか締まりませんでしたね」


 オトハが笑みを浮かべながら言う。


「コーラを飲めばゲップが出る。私も日々こうやって学習をしているのさ」

「ふふっ」


 ツグミは思わず笑った。他の二人も笑った。ミニバンは笑う三人を乗せて、ジュンコの工場へ向かっていった。


「おや?」


 運転席のジュンコが自分の敷地を見ると、工場のシャッター前に、すでにスーパーバイク、マサムネリベリオンが到着していた。そこには持ち主のサナエだけでなく、グレンバーンが仁王立ちで待っている。


「遅かったじゃない」


 グレンはミニバンから降りた面々にそう言った。


「気が変わったのかい?」

「悪魔と組むのは気に入らないけどね」


 グレンは不機嫌そうにジュンコに答える。


「あなたの言う通り、本当に人でなしの魔法少女に殺される人がいて、頼れる人がアタシたちしかいないのなら、やるしかないでしょ。アタシたちが不仲であることは、その人たちには関係がないことなんだから」

「それは良い返事だ」


 ジュンコはその答えに満足した。


「それに……サナエさんから『悪魔が嫌いなら、じゃあワタシのことも嫌いなんですか!?』なんて言われたら……折れるしかないじゃない。友達を守ってくれたこと……感謝しているんだから」


 苦笑するグレンの横で、目が充血しているサナエが、ジュンコにピースサインをする。ツグミもまた、そう言ったグレンに見つめられて、微笑みながらうなずいた。


 ジュンコが表向きの稼業としている整備工場は、一階がガレージと研究室になっており、二階は事務所兼ジュンコの自宅になっていた。ジュンコは事務所で、パソコンの画面をかわるがわる少女たちへ見せていく。

 ホームページ『天罰必中暗闇姉妹』。そこにはちょうど、城北地区下山村で起きた行方不明事件に係わる天罰代行依頼が届いていた。


「ジュンコさんが何をしたいのか、わかってきました」


 ツグミは神妙な顔で、被害者家族からの依頼文を読んでいる。「この怨みをどうか晴らしてください」という、結びの言葉も含めて。


「オーシャン、大将はアンタよ。どうするのか決めてちょうだい」


 そうオーシャンに促すグレンであったが、グレンの決意がすでに固まっていることをオーシャンはわかっている。


「魔法少女を殺せるのは、魔法少女しかいない」


 オーシャンはそう言うと、改めてここに集まった仲間の顔を見て、そして決めた。


「始めよう。天罰代行、暗闇姉妹」


 夜が明けた。ジュンコの工場は二階部分が彼女の自宅ともなっている。彼女は浴室でシャワーを浴びながら昨夜の事を思い出していた。グレンバーンのことである。


(彼女は大丈夫なのだろうか?)


 ジュンコの工場へ集まった少女4人が暗闇姉妹として動くことが決まったのは良かった。仕事の打ち合わせも無事に済んだ。しかし、その報酬のことで意見が割れたのである。ジュンコは当然ながら、仕事料を支払うつもりでいた。というより、天罰代行依頼により依頼人から金銭等を受けとっている。それを実際に仕掛ける姉妹たちに分配するのは当然だろう。だが、それをグレンバーンは拒否したのだ。


「え、なんでですか?」


 サナエは報酬を受け取るのが当然だと思っていた。そもそもだが、オーシャン/オトハたちが彼女を探偵として雇うのにも金銭を支払っているのだから、今後もそれが当然だと考えている。


「そんなこと、お金をもらってやるもんじゃないわ!アタシたちが正しいと思うからやるのよ!だいたい、依頼人からお金をとるのも気に入らないわ。今さらやめろとは言わないけれど、それって人の弱みにつけこんでいるんじゃない!?」

「否定はしない」


 ジュンコは困ってしまった。もしかしたら報酬の割合で揉めることはありうると思っていたが、報酬自体の是非が問題になるとは予想外だったのだ。


「まーまー、ちょっと落ち着きなよ」


 若くして老獪なアケボノオーシャンは折衷案を挙げる。


「依頼人だってこちらが報酬を受け取らないと、頼みを聞いてくれるのか不安になっちゃうよ。とりあえず私たちはお金に困っているわけでもないし、どうしてもの時のために、一時ジュンコさんに預かってもらったらいいんじゃないかな?」


 グレンはそれでも不満そうだったが、不承不承もう何も言わないことにしたようだ。ツグミも同様である。というより、みんなに遠慮しているようだ。


「私、あんまり役に立てそうにないから……」


 そう一言だけつぶやいたがジュンコはそれを否定する。


「いいや。命をまとにして仕事をする以上、君も私たちと同じ危険に身を晒すことになる。そこに差別はないよ」

「では、仕事料は必要経費を差し引いた後に山分けでいいですね?」


 オーシャンがすかさずそう切り込む。ジュンコからすればもとより異存は無いにしろ、オーシャンの抜け目のなさに舌を巻いた。


「いいだろう」


 話はこれで一応まとまった。後は実際に仕事にとりかかるだけだ。


 そして現在。シャワーの水を止めたジュンコは、自身の長い髪からしたたり落ちる水滴を眺めながら思う。


(グレンバーン君が高潔なのはよくわかる。しかし、この仕事はいずれ正論では割り切れない問題にぶつかるはずだ。遅かれ、早かれ、ね。その時に、彼女の心が折れてしまわなければいいのだが……)


 ベッドに寝ていたツグミが目を覚ました。


(あれ?ここは……)


 アカネのアパートではない。しばし混乱するが、昨夜のことを思い出した。


「あ、そっか。ジュンコさんの部屋だ」


 それは昨夜の打ち合わせで決まったことだ。今回の仕事は2チームに分かれて行う。いわゆるグレンチームとハカセチームに分かれたのは、作戦の都合もあるが、二人の不仲を懸念したオーシャンなりの采配でもある。そして、ツグミはハカセチームに含まれていた。そこで、ツグミはそのままハカセことジュンコの部屋に泊まることにしたのである。グレンは反対したが、結局その方が合理的だったことと、何よりツグミがジュンコのことをもっと知りたいと思ったので、そうなった。

 ベッドから起きて着替えを済ませたツグミは、テーブルに置かれている食事に目を留めた。たぶん、ジュンコが用意していたものだろう。チーズを乗せてオーブンで焼いたトーストとコーヒーが入ったマグカップが置いてある。同様の物が入っていたのであろう皿と空のカップも一組分残されていた。おそらくジュンコはすでに朝食を済ませたのだ。ツグミもまた急いでそれを食べることにした。ジュンコチームが城北地区下山村に出発する予定時間まで、あと30分もない。


「おや?よく眠れたかいツグミ君」

「むぐぅ!?」


 そう言って全裸で部屋に入ってきたジュンコに驚いてツグミは盛大にむせた。


「ふ、服を着てください!」

「はて?私の体は、君たちの体と比べて何か変かい?」

「私たちと同じだから困るんです!」


 ツグミが窓の外を見ると、スクーターに乗ってきたオトハが工場の敷地へ入ってくるのが見えた。閃光少女アケボノオーシャンの姿ではないのは、もう自分の正体をジュンコに開示しているからだ。ツグミは助けを求めるように外に出る。


「おやおや、おはようございますツグミセンパイ。ジュンコさんに食べられそうになったんですか~?」

「誤解だねぇ。不可抗力だねぇ」


 取り急ぎ下着とシャツだけ着たジュンコが顔を出し、からかうオトハにそう言った。


「とりあえず、車にキャンプの道具を詰め込んでおくれよ」


 ジュンコの指示に従い、ツグミとオトハはテントや寝袋といったキャップ用品をミニバンへ詰め込んだ。


「なんだこれ?」


 オトハが既に車載されていた金属製の箱を開いてみると、中には花火が入っていた。


(ハカセのおもちゃかな?遊びに行くわけじゃないんだけど……)


 まもなくスーツの上から白衣を羽織ったジュンコが現れ、無線機や車載用電話、ノートパソコンや各種測定器のチェックを行い、これもまた車に積む。


「これで準備完了だねぇ。早速出発しよう」


 昨夜のごとくジュンコ、オトハ、ツグミを乗せたミニバンが、城北地区下山村へ向けて出発した。ハカセチームは下山川上流にあるキャンプ場を目指すのだ。


「今日からゴールデンウイークだ。高速道路で少し渋滞に巻き込まれるかもしれないが、逆に目立つこともないだろう」


 ゴールデンウイークと今回やる仕事の時期が重なっていたのは好都合だった。被害者家族からの情報を読む限りでは、被害者も含めてこの村で頻発している行方不明者の多くが、下山(ややこしいが下山村にある山の名前)付近で消息を絶っている。おそらくターゲットは山中に潜んでいると目星はつけているが、広い山中ですんなり見つかるとは限らない。ある程度は仕方がないとしても、オトハたちに学校を休ませるのは、怪しまれるのでなるべく避けたかった。この数日間が勝負だ。


(それにしても、被害者は全て男子中学生か……なぜだろうねぇ?)


 ジュンコにも今のところ理由はわからなかった。


 さて、残るグレンチームは、グレンバーンこと鷲田アカネと、中村サナエのペアである。しかし、この二人はそれぞれ別行動で移動し、現地で合流する予定だ。下山駅で電車を降りたアカネは、数日分の着替え等を詰めたキャリーバッグを引きずってタクシーに乗り込む。


「下山プリンスホテルまでお願いします」


 下山プリンスホテル。そこがアカネとサナエの集合場所であった。下山村にいる間の二人の拠点である。下山村で唯一の観光ホテルであるが、ゴールデンウイークにもかかわらず客はほとんどいない。二年前に下山川が豪雨による増水で堤防が決壊、氾濫したことがあり、以降はもっぱら堤防工事の業者がこのホテルを利用していた。しかし新しい堤防が完成した現在では、彼らすらいない。

 ホテルフロントの男性従業員がアカネに話しかける。


「ツインルームをご予約の和田アキコ様ですね」


 アカネは偽名でホテルにチェックインし、まずは荷物を部屋に置くことにした。


「お連れの菅井キン様も到着しております」


 サナエのことだ。はたして予約していたツインルームに入ると、サナエがニコニコしながら待っていた。


「下山村は温泉が有名らしいですね」

「観光に来たわけじゃないのよ、サナエさん。それに、有名と言ったって、温泉の看板なんて見なかったわよ?」

「いいえ、一応村内に一箇所だけ温泉宿があります。残念ながらほとんどの源泉は下山の山中に湧いているそうで。道が険しすぎて誰も山中の温泉には入れないんですよ。お猿さんか熊さんでしょうね、温泉に入るとしたら」

「あるいは、男子中学生だけを狙ってさらう変態の誰かさん、か……」

「惜しいですよね、せっかくのラジウム泉なのに」


 ほぼ同じ頃、ハカセチームもまた下山川上流にあるキャンプ場へと到着していた。到着時刻の目安であった正午までには、まだ時間がある。


「なにやってるんですかハカセ!?」

「なにって?人間は水辺と太陽があれば水着で肌を焼くのだろう?」


 服を脱いで日光浴をしようとするハカセが、キャンプ場の他の客(特に男性)の目線を集めてしまっているので、慌ててオトハが止める。


「それは夏に、海ですることなんですよ~!目立つからやめてください!」

「オトハちゃーん!」


 今度はツグミが川の中洲から手を振っていた。


「広いからここにテントを立てるね!」

「だめだめツグミセンパイ!今は晴れているからそれほどでもないけど、下山川は雨が降るとすぐに増水するんだから!流されちゃうよ~!」


 二年前にこの川が氾濫したのは前述の通りだ。堤防が決壊して村が水没し、その災害によって生じた死者・行方不明者は少なくない。現在は新しい堤防が築かれ、ちょっとやそっとの増水では氾濫しないが、地理的には依然として危険な川であることに違いはない。


(まずいかも。このチーム、意外と自由フリーダムすぎるメンバーだ……)


 一抹の不安をおぼえるオトハは、ミニバンに積まれた自動車電話の鳴る音に気づいた。この電話にかけてくる人間は一人しかいない。


「アカネちゃん、そっちはホテルに着いた?」

「その名前で呼ばないで。まだアタシはハカセに気を許してないんだから」


 やはりアカネだった。しかしオトハと違って自分の正体をジュンコに開示していないアカネは、グレンバーンと呼びかけるしかなさそうだ。


「じゃあグレン。とりあえず、この電話は問題なく使えそうだね。無線機の方は?」

「今サナエさんがホテルの外でテストするところよ。大丈夫かしら?」


 オトハはジュンコに目配せすると、間もなくジュンコが持つ無線機からサナエの声が響く。


「こちらパトロールワン!HQ!応答願います!」

「もしもし、サナエ君かい?君にエッチだと言われる筋合いは無いねぇ」


 その会話を聞いたオトハがアカネに答える。


「大丈夫、うまく会話ができているよ」

「わかったわ。後でアタシの無線機もチェックしてみるから」


 電話を切った後にアカネはホテルの外に出る。先に外にいたサナエは自分の無線機をしまうところだった。入れ替わるようにアカネは鞄から無線機を取り出す。そのサイズは、携帯電話より少し大きい程度だ。ホテルとキャンプ場間は何キロメートルも離れているが、それでも問題無く通話できる。山中では携帯電話が使えない可能性が高いためジュンコが用意したのだ。おそらく何かしら悪魔の技術が使われているのだろう。


「アタシです」


 ジュンコからの返事が無線機から返ってくる。


「グレン君だね。通話は問題なさそうだ。無線機の液晶画面が見えるかい?」


 小さな液晶画面に、方位と、光る点が表示されている。


「そこに光っている点はチャンネルを合わせている別の無線機の位置を示している。つまり、今は私の位置だ。無線機は5人全員が持っているから、必要ならチャンネルを合わせて位置を確認しておくれ」

「わかったわ」

「さて、作戦の内容は憶えているね?」


 グレンチームの役割は情報収集と陽動、そして敵の殲滅だ。村内で聞き込みを行って敵のおおよその位置(つまり山中のどこか)を掴んだらそこへグレンバーンが単独で突入する。敵を河川敷のキルゾーンまで引き寄せた後に、強化服を着たサナエことスイギンスパーダが川沿いの道路から合流して、二人で目標を叩くのだ。


「相手が何者か知らないけれど、そんなにほいほい誘い出せるのかしら?」

「それは昨夜説明したじゃないか」


 ジュンコとオトハの一致した見解によれば、おそらく山中は敵にとって何かしらの基盤となっていると予想される。別荘があるのか芋の畑でもこしらえているのか知らないが、敵にとってその場所は戦いに有利であると同時に、グレンバーンによって一面を焼き払われるリスクも抱え込むことになる。


「アタシはそんなことしないわよ!」

「もちろん我々はそう信じている。だが、敵からすればそのリスクは捨てきれないだろう?」


 グレンが単独で、つまり彼女の炎に巻き込まれる仲間がいない状態で山中に入るのも、敵にその危険を匂わせるためだ。そうであれば敵にとって多少不利になっても、山の外で戦いたいという両者の思惑が一致することになる。河川敷であれば、グレンバーンが本気で炎の魔法を使っても被害を抑えることができるだろう。ただし、そもそも川が増水しているとそこでは戦えない。


「だから我々が下山川上流のキャンプ場に布陣している。アケボノオーシャン君の結界で下山川の水を堰き止めるのさ。それで河川の水位をコントロールする。いわば即席のダムだよ。問題が起きた時の合図はアケボノ君と事前に相談しているよね?」

「大丈夫よ」


 そのためオトハは現在のキャンプ場、つまりジュンコたちがここで設置する予定のテントから、さらに川下に向かったところでテントを張り、一人でキャンプする段取りになっている。下山川が、オトハが向かうそのポイントで細くなっているのは事前に調査済みだ。グレンたちが敵を殲滅するキルゾーンは自然そこからさらに下流となる。ジュンコはこうして作戦内容を連絡するほか、各種観測により情報面でのバックアップをする予定だ。特に天候はよく調べておきたい。ツグミは……電話番だ。


「では、まずは情報収集だねぇ。君にピッタリの方法を用意してあるのは事前に打ち合わせした通りだ。先方にも連絡はついているから、思いっきりやってくれたまえ。時間には気をつけてくれよ。今が正午を少し過ぎたところだが、最初に君が行く中学校に、我々の協力者が現れるのは14時からだ」


 ジュンコの言葉にアカネは青筋を立てる。


「そうね、よくこんな方法を思いついたわ。たしかにこれなら一気に情報を集められる……」

「不服そうだねぇ」

「あたり前よ!」


 無線機の通話を切ったアカネはサナエと一緒に駐車場へと向かった。そこにはサナエのバイクが停めてある。


「お昼ごはんを一緒に食べに行きましょう。その後、まずは最初の中学校、つまり下山東中学校の傍までアカネさんをワタシが送ります。それから、ワタシは一人で聞き込みをしますから、もう一つの中学校、つまり西中学校までは徒歩で移動してください。そこでワタシと合流しましょう。最後に、今回依頼をもらった田口さんの家に一緒に行きましょう」


 アカネはそれを聞いて、とても大きなため息をついた。


 アカネはマサムネリベリオンのタンデムシートから降りて東中学校までそっと歩いていった。今はゴールデンウイーク中。つまり本来なら中学生たちもいない。教師たちもいない。誰もいないはずだ。しかしアカネの鋭敏な感覚はすでに何者かの存在を察知していた。


(……いるわね)


 ジュンコが事前に手を回して、この学校に情報提供者を集めているはずである。そして、彼らは間違いなくいる。息をそっと潜めて、おそらく自分が来るのを待ち構えている。


(思っていたよりも数が多いわ……!)


 見つからないように移動して、中学校を囲むフェンスを軽く飛び越えると、アカネは無言で空手の型をして精神を統一する。


(変身!!)


 誰にも気づかれないようにグレンバーンへと変身したアカネは、そっと校庭の様子をうかがう。


(こちらから先制して仕掛ける他ないわね)


 覚悟を決めたグレンは、大地を蹴って高々と跳躍し、空中で手刀を構える。


「おらあっ!!」


 校庭へと飛び降りたグレンは、そこに積み重ねられていた何十枚もの瓦を、手刀で粉砕した。その途端、割れんばかりの拍手が校庭に響く。


「みなさん、ご覧ください!ここ市立下山東中学校に、閃光少女のグレンバーンさんが来てくれました!どうぞ、みなさん!盛大な拍手でお迎えください!」


 下山村観光委員会の女性職員がマイクでそう呼びかけると、集まっていた小中学生や、その父兄、あるいは近所の高校生や老人ホームの面々までもが、さらなる拍手をグレンバーンに送った。グレンバーンの顔が、違う意味で、真っ赤に燃えた。


(くそっ!たしかに、たくさんの人から話を聞こうと思ったらアタシがこうする他ないけれど……ないんだけれど!あの悪魔!!)


 そう、ジュンコが下山村観光委員会に、グレンバーンが来ることを事前に通達していたのだ。一応名目上は「二年前の下山川氾濫による被災者の慰撫」ということになっているが、これは事実上ヒーローショー(しかも正真正銘の閃光少女がしている)で人を集める算段である。

 ちなみに、この時の様子を後から知ったジュンコはこう証言している。


「私が観光委員会に電話したのは当日の朝9時だったんだよ?それで14時にそこまで準備されていて、そんなに人が集まったなんてねぇ。よほど娯楽に飢えて……いや、グレンバーン君は人気があるんだねぇ」


 観光委員会の女性職員がマイクを持ってグレンバーンに近づく。


「グレンバーンさんは今でも閃光少女として活躍なさっているんですよね?最近はどんな事件を追っているのでしょうか?」


 グレンは差し出されたマイクを奪うようにして受け取る。


「言っておくけど、アタシは……」


 不機嫌な顔のグレンがそう言いかけると、校門の影からサナエが覗いているのが見えた。自分の顔の口角を指で上に持ち上げている。


(グレンさん!笑顔です!笑顔!)


 そう念を送っているようだ。


(ぐぬぬ……)


 グレンの顔が、無理やりではあるが、ニッコリと笑った。


「実はアタシ、この下山村で最近よく起こっている行方不明事件を追っているんです!子供たちを誘拐するような悪いヤツをやっつけるのが閃光少女であるアタシの使命なの!みんな、何か知っていることがあったらアタシに教えてほしいな~!」


 グレンが手を振りながら愛嬌を振りまく様子を確認したサナエは、安心したかのごとくバイクに乗って去っていった。


「うおおお!グレンバーンって近寄りがたいイメージがあったけれど、間近で見ると意外とかわいいんだな!」


 男子中学生たちの、これくらいの感想ならグレンはなんとか耐えられた。


「うわ!うわ!マジ魔法少女じゃん、ウケるー!写メ写メ!」


 自分と同年代の女子高生からウケる、ならぬ、受けるダメージの方がはるかに深刻だ。

 委員会の女性が再びマイクをもって観衆に呼びかける。


「グレンバーンさんは1時間ほど、こちらでみなさんと一緒に過ごす予定です。トークショーの他にも、握手会、サイン会も予定しておりますので、みなさんどうぞお楽しみください!」


 その言葉を聞いてグレンは空を仰いだ。


(ああ、今日はいい天気ね……今すぐ骨になりたい……)


 グレンバーンにとって、ある意味どんな強敵との戦いよりも過酷な一日が始まった。


「準備できました!いつでもどうぞ!」


 屈強な東中学校運動部の面々が縦向きに並び、正面の一人が巨大な盾のごときラグビー用ミットを構えてそう叫ぶ。一人一人が前の人間の肩を掴んで、吹き飛ばされないように構えているのだ。


(30%くらいの力でいいかしら?)

「おらっ」


 そのミット目掛けてグレンバーンが側面蹴りをすると、運動部全員が1メートルほど後退し、尻もちをついた。


「えっと、大丈夫!?アタシこんな事したことないから加減がわからなくて……」

「はい!僕たちは大丈夫です!」

「すっげー!マジで強えー!」


 男児たちは楽しそうにお尻についた砂を払いながら起き上がる。

 こういうのは面白いかもしれない。


「では、まず俺がお手本を見せますから」


 野球部のピッチャーが高々と足を上げ、腕を振りかぶって投げた剛速球が、吸い寄せられるようにキャッチャーミットの中へ叩き込まれる。


「こうすればいいのね?」


 グレンバーンも見よう見まねでピッチャーの投球フォームをとり、こちらは文字通りの火の玉ストレートを、積まれたコンクリートブロックへ叩きこんだ。ブロックを粉砕しつつも勢いあまって転がった火球は、側で待機していて観光委員会の職員が消火器で鎮火する。


「初めてにしては上手ですよ」


 野球部ピッチャーのお墨付きをもらうのも、まんざらではない。


「わー!たかーい!」

「クララちゃーん!こっち向いてー!」


 グレンバーンに肩車をしてもらっている幼児の両親が、楽しそうにカメラで記念撮影をする。

 こういうのも、悪くはない。

 余談だが、低いアングルで撮ろうとすると、熱のせいでカメラが故障するようだ。


 最悪なのは握手会だ。


「グレンバーンさんって、付き合っている彼氏とかいるんですか?」

「はい?」

「ひっ!?」


 思わず手に力が入ってジュッという肉が焼けるような音がしたが、その男性の手には消えることのない生涯の思い出が刻まれたことだろう。


 もっと困るのはサイン会である。


(知らないわよ、そんなの!サインなんて描いたことないわよ!)


 観光委員会が山のようにサイン色紙を用意していたので、グレンバーンは逃げられない。


「ちょーかっけぇのおなしゃーす!」


 よりにもよって一人目は自分にウケていたガングロ女子高生だ。その物の言い方にもどこかカチンとくる。


「あれ?ペン持たないんスか?」

「カッコよく……でいいのよね?」


 グレンは人差し指を剣のように構えると、そのまま女子高生が手に持っていたサイン色紙を十文字に切り裂いた。


「えっ……」

「こういうのも、アタシらしくていいんじゃないかしら?」


 絶句する女子高生に向けてグレンはしたり顔でそう語る。グレンバーンとしては塩対応をしたつもりだったのだが、言葉も出なかった女子高生の目が、だんだんキラキラと輝いていく。


「うおーっ!すっげー!超きれーに切れてるし!神ファンサすぎっしょ推せるー!」

(え、えぇ……)


 結局この方法がウケてしまい、グレンは指が赤くなるほどサイン色紙を切り刻むことになった。少し後の話になるが、この女子高生は本当にグレンバーンのファンになったらしく、次の場所である西中学校にも移動してきたため、彼女から見つからないように、アカネは自身の移動にも気を使わなければならなかった。


「ところでみなさーん!事件について何かご存知でしょうかー?」


 トークショーでそう呼びかけてみても、返ってくるのは愚にもつかない噂ばかりであった。強いて言うならば、被害者の一人である田口ケンジ君は西中学校の生徒だが、彼には漫画を描く特技があり、そのファンは東中学校にも数名いたようだ。そして、彼らもまた行方不明となっている。


「こっちは全然ダメね。漫画なんて関係ないと思うわ。サナエさんの方はどう?」


 東中学校でのヒーローショーを終えたグレンことアカネは、無線機でサナエに連絡をしてみた。


「こちらもあまり収穫はありませんね。しかし気になることがあります」

「なに?」

「行方不明者の友人の一人が自宅で死亡しているのです。死因は心臓発作となっており、ワタシたちの追う犯人と関係があるのか今のところわかりませんが」

「口封じをされたとか?」

「情報が集まらないということは、それだけ周到に証拠を隠滅しているのかもしれません。次は西中学校へ行きますよね?後でワタシも向かいますから」


 アカネはそれを聞いて、とても大きなため息をついた。本日、二回目である。


 西中学校の方へ移動しても相変わらず握手会は最悪だった。


「グレンバーンさんのスリーサイズって何センチですか?」

「よく聞こえなかったけれど握力なら100キロを超えているわ」

「ひぎっ!?」


 しかし、体を使ったレクリエーションはまぁまぁ楽しめた。


「え!?ウソでしょ!?」


 グレンバーン一人対3年2組の綱引き対決はグレンバーンの負けだった。


「あははは!そりゃ僕たちの方が重いですから」

「もう一回よ!もう一回勝負しなさい!」


 しかし物理法則ばかりはグレンバーンにもどうすることもできなかった。そこで腕相撲でリベンジをする。


「ほらほら、もっと頑張りなさいよ」

「う、ぐぐぐ……!」


 柔道部の男子生徒が、もはや両手の力でグレンバーンの手を押すがビクともしない。


「俺たちも加勢するぞ!」


 そう言って他の柔道部員たちが二人の手に殺到するが、それでもグレンバーンの手はビクともしない。


「きゃっ!?」

「うわっ!?」


 ついに腕相撲に使っていた長机の方が耐えられなくなり、真っ二つに折れてしまった。


「……うふふ、あははははは!」


 バランスを崩してグラウンドに倒れていたグレンはまもなく大笑いした。同じく団子になって転がっていた柔道部員たちも笑った。観客たちも笑った。


 ヒーローショーの後半にサナエが合流してきた。何を思ったのか、黒い目出し帽に、同じく黒地にスケルトンが描かれた全身タイツ姿で現れた彼女は、グレンの前に立ちはだかって手をワキワキさせている。


「わはは!グレンバーンさん、もはや逃れることはできませんよー!」


 どうやら悪役のつもりらしい。


「……付けているのよね?」

「へ?」

「プロテクター……付けているのよねぇ……?」

「ぐ、グレンさん、顔が怖いですよ!?なんだかゴゴゴゴって擬音が聞こえてきそうな……」

「紅蓮バーニングキック!」

「グエーッ!!」

「わーっ!すごいなぁ!10メートルくらい飛んだんじゃないか?」


 観客たちにはウケたようだ。


「ところでみなさーん!事件について何かご存知でしょうかー?」


 またしてもグレンは呼びかけてみるが、反応がいまいちなのは東中学校での時と同じだ。


「そういえば、さきほどまでいた中学生たちがいませんね?」


 頭に氷のうを押しつけているサナエにそう言われて、やっとグレンはそのことに気づいた。


「そういえば……あ、あれ……?」


 見ると、男子たちが何か大きな画用紙を持ってやってきた。


「あの、これみんなで書いたんです。グレンバーンさん、良かったら持っていってください」


 グレンが受け取ると、それは寄せ書きだった。A3サイズの画用紙に、西中学校生徒たちからのメッセージが書かれている。美術の時間に使う画用紙を持ち出してきて、即席で作ったのだろう。応援のメッセージが書かれている。


「あ、ありがとう」


 グレンは、素直に感謝して受けとった。正直に言ってヒーローショーを行うのは恥ずかしかったが、こういうのをもらうのはなんだか嬉しい気がする。


「え、これって……」


 月並みな応援メッセージと共に書いてあるその言葉に、グレンは目を留めないわけにはいかなかった。


『田口君を家に帰してあげてください』


 それだけではなかった。


『田村君を見つけてください』

『関口君のお母さんが心配しています』


 他にも数名の名前が見える。


「菅井さん、これって……」

「ええ、そうです。行方不明になっている、彼らの同級生たちです」


 偽名で呼びかけられたサナエがそう教えた。男子たちがグレンに言う。


「俺たち、あんまり役に立てないかもしれないけれど……でも、もしも何か手伝えることがあったら、何でも言ってください」


 彼らの後ろでは同級生の女子たちも集まっている。グレンに話しかけることは遠慮しているようだったが、気持ちは同じなのだろう。


「……ありがとう。その気持だけで十分よ。わかったわ、田口君たちをさらった犯人は、ワタシが必ず倒すから」

(そして、せめて彼らの骨だけでも家族のもとへ……)


 そう言いかけたが、あまりにもそれは悲しい。口にできなかった。深刻な顔をしていると、いつの間にか例のガングロ女子高生が側に寄り、グレンを肘でつついた。


「こりゃあ気合入れるしかないっしょ!」


 なんとなくその明るさに救われた気がしたグレンは笑顔になって応える。


「そうね!アタシ、頑張るわ!」


「じゃあ、最後に決めポーズをとってくださいよ!」

「はぁ!?」


 なにやら高そうなカメラを構える男子にそう言われ、グレンは思わず素が出る。


「無いわよ!そんなの!」


 男子中学生たちはグレンに対して遠慮が無かったが、グレンもまた彼らに対する遠慮が消えていったようだ。


「今から考えたらどうです?」


 サナエからのお節介にグレンは青筋を立てるが、不承不承ポーズをとる。


「言っとくけど、スマイルは別料金よ!」


 左手を腰にあて、何かを目指すように右手の人差し指をまっすぐ前に伸ばしたグレンバーンの姿を、カメラがシャッターに収めた。


「さて、夕方4時から始まった交流会も、はや1時間!お別れの時間が近づいてきましたね。それではみなさん、もう一度盛大な拍手をお願いします!閃光少女のグレンバーンさんでした!」


 観光委員会の女性職員がマイクで高らかに宣言すると、西中学校の校庭は割れるような拍手に包まれる。それを聞いたグレンは手を振って応えると、高々と跳躍して校舎の裏へ飛び降りた。もしも誰かが追いかけてきても、もう彼女の姿を見つけることはできないだろう。すでに変身を解除し、学校の敷地外へ飛び出した後だから。


「お待たせ、サナエさん!」

「いえいえ」


 サナエは交流会という名のヒーローショーが終わる少し前に、群衆にまじって校外へ抜け出していた。二人そろってサナエのバイクにまたがる。


「それでは、被害者田口ケンジ君のおじいさん、田口トモゾウさんのところへ行きましょう。その方が今回の依頼人です」


 彼の自宅は村の外れにある。しかし、バイクに乗っていけばすぐに着くだろう。


「うん?」

「どうしましたアカネさん?」


 バイクに乗った時、何か違和感をおぼえたのだ。しかし、その正体はわからなかった。


「ごめん、きっと気のせいだわ」


 二人を乗せたバイクはその場を後にした。


 西中学校では観光委員会の職員らが催し物の片付けを始めていた。集まった中学生たちも、楽しそうに今日のできごとを話しながら帰路へつく。「ちょーやばくてー」と携帯電話に向けて口を開いているのはガングロの女子高生だ。そんな中、一人の女子中学生が校庭でずっとたたずんでいた。メガネをかけた三つ編みの少女が、沈痛な面持ちをしながら胸中でつぶやく。


(グレンバーンさんに……渡すことができなかった……)


 彼女は、一冊のノートを抱きしめるようにして持っていた。


(どうしても、渡せなかった。アイツは、今も私たちを監視しているんだ……だけど……)


 ノートを握る手に力が入る。


(間違いない!グレンバーンさん!あの力なら!あの人なら、アイツを倒すことができる!山に潜んでいる、悪魔のようなアイツを!なんとしても……これを見てもらわなければ……!)


 そう決意を固めた少女もまた、走って学校を後にした。


「ここが田口トモゾウさんのお宅ですね。被害者、田口ケンジ君の自宅でもあります」

「一緒に住んでいたのね」

「はい。祖父と孫の二人家族だったのですね」


 ここは下山村の外れにある田口家の一軒家だ。他にも何軒か民家が並ぶが、この辺りにあるのはだいたい空き地か田んぼである。また、少し歩けばすぐに下山しもやまに入ることができる。この山の奥にケンジ君はさらわれたのか?

 サナエとアカネは空き地にバイクを停め、二人は歩いて田口邸に近づいた。


(二人家族だったのか……)


 要するに、田口トモゾウは家族全てを奪われたのも同然だ。アカネには、その気持が痛いほどわかる気がした。


「あれ?」


 田口邸敷地へと入ったサナエの動きが止まる。


「どうしたの、サナエさん?警察官の姿に変身するんでしょ?」


 それと同時に、アカネもグレンバーンの姿に変わらなくてはいけない。


「いや、それが……見てください」


 サナエが郵便受けを指さすと、何日分もの新聞や郵便物がそこに詰まっていた。


「まさか、すでに口封じされたのかしら……!?」


 アカネが玄関の引き戸を動かそうとするが、鍵がかかっているらしく開かない。


「アカネさん」


 そう呼ばれてサナエの方を見ると、彼女は建物二階部分に指を向けている。アカネもまた指さす方を見ると、二階の窓が少しだけ、本当に1センチほどの隙間だけ開いていた。どうやら鍵をかけ忘れているらしい。


(アカネさんなら、あそこまで跳べますよね?)


 サナエの表情からそれを読みとったアカネは、さっそく身を屈めた。その時である。


「ちょっと、アンタたち何してんの?」


 少女二人が驚いて声の方を向くと、中年の主婦が怪訝そうな顔で二人の様子を見ていた。


「あ、すみません。我々は決して怪しい者ではありません。最近起こっている行方不明事件について調査しておりまして……」


 サナエがそう釈明するように話すが、主婦はその言葉とは裏腹に、二人が怪しい者であるという目つきを変えなかった。


「調査って?あんたたち警察でもなんでもないでしょ。どこの高校生か知らないけれど……」


 タイミングが悪かった。サナエはまだ警察官の姿に変身していないし、アカネもまた今はただの女子高生でしかない。無論、この場で変身してみせるわけにもいかないので、これ以上怪しまれるのは避けたかった。幸い、目の前の主婦は必要な情報をすぐに口走ったので、それ以上会話をする必要はなくなったが。


「田口さんなら、親戚の家に行ったとかで、しばらく留守よ。あんたたち、いくらトモゾウさんが『山に悪魔がいる』なんておかしな事言うからって、あんまり老人をからかうもんじゃないわよ」


 結局、二人はその場からすごすごと退散するしかなかった。


「でも、とりあえず殺されたわけではなさそうでよかったですね。この連休中になんとか話を聞きたいものではありますが」


 サナエはバイクを運転しながら、後ろに座るアカネに話しかける。


「結局、サナエさんの方もあんまり収穫は無かったんでしょ?」

「はい。何か被害者たちに、男子中学生である以外の共通点は無いかと調べてみましたが、わかりませんでした」

「そう……」


 すでに夕日は沈んでいる。ファミリーレストランで食事を済ませたアカネとサナエは、ひとまずホテルへと帰った。


 同時刻。下山川上流にあるキャンプ場では、すでにツグミとジュンコが寝る予定のテントが張られていた。ツグミが焚き火の前に座り、ホットココアを飲んでいる。彼女の横には、ミニバンから降ろした自動車電話が、バッテリーと一緒に置かれていた。


「ツグミちゃーん!」


 焚き火に向かって、オトハが手を振りながら近づいてくる。彼女もまた、ここより下流にあたる下山川の近辺で、自分のテントを張り終え、下山川の周辺を調査し終えたところだ。ツグミもまた小さく手を振った。


「即席のダムを作る件は、うまくできそうだよ。ハカセの姿が見えないね。ミニバンで食事の買い出しに行ったの?」

「うん。それと、花火も買い足すって言ってた」

「あれ?あの花火じゃ足りなかったのかな」


 オトハは出発前の車内に、すでに花火が積まれていたのを思い出していた。


 しばらくしてミニバンのライトがツグミとオトハの居る焚き火の前を照らした。ジュンコが帰ってきたのだ。


「唐揚げ弁当でよかったかな?」


 ジュンコがコンビニで買った弁当を分配すると、焚き火を囲んだ三人は夕食をとり始めた。


「サナエちゃんから連絡があったよ」


 電話番のツグミがそう報告する。


「7時に温泉の東湯に行きましょう!って」

「あはは、センパイけっこうものまね上手いですね」


 東湯というのは下山村にある唯一の温泉宿だ。べつに宿泊客でなくとも、お金さえ払えば温泉に入ることができる。


「いいねぇ。裸の付き合いというわけか」


 ジュンコはおもしろそうにそう言うが、それを報告した当のツグミはうつむいている。


「私は……いいです」


 温泉には行かないと言うのだ。オトハは不思議に思う。


「どうしてさ?」

「……恥ずかしいから」


 ちなみに、アカネもまた温泉への同行を拒否している。当たり前だが、裸で温泉に入ると自分の正体がジュンコに露見するからだ。


「まぁ、いいじゃないか」


 オトハが「よいではないか、よいではないか」とツグミをからかっていたが、ジュンコが制止する。


「7時に集まるなら、もうそろそろ出発した方がいいだろう。オトハ君、行こう。それにツグミ君には……」


 ジュンコはツグミに熊よけホイッスルを手渡す。


「これを渡しておこう。それに、テントに置いたバッグにタオルが入っているから、好きに使うといい」

「く、熊が出るんですか……!?」

「念のためさ。それに、出るのが熊の方なら、むしろその方が安全だねぇ」


 ジュンコたちを乗せたミニバンがツグミを残してキャンプ場を後にした。


「でもなんでツグミちゃんはあんなに恥ずかしがるんでしょうね?同じ女の子なのに」


 そんなオトハのぼやきに、ジュンコは今朝自分の裸を見た時のツグミの様子を思い出す。


「もしかしたら、彼女の体には、我々とは違うところがあるのかもしれない」


 まもなく東湯の駐車場に入り、停めたバイクの傍で手を振るサナエが見えてきた。


「まさかぁ」


 オトハもまた手を振り返しながら、そう答えた。


 キャンプ場に残されたツグミは、テントの中からタオルとランタンを持ち出して、周りを見渡した。日が落ちたとはいえ、まだ夜は長い。同じくキャンプを張っている他の客たちもまた、焚き火を囲んで思い思いの時間を過ごしている。


(人が多い……)


 ツグミは下山川に沿って、その上流に向かって歩いていった。危険なこの川も、よく晴れていたこの日に限っては、その水面の流れは静かだった。しばらく歩くと、ツグミは一人きりになった。


(ここなら)


 人はいない。日中よりずっと気温は低くなっていたが、5月の夜は少しの間なら肌を晒しても平気だった。ツグミは川でタオルを濡らすと、上着を脱いで体を拭き始めた。その時である。


「あらっ!?」

「えっ!?」


 女性の小さな悲鳴が聞こえて、ツグミは驚いて振り向いた。そこには、ランタンを手に持った女性が、びっくりしたように口を手で覆っている。すらっとした、自分より背の高いその少女は、高校生だろうか?ストレートロングの髪が、暗くてもなお、艷やかにランタンの光を反射している。長袖長ズボンの服装は、山をうろつく姿としては得に奇異なところはなく、ツグミはキャンプ客の一人だろうと思った。今流行りの山ガールというものだろうか?しかし、誰であろうと今は困る。


「あわわわわ!」

「ご、ごめんなさい!覗くつもりはありませんでしたの!」


 慌てて上着で体を隠すツグミに、山ガールがそう弁明する。


 少女が気を使って後ろを向いているうちに、ツグミは自分の服を着てやっと落ち着いた。落ち着いたら、こんな人気のない場所にいた少女の正体が気になる。


「キャンプの人ですよね?こんなところで何をしているんですか?」

「お言葉を返すようですが、それはあなたも同じではありませんこと?」


 少女の言葉はもっともである。しかし、少女からはツグミが何をしていたのか見当はついているようだ。


「汗を流しにきたのでしょう?ワタクシも目的は同じですわ」


 そう言われるとツグミも納得するしかない。


「あなたもここで体を洗いに」

「いいえ」


 少女は首を横にふる。


「ここではありませんわ。少し山の中まで歩きますが、温泉がありますのよ」

「え?でも山の中は険しすぎて、誰も温泉まで歩いていけないって……」

「ワタクシは良い道を知っておりますのよ。一緒にいかが?」


 そう言って少女はツグミを手招きし、先に歩きだす。おもわずツグミは叫んでしまった。


「ダメです!」


 驚いてしまったのは少女の方だ。


「どうしたの?」

「この山の中には、子供をさらう何かがいるって……」


 だから自分たちがそれを殺しにきた……とまではツグミは話さない。だが意外だったのは、少女はそれを承知していたことだ。


「そう……ご存知でしたのね」

「知っていたんですか?」

「はい」


 まさか目の前の少女が、自分たちが探している犯人なのか?身構えるツグミに少女が意外なことを話す。


「ですが、安心してください。他言無用でお願いしますが、ワタクシは閃光少女の一人なのですよ」

「え、えっ!?」


 ツグミが驚くのも無理はない。


「閃光少女って、今はグレンバーンとアケボノオーシャンしかいないんじゃ……!?」

「今県内にいる閃光少女はその二人しかいない……そう思われるのは当然でしょうね。なにしろワタクシはずっと隠れておりましたから。魔女が暴れていたのに何もしなかったことは心苦しい限り。ですが、わかっていただきたいですわ。ワタクシにも姿を晒せない事情があったのです」


 そこまで会話して二人同時に「あれ?」と思う。まず少女の方が口を開く。


「あなた、ずいぶんワタクシたちの事情に詳しいのですね」

「もしかして、あなたもオウゴンサンデーが閃光少女を探し出して、次々に消していることを知っているんですか?」

「ええ、知っていますとも」


 少女がうなずく。


「魔法少女の世界をつくる。そのために、どうしてそんな事をしているのかまではわかりかねますが、あの人の急進的過ぎる思想にはついていけませんわ」


 少女が続ける。


「魔法少女が社会に認められる事と、魔法少女個人が幸せであることは、必ずしもイコールではない。それがわかっておりませんのよ、あの人は」

「私、オウゴンサンデーに大切な友達をさらわれたんです」

「なんと、それは……」


 可哀想に、と顔に書いてある。ツグミの目に映る少女の表情からは、嘘は感じられなかった。


「ワタクシが力になれることはありますか?」

「え、私たちに協力してくれるんですか?」


 閃光少女の仲間が一人増える。それはツグミにとって、願ってもないことだった。


「ええ、ええ!ワタクシにできることでしたら協力は惜しみませんわ!……ちょっと、待って?『私たち』?」


 少女がもしやと尋ねる。


「あなた、グレンバーンさんと組んでいらっしゃるの?」

「どうしてわかったんですか?」

「今日、グレンバーンさんがどういう風の吹き回しか、中学生を集めてヒーローショーのようなことをしていたでしょう?それに、あなたは閃光少女に詳しそうですし、もしやと思いましたの」


 ツグミもそのヒーローショー計画をジュンコが立てていたのは知っている。


「そうです。私は村雨ツグミといいます。あなたは、もしかしてグレンちゃんのお知り合いですか?」

「古い友人ですわ」


 もしも本当にそうであれば、やはり仲間に加わってもらうべきだろう。しかし、ここでツグミは慎重になる。


「あの……本当にあなたは閃光少女なんですよね?」

「疑っていらっしゃいますの?」

「ごめんなさい」


 そう言って謝るツグミに対して少女は首を横に振る。


「謝ることはありませんわ。オウゴンサンデーに敵対するのであれば、それくらい慎重になるのが当然のこと。第一、ワタクシも自分の名前をまだ明かしていませんし……」


 少女が右手をツグミに差し出すと、その中指に、緑色の宝石がはまった金色の指輪が出現した。宝石の色こそ違うが、グレンやオーシャンと同じ形の指輪である。


「これだけでも十分かもしれませんが……お見せしましょう、閃光少女を」


 少女は祈るように両手を重ねて握る。


「変……身……!」


 少女の体が大きな薔薇の蕾に包まれた。まもなく、甘い芳香と、舞い散る薔薇の花びらを纏った、閃光少女が姿を現す。深緑色の修道服のような衣装の彼女は、ツグミから見ると、すごく神秘的な雰囲気に見えた。

 そして、少女は自分の名をツグミに明かした。だが、自分の唇の前に人差し指を立てて、ツグミに念を押すように言う。


「………………今のがワタクシの名前ですわ。そしてルールはたった一つだけ。ワタクシの名前を決して口にしてはいけない。これさえ守ってくだされば、ワタクシはいつだってあなたの味方ですわ」


  ツグミは山道を登り、やがて乳白色に濁った泉へ到着した。ときどき沸騰したような泡が水面に浮かんでくる様子は、たしかに温泉のようだ。


(シスターさんの姿は見えないな?)


 シスターさん、というのは、ツグミが緑の閃光少女につけたニックネームである。本人が「どこで誰が聞いているかわかりませんから」名前を呼ぶなというのであれば、そうやって呼ぶしかない。閃光少女としての名前、例えば『グレンバーン』のようなそれもあるはずだが、それさえ秘密らしい。ならば、やはりシスターさんとでも呼ぶしかない。

 ツグミは泉の縁にランタンを置くと、服を脱ぎ始めた。シスターはそこにはいない。まだ初対面のようなものなので、気を使って反対側の縁から温泉に入るつもりなのだろう。ツグミは服を脱ぎ終わると、おそるおそる温泉へと入っていく。独特のぬめりがあるその温泉は暖かく、心地よかった。


「すごーい!本当に温泉だ。気持ちいい」

「気にいってくださいました?」

「わっ!?」


 気がつくといつの間にかシスターが背後から近づいてきていた。暗い闇の中から首だけが水面に浮かんで迫ってくるのは、絵面としては不気味である。


「ツグミさん。あなた、記憶喪失だって言っていましたわよね?」


 ツグミはこの温泉に来るまでの道中で、自分の身の上話を、魔法少女の淑女協定に違反しない範囲でシスターに話していた。つまり、記憶喪失になって倒れていたところをガンタンライズに拾われ、彼女の家庭に居候をしていた話だ。淑女協定に従い、ガンタンライズが糸井アヤであることは秘密にしたわけだ。


「だから、あなたの体が傷だらけの理由も、わかりませんのね……」


 ツグミは口をつぐんだ。たしかに、ツグミの体には無数の傷跡があった。シスターがうっかり川の側で、ツグミの肌を見てしまった時から気になっていたことだ。それもただの傷ではない。刃物で斬られたような傷、槍で刺されたような痕、あるいは火傷の名残。まだ新しい打撲痕は、虐待とはまた異なる、なにか壮絶な過去をシスターに予感させた。

 シスターは違う話題に変えようと思った。体に傷があることは、女性にとって名誉なことではない。だが、ツグミの方は少しだけ心を許したのか、こんな事をぽつぽつと語り始めた。


「最近、意識が無くなることがあるんです」

「といいますと?」

「家で、蜘蛛の魔女に襲われた時、グレンちゃんが助けに来てくれたんです。それで、私、必死になって逃げました。でも、走っている途中で、すごく耳鳴りがして、気を失ったんです。それで気がついた時には、グレンちゃんの家で目が覚めました。その時、体に新しい傷がたくさんついていました」

「それは不思議ではありませんわ。きっと必死で逃げている時に、体に傷がついたのでしょう」

「私も、最初はそう思いました」


 ツグミはシスターに話を続ける。


「その後、城西地区で蝙蝠の魔女に襲われたんです。その時も、逃げている時に気を失って……気がついたら、蝙蝠の魔女は死んでいて、私の体にも、新しい傷がたくさんついていました」

「それは……」


 シスターもどう答えていいのか、わからない。


「私……怖いんです。私が意識を失っている間、私は何か、恐ろしいことをしているんじゃないかって……私が、私ではなくなる……そんな時間があるみたいで、すごく怖い……」


 シスターは、蜘蛛の魔女と蝙蝠の魔女がたどった末路を知っていた。彼女の思考は、ある恐るべき結論を導きだしている。しかし、それをツグミに伝えてもよいのか。ある意味、ツグミを取り返しのつかない状態に追い込むかもしれないその推理を、ひとまずシスターは自分の胸の中にだけ収める。


「その話、グレンさんにはしたのですか?」


 ツグミは首を横に振る。シスターに最初に話すことになったのは、偶然見られてしまったからに過ぎない。だが、本心では、この不安を吐露する相手を探していたのかもしれない。ツグミはグレンを信頼していないわけではないのだが、彼女には決して自分の肌を見せようとはしなかったのだ。あるいは気絶していたところをグレンに保護された時に見られているかもしれないが、おそらく蜘蛛の魔女から逃亡する時にできた傷であると解釈されたのだろう。その事について質問されたことはない。

 いや、ただ一人だけ、この傷を知っている閃光少女に心当たりがあった。


「ライズちゃん……」

「え?」


 ガンタンライズ。記憶喪失のツグミを保護した閃光少女が、オウゴンサンデーの手によって拉致されたことはシスターもすでに聞いている。シスターの記憶によれば、彼女はたしかヒーラーだったはずだ。


「ライズちゃんの家で暮らすようになってから、体から傷が少しずつ消えていったんです。私も不思議に思っていました。でも、ライズちゃんが閃光少女だったことを知った今なら、理由がわかります。ライズちゃんは、きっと毎晩、私が寝ている間に傷を治してくれていたんですね。怪しまれないように、少しずつ……少しずつ……」


 ツグミの目から涙がこぼれ落ちた。


「それで、ガンタンライズとつながりのあったグレンバーンさんも、彼女を取り戻すために動いている、と……」


 シスターは話題を変えることにした。


「はい」


 ツグミは温泉を手で掬い、顔を洗うようにして涙の跡を消す。


「あの、あなたはグレンちゃんの友だちなんですよね?あなたに会ったこと、グレンちゃんに伝えなければ……」

「それにはおよびませんわ」


 シスターはきっぱりと拒否する。それは温泉までの道中でも聞いたことだ。


「ワタクシ、実はグレンさんの目の前で死んでいますの」

「え?」


 ツグミは不意をつかれる。


「どんな魔法でも、死んだ人間は生き返らないんじゃないのですか?」

「そうね、それはその通り。ごめんなさい、言葉が足りなかったわ」


 シスターは訂正する。


「厳密には、瀕死だったというべきね。最終戦争の時、ワタクシはグレンさんとの共闘中に、深手を負い、心臓も止まりました。だから、グレンさんはその時にワタクシが死んだと思っています。ワタクシ自身もそう思っていましたから。でも、ワタクシは生きていました」


 シスターは温泉の縁に手をかける。すると、そこから植物のつたが突然生えてきた。


「ワタクシの能力は植物の生命力に由来します。ワタクシは、自分でも気づかないうちに、自分の体を種子にまで還元しておりました。一種の仮死状態ですわね。グレンさんはその事に気づいていません。種子になったワタクシは流れ流れて、この山に辿りついたのです」

「だったら、なおさらグレンちゃんに教えてあげるべきじゃないですか!あなたが生きていることがわかったら、きっとグレンちゃんは喜びますよ!」

「そうですわね……」


 しかしシスターは首を横にふる。


「ツグミさんにも事情をお話しできないのは心苦しいのですが、ワタクシにはこの山で果たすべき課題があります。それが終わるまでは、ワタクシは誰にも存在を知られてはならないのです。どうかご理解ください。かわりにと言ってはなんですが、ワタクシもツグミさんの体の傷のこと、誰にも話しませんわ」

「課題……この山で人をさらっている何者かを倒すことですね?」


 ツグミは独り合点する。


「でも、グレンちゃんも、それを調べるためにこの下山村に来ているんです。私が何も言わなくたって、いつかはあなたに出会いますよ?」

「その時は、その時で仕方がありませんわ。でも……」


 シスターはいたずらっぽく笑った。


「ワタクシが生きているというサプライズを準備する時間ができますわ。それって、面白そうじゃありませんか?」


 この人、案外お茶目なんだなとツグミは思った。


「あの……私そろそろのぼせてきたから……」

「あら、そう」


 ツグミは温泉の縁に手をかけると、衣服と一緒に置いたランタンの光に向かって、泳ぐように歩いていった。まもなく暗闇の中で水から上がる音が聞こえたが、なぜかすぐに温泉に体が沈む音が聞こえる。


「どうしたの?」

「まちがって私の服じゃない方に行っちゃった……」


 そういうとツグミは気まずそうに顔を温泉に沈め、ブクブクと泡を出しながら別のランタンに向かう。脱いだ衣服の側にランタンを置いているのはシスターも同じだった。まちがってそっちに行ってしまったのだろう。


「まぁ、おっちょこちょいなんだから」


 シスターは笑う。


 やがてシスターもまた温泉から上がり、タオルで体を拭いて自分の衣服を着始めた。既に着替え終わっているツグミが木の側に立ち、シスターに背中を向けて待っている。一人では道がわからなくて下山できないからだ。閃光少女ではなく山ガールの姿に戻っていたシスターは、リュックサックを背負うとツグミに呼びかけた。


「お待たせしました。さぁ、帰りましょう」


 二人の少女はキャンプ場に向かって歩いた。しかし、キャンプ場に戻るのはツグミだけである。


「シスターさんはキャンプ場に戻らないんですか?」

「シスター?ああ、ワタクシのことですね」


 シスターは首を横に振る。


「ワタクシの課題はこの山にあります。ですから、山を離れることができませんのよ」

「そうですか……」

「ツグミさん」


 シスターはツグミの手をとって言った。


「ワタクシの課題が終わったら、きっとあなたたちの仲間に加えてくださいね。一緒にオウゴンサンデーを倒しましょう」


 ツグミは嬉しそうな顔をしながらも、少し困った顔もする。


「どうかな?私はライズちゃんさえ取り返せればいいような気もするけど」


 しかし、必要ならば、そうするしか無いのかもしれない。ツグミとシスターは山とキャンプ場の境界で別れた。


 下山川上流にあるキャンプ場。テントの側にある焚き火の前で、ツグミはタオルケットを肩にかけ、何杯目かのホットココアを飲んでいた。やがて、ミニバンのライトがテントを照らす。ジュンコが戻ってきたのだ。


「ただいま、ツグミ君」

「おかえりなさい。オトハちゃんは?」

「車で先に彼女のテントまで送ってきたよ。どうやら明日は雨が降るようだ。オトハ君には気をつけるように言っておいたよ」


 そう言うとジュンコはごそごそと車から何かを降ろし始めた。何かの束を、どさっと焚き火の前に落とす。


「では、二人で夜を楽しもうじゃないか!」


 花火であった。手持ち花火を両手に持ったジュンコは、その先端を焚き火に当て、七色の光に目を輝かせる。その様子にツグミは思わず笑ってしまった。


「うふふ、ジュンコさんったら子供みたい」

「子供みたい?」


 ジュンコが振り返る。


「なるほど。『子供みたい』という言葉は、褒め言葉だったのだな」


 燃え尽きた花火を金属バケツに捨てたあと、ジュンコがツグミにも花火を持たせる。


「はいはい」


 ツグミは子供の遊びにつきあう母親のような顔をして、一緒に花火に火をつけた。


「それにしても君」


 ジュンコが花火の光に照らされるツグミの顔を見て言った。


「なんだか顔がつやつやしているぞ?なにかあったのかい?」

「ああ、そうだ。ジュンコさんにお話ししたいことがあるんです」


 ツグミはジュンコに、さきほどまで一人の閃光少女と一緒に温泉に入っていたことを話した。シスターはグレンには自分のことを話すなと言った。しかし、名前さえ秘密にしておけば、ジュンコに話すくらいはかまわないだろうとツグミは思ったのだ。


「興味深いねぇ」


 ジュンコはつぶやく。


「もしかしたらその娘が犯人じゃないかい?」


 ツグミがその言葉に驚いたのは言うまでもない。


「ちょっと待ってください。その人は閃光少女なんですよ?」

「そうらしいね。それで?」

「それで、って……」


 悪魔から人間を守るのが閃光少女なのではないのか?ならば、どうして閃光少女が人間を傷つけると考えられるだろうか。しかし、ジュンコの考えは違うらしい。


「ツグミ君、魔女と閃光少女の違いってなんだい?」

「魔女は悪魔と契約して自分の欲望を満たし、閃光少女は人間を守るために悪魔と戦います」

「では、私やサナエ君は閃光少女かい?」

「あ、いえ、なんというか、分類的な意味では違いますが……」

「思想の違いはともかくとしても、私は閃光少女と魔女に決定的な差は無いと考えているよ」

「でも、閃光少女は悪魔から力をもらうんじゃなくて、別の閃光少女から魔法を教えてもらうじゃないですか」


 ツグミはアカネがグレンバーンになった経緯を思い出す。


「では、その先輩にあたる閃光少女は誰から魔法を教わるんだい?」

「それは、もっと先輩の閃光少女から……」

「じゃあ、その先輩の先輩の、ずーっと最初の先輩は?」


 ここでツグミは言葉に詰まる。ニワトリが卵を産むのはわかるが、肝心の最初のニワトリを産む卵がわからないからだ。


「ツグミ君。この世界に初めて現れた閃光少女アサヤケグリントは、同時に悪魔と契約した最初の魔女でもあるんだ。あらゆる閃光少女と魔女、それは彼女ただ一人を始祖にもっているということさ」

「そうだったんですか……」


 ジュンコの言いたいことがわかった。閃光少女と魔女に本質的な違いが無いのであれば、閃光少女だろうと魔女のように悪事を働く可能性があるということだろう。


「ジュンコさん、その人の名前は……」

「喋らない方がいい」


 ジュンコが制止した。


「紙にも書いてはだめだ。確証は無いが、何かしらの呪いをかけている可能性がある。最初にこの話をした相手が私でよかったなツグミ君。うっかりしゃべると大変なことになっていたかもしれないよ」


 ツグミの顔が暗くなる。


「とても、いい人そうに見えたんです。お話しできて嬉しかったのに……」


 ジュンコがツグミの肩を叩いて励ました。


「おいおいツグミ君、なにもまだ彼女が犯人と決まったわけではないだろうに。その娘の言う通り、本当に事情があって我々と同じターゲットを狙っているだけかもしれないじゃないか?」

「でも、もしも彼女が犯人だったら、私たちは殺さなくてはいけないんですよね?」

「当然さ」


 こともなげにそう言うジュンコの赤く光る目が、ツグミには恐ろしく見えた。


「暗闇姉妹として依頼を受けた以上、相手が何者であろうと絶対に始末する。それが私と同じ悪魔であろうが、君たち人類が信じている閃光少女であろうが、ね」


 ジュンコの持っていた花火は、とっくに燃え尽きていた。それを捨て、彼女は再び新しい花火に火をつける。


「見たまえツグミ君。魔法なんか無くたって、世界はこんなに綺麗じゃないか」


 ヒトが作った閃光に照らされながら、ジュンコとツグミの夜はふけていった。


 下山村滞在2日目。その日は早朝からずっと雨が降り続いている。

 アカネは下山プリンスホテルのロビーで、神埼先輩から借りている『日本武道史』を読んでいた。


(澤山流拳法ねぇ……)


 暗闇姉妹トコヤミサイレンスが使う格闘技はおそらくこれである。

 澤山流拳法の由来はこうだ。流祖、澤山バイアン(1542~?年)は戦国時代末期から江戸時代初期まで生きた武芸者である。幼名はヨイチと言い、父の仇を討つべく武者修行し、澤山神社にて百日間参篭をしていたら夢に現れた明神より教えを受けて、云々。19歳で父の仇を見事討ち、云々。その後、澤山バイアンと名乗り諸国に弟子たち、云々。その拳法は現代に伝わる。そして、澤山バイアンは70歳にして再び武者修行に、云々。やがて、行方不明となる。以上。

 活字に慣れていないアカネは、なんとかかいつまんでそれだけ理解した。


(要するに、神様の拳法ってわけね。昔の人はどうしてこうも神秘的な権威を好むのかしら?それはさておき……)


 アカネは本を閉じて、ロビー内やその周辺を見回す。三人組の男子がこそこそとささやき合いながらホテルの中をうかがっていたり、高そうなカメラを持った男性が用も無さそうなのにロビーを徘徊し、ホテルの従業員から不審な目で見られていた。しかも、その従業員ですら、なにやらそわそわした様子だった。


(ハカセの策略が効いているのね……)


 これも情報収集作戦の一環である。ハカセことジュンコは、交流会という名のヒーローショーが終わると、下山村観光委員会へ電話したのだ。


「グレンバーン君は下山プリンスホテルに滞在している。疲れていると思うから、この事は絶対に内緒にしておいてほしい。いいかい?絶対だよ」


 絶対の秘密ほど守られないものはない。おかげで下山村の中で、グレンバーンが下山プリンスホテルに滞在していることを、知らない者は誰一人いなくなった。


(人心を操るのが上手い。さすがは、悪魔ってところかしら……)


 グレンことアカネは、ハカセから次のような指示を受けている。


「いいかい?おそらく交流会では人が多すぎて、君への接触を諦めた者がいるはずだ。考えられるとしたら、秘密の情報提供者。あるいは、君を密かに殺したい誰か。君がホテルにいるという噂が広がれば、おそらく探しに来るだろう。君自身の目で見て、的確に判断したまえ」

(秘密の情報提供者、あるいは私を殺したい奴……)


 アカネは引き続き、さりげなく周辺の人物を観察する。ちなみに、サナエはここにはいない。引き続き村内を回って聞き込みをしているのだ。バイクに乗りながら雨に打たれるのは気の毒だが仕方がない。アカネはカメラを構えて徘徊する不審者と目が合い鳥肌を立てるが、風雨に晒されるサナエよりはマシだと自分に言い聞かせることにした。


 正午を過ぎた。さすがに昼食をとるべく、不審者たちも家に帰ったのだろう。人が少なくなったロビーで、アカネはあらかじめ買っておいたサンドイッチを食べた。


(退屈ね)


 そう思ったアカネは、ツグミに連絡をとってみることにした。


「ねーねーツグミちゃん」

「……」

「ツグミちゃん?」


 無線機で呼びかけてみるも返事がない。不審に思ったアカネは自動車電話の方へ電話をかけてみた。ツグミではなくハカセの方が出るかもしれないが、仕方がない。


「アカ……グレンちゃん。今日はすごい雨だね」


 電話の方にはツグミが出た。


「ツグミちゃん、無線機どうしたの?さっきから呼びかけてるんだけど、壊れちゃった?」

「あ……」


 ツグミは何か考えているような間をあけて、答えた。


「うん、そうなんだ。ごめん、6チャンネルの方で私に呼びかけてね」


 アカネは自分の無線機を6チャンネルに合わせてみる。液晶画面付発信機も兼ねたこの無線機は、たしかにツグミがいるのであろうキャンプ場の方向に光の点を灯していた。もともとツグミに割り当てられていた5チャンネルの光点と比べて、それほど距離に差はないようだが。まぁ、そんなことはアカネにとってどうでもいい。


「退屈なのよ。サナエさんは朝から聞き込みに行ってるし。ツグミちゃん、こっちに遊びに来ない?たしかキャンプ場を回るバスがあったわよね」

「ごめん、私お留守番中なの。ジュンコさん、郷土博物館の方へ行っちゃってるから」

「えー?なによそれー」


 となると、電話番をしなければならないツグミはキャンプ場から離れられない。


 下山村郷土博物館では、けたたましいアラーム音が入り口で鳴り響いていた。


「なんだいこの音は?」


 ハカセことジュンコが、音源である博物館入り口にあるゲートを見ていると、博物館の女性職員が小走りで彼女に近寄る。


「すみません、金属探知機が反応しているんですよ」

「なんだって博物館に金属探知機が?」


 職員の説明によるとこうらしい。下山にはラジウム鉱床があり、昔大学の研究チームが採掘を試み、その鉱石が展示されているからだ。無論、人体に危険なレベルではないにしろ放射能があるため、念のため展示ケースを破損しそうな物は博物館入り口で預かる決まりになっているそうだ。


「それなら仕方がないねぇ」


 ジュンコは携帯していたプラスドライバー、マイナスドライバー、レンチなどを職員に預けた。女性職員は苦笑している。


「なんだか妙な……いえ、いろんな物を携帯していらっしゃいますね」

「整備工をしていてね。職業柄さ」

「ところで、それは?」


 ジュンコが工具を懐から取り出している時に、ちらりと竹筒のような物が見え、女性職員がそう質問した。


「ただの竹細工さ。これは構わないだろう?」


 ジュンコがそう言って金属探知機のゲートをくぐる。今度は警報が鳴らなかったので、職員もそれ以上は不問とした。


「まったく、遊びに来たんじゃないってのに」


 下山プリンスホテルで待機中のアカネは、そうやってハカセに悪態をついた。さっきまでツグミを遊びにさそっていたことは棚上げしているのだが、ツグミはアカネとジュンコ、どちらに対しても、それをさほど悪くは思わなかった。

 ホテルの公衆電話を使っているアカネの背後では、ホテルフロントの男性従業員が、今朝から何度も口にしているお断りの文句を、またしても繰り返している。


「ですから何度も申し上げておりますとおり、わたくしどものホテルに滞在中の、お客様のプライバシーに係わることはお答えいたしかねます」


 その言葉を聞いた、メガネをかけた三つ編みの少女がうなだれている。


(あれ?あの子……)


 一冊のノートを抱きしめるように持っているその少女に、アカネは見覚えがあった。昨日ヒーローショーをした中学校の、どちらだったか忘れたが、こんな少女が自分を見つめていた気がするのだ。


「ごめん、ツグミちゃん。また後でかけ直すわ」


 受話器を置いたアカネは、ホテルのフロントに「すみませんでした」と謝罪してすごすごと退散する少女の背中を追った。怪しまれない程度の歩速で、少女の背中に近づく。


「ねぇ、そこのあなた」

「はい?」


 少女は見上げるほど背の高いアカネに呼び止められて怖気づくような素振りを見せる。完全に打ち解けるのは難しいだろうが、しかしなるべく優しい表情をしながらアカネは手を差し伸べた。


「これ、落としたわよ。あなたの財布でしょう?」


 少女は見たこともない財布を前にして、首を横にふる。当然だ。アカネが差し出している財布は、アカネ自身の財布なのだから。


「いいえ、その財布は私のじゃありません」

「本当にそう?もっとよく見て。財布を無くしたら大変よ?」


 アカネはかがみこんで、少女と自分の顔の高さを合わせると、彼女の耳にささやいた。


「グレンバーンを探しているのでしょう?」

「えっ……!?」


 少女が答えに窮すると、アカネは笑顔になって立ち上がる。


「ほら!やっぱりあなたの財布だったじゃない!それじゃあ、中身がちゃんとあるか、お姉さんと一緒に確認してみましょう!ほら、行くわよ」


 完全に誘拐犯の手口である。その事に後ろめたさを感じながらも、アカネは少女の肩を抱き、ロビーのベンチまで歩いていって、二人で腰をかけた。

 強引であったのは間違いない。だが、それにしても少女の怯えようは異常だった。一応、アカネは小さい子供に怖がられる経験を幾多もしている。だが、この少女ほど恐れられた経験はない。すっかり顔色が青くなっている。まさに命の危険を感じているようだ。


「私も……殺すんですか?」

「えっ……!?」


 今度はアカネが面食らう番だった。


「でも、この村には今、グレンバーンさんが来ているんです。あなたがどれだけ隠れていても……例え私が……殺されようとも。あの人が、みんなの仇をとってくれます。あなたの負けなんです!」

「しっ!声が大きいわ……!」


 慌てて少女の口を塞ぐアカネ。周りを見てみたが、幸い、ホテルの従業員はカメラを持った男性と揉めているところだった。アカネはいよいよ体を強張らせる少女の耳もとに口を近づけ、そっとささやく。


「グレンバーンはアタシよ」

「!」


 少女は声が出せないほど驚いている。アカネが少女の耳元から顔を離す。少女はしばらくは信じられないような顔でアカネを見ていた。だが、やがて魔法少女の服装にかけられていた認識阻害の魔法が解けていく。この人は本当にグレンバーンだ。そうわかって安心した少女の目から、思わず涙がこぼれた。


「行きましょう」


 アカネの部屋に、である。少女と一緒に部屋に入ったアカネは、素早く内側から鍵をかけた。その様子をじっと見つめていた少女がアカネに声をかける。


「あの……よかったんですか?私なんかに正体を明かしても?」

「あなた、命をかけて来たんでしょ?」


 だとすれば、いいのだ。もしも閃光少女に友がいるとするならば、このように誰かのために、自分をかえりみずに助けられる者である。


「井上シズカ……下山西中学校の2年生です」


 少女はそう自己紹介をした。今2年生だとしたら、1年前に失踪した田口ケンジとは同級生にあたるのではないかとアカネは思った。


「シズカちゃん、ね。何か、アタシに伝えたかったんでしょ?教えて。あなたは何を知ってるの?」


 シズカは持っていた一冊のノートをアカネに差し出した。


「えっと……これは……?」


 アカネは困惑した。ノートには『感想ノート』と表紙に書かれている。ペラペラとページをめくってみると、『良い点』『気になる点』『一言』と項目が分けられていて、そこに何かしらの感想が書かれていた。その内容はアカネにとっては意味不明だったが、しかし感想と一緒に書かれている名前には見覚えがある。


「これって、行方不明になっている子たちの名前じゃない!」


 どういうことなのか?シズカが説明する。


「それ、田口君が自分の漫画の感想を、友だちに書いてもらうために回していたノートなんです」

「つまり、これは田口ケンジ君のノートなのね?」


 しかし、わからない。つまり、犯人はケンジ君の漫画を読んだ者を選んで誘拐しているのか?何のために?


「その前にちょっといいですか?グレンバーンさんは佐藤コウスケ君を知っていますか?」

「えっと……いいえ、誰かしら?」


 行方不明者の中にその名前はなかった気がする。もちろん、完全に憶えているか自信はないので、忘れているだけなのかもしれないが。


「佐藤君は、家で死んでいました。死因は心臓発作ということになっていますが……」


 アカネは昨日、サナエが言っていたことを思い出した。行方不明者の友人の一人が自宅で心臓発作で亡くなっていた、と。


「でも、それは違うんです!佐藤君は、魔女の呪いで殺されたんです!」

「魔女の呪い……!?」

「私、佐藤君から聞いたんです。山で女の人に会ったって。でも、決して名前を口にしてはいけない。紙に書いてもいけない。そうしたら、二度と会えなくなるからって。でも、きっと佐藤君は口にしてしまったんです。その禁断の名を。だから……」

「二度と会えなくなった」


 アカネが言葉を引き継ぐ。犯人の行動が見えてきた気がする。その魔女は、何度か被害者たちと会い、彼らが気を許して隙を見せたところで山にさらったのだ。そして、もしも自分の事を信用せず、周りに報告されそうになった時のために呪いをかけておいたに違いない。どんな呪いかは知らないが、名前を口にするか、名前を何かに書いた時に、自動的に発動して被害者を殺すのだろう。


「でも、わからないわシズカちゃん。それと、田口君の漫画のファンばかりがさらわれた事に、何の関係があるの?」

「感想文の中に『クサナギミツコ』という名前が、何度も書かれているのがわかりますか?」


 アカネは再び感想ノートをめくる。たしかに、ある。「俺もミツコさんみたいな彼女ほしー」とか、愚にもつかない内容なので気にしていなかったが、似たような感想がいくつも並んでいる。もちろん、書いてあるキャラクターの名前はそれだけではない。だが、女性で、しかも繰り返しでている名前は『クサナギミツコ』だけだ。


「これが犯人の名前?」


 アカネの言葉をシズカは否定する。


「まさか。もしもそうなら田口君は書いたその時点で死んでいます。田口君が描いたのは、名前なんかじゃあないんです」

「……やっとわかってきたわ、シズカちゃん」


 アカネがうなづく。


「田口ケンジ君は、誰にも犯人の名前を言ってはいない。その名前を書いてもいない。そのどちらでもなかった。だから、呪いも発動しなかった。田口君が描いたのは……」


 アカネは『クサナギミツコ』という名前を指さす。


「犯人のイラストよ!田口君は犯人をモデルにして『クサナギミツコ』というキャラクターを描いたんだわ!漫画を見た者たちを、急いで口封じしなければと犯人が焦るほど、特徴をとらえたイラストを!」


 うなずくシズカにアカネは問いかける。


「その漫画はどこにあるの?」

「ごめんなさい、私は持っていません。たぶん、田口君の家にならあると思います。このノートも、最近たまたま見つかったものなんです。田口君の家に行って漫画を探してみたかったんですが、ずっと前からお爺さん、留守にしていて……」


 中学2年生の女の子に不法侵入を期待するのは酷なことだ。だが、アカネにならできる。昨日訪れた田口邸二階の窓が開いていることを知っている。


「ありがとう、後はアタシにまかせて。必ず犯人を特定し、追いつめてやるわ」


 シズカは安堵しながらうなずいた。


「サナエさん!サナエさん!」


 アカネは無線機でサナエを呼び出そうとするが、返事が無い。この場合、無線機の故障ではなく、おそらく風雨の中バイクを運転しているがために、聞こえていないか返事ができないのだろう。今度は無線機を6チャンネルに合わせる。今度はちゃんとツグミと連絡がとれた。


「グレンちゃん、どうしたの?」

「ツグミちゃん!犯人の手がかりがつかめるわ!サナエさんに連絡したいんだけど、たぶんバイクに乗っているから聞こえていないのよ。ツグミちゃんの方で繰り返しサナエさんに連絡を試してくれない?」

「わかった。何て伝えたらいい?」

「田口ケンジ君の家に行って!アタシも行くからって」


 アカネはツグミとの連絡を終えると、シズカを見る。


「シズカちゃんはこれからどうするの?」

「私はこの村から出ます。きっと魔女は私たちを見張っているはずです。電車に乗って……とにかく遠くへ」


 アカネは迷った。犯人がこの少女の行動をどこまで把握しているかは不明だが、このノートの事を知っている限り、彼女は口封じの対象に間違いない。村から遠く離れるのは賢明であるが、果たして無事に駅までたどり着けるだろうか?


「大丈夫です。私は、人目につかない裏道をたくさん知っていますから。グレンバーンさんには、早く犯人を追ってほしいんです!」


 シズカの言葉にアカネはうなずいた。


「わかったわ。シズカちゃん、気をつけてね」


 キャンプ場のテントの中でツグミは無線機のダイヤルを回していた。アカネから頼まれた通り、サナエに連絡をつけるためだ。


「……?」


 ツグミは違和感をおぼえてダイヤルを巻き戻してみる。チャンネルが変わるたびに、液晶画面の光点の位置も変わる。それが無線機の位置を示していた。あるチャンネルに合わせて液晶画面を見つめていたツグミがつぶやく。


「あれ?この動き……どうして……?」


 ツグミは紙とペンを用意し、メモを残すと、レインコートを着てテントの外へ出ていった。


「えーっと、お客さん?下山西中学校でよかったんでしたっけ?今日、学校はお休みですし、グレンバーンも今日は来ていないはずですが?」


 タクシーに乗って移動したアカネは、まさか自分がそのグレンバーンであるとは言えない。


「かまわないですよ。学校というより、その近くに用事がありますから」


 アカネは営業スマイルをしながら運賃を支払い、学校の横でタクシーを降りる。タクシーが去った後にフェンスを飛び越し、校舎の影に隠れて空手型(変身ポーズ)をした。


(変身!)


 昨日と同じ轍を踏むつもりはない。グレンバーンの姿になった後、その上からレインコートを被り、道路をひたすら走った。無論、行き先は田口邸である。道順は、昨日サナエのバイクに一緒に乗って行ったので憶えている。田口邸付近は田んぼや空き地ばかりなので、あらかじめ変身して行くとしたらこの学校しか思いつかなかった。幸い、雨の降る休日に人通りは少ない。それに、下山プリンスホテルにグレンバーンいるという噂のおかげで、ここで誰かに少しくらい見られてもごまかせるだろう。最悪、コスプレイヤーということにしてもいい。


 しばらく走って、やっと田口邸が見えてきた。敷地の外から家の様子を見る。やはり、二階の窓は昨日と同じように、わずかに開いたままだった。さすがにレインコートのまま上がるのは申し訳がないと思ったグレン/アカネは、敷地の中に入り、レインコートを脱いで、塀の隅にあるコンクリートブロックの上に、丸めて置いた。この時、グレンはある変化に気づいた。


(郵便物がポストから消えている!)


 その瞬間、異常な雄叫びが横から迫ってきた。


「きぇああああっ!!」

「ちょっ、待って!」


 鍬を振り回して襲いかかってきたのは、頭頂部が禿げ上がった白髪の老人である。グレンは面識がなかったが、誰なのかはすぐにわかった。被害者である田口ケンジの祖父、田口トモゾウである。


「待ちなさいって!アタシはあんたたちの味方よ!」

「何が味方なもんか!!悪魔の手先め!!」

「アタシは閃光少女!!魔女とは違う!!」

「同じことじゃろうが!!」


 グレンはトモゾウの振り回す鍬を避けながら説得を試みるが、話が通じない。最悪、この老人を殴り倒してでも家の中を調査しなければならないと考えたが、意外なところから助けがきた。


「コラコラ!何をやっとるんだ!?待ちなさい!」

(えっ!?警察官!?)


 グレンがトモゾウの振り回す鍬を抑え込んでいたところに、冴えない中年男性が、警察手帳を見せながら二人に割り込んできた。


「なんじゃいお前は!?警察なんぞクソの役にも立たんわい!!さっさと帰れ!!」

「いや、そうもいかんでしょう。あなたには殺人教唆の疑いがある」

「なに?殺人教唆?」


 鍬を持つトモゾウの手から力が抜けていく。グレンは抑え込んでいた鍬を手放し、トモゾウから離れた。警察官が続ける。


「申し遅れましたが、私は城西署刑事部捜査一課の中村といいます」

(中村……!)


 その名前でグレンはピンときた。サナエには中村ジュウタロウという兄がいて、刑事をしているのだ。つまり、ここにいる中村ジュウタロウ刑事は、サナエが魔法で変身している姿である。サナエがここに来たということは、どうやらツグミがうまく連絡をとってくれたらしい。


「なんで城西署の刑事が城北に来るんじゃい!?」

「そりゃごもっともな質問ですな。ですが、私は666案件、つまり魔法による犯罪を専門とする特別捜査官でしてな。管轄区域を超えて捜査する権限をもっとるんです」


 トモゾウにそう答える中村刑事サナエの口八丁ぶりにグレンは舌を巻く。


「それで、もういっぺん言いますが、あんた殺人教唆の疑いがありますよ?」

「殺人教唆とはなんのことじゃ?」

「とぼけちゃいけませんよ。あんたが暗闇姉妹に人殺しを依頼したことはお見通しなんだ」


 トモゾウは絶句し、手にしていた鍬が地面に落ちた。やがて、膝から崩れ落ち、おいおいと泣き始める。慌てたのは中村刑事サナエの方だ。


「おいおい、何も私はあんたをこれから死刑にするってわけじゃないんだ。お上にだって慈悲はある。事情を話してくれたら、私もなんとか手を尽くそうじゃねぇか」

「……刑事さん、わしゃなにも悲しくって泣いてるんじゃねぇ!嬉しくってぇ泣いてんだ!」


 実際、そういって顔を上げるトモゾウの顔は、泣きながらも満足そうな顔をしている。


「だって、そうだろう!特別捜査官のあんたが俺を逮捕しようと動いたってことはよぉ……暗闇姉妹は本当にいるってことだろうが!わしゃ半信半疑だったんだ……例えこれで、わしがこれから地獄へ落ちようとも、あいつ諸共なら、悔いはねぇ!」


 中村刑事サナエは困ったような顔をしてグレンを見ていたが、やがてトモゾウの肩に手を置きながら言った。


「野郎二人が雨の中、外で話すってのもなんでしょう。とにかく、家の中に入って、事情を聞かせてもらえませんか?」


 トモゾウは何度もうなずき、立ち上がる。


「あんたも今日のところは帰りなさい」


 中村刑事サナエはグレンにそう言うが、二階の窓に目配せしていた。こっそり入って調べてみてください、というサインだ。グレンは小さく窓を指さしたあと「わかった」と唇だけで応えた。


「粗茶ですが」

「こりゃどうも、恐れ入ります」


 田口邸に入った中村は居間に座り、トモゾウが持ってきたお茶を共に喫しながら、二人で座って向かいあった。


「昨日うかがいましたが、親戚の家に行かれていたとか?」

「はい、甥が隣の村に住んでいまして。そちらで……」


 パソコンを操作してもらい『天罰必中暗闇姉妹』にアクセスしたと。本当の刑事ではない中村サナエにとって重要なことではなかったが、トモゾウは自分がしたことを正直に話した。

 2年前に起こった下山川の氾濫。もともと川の近くに住んでいた田口ケンジは、それにより両親を失った。その後、村の外れに住んでいた祖父、田口トモゾウ宅に引き取られる。祖母の方は何年も前に他界していた。祖父と孫の二人だけで、被災者支援金と年金を頼りに、ほそぼそとこの家で暮らしていたのだ。

 被災直後のケンジは、無理もないことだが、暗く沈んでいた。だが1年前、とある出会いによりケンジは変わった。


「はぁ、女の人と」


 中村があいづちを打つ。


「はい。とある少女と出会ってから、ケンジは以前の明るさをとりもどしました。たぶん、その子が好きになったんじゃと思います。わしは直接話したことはないし、なぜかケンジはその少女のことを詳しく教えてくれませんでした。でも、そんなことはどうでもええと思っておりました。元気になったケンジを見て、内心ほっとしとったんじゃが……」


 トモゾウは叩きつけるように湯呑を置く。


「ケンジはあの女に山奥へつれていかれ、殺されたんじゃ!ケンジだけではない!わしは他にも行方知れずになった子供の親たちに聞いてまわったんじゃ!そうしたら、やっぱりあの女の姿を見たという!あいつは山に住んでいる悪魔の手先なんじゃ!なぜ警察は信じてくださらんのか!?」

「……」


 中村は沈黙する。無論、サナエに警察の事情はわからない。だが、日本の司法の限界というものはわかる。まず死体が無ければ殺人事件として捜査はできない。そして、もしも犯人が魔法少女であるならば、その犯罪の証拠を掴むのは非常に難しい。まさか捜査自体をしなかったわけではないにしろ、早々に手詰まりになったのは、容易に想像がついた。


「だから暗闇姉妹にその女の殺害を依頼した、と」


 トモゾウはうなずき、そして口を開く。


「わしは当然、罪に問われるのじゃろうな……」

「まぁ、実際にどうなるかは私の口からは何とも」


 本当の刑事ではないから言えるわけがない。刑事姿のサナエは茶を一気に飲み干すと、トモゾウの目を見つめて尋ねた。


「犯人を、決して許せなかったというわけですな」

「そうじゃ……息子夫妻を失ったわしにとって、ケンジはただ一人残された家族だったんじゃ……憎い……ケンジをわしから奪った、あの女が憎い……!」


 その時、ふと二階から物音がした。


「?」

「田口さん、ちなみに二階の部屋は?」

「物置とケンジの部屋じゃが……何の音じゃろうか?」

「音?私はなにも聞いていませんよ。気のせいですよ。まぁまぁ座っていてください。もう少し犯人の詳しい情報をですな……」


 中村はなんとかトモゾウを引き止めておくよう努力する。二階には今、グレンが侵入しているはずだ。


(見つからない……!)


 二階の窓から田口邸に侵入したグレンは、本棚や机の周りを物色する。そこがまさに目的であるケンジの部屋であるのは良かった。画材が置かれた机や、本棚に並んだ漫画のコレクションを見るに、間違いないだろう。だが、肝心のケンジ本人が描いた漫画が見つからないのだ。


「田口さん、ちなみに二階の部屋は?」

「物置とケンジの部屋じゃが……何の音じゃろうか?」

「音?私はなにも聞いていませんよ。気のせいですよ。まぁまぁ座っていてください。もう少し犯人の詳しい情報をですな……」


 グレンの持っている無線機から階下の会話が聞こえる。サナエが持っている無線機が音を拾っているのだ。グレンがもっている無線機の音もサナエ側の無線機が拾うのだが、サナエ側は無線機の音量を小さく絞っているので、グレンの出す音をトモゾウに聞かれる心配はない。


(トモゾウさんが怪しんでいる。早くケンジ君の漫画を見つけないと……)


 だが、やはり見つからない。考えが甘かったと反省するしかなかった。犯人はすでに漫画そのものを隠滅したに違いない。二階の窓に鍵がかかっていなかったのも、おそらく犯人がもう侵入した後だったからではないか?せめて紙切れにラフでも描いていないかと机の引き出しを開けていると、ふと妙な物に気づいた。


『下山通信』


 なんのことはない、観光委員会が出している広報誌である。何冊か引き出しの中にある。だが、その内容は小学校の催し物とか、どこかで赤ちゃんが生まれたとか、はっきりいって中学生男子が好むような内容ではない。そのカラー印刷で数ページの冊子だけが、この漫画好きの少年の部屋で、場違いな存在に見えた。

 グレンはなんとなく机の上を指でなぞってみる。木製の机には、わずかに凹凸がある。試しにその机の上に原稿用紙を一枚置き、鉛筆で線を引いてみた。線が机の凹凸を拾って震えている。


「もしかして……!」


 グレンは机の上に、まずは広報誌を置き、その上に原稿用紙を重ねた後、鉛筆を横に寝かせて、原稿用紙の表面をなぞっていった。フロッタージュ、すなわちこすり出しである。鉛筆でまんべんなく塗られた原稿用紙が、広報誌の上にわずかに残った凹凸を拾い、かつて描かれた線のネガを写しとる。線が重なっていてわかりにくいが、なにかのイラストを描いた跡だった。


(やっぱり!ケンジ君はこれを下敷き代わりに使って漫画を描いていたんだわ!この面は外れだったけれど、もっと絵の特徴がわかる面があるかもしれない!)


 複数ある広報誌の裏表二面。これらのどれかに『クサナギミツコ』を描いた形跡があるかもしれない。何度目かのトライを経て、やっと姿がわかるネガを写しとった。


「え……でも、まさか……この顔は……?」


 漫画としてデフォルメされていても、グレンには忘れようにも忘れられない顔であった。だが、その反面、何かの間違いではないかと思う。自分が想像するその人物は、最終戦争にて自分をかばって致命傷を受け、まさに自分の腕の中で息を引き取った閃光少女ではないか。お互いに本名を知っているほど親しい仲である。


「草笛ミドリ……?」


 思わずその名前をつぶやいた時、自分しかいないはずの部屋の中で、突如その女の声が響いた。


「ワタクシの名前を言いましたわね」

「え……?な、なにぃ!?」


 突如グレンの右手に植物の蔦が絡みついたのだ。


「部屋の中に潜んでいたのか!?」


 グレンはすぐさま右手を引くが、しかし蔦が右手から離れることはない。蔦は部屋の、どこからも生えてきていない。


「違う!この蔦は……アタシの右手から生えている!」


 右手の甲から、薔薇の蕾が飛び出していた。蕾から伸びる棘付きの蔦がグレンの右手を締め付けている。薔薇の蕾は、まるで人間の口のような形をして喋った。


「あなたはワタクシに二度と会うことはありません」

「ふざけんな!」


 グレンは左手の手刀に炎をまとわせ、右手の薔薇に叩きつけた。これで焼き尽くしてやる!そう思ったグレンであったが、しかし薔薇にダメージが入る様子が見えない。


「まずい!この薔薇……アタシの体を侵食し始めている!アタシの特性を身につけているんだわ!」


 だから、グレンの炎にグレン自身が耐えられるように、薔薇もまたグレンの炎に耐性を獲得しているのだ。しかもまずいことに、叩きつけた左手までもが蔦に絡め取られた。蔦が皮膚を突き破り、そこからさらに細い蔦を伸ばしているのがグレンにはわかる。


「こいつ……このまま血管を遡って、心臓まで登っていく気だわ!これが心臓発作として死んだ呪いの正体……!」


 ピンチはさらに続く。誰かが階段を登ってくる足音が聞こえるのだ。


(まずい!)


 きっと階下にもこの騒ぎが聞こえたのだ。もっとも、聞こえるなという方が無理な相談だろうが。


「な、なんじゃこれは!?」

「トモゾウさん!近寄らないで!逃げて!」


 しかしグレンの願いは届かなかった。彼女の目の前で、その頭に蔦が絡みつく。


 しかし、何か様子がおかしかった。薔薇の蔦はグレンの手には侵食していくのに、グレンの視界に映るトモゾウの頭には、まるで侵食される様子がない。


「あー……アカネさん?」

(えっ?アタシの本名を知っている?)


 混乱するグレンに続けて言う。


「事情はよくわかりませんが……こいつはやっつけてしまっても構わないんですね?」


 しばし沈黙していたグレンは、ついに目の前の人物の正体に気づき、にやりと笑った。


「やっちゃって!サナエさん!」


 トモゾウの姿に変身していた人物が大股でグレンに近づき、彼女の右手から生えている薔薇を鷲掴みにした。やはり薔薇には侵食されない。


「ですが一つ訂正させてください。今の私は正義の魔人、スイギンスパーダです!」


 その叫びと同時に、トモゾウの姿から、半身をそれぞれ銀と赤に色分けされた強化服を身につけた、サナエの姿へと戻っていく。そう、強化服を着た状態のまま、別の人物へと変身していたのだ。アカネは思う。


(昨日サナエさんのバイクに乗った時の違和感の正体はこれだったのね!サナエさんは臆病な性格だから、心臓発作で死んだ子の話を聞いてから、強化服を着たままにしていたんだわ!)


 サナエ改めスイギンスパーダは、重機のようなパワーで、グレンの体から薔薇と蔦を引き剥がしていく。


「ギミャーー!!」


 グレンの体から引き剥がされた薔薇が悲鳴をあげる。スイギンスパーダが力まかせに壁に投げつけると、すぐさま窓を突き破って外へと飛び出した。


「まずい!スイギンスパーダ、逃さないで!」

「安心してください、グレンバーンさん」


 スパーダは刀をすでに半分、鞘に納めつつある。


「奴はすでに、斬りました」


 その言葉と同時に刀は鞘に完全に納められ、地面に落ちる寸前だった呪いの薔薇は真っ二つに裂けると同時に、その緑色の体液をぶちまけて絶命した。


「日本陸軍伝軍刀操法、基礎居合、二本目『右の敵』」


 スパーダはそうつぶやいた。


「な、なんじゃこれは!?」


 遅れて登場した本物のトモゾウが、荒れた部屋の様子とグレンたちを見て驚いている。グレンはスパーダに聞いた。


「それにしても、なんでトモゾウさんの姿で現れたのよ?」

「ちょっとグレンさんを驚かせようと思いまして」


 グレンはあきれたように肩をすくめた。


「本当に驚いたのは、あの薔薇の化け物でしょうよ」


 サナエとアカネの二人は田口邸を後にした。犯人は『草笛ミドリ』。かつてグレンバーンと共に戦っていた閃光少女だ。そうとわかれば、すぐに報告しなければならない。


「ツグミちゃん!応答して!聞こえる!?」

「あ……グレンちゃん……」


 バイクのタンデムシートにまたがるアカネがツグミに無線機で呼びかける。


「犯人の名前がわかったわ!理由があって今はその名前を言えないけれど、アタシはその人の事をよく知っている!すぐに計画を……」


 そう言いかけたところで、アカネはあることに気づく。無線機の向こう側にいるツグミが、どうやら泣いているらしいのだ。


「どうしたの、ツグミちゃん?なんで泣いているの?」

「……犯人の名前……私たちもわかったの。それで……犯人はもう死んだよ……」

「えっと……それなら……」


 良かったじゃない。かつての友の最期をこの目で見られなかったのは気になるが、ツグミが気に病むようなことではないはずだ。


「女の子が……殺されてしまった……あの子が命がけで、ノートに犯人の名前を残してくれたの……」


 そう報告するツグミに対し、まさかと思ったアカネは尋ねた。


「ねぇ、ツグミちゃん……もしかしてそのノート……表紙に『感想ノート』って書かれていたりする?」

「……どうしてそれを知っているの?」


 ツグミの言葉を聞いた瞬間、アカネは自分の顔から血の気が引くのを感じた。


 時は遡る。

 アカネと別れた井上シズカは、そっと下山プリンスホテルの非常口から外に出た。午前中ほどではないにしろ、雨はまだ降り続いている。シズカは傘を開いて歩き出した。


(必要な情報は伝わったはず!あとは、グレンバーンさんがケンジ君の漫画を見つけてくれさえすれば、何とかしてくれる!)


 となると、この村から早く逃げなければならない。下山駅に向かうのだ。乗る電車は、登りだろうと下りだろうと、どっちだっていい。山の魔女から逃げるのだ。下山駅には、ここから歩いて30分ほどかかる。だが、それは普通の道を使う場合だ。シズカがアカネに言った通り、人目につかない裏道を歩かなければならない。15分くらい余分にかかるだろうが、そっちの方が安全だ。

 シズカは路地裏を歩き、時には他人の私有地を抜けながら、やがて駅の側にあるビルの影に身を寄せた。小さな駅が見える。しかし、どうしてもそこへ行くまでには、見晴らしのいい道路の、横断歩道を渡らなければならない。影の中でシズカは辺りをうかがう。午前中から振っていた雨は小雨に変わっていたが、幸い人通りは無いままだった。それでもなお、シズカは傘で顔を隠すようにしながら横断歩道を早足で歩いた。

 駅に着いた。切符を切る駅員がたった一人しかいない、こんな田舎の駅が、すごく安全な場所だと感じられた。シズカはほっと安堵のため息をつき、さしていた傘を畳む。すると、それによって開けた視界に一人の少女の姿が映った。シズカはハッと息を呑む。


「しーっ……」


 シズカにとって見知らぬその少女は、唇に人差し指を当てて、そうシズカを制する。首を左右に振って誰もいないことを確認するとシズカを手招きした。シズカが怪訝な顔をしていると、その少女は唇だけで「グレンバーンのおともだち」と言った。

 シズカの顔がパッと明るくなった。


(そうか、グレンさんが私にボディガードをつけてくれたんだ!)


 同時刻、キャンプ場。


「ツグミくーん!」


 ジュンコが郷土博物館から戻ると、テントがもぬけの殻だった。


「まったくどうしたんだろう?電話にも出ない。無線機にも反応しない。反抗期とやらになったんだろうかねぇ?……おや、これは?」


 ジュンコはメモ書きを発見した。「ツグミより」と最後に書かれているので、おそらく彼女がジュンコあてに残していったものだ。


「……5チャンネルを追ってください?」


 ミニバンに乗ったジュンコは、無線機を5チャンネルに合わせて、液晶の光点に向かって走り始めた。距離はそこまで離れていない。車を走らせ始めたジュンコはすぐに気がついた。


「これは駅へ向かう方向だねぇ」


 下山駅構内に入ったシズカは時刻表を確認する。直近でこの駅を発する電車は30分待たなければ無い。田舎の駅なんてそんなものだ。だが、それくらいの時間なら大丈夫だろう。きっとグレンバーンの友人が守ってくれる。シズカはそう思いながら、ひとまず一番安い切符を自動券売機で購入した。どこまで電車で逃げるかはともかく、差額は到着した駅で精算するつもりだ。


「……あれ?」

「どうしたの?」


 シズカがグレンの友人に答える。


「いつも切符を切ってくれる駅員さんがいないんです」

「ああ、それなら探しても無駄ですわ」

「はい?」


 シズカはそう言う彼女を見る。長袖長ズボンの、リュックを背負った、山ガールの格好だ。すらっとした、自分より背の高いその少女は、高校生だろうか?緑がかったストレートロングの髪が、蛍光灯の光に反射して輝いている。その顔に、優しい微笑みを浮かべながら、少女は言った。


「窓口の奥で倒れていますわ。もう死んでいますの。死因は、心臓発作」


 シズカの顔が青ざめたのは言うまでもない。心臓が早鐘を打っている。


「あ、あなたは……!?」

「どうかしまして?まるで人殺しでも見るような目つきでワタクシを睨んで」


 シズカは震える指先を少女に向ける。こいつだ!この人だ!田口ケンジ君たちを消した犯人が、今、目の前にいる!


「ど、どうして!?私をずっと見張っていたんですか!?」


 裏道を知っている自分を、気づかれずに尾行するなど不可能なはずだ。シズカはそう思っていた。


「いいえ、ちっとも。ただの偶然ですわ」


 ミドリは肩をすくめる。


「グレンバーンさんがホテルに泊まっている。この村の人間は誰しもそれを知っていますわ。だからワタクシは考えたの。もしかしたら、誰かがこっそり彼女に告げ口をするんじゃないか、と。ワタクシはただ、待っていただけですわ。逃げるために駅へと駆け込んで、ホッと安堵のため息をつくような、誰かを」


 ミドリはシズカが抱きしめているノートを見た。表紙に『感想ノート』と書かれている。それで事情を察した。


「あなたの考えていることはわかるわ。グレンバーンに、田口ケンジ君が描いた漫画を見つけてもらえば、ワタクシを探しだせると思ったのでしょう?残念ながら、ケンジ君の漫画はワタクシが全て処分しました。だから、もう危険はないの。ワタクシの事を探ろうとする、あなたのような者さえ居なくなれば」


 ミドリはシズカに迫る。


「あなたの名前がわからなくたって、いつかは誰かがあなたを見つけるわ!」

「ふふふ、それは無理な相談ね」


 ミドリは祈るように両手を重ねると、閃光少女の姿に変身した。深緑色の修道服のような衣装に変わったミドリが、さらにシズカに迫る。


「ワタクシは閃光少女。この服は、人の認識を阻害する魔法が込められていますの。事実、あなたはワタクシの容姿を知らなかったでしょう?容姿でワタクシを特定することなどできません。もっとも、直接変身するところをあなたのように見られたら効果はありませんが……これから死にますから関係ありませんわね」


 シズカは唖然としながらそれを聞いている。


「ワタクシの正体をずっと探していたのでしょう?ワタクシの名前は草笛ミドリ。『クサナギミツコ』のモデルはワタクシですわ。ほら、他の人にも教えてさしあげなさいな。ワタクシが人殺しの犯人です、って」


 シズカは口を一文字に結び、ミドリを睨む。


「……ワタクシの呪いの秘密を知っていましたのね。そこは、予想外ですわ。ですが、素直に口にした方がいいでしょう。ワタクシなりの慈悲ですのよ?」


 ミドリはちらりと駅の時計を見る。


「もう間もなくですわ。この駅を通るのは、何も普通の電車だけではない。時々、コンテナを積んだ貨物列車が通りますの。当然ですが、この駅に止まることなく、高速で通り過ぎますわ。そこで、ワタクシはその列車の前にあなたを落とす。その後、ワタクシは閃光少女の衣装を脱いで立ち去るだけでいい。わかるでしょう?誰もワタクシを追いかけることなどできないと。ワタクシはどちらでもいいの。あなたに死に方を選ばせてあげる」


 シズカは沈黙して、恐怖に震えていた。だが、やがて意を決したように、その瞳に光を宿す。


「私は……あなたの名前を言っていない……!」

「んっんー?」


 ミドリは、だから何なんだといった調子で、鼻で笑う。


「全部……あなたの口から出た言葉なんです……自分の本名だとか……人殺しの犯人だとか……閃光少女の服を着たのも、あなたが自分からやったことなんです!」

「それが、どうしたっていいますの?」


 シズカは、ミドリの後方を指さしながら叫んだ。


「そこのお姉さん!!ここから逃げて!!」

「はぁ!?」


 ミドリは振り返った。そこには、シズカから『お姉さん』と呼ばれたツグミがいた。しかし、ツグミは逃げようとしない。それどころかこちらに駆け寄りながら、水筒に入っていた液体をミドリにぶちまけた。


「きゃああっ!?な、なんなのよ、コレ!?」

「ランタンに使う灯油です。あなた……その子に何しようとしてたんですか!?」


 ツグミは即座に、手持ち花火に火をつけた。ミドリの動き方次第では、それで彼女の体を燃やすつもりだ。


「や……」


 シズカがツグミに叫ぶ。


「やめてください!!逃げてください!!普通の人間が、閃光少女に敵うはずがない!!」

「……ワタクシも、それに同意いたしますわ」


 そう言うやミドリは、変身を解除した。つまり、灯油が染み込んでいた閃光少女の服装から、そうではない長袖長ズボン姿に戻ったのだ。したがって、ツグミは花火の閃光を向けたが、引火しなかった。ミドリはツグミの持つ花火をはたき落とすと、両手で彼女の首を締め上げようとした。


「ワタクシを誰だって思っていますの!」


 しかし次の瞬間、ミドリの目から火花が散った。ツグミが左拳をこめかみに叩き込んだからだ。いつの間にか手が首から外されている。ミドリは柔道でいう肩車投げの体勢でツグミに抱え上げられ、そのまま勢いよく窓ガラスに叩きつけられた。粉々に砕かれたガラス片と共に、ミドリの体が駅の外へと転がり出る。すぐにツグミが窓枠を乗り越えて、倒れているミドリの傍に立った。その右手に鋭利なガラス片を持ち、そして、氷の表情を浮かべながら。


「あなたこそ……私を誰だと思っているの?」


 四つん這いになりながら体を起こすミドリが、突如高笑いを上げる。


「ふふふ……あはははははは!ついに本性を現しましたわね!あなたのような殺人鬼に、ワタクシを断罪する資格がありまして!?」


 だが、その語気の強さとは裏腹に、ミドリはそれ以上戦う力は無いようだった。もっとも、魔法を除いてだが。ツグミが無言のまま手に持ったガラス片を振り上げた時、それは起こった。


「いやあああっ!!」

「!?」


 悲鳴を耳にしたツグミは、即座に駅の中へ引き返した。見ると、先ほど助けた少女が、彼女自身の右手から生えている薔薇から伸びる蔦によって、体中を締めつけられている。痛みに悲鳴をあげながらも、少女は自分へ近づこうとするツグミに向かって叫ぶ。


「だめよ!!近づいちゃだめ!!あなたまで死んでしまう!!」

「落ち着いて!!大丈夫、助けるから!!」

「……無理よ」


 シズカは首を横に振った。薔薇の呪いが、自分自身と同化していくことにより、この化け物の狙いが、シズカ自身にもわかった。殺すつもりはないのだ。少なくとも、目の前にいる少女ツグミを蔦で巻き込むまでは、自分を死なない程度に痛めつけるつもりだ。だったら、この人を助ける方法は一つしかない。


「行って!!証拠は処分されてしまった!!あの女の正体を知っているのは、あなたしかいないの!!」


 はたしてミドリが説明していた通り、この駅に向かって貨物列車がやってくる。時速は90キロぐらいだろうか?十分だ。それなら、十分だ。


「あなたや……グレンバーンさんなら……きっとあの女を倒せる……!やって!!私たちの仇をとって!!みんなのうらみを晴らして!!」

「待って!!」


 ツグミが制止するのも聞かず、シズカは線路に飛び降りた。人間の肉が砕け散る音が駅に満ちる。間もなく貨物列車が緊急ブレーキをかけるが、実際に止まったのは200メートル以上も進んでからだった。真っ赤な鮮血の花が咲いた線路を見つめ、ツグミはその場にへたりこんだ。その背後に、びっこを引きながらミドリが近づいてくる。


「あなたが……この駅に来た理由が……やっとわかりましたわ……」


 その手には無線機が握られていた。それを一瞥するツグミの手にも、同じ形状の無線機が握られている。その無線機は発信機も兼ねている。ミドリが持つ無線機の液晶画面にも、チャンネルが合わせられた別の無線機の位置を示す光点が点滅していた。


「リュックの中に入っていました……いつかしら?温泉に一緒に入ったときから?あなた、ワタクシを疑っていましたの?」

「……疑っていたわけじゃなかった」


 ツグミが立ち上がりながら振り返る。


「ただ……あなたが、グレンちゃんに対してサプライズがしたいと言った時、私は、グレンちゃんにもサプライズをする権利があるんじゃないかと思った。それだけだったの。私はあなたが、ずっと山に住んでいるとばかり思っていた。山の中で課題があるから離れられないって……でも、今あなたは山にいなかった。だから不審に思ったんです」

「そう……」


 ミドリは無線機を無造作に投げ捨てる。


「なら、あなたもその無線機で、仲間にワタクシの名前を伝えたらいかがですか?いくらあなたが強くても、ワタクシが魔法を使えばあなたは死ぬ。漫画とあの女を始末した今、ワタクシの名前を知っているのはあなただけ」


 ミドリは再び閃光少女の衣装を身にまとった。灯油が染み付いているが、今なら、ツグミが火を使うまえに魔法で殺せると考えたのだ。


「本当に、残念ですわ。ワタクシがオウゴンサンデーと敵対しているのは、嘘ではなかったの。あなたの事、本当に同情していましたのよ?お友達になれたのに……」


 ツグミはしばらく無線機を見つめていた。そして、首を横に振った。


「あなたとは友だちになれないよ……ジュンコさん」

「は?」


 ミドリは、そんな名前で呼ばれる筋合いなどなかった。だが、ツグミにはその名前を呼ぶ理由があった。液晶画面に映る光点が、ツグミの現在位置と重なっている。


「ジュンコさん、犯人はその人です」

「了解した」


 ミドリは、その冷たい声が聞こえた方向に顔を向けた。赤く光る二つの瞳が自分を見据えている。白衣を来た女性が、自分の眉間に短い竹筒を向けていた。まるで拳銃のように。


「Trick or Treat」


 ジュンコがそうつぶやくと、竹鉄砲が火を吹いた。口径20ミリの、粘土で作られた弾丸が、秒速300メートルで射出される……とジュンコは想定していたが、発射したとたん砲身(和紙で固めた、ただの竹)が破裂したため、おそらくそこまでの初速は出ていない。だが、目の前の女の頭蓋骨を、木刀を振り下ろされたスイカよろしく、粉砕するには十分だったようだ。火薬から生じた燃焼ガスが灯油に引火し、花のようにパックリ開いたミドリの頭を乗せた体が、糸が切れたように炎の中に崩れた。


「ジュンコさん……」

「だいたいの事情は無線機越しに聞いていたよ。ご苦労だったね。しかし早く撤収しなければ。いくら田舎とはいえ、これだけ騒ぎを起こせば、そのうち人が集まってくるはずだ」

「これ……」

「うん?」


 ツグミは一冊のノートを拾っていた。表紙には『感想ノート』と書かれている。ツグミはそのノートの、とあるページをジュンコに見せた。


「……なるほど。君の目の前で死んでしまった少女は、私たちに残そうとしたんだねぇ。名前を言ってはいけない女の名前を」


 そのページには、シズカの血で書かれたメッセージが残されていた。人差し指を噛み切って、それをノートに押し付けて書いたのだろう。『クサブエミドリ』という名前が、痛みに震える手で、大きく書かれていた。


 グレンから無線機で連絡が入ったのは、このすぐ後のことだった。ジュンコの運転するミニバンの助手席に揺られながら、ツグミは応答する。


「どうしたの、ツグミちゃん?なんで泣いているの?」

「……犯人の名前……私たちもわかったの。それで……犯人はもう死んだよ……」

「えっと……それなら……」

「女の子が……殺されてしまった……あの子が命がけで、ノートに犯人の名前を残してくれたの……」

「ねぇ、ツグミちゃん……もしかしてそのノート……表紙に『感想ノート』って書かれていたりする?」

「……どうしてそれを知っているの?」


 小降りになっていた雨が、ふたたび勢いを増した。線路に残された少女の血潮を洗い流そうとするかのように。


 サナエと一緒にバイクに乗ってきたグレンは、キャンプ場でツグミたちと合流した後、ジュンコのミニバンの後部ドアを開いた。人間の大きさをしたそれは、防寒用のアルミシートにくるまれて、無言のまま横たわっている。アルミシートをめくって死体を確認したグレンは、それが自分の想像通りであったことがわかった。かつての親友、草笛ミドリの仕業である、と。


「ちょっと待ってください!犯人が生きているって、どういうことですか?」


 グレンがテント内に入ると、ツグミがジュンコに食って掛かっているところだった。ジュンコの隣にはサナエが座っている。いや、厳密には強化服を再び装着したので、スイギンスパーダと呼称するべきか。


「ジュンコさんが、頭を撃って、それで……」


 だが、入ってきたばかりのグレンも含めて、犯人が死んだと想っているのはツグミただ一人である。ここにはいないが、無線機で報告を聞いたオトハでさえも、犯人は生きていると、疑っていない。


「グレン君、君なら彼女の手口がわかるだろ?」


 ジュンコの言葉にグレンがうなずく。


「ツグミちゃん。あなたたちが倒したのは、あいつの藁人形にすぎないのよ。いや、つた人間と呼ぶべきかしら?植物が集まってできた操り人形。あいつの身代わりの一つに過ぎなかったのよ」


 事実、グレンが死体を確認した時には、すでに人形ひとがたにより集まった植物の蔦の塊でしかなかった。魔法少女の服装に込められているような、認識阻害魔法の応用である。同じ魔法少女でさえ、そのカラクリを知らずに見れば、人間としか思えないだろう。


「ツグミ君、私からなるべく離れていたまえ」


 ジュンコはそう言うと、紙とペンを用意した。隣にいるスパーダが身構える。ジュンコは紙に『草笛ミドリ』と記入した。しかし、何も起こらない。


「今度は君がやるんだ」


 ツグミはジュンコからペンを受け取り、恐る恐る『草笛ミドリ』と記入しようとした。次の瞬間である。


「ワタクシの名前を書きましたわね」


 ツグミの右手の甲から薔薇の蕾が生えてきた。蕾は人間の口のような形をしてしゃべる。


「あなたはワタクシに二度と会うことはありま……ギミャーー!!」


 待機していたスパーダが薔薇をツグミの手からむしり取った。さらにグレンが赤熱した手刀を薔薇の化け物に押し付けると、体液を沸騰させて萎んで死んだ。やはり同化される前であればグレンの炎は有効そうである。ツグミはかさぶたを無理やり剥がされたような痛みで顔を歪めながら、テントから顔を出して外の様子をうかがった。幸い、他のキャンプ客からは怪しまれなかったようだ。ジュンコがうなずく。


「どうやら、彼女の名前の音か、手の動き。つまり名前を書こうと神経が指を動かそうとしたら自動的に発動する呪いのようだねぇ」


 グレンが首をひねる。


「わからないわ。直接会ったツグミちゃんはともかく、どうして私の右手にも呪いが仕込まれていたのかしら?」

「おそらく、タンポポが綿毛に乗せて種を飛ばすように、人から人へと分散していく仕組みなのだろう。直接、その閃光少女に会ったツグミ君はともかく、ここに来たばかりの私には種が付いていなかった。グレン君に付いていたのは、たぶん中学校でたくさんの人と会ったせいだろう」


 グレンが勢いよく立ち上がる。


「待ちたまえ」


 ジュンコが彼女を制した。


「まずいわよ!それって、村の人間が、ほとんど全員人質にとられているようなもんじゃない!早くみんなの呪いをなんとかしないと……」

「まずは座りたまえ、グレン君」


 ジュンコは譲らない。


「さっきから気になっていたんだ。駅で死んでしまった女の子の事もそうだ。自分が彼女を守り続けていれば、こうはならなかったと思っているんだろう?」

「そうよ!当たり前じゃない!」

「君はヒーローではないんだ!」


 ジュンコの意外な剣幕に、グレンは口を閉じた。


「我々全員も、ヒーローではないんだ。わかるかい?ここに来たのは、殺された人たちの怨みを晴らすためだよ。一番に優先するべきなのは、ターゲットを速やかに抹殺することだ。誰かを守ることではない」

「そんな……」


 ジュンコの、あまりと言えばあまりの言い方にツグミは閉口する。さらに激したのはグレンの方だ。


「なんなのよ!その言い方は!」

「ちょ、ちょっとグレンさん、落ち着いてください!それにハカセも、助けられる命は助かった方がいいじゃないですか!?」


 ジュンコに掴みかかるグレンをスパーダが止める。


「私とて、それは否定しないよ。助けられるなら助けてやればいいさ。だけど、やはり優先するべきはターゲットの抹殺だ。君は田口家に行くことを優先したじゃないか?それは間違いではなかったと私は言っているのだよ?ここで間違いを起こさないでくれ」

「あんたと話していても埒が明かないわ!」


 グレンはジュンコを突き放すと、テントの外へ出ようとした。


「グレンちゃん!?どうするの!?」


 ツグミが心配そうに尋ねる。


「あいつをすぐにぶっ殺せばいいんでしょ!そうすれば呪いも解ける!今すぐ山に行ってくるわ!」

「いや、それは無謀だね」


 尻もちをついたジュンコがグレンに語りかける。


「ターゲットの、その閃光少女が、昔を懐かしむためにノコノコと君に会いに来るとでも思うのかい?これから日が沈む山中のどこか、あてもなく探したところで、見つからないどころか、暗闇から奇襲されて終わりだ。それに、君は炎の閃光少女だろう?この雨の中で力が出せるのかい?」


 グレンはジュンコの一言一句に腹が立ったが、しかし、彼女の言う事はもっともだと、頭では理解するしかない。


「じゃあ、どうすればいいのよ!?」

「それを考えるのが私の役目だ」


 起き上がったジュンコは、テントから顔を出して外を眺めた。天気予報や各種測定器を使うまでもなく、雨は終日振り続けるであろうことは明らかだ。


「今日のところはホテルに帰ったらどうかね?英気を養うといい。ただグレン君。念のためツグミ君は君の部屋で預かってくれないかい?逆にサナエ君は私と一緒にいてもらうよ」


 グレンとしては不承不承ではあるが、そうするしかない。しかし、ジュンコのミニバンに乗るのは拒否した。正体を隠す都合があるにせよ、やはり腹に据えかねているのだろう。


「お安い御用ですよ」


 サナエの方はジュンコと一緒にいるのはやぶさかではないようだが、ジュンコから

「徹夜してでも組まなければいけない機材がある、手伝ってくれ」と言われて、苦笑いを浮かべる。ツグミは「ホテルに行く前にコンビニに寄ってくれませんか?」とジュンコに頼んだ。ひとまず、解散である。


「グレン君、今晩ゆっくり考えてみたらどうかな?自分が本当に、暗闇姉妹としてやっていけるかどうか。君にとって、この仕事が辛すぎるなら、無理強いはできないよ」


 グレンはキッとジュンコを睨むと、雨の中へ飛び出して行った。


 ジュンコはツグミをホテルに届けた後、キャンプ場で一人になった。念のため、サナエにはバイクでホテルの周りを一巡してくるように頼んでいる。ジュンコは後部ドアを開いて、再び蔦人間の死体を確認すると、手に持っていたガイガーカウンターが、わずかに反応した。


「もしかしたら、これが手がかりになるかもしれない」


 ジュンコは一人、そうつぶやいた。


 ホテルの部屋に帰ったグレン改めアカネは、無線機でオトハに、ジュンコの言動を愚痴る。ただ、オトハはジュンコに全面的に同意しているわけではないにしろ、アカネを危うく思っているのは同じのようだ。


「アッコちゃんがつらいのは、よくわかるよ。でも、どこかで自分と被害者たちに戦引きをしなくっちゃ、アッコちゃんの心がまいっちゃうよ」

「何も感じない方がいいの?」

「というより、割り切る必要があるんじゃないかな。アッコちゃん、私たちは『暗闇姉妹』のホームページの書き込みを見て動くよね?」

「それは、うん。そうね」

「だからさぁ、ある意味では、その時点ですでに手遅れなんだよ。誰かの怨みを晴らすということは、その誰かは絶対に非業の死をとげているわけなんだから」

「……せめて、なるべく早くターゲットを殺して、次の被害者がでないように努力した方がいいってことかしら」

「それも、そう。ただ、もしもターゲットが次の被害者を襲ったとして、その人を助けない方がターゲットを倒しやすいとしたら、どうする?手の内を見るとか、証拠をつかめるとか」

「ええっと…………なによ、それ!意地悪な質問ね!」

「ごめんね。でも、この仕事を続けていくとすれば、絶対にそういう場面に出くわすと思う。その時のことを想像してみて、本当に続けていけるかどうか……」


 アカネは沈黙する。その時、部屋にツグミが入ってきた。これ幸いとばかりにオトハに言う。


「ツグミちゃんが帰ってきたわ。また連絡するから。オトハも雨で大変でしょうけど頑張ってね」

「おつかれ~」


 アカネにはわからなかった。もしもオトハの言うような状況になったら、どうしたらいいのだろうか?誰の願いを一番に優先したらいいのだろうか?自分はその結果を受け入れることができるのだろうか?


 ツグミはパンパンに膨らんだコンビニの袋から、ハンバーガーやサンドイッチなどの食料を取り出した。


「アカネちゃん、お腹すいてない?」

「うん、ありがとう。いただくわ」


 ハンバーガーを1つ取ると、コンビニの袋の中に赤ワインのボトルが2本も入っているのに気づいた。アカネは意外に思う。


(ツグミちゃんって、嫌なことがあったらお酒を飲むタイプだったんだ……)


 当然、未成年であるアカネにそういう嗜癖はない。ただ、今はそういうのが必要かもしれないと思ったアカネは、サンドイッチを頬張るツグミに聞いてみた。


「アタシもお酒……もらってもいいかしら?」

「え?飲むの?」


 ツグミは驚いていたが、部屋に置いてある湯呑に甲斐甲斐しく赤ワインを注いだ。一応、自分の分も少しだけ注ぐ。湯呑を掴んだアカネは、その匂いを嗅ぐ。少しだけパンに似た香りがするその液体を、そのまま一気に飲み干した。


「えふっ!えふっ!」

「アカネちゃん、大丈夫?」


 アルコールで咳き込むアカネは、飲んだワインが胃の中に落ちて、そこで熱くなるのを感じた。だが、正直にいってこんな物の何が良いのかとも思う。ツグミも息を止めて喉に流しこむが、あまり美味しそうな顔はしていなかった。


「お酒、好きなの?」

「まさか。アタシだって未成年よ」


 じゃあなんで飲んだの?とはツグミは言わない。たぶん、疲れているのだ、と解釈したらしい。


「もしかしたら明日は雨が止むかもしれない。アカネちゃん、早めに休んだ方がいいよ」

「ありがとう。ツグミちゃんって優しいのね」


 アカネは思う。直接手を下さないにしろ、この優しい性格をしたツグミの方が、暗闇姉妹の仕事はつらいのではないか、と。それならば、ジュンコやオトハが自分の適正を疑うのはおかしいともアカネは思った。


「お酒、もう飲まなくても大丈夫?」

「ありがとう、もう十分だわ」


 毛細血管が広がる感覚を味わいながら、アカネが首を振った。まさか酔うほど飲むつもりはない。


「それじゃあ……」


 ツグミは赤ワインのボトルを持ってどこかへ行こうとする。


「?」


 不思議に思ったアカネがツグミを追うと、ボトルに入っている赤ワインを洗面台の排水口に流し込んでいるではないか。


「えっ?えっ!?」

「あ、ごめん。やっぱり飲みたかった?」


 アカネは急いで首を横に振る。ツグミは再び赤ワインを捨てながら言った。


「空き瓶に灯油を入れておこうと思って。役に立つかもしれないから」


 その言葉に、アカネはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。ツグミの方が暗闇姉妹の適正が無いと考察していた自分が恥ずかしくなる。ただ感傷にふけり、あるいは愚痴をこぼしている自分こそなんなのだ?ツグミは今この瞬間にも、草笛ミドリを殺すことだけを考えている。洗面台に流れる赤ワインが、あるいはツグミが流す血のようにも見えた。きっとツグミは、同じように自分の体と心の血を流そうとも、相手を殺そうとする強い意思をもって、やりとげるのだろう。だが、そんなことをツグミ本人に伝えられるわけがない。


「あーあ!たしかに、ツグミちゃんの言う通りだわ!アタシきっと疲れているのよ」


 アカネはわざと明るく、そう言ってベッドに向かう。


「ツグミちゃんの言う通り、早めに休むことにするわ。おやすみ!」

「うん、おやすみ」


 ツグミが2本目のボトルを空けながら返事をした。


(死んでしまった、あの女の子の願い……それに応えなければいけないんだ)


 真っ赤な液体を目で追いながら、ツグミは血潮のメッセージに思いを馳せた。


 アカネはベッドに横になり、そして中学生たちからもらった寄せ書きを眺める。


(それでもアタシは……やっぱり生きている人たちからエネルギーをもらっているんだと思う……)


 アカネはそのまま目を閉じた。きっと眠れないだろうと思ったが、少しだけ何も考えない時間をもつことができた。


 夜が明けた。それより1時間ほど前から目覚めていたアカネは、カーテンから漏れる光を見ると、すぐに窓を開いて外を見た。曇天の空に、雨は降っていない。


「おはよう!寝坊助さん!」

「むにゃ」


 意外とどこでも深く眠れるらしいツグミが目をこすりながら起きる。二人の少女は昨夜残していたパンを朝食として食べると、ホテルから出ていった。


 キャンプ場。テントの中にいたジュンコは、足音が近づいてくるのに気がついて外に出た。少女が二人、歩いてくる。一人は知っている。ツグミだ。もう一人の、背の高い方の少女がジュンコに名乗った。


「鷲田アカネよ」

「それは、どうも」


 ジュンコはとぼけているわけではない。本当に誰だかわからないのだ。


「アタシが、グレンバーンよ」

「ふむ」


 ジュンコがうなずいた。


「私に正体を明かすとは、何か心境の変化でもあったのかい?」

「アタシにわかっているのは、アタシなんかまだまだ未熟だってことだけよ。けどね……」


 アカネは右拳を前に出し、それを握りしめる。


「中学校で会ったアイツら……すごく気のいいヤツらだったのよ。アイツらの気持ちを考えたら、アタシの心なんてどうでもいい!どんなことがあっても、この仕事をやり遂げてみせる!」


 ジュンコとアカネは、しばらくお互いの目を見つめ合った。そして、ジュンコがにやりと笑った。


「君を中学校へ行かせたのは、正解だったみたいだねぇ」


 ツグミがテントの入り口を見ると、そこからゴソゴソとサナエが出てきた。眠そうに目をこすっている。


「ふぁ~。ツグミさん、おはようございます」

「おはよう、サナエちゃん。眠たそうだね」

「昨夜はジュンコさんの工場まで戻って徹夜しましたからねぇ……ふぁ~」


 あくびをしているサナエを見てジュンコが手を叩く。


「そうそう、グレン君。いや、今はアカネ君か。とにかく、君に渡したい物があるんだ」


 ジュンコは半分眠っているサナエの頭を撫でる。


「サナエ君も頑張って組み立て作業を手伝ってくれたよ。しかし人間というのは不便な生き物だねぇ。眠らないと力が出せないなんて。バイクの運転は大丈夫かい?」


 サナエが目を見開く。


「大丈夫ですとも!トモゾウさんの怨み、今こそ晴らしましょう!」


 そう言って気合を入れた。同じくらいの年齢の祖父をもつ身として、思うところがあるらしい。


「アタシに渡したい物ってなによ?それがあれば、アイツを見つけられるの?」


 ジュンコがアカネに振り向く。


「そうだとも。請け合うよ。在日米軍基地にいる友人から横流ししてもらった物を改造したんだが……それよりアカネ君」


 ジュンコが空を見上げた。


「今は曇っているが、雨が降るかもしれない。私の観測では、確率としては50%だ。しかし、ヒスイローズがツグミ君を狙ってくる可能性がある以上、彼女がなにか仕掛けてくる前にこちらから襲撃したい。やってくれるかね?」

「ヒスイローズって?」


 ツグミが疑問を挟んだ。


「ターゲットのコードネームさ。いつまでも『名前を言ってはいけないあの女』と呼ぶのは不便だからねぇ。まさかとは思うけれど、閃光少女の方の名前とかぶったりはしていないよね?」

「大丈夫よ。名前のことも。天気のことも。闘うことも」


 アカネは掌に拳を叩きつけた。


「やるわよ!今こそ、出陣の時!」


 ジュンコの運転するミニバンが下山川沿いの道路を、下流に向かって走る。助手席にはツグミが座り、後部座席が折りたたまれ広くなったスペースにはアカネがしゃがんで待機している。アカネはもう一度、防水バッグに入っている装備を確認した。


「よし!対向車は見えなくなった!もういいだろう!」


 ジュンコが後ろに向かって叫ぶと、アカネはミニバン側面のスライドドアを開き、防水バッグを川に向かって放り投げた。そして、自身もまたミニバンから飛び出し、川に向かって落下する。


「変身!!」


 アカネの全身が赤い炎に包まれた。炎は間もなく収まり、真紅のドレスと、それとは不釣り合いな無骨な籠手を装着した、閃光少女グレンバーンとして姿が現れる。グレンは体を翻して川に着地した。水深は10センチ程度で、川底の石が透けて見える。戦う場所としては申し分ない。先に落下していた防水バッグを掴むと、グレンは一番近い山林へと突入していった。

 その様子を見届けたツグミが無線機に叫ぶ。


「サナエさん!グレンちゃんは無事に山に入りました!」

「見えていましたよ!了解です!では、作戦通りに行きましょう!」


 ミニバンから100メートルほど距離を開けて追走していたサナエが、スーパーバイク、マサムネリベリオンのアクセルを吹かし、ミニバンを追い越していった。しばらくして、サナエから通信が入る。


「こちらパトロールワン!合流地点の安全を確認しました!どうぞ!」

「もしもし、サナエ君?了解した。今からツグミ君をそこへ連れて行くよ」


 そうジュンコが応答する。


 やがて下山川沿いのとあるポイントで、ツグミはミニバンから降りた。そこには堤防に階段がついており、ツグミでも必要があれば河川敷に降りることができる。ツグミは背負っていたリュックサックから、双眼鏡を取り出した。


「ではツグミ君、君の役割を確認しておこう。君の仕事はグレン君の誘導だ。グレン君は君の発信機を頼りに山中からこの河川敷まで敵を誘導する。必ずしもここに直接出てこられるとは限らない。双眼鏡で周りをよく見張ってくれ。そして、グレンバーンとヒスイローズが河川敷に出てきたら、すぐにサナエ君に連絡するんだ。グレンバーンとスイギンスパーダのコンビで敵を叩く。それまで、サナエ君はこの周りを巡回しているから、危なくなったらすぐに呼ぶように」

「わかりました!」


 まもなくジュンコのミニバンが去っていった。彼女はこれから電波の良い場所へ陣取るのだ。ツグミは無線機でグレンの位置を確認する。険しい山道も閃光少女にとって問題にはならないらしく、光点はどんどん山中へと進んで行くのだった。


 山林を突っ切って急峻な斜面を一気に駆け上がったグレンは、そこで防水バッグを開封した。そこにはメカの塊のようなゴーグルが入っている。グレンは、ダークグレー色に統一された、ほとんど目隠しのようにも見えるそれを顔に装着した。事前に教えられた通りにスイッチを入れると、ゴーグルのカメラ越しの映像がグレンの瞳に投影される。無骨な見た目のわりには、視界は悪くなかった。ダイヤルをひねり、通信を開始する。


「こちらグレンバーン。ハカセ、聞こえる?」

「通信は良好そうだ、グレン君」


 グレンのゴーグルからハカセことジュンコの声が返ってきた。


「待たせたわね。下山しもやまに潜入したわ」

「ああ。では、君が装備しているゴーグルについて、もう一度説明しておこう」


 ジュンコが事前に説明していたことを繰り返す。現場でこれから初めて使うのだから、おさらいをしておいた方がいいだろう。


「そのゴーグルは米軍が使っているサーマルゴーグルを私が改造したものだ。ボタン一つで通常の視界と、熱分布画像とを切り替えることができる」


 グレンがゴーグルのボタンを押すと『スキャンモードを起動します』という電子音声とともに、視界が一変した。


「切り替えてみたけど、視界が全部青いわよ?」

「そりゃ昨晩までずっと雨が降っていたのだから森は冷えているよ。だからこそ何かが潜んでいればすぐにわかるはずだ。おっと、あまり君自身を見ないでくれよ。カメラが焼きついてしまうからね」

「無線機も組み込んだんでしょ?」

「だから私たちとこうして会話ができる。それに、発信機も改良した。視界の隅に地図が見えるだろう?」

「ええ」


 その地図には5つの光点が点滅を繰り返している。それぞれ、ジュンコ、ツグミ、サナエ、オトハの無線機の位置だろう。実際、今度の地図には光点の横にチャンネル番号が付記されている。各機の位置を全て同時に見られるようにジュンコが改良したのだ。しかし、ここには自分の光点は表示されないはずなので、1つ余分にあることになる。


「それは大学の研究チームがいたところだねぇ」


 ジュンコの説明によると、昔この山でラジウム鉱石を採掘してみる実験を大学の研究チームがしたそうだ。まったく採算には合わないので研究は中止されたが、その地点はラジウム鉱床が地表付近にあるため、放射線量が高い地域となっている。


「蔦人間をガイガーカウンターで調べたら、わずかだが放射線を測定することができた。地表の養分を吸って成長する植物は、体内に放射性物質を取り込みやすいものだからね。第一の候補として、その地域を調べるのが近道だと思ったのさ」

「それにしても、ずいぶん詳しいのね」

「郷土博物館で見たのさ。なにか下山に関する情報はないかと思ってね。決して遊んでいたわけではないんだよ?」

(遊んでない?それは本当かしら?)


 ガイガーカウンターの機能をゴーグルに組み込むことはできなかったが、防水バッグの中に手持ち式の物が入っている。しかし、ジュンコはもっと便利な機能をゴーグルに仕込んだようだ。


「地図に地形も表示されているわね」

「ゴーグルにソナーの機能も組み込んでいる。蝙蝠が超音波の反射を利用して地形を把握するように、そうやって君の周囲を計測しているのさ。音や、動く物には特に敏感に反応するように調節しているから、それで敵の奇襲に備えてくれたまえ」


 こうした発明品はハカセの面目躍如であろうか。徹夜で組み立てに付き合わされたサナエにも感謝しなければならない。


「わかったわ、ハカセ。つまり、大学の研究チームがいたところにまずは移動。そこで熱分布画像に切り替えて辺りを探す。それでも見つからなかったら、アタシが大きな声でヒスイローズを遊びに誘う、と」

「ははは。表現はともかく、その通りだ。ツグミ君を含めて私たちはすでに配置についている。私の仕事は君のバックアップだ。君が見ている映像はこちらでもノートパソコンでモニターしている。存分にやってくれたまえ。それと、最後に注意点だ」


 ジュンコが言う。


「そのゴーグルの防水性能は完璧だが、精密機械だ。多少は耐えるだろうが、君が本気で炎を出すと、熱で壊れてしまうだろう。あくまでそのゴーグルは山中でのみ使えるものと思ってほしい。まさか森を焼き払うつもりはないんだろう?」

「もちろんそんなつもりはないわ。わかった、作戦を開始する」


 山火事は起こさない。それでいてヒスイローズの弱点をつく。その秘策をすでにグレンは蜘蛛の魔女との戦いで身につけていた。


 やがてグレンは、かつて大学の研究チームがいたのであろう地点に到着した。簡易なプレハブ小屋が、植物の蔦で覆われている。サーマルゴーグルの熱分布画像を見てそれを確認する。しかし、これはヒスイローズとは関係の無い、自然の植物だったようだ。


「こちらでもモニターを続けていたが、怪しい物体は見つからなかった。しばらく通常の視界で周りを探索してみてくれ。熱分布画像の方はこちらでモニターしているから、何かわかれば君に報告するよ」

「了解」


 グレンは言われた通りにする。プレハブ小屋を中心に周囲を探索するが、グレンもジュンコも何も見つけられない。もしやと想いプレハブ小屋の方も調べてみる。


「ハカセ、この小屋、周りは蔦で覆われているけれど、入り口の引き戸は蔦が無いわ。誰かが最近ここを開けたのよ」

「熱分布画像の方では変わった物は見えないが、用心してくれ。もしかしたら熱を欺瞞している可能性もあるからねぇ」


 グレンはプレハブ小屋の中に慎重に入ってみるが、要するに、ただの箱だ。隠れられそうな場所はどこにもない。もっとも、透明で、熱を放射しない動物でも潜んでいれば別だが。


「焼き払ってみるかい?」

「ダメよ!灯油のポリタンクが置いてあるわ!」

「灯油の?不用心だねぇ、落雷でもあって引火したらどうするんだか」


 ジュンコは自分の言葉を棚に上げてそうぼやく。


「でも空っぽみたい」


 グレンは部屋の隅に置かれたポリタンクを振ってみた。


「?」


 ここで奇妙な事に気づいた。長年放置されていたプレハブ小屋の床には、厚くホコリが積もっている。当然ポリタンクを取ればそこはキレイなのだが、同じようにポリタンクが置かれていた跡がもう1つ分あるのだ。


「どう思う?」

「入り口の蔦の件といい、根城にはしていないにしろ、何かしらこの小屋で用を足しているのだろう。ここでヒスイローズを待ち伏せしてみるかい?」

「いいえ、そんなまどろっこしい事なんてしていられないわ!」


 グレンはプレハブ小屋の外に出た。


「ハカセ、ゴーグルのソナーの感度は上げられる?最大まで増やして」

「わかった」


 グレンは山林の中でも、なるべく木が密集していない、開けた場所に陣取る。音をなるべく遠くまで届けるためだ。


(シズカちゃんが残してくれたヒント、今こそ活用させてもらうわ!)

「グレン君、準備できたよ」


 ジュンコからの報告を聞いたグレンは、まず一つ、深呼吸をした。そして、まずは用心深くつぶやく。


「草笛ミドリ……」


 そして辺りと、ソナーの反応を確かめる。何も起きない。


「草笛ミドリ」


 今度は普通に喋るが、同様に反応は無い。


「草笛ミドリ!」


 反応は無い。グレンは再び深呼吸して、腹に力をこめる。


「草笛ミドリ!!」

「グレン君、北東だ。プレハブ小屋でも反応があったが、そちらは小さいから無視していい」


 グレンはその言葉を聞いた瞬間には山中を疾走していた。そして、木々の間から唐突に蔦が伸び、グレンの体に絡みつく。


「そう、これがアンタの弱点なのよ。種のようにばらまかれ、アンタの名前に反応せずにはいられないこの呪いが、アンタを追跡する手がかりになる!誰も巻き込む恐れが無い、山中であればなおさらね!」

「ギミャーー!!」


 グレンの体に蔦を伸ばした薔薇は、すでに赤熱しているグレンの体に触れて、沸騰して死んでいく。カラクリさえわかっていれば、グレンとの相性は最悪であった。


「おいおい、ゴーグルを壊さないでくれよ?」

「大丈夫よ。アタシの頭は冷静クールだわ」


 あらかた薔薇の化け物を片付けると、再び草笛ミドリの名前を叫び、そして追跡を繰り返していく。ソナーで検知する薔薇の反応が徐々に大きくなっていくのは、敵を追いつめている証だ。おそらく名前を何度も呼ばれているヒスイローズは気がついていないわけがないだろう。体勢を整えるまえに一気に片をつけてしまいたい。


「待ちたまえ、グレン君!」


 突如ジュンコがグレンを制止する。


「今、熱分布画像の方で何か光が見えた。すこし戻って君自身の目で確認してくれ」

「わかった」


 グレンは少し道を引き返すと、ゴーグルの視界を熱分布画像に切り替える。見回すと、たしかに遠くの方で、オレンジ色の光が見える。つまり、その部分には熱があるのだ。人体と同じくらいの温度の熱が。木の根に足を取られないよう注意しながら、グレンは慎重に近づいていった。だが、近づけば近づくほど、自分が見ている、おぞましい物の正体がわからなくなってくる。


「何……何なの……これ……!?」


 グレンは視界を通常モードに戻した。それは木だ。大木である。大人3人くらいがお互いの手をつないでやっと抱え込めるほどの太さだった。熱分布画像に切り替えて再び観察する。その視界で見ると、複数の人間の体が、オレンジ色の光として浮かび上がる。まるでその木の中に詰め込まれているかのように。


「これって……!?そんな、まさか!?」


 グレンはゴーグルのメカ部分を上にスライドさせ、肉眼でしっかりと見た。木の表面にあるうろのような模様は、よく見たら人間の口だ。そして、その口が小さな声で求めているのだ。


「タスケテ……タスケテくれよ……タスケテくれよ、グレンバーン……」

「ひっ!?」

(これって……田口ケンジ君なの……!?)


 思わずのけぞるグレンの耳元でジュンコが叫ぶ。


「グレン君!後ろだ!」


 その言葉に、即座に振り返ると、彼女はいた。


 ヒスイローズとジュンコたちが命名した閃光少女である。すでに深緑色の修道服のような衣装を身にまとっている。背後から奇襲してくるかと思いきや、腕を組んでグレンを見つめていた。


「ずいぶんと……気安くワタクシの名前を呼んでくださいましたわね」

「……いけなかったかしら?」


 グレンが一歩、ローズに近づくと、彼女は優しい微笑みを浮かべる。


「かまいませんわ。あなたとワタクシの仲ではありませんか」


 考えてみれば、グレンはイラストやツグミたちの報告でしか彼女の事を知覚していなかった。こうしていざ目の前に現れると、やはり信じられないという気持ちが勝る。


「やっぱり、おかしいわよ!たしかに、アンタは私をかばって!アタシの腕の中で……死んでいったじゃない……!」


 自分でもどうしてかわからなかったが、グレンの目に自然と涙が浮かんだ。その時の感触が。徐々に体温を失っていくローズを抱いていた腕の感触が、2年の時を超えて再び蘇る気がする。


「そう……でも、ワタクシは仮死状態の種となって、流れ、流れ、この山に辿りついて……」

「それで、生き返ったというの……?」

「いいえ」


 ローズはグレンの言葉に首を横に振る。


「ワタクシは、まだ仮死状態のままですの。なんとかこうして仮初めの体を作ることができるようになりましたが……もっと養分が必要ですわ」


 養分。その言葉を聞いて、グレンは背後にある、おぞましい木の正体を悟る。


「そのために子供たちをさらったのね!生かさず、殺さず、生き返るためのエネルギーを吸い取る餌として!!」

「同意の上ですわ」

「誰がこんな事を想像できるのよ!!アンタに何の権利があってこんな……」

「権利ならありますわ!」


 ローズが毅然とした態度で言う。


「グレンバーン!あなたもそうでしょう!ワタクシたちは、命がけで悪魔と戦ってまいりました!人間の自由を守るために!でも……その結果、ワタクシたちはどうなったの?」


 グレンは口をつぐむ。人類のために戦った閃光少女でさえ例外なく、社会的には何も認められていない。報酬も無い。補償も無い。称賛こそされど、それはあくまで自分たちが被っている仮面に対しての称賛だ。役目を終えた閃光少女は、その仮面を捨てて、犠牲を捧げた自分たちの人生に、ただ虚しく戻るだけなのだ。


「あなたとワタクシは同じ。悪魔によって家族を奪われた者同士。だから、ワタクシとあなたは心から通じ合える友となった。そう!ワタクシはあなたと同じですのよ!家族が死んだ時、悪魔を信じない社会は、保険金の支払いまで拒否した!そして、今度はワタクシ自身の命まで捧げたのです!ワタクシにこのまま死ねと?嫌ですわ!ワタクシが人生を取り戻すために、今度は社会が!ワタクシたちのために恩を返すべきですのよ!」

「そのために、この子たちの人生が亡くなってもかまわないと……?」


 グレンは木に取り込まれた子供たちを一瞥する。


「日本の出生数は、毎年100万人を超えていますわ。その内の10人ほどが、この村で消えたからといって、社会には10万分の1の影響しかない。簡単な計算でしょ?」


 まるで些細な事のようにローズは言う。


「おわかりいただけましたか?でしたら、どうかこのまま山を降りてください。ツグミさんにも言いましたが、あなたたちの味方になりたい気持ちは本当です。見逃していただけたら、復活の暁には、きっと一緒にオウゴンサンデーを倒しましょう」

「ふざけんな!!」

「!?」


 グレンがローズを大喝する。


「何が10万分の1よ!家族にとって、友だちにとって、その子たちは唯一無二の存在なのよ!何がアタシとアンタが同じですって!?違うわ!あなたは自分の家族を失っていながら、そんな事もわからなかったの!?保険金がでなかったぁ?あんたは家族が大切だったわけじゃない!自分のことしか見ていなかったのよ!」

「自分のことしか見ていない……」


 ローズがグレンの言葉を反芻する。


「それは自分が恵まれているからこそ言えるセリフですわね。あなたも色々なものを失えば、ワタクシと同じ考えに至りますわ!」

「その!!考えが!!今!!違うから!!こうなっているんでしょうが!!」


 腹の底からそう叫んだグレンは、ローズを見据えた。


「アンタは……今のアンタは……アタシたちが憎み、倒してきた……『悪魔』そのものよ……!」


 その瞬間、グレンに向かって5体の蔦人間が襲いかかった。完全にグレンの死角からの不意打ちである。もはや、なりふり構わないつもりか、人間に擬態さえしていない。


(なら、死になさい)


 ローズはそう願った。薔薇の呪いと違い、蔦人間は体内の水分が多いため、しばらくはグレンの熱に耐えられる。蔦で絡め取り、首を絞め殺すつもりだった。しかし、その予想は裏切られる。


「おらおらおらおらおらぁっ!!」


 体を翻したグレンは5体の蔦人間を即座に殴り倒した。


「気づいていましたの!?」

「気づいてはいないわ。視えていたのよ」


 その時には、既にジュンコから「後方から2体、左から3体だ」と耳打ちされていたのだ。


「グレン君、そろそろゴーグルを戻したまえ」


 グレンは無線機から聞こえるその言葉に従って、再びゴーグルのメカ部分を目元まで降ろした。その様子をローズが冷ややかに見つめる。


「ふふふ。でも、場所が悪いわね。まさかこの一面を焼き払うつもりではないでしょう?その人形たちをご覧なさい。ただの打撃ではあまりダメージは……えっ!?」


 グレンの手元から赤い閃光が走ると、彼女のそばでふらふらと立ち上がろうとしていた蔦人間の首から上が消し飛んだ。グレンは一通り赤い閃光を弄ぶと、それを脇に挟んで構える。それはヌンチャクだった。燃えるように赤熱する二つの棒が、炎の鎖によって連結されている。


「新しい技を身につけたのね」

「2年間も山に引きこもっていたアンタとは違うのよ」


 山火事を起こすことなく、ピンポイントに熱を集中させて敵を倒す。この方法であればできるはずだ。少なくとも、河川敷に設定した、キルゾーンへと誘い出すまでは。


『戦闘モードを起動します』


 ゴーグルの電子音声がそう告げると、ゴーグルの正面や側面から、緑色に発光するセンサーが新たに露出した。


「君の視界を拡張する。襲ってくる敵は私がマーキングするから、各個撃破してくれ。来るぞ!」


 ジュンコがモニターしているセンサーにも、そしてグレンの視界にも、地面から無数に生えてくる蔦人間が映る。ざっと見ても10体以上がグレンの視界から見えた。だが、ジュンコが地図にマーキングした敵は、その倍を超えている。グレンはヌンチャクの柄を両手で握り直した。


「ハカセ!あんたのサポートを信じるわ!さぁ、火蓋をきるわよ!」


(ハカセやオトハが言っていた通りになってきたわね)


 グレンは四方八方から次々と襲いかかってくる蔦人間たちを、燃えるヌンチャクで斬り伏せるながら、ツグミが待つ河川敷に向かって徐々に南下していった。蔦人間は特に駆け引きをしかけるでもなく、ひたすらグレンを追いかけてくる。どうやら先ほど、閃光少女の姿で話をしていたリーダー格の個体は別として、あまり知能は高くないように見えた。


「いける!」


 これなら問題無くキルゾーンへと誘い出せる。一度広々とした河川敷まで出てしまえば、そこから先は炎の閃光少女、グレンバーンの独壇場だ。


「なんですの!?あのお方!?」


 リーダー格こと閃光少女のヒスイローズも、蔦人間の集団に追走しながらグレンに向かう。


(この山のことは、ワタクシの方が詳しいはずですわ!なのに、グレンバーン!人形たちがどこから襲いかかっても敵わない!まるで後ろに目がついているかのように、死角が無い!)


 しかし、ここでローズは気づく。


(あっ……『目』ですって?もしかして……)


 ローズはある事を思いつき、口元に笑みを浮かべた。


 蔦人間たちにも個性があるようだ。ひょろりと手足ばかりが長い個体がグレンを通せんぼしようとするが、これはすぐさま炎のヌンチャクで八つ裂きにされた。意外と苦戦を強いられたのは、腕が肥大化しているタイプである。これらはその腕力を使った投石あるいは泥投げによってグレンを攻撃してきた。グレンに回避できないスピードではないが、十字砲火を受けないように気をつけなければ。


「ハカセ!あと何キロ!?」

「あと1.3キロだ!頑張りたまえ!」


 ツグミの元へたどり着く距離が、である。その時、お腹が妙に肥大した蔦人間がグレンに飛びかかってきた。見た目の通り鈍重な動きだ。はっきり言って弱そうに見えた。


「何かおかしい!待てグレン君!」

「えっ?」


 しかし、その時には炎のヌンチャクがその太った蔦人間の腹を裂いていた。その隙間からちらりと見えた物に、グレンは戦慄する。


(灯油のポリタンク!!)


 飛び散った灯油はすぐさまグレンの炎により引火し、火柱をあげた。


 ミニバンの中でノートパソコンを注視していたジュンコは、フラッシュオーバーで真っ白になる画面を見て頭を抱える。


「ああ!これはえらいことになった!」


 ジュンコはすぐにサナエに連絡をとる。


「サナエ君!困ったことになった!作戦変更だよ!すぐに私がこれから言う場所へ向かってほしい!」


 太った蔦人間がいた箇所を中心にして、炎が燃え盛っている。そこから、何かが転がるようにして飛び出してきた。グレンバーンである。サーマルゴーグルのメカ部を上にスライドさせて、裸眼でにらみつける。


「あんた、バカじゃないの!?」


 したり顔で炎上を見物していたヒスイローズに向けて叫んだ。


「そうでもありません。昨夜までの雨で森は水浸しになっています。この程度の炎はワタクシの力で消火できますわ」

「そうじゃなくって!無意味でしょうが!」


 グレンバーンにダメージは無かった。当たり前である。この程度の炎でダメージを受けていれば、炎の魔法など扱えるわけがない。むしろ炎のエネルギーを浴びて、グレンはパワーを回復さえしていた。


「そうかしら?たしかにあなたは平気でしょうね。ですが、頭に付けたそれはどうかしら?」

「ハッ!?」


 グレンはすぐさまゴーグルのメカ部を顔に再びセットする。しかし、そこに映るのは、放送時間を過ぎたテレビ画面のような、虚しい砂嵐であった。


「ハカセ!ハカセ!誰か!応答して!」


 無線機の方も故障してしまったようだ。そして当然、発信機も使えない。


「おおかた、そのハカセとやらと合流して、河川敷でワタクシを倒す計画だったのでしょう?あるいは、ツグミさんとかしら?」


 ローズが勝ち誇る。


「そう、ツグミさんがワタクシにした所業がヒントになりましたのよ。あら?先ほどまで振り回していたヌンチャクが消えていますわねぇ。嬉しい誤算ですわ」


 グレンは壊れたゴーグルを投げ捨てながら、舌打ちをした。たしかにヌンチャクも炎上に巻き込まれたせいで消失している。ここからは素手で戦わなくてはならない。


「ここなら、ワタクシの本体からは十分離れております。あなたがどれだけ暴れても大丈夫なくらい、ね。さぁ、グレンバーン。今度はあなたが、ワタクシの腕の中で死になさい」


 いみじくもローズが言う通り、雨が降った後の森の中では、少し火力を上げても問題は無さそうである。だが、ヌンチャクを失ったことにより、予想以上に苦戦を強いられた。手刀に炎をまとわせて蔦人間を切断しようとするが、熱が拡散しやすくなり、今までのように簡単にはいかなかった。そして、何よりも困るのは、キルゾーンである河川敷の方向がわからないことだ。


(そうだ!木の上に飛び上がって見れば!)


 行くべき方向がわかるかもしれない。しかし、ジャンプした瞬間、死角から伸びてきた蔦に足を掴まれ、グレンは地面に墜落した。


「くっ!?」


 敵の奇襲に対処できなくなったのも、ゴーグルを失って被った痛手の一つだ。自分を掴んだ蔦人間を、逆にジャイアントスイングで木に叩きつけるが、その木の傍から新しい蔦人間が生えてくる。今となっては蔦人間の総数すら把握できなかった。


(このままではジリ貧になる!)


 グレンは逃げた。要するに、蔦人間よりも速く走れば、向かってくる正面の敵だけに集中できる。そういえば『日本武道史』で、宮本武蔵が多人数を相手にそんな戦い方をしたと書いてあったな、とグレンは思い出す。だが、立ち止まって方位を確認してみる余裕はなかった。それすらもローズの策略だったのかもしれない。


 グレンの通信が途絶して30分ほど経過した。

 下山村公民館のすぐ近くに住んでいる主婦、三村トモコは、まさか下山しもやまの山中で閃光少女たちによる激しい戦いが繰り広げられていることなど、まったく知らない。彼女の興味を引いたのは、公民館の入り口で中をうかがっている初老の男性である。


「あら、おはようございます町内会長さん」

「ああ、三村さん。おはようございます」


 町内会長と呼ばれた男性が頭を下げる。


「どうしたんですかぁ?今日は何も公民館を使う行事はありませんでしたよね?」

「あはは、忘れ物をしてしまいまして。しかも、公民館の鍵まで忘れてきたことに今きづいたところですよ」

「?」


 三村トモコが首をひねった。すぐに入り口の隅に置かれたブリキ缶から、『公民館』とプラスチックの札に書かれた鍵を取り出す。


「鍵ならここにあるじゃないですか?」

「あ?ああ、そうでした!そうでした!」


 初老の男性は笑って鍵を受けとる。


「それじゃあ、私は用事がありますからこれで」


 と、何事もなく去って行ったトモコを見て、変身を解除し、初老の男性から少女の姿に戻ったサナエは胸を撫で下ろした。


「聞き込みをした過程で村人の顔を憶えておいてよかったです。それにしても、田舎とはいえ鍵を外に放置するとは、不用心ですねぇ」


 運良く入り口を壊さないで公民館に侵入できたサナエは、目的の部屋を見つけだした。


「待っていてくださいね、グレンさん!今助けますから!」


(どこなのよ!?ここは!?)


 山中を走るグレンは、いつの間にか鬱蒼とした山林へと足を踏み入れてしまっていた。おそらくだが、ここは草笛ミドリの本体からは遠い。そして、当然キルゾーンに設定した河川敷からも遠い。ホームの有利を活かしつつ、なおかつグレンが無茶をしても本体がダメージを受けない場所。グレンが誘導していたようで、その実ローズによってここまで誘導されたのだ。


「しまった!?」


 突如地中から現れた蔦人間に、グレンは四肢を拘束された。無論グレンも炎を巻き起こしながら抵抗するが、蔦人間をそうして殺せば殺すほど、その死体が邪魔になった。


「おほほほほ、グレンバーンさん。もはや逃れることはできませんわ」


 ローズが斜面の上に立ち、文字通りグレンを見下している。蔦人間たちの動きが止まったのは、もはやどう抵抗されようがいつでも始末できるとローズが考えたからだろう。ローズは慇懃に拍手をしてグレンを讃える。


「たった一人、この山中で私たちを相手に、よくここまで頑張ったとほめてあげたいところですわね」

「でも、アタシを殺すつもりなんでしょう?」

「いいえ、気が変わりましたわ」


 ローズが距離をとったままグレンに答える。


「あなたの生命力……ここで殺すにはあまりにも惜しいですわね。グレンバーンさん、ワタクシと一つになりませんこと?」

「はぁ?」


 連れ去られた男子たちの末路を知っているグレンにとって、あまりにも愚問であった。


「人生には、異性の恋人だけではなく同性の友人も必要……そう思いません?」

「それが人間を生きたまま木に埋める、人でなしの言葉でなければ同意できたかしらね」

「悪いですが、あなたに同意は求めていません」


 再び蔦人間たちがグレンに襲いかかる。


「だああああああぁ!!」


 グレンはあらん限りの力で彼らに抵抗した。しかし、倒しても倒してもキリがない蔦人間たちは、仲間の死骸の上からどんどんグレンに覆いかぶさっていく。やがて、グレンを包む大きな蔦の団子ができあがった。グレンを完全に拘束し、満足そうにローズが笑う。


「ワタクシとずっと一緒に生きましょうね。アカネさん……」


 その時である。ヒスイローズは自分の耳に、たしかにその音を聞いた。


「えっ……?これって……?」


 それは、ヒスイローズもよく知っている音だった。今までに何度も聞いたことがある。その音が聞こえたからといって、べつに自分にとってはどうという意味もない。だが、ここでローズはハッと気づく。今ここにグレンバーンがいて、その音が聞こえてくるのは、非常にまずい!

 ローズは思わず蔦団子に埋もれているグレンに向かって叫んだ。


「まさか……!これは、あなたの仲間がやっていることですの!?」


 下山村全域に、避難指示を意味するサイレンが高らかに鳴り響いた。ゴールデンウイークのゆっくりとした朝の時間を過ごす村人たちが騒然となる。彼らにとって、2年前に村を襲った下山川の氾濫は、忘れようにも忘れられない記憶だ。村のあちこちに立った鉄塔の先に付いているスピーカーから、鳴り続ける音は止まらない。そして、下山公民館の屋上からもサイレンが鳴り続けているので、その放送室にいたサナエの声がかき消されていた。


「ジュンコさん!ジュンコさん!やりましたよ!聞こえていますか!?」


 聞こえていないわけがない。無線機からサナエの声が聞こえなくても、ミニバンの中にいるジュンコの耳にさえ、そのサイレンの音は響いている。


「これでいい。この音は山中にも届いているはずだ。戻ってくるんだ、グレンバーン……!」


「はああぁぁぁ」


 グレンバーンが気合を入れると、彼女を包んでいた蔦人間の団子が熱気で吹き飛ばされた。姿を現す彼女の背中に6本の細い羽が伸び、羽の先をなぞるように丸い日輪が浮かぶ。そして真紅の籠手が炎に包まれた。


「ミドリ!あんたが言ったことなんだからね!昨日までの雨のせいで、森は水浸しだから火はつきにくいって!」


 グレンは両腕をそれぞれ天地に向け、大きく円を描くように回す。すると円の中心に、小さな太陽のような炎の球体が生まれた。


「まずいですわ!!人形たちよ、そいつにそれを撃たせないで!!」


 ローズがそう蔦人間に命令するが、もう遅い。


「おらあああっ!!」


 グレンが炎球をドッジボールのようにして投げつける先は、サイレンが聞こえてくる、村の方向だ。魔法は文字通り爆発的な火力で木々をなぎ倒していき、その余波で周りの蔦人間が蒸発した。


「なかなかに、人里近くなりにけり……あまりに山の、奥をたずねて」


 グレンは、河川敷まで貫通した炎球の跡を見て、『日本武道史』で読んだ古歌を思い出す。もはや迷いようがない。できあがった道を一気に駆けるグレンを、舌打ちしながらローズたちが追う。


「出られた!」


 山林から河川敷に、グレンは宙返りして飛び降りる。同じく蔦人間たちがわらわらと河川敷に落ちていき、グレンに襲いかかるべく追いかけた。グレンはあたりを見回してみたが、やはり残念ながら、本来キルゾーンに設定した地点からは離れているようだ。ツグミの姿は見えなかった。だが、川にかかる橋の上に、グレンは良い物をみつける。


「借りていくわよ!」


 橋の上に跳躍したグレンが手にしたのは、鉄のポールが歩道脇から伸びている道路標識だ。それを根本から引きちぎり、橋から飛び降りて蔦人間に襲いかかった。


「どりゃあああっ!!」


 標識の先に『止まれ』と書いてあるが、グレンの動きは止められない。鉄板で作られた標識を薙刀よろしく振り回し、まずは正面の一体の頭を唐竹割にすると、即座に左右の蔦人間の首をはねた。


「ふん!」


 グレンはボロボロになった標識を無造作に手で払い落とす。自分の身長より少し長い程度の鉄のポールは、魔法によって炎の結界をまとい、赤熱する。仕組みは炎のヌンチャクと同じである。さながら中国武術のこんのようにグレンは振り回すと、蔦人間たちに向かって構えた。


「さぁ、今度はこちらの番よ!」


 山林とは違い、河川敷では蔦人間が奇襲できるような隠れ場所はない。直線的に向かっていくだけしか能がない蔦人間たちは、バタバタと炎の棍に薙ぎ倒された。さらに、この場所でグレンが火事を起こす心配はない。フルパワーとなったグレンの振り回す棍は、もはや光の棒に見えるほど熱を帯び、グレン本人もまた不動明王のごとく燃え上がっている。


「おらおらおらああっ!!」


 蔦人間を、まさに『ちぎっては投げて』を繰り返し、グレンは川を登っていく。蔦人間の死体がばたばたと倒れ、下流側はその血で水底が見えなくなるほど濁っていた。やがて3体の蔦人間をまとめて棍で薙ぎ払うと、川には、しばし水のせせらぎだけが響いた。蔦人間どもを殲滅したのだ。いや、あと一人いる。真顔で立ち尽くしているヒスイローズ、残るは彼女だけだ。


「終わりよ、ミドリ……」

「観念しなさい、とでも?」


 ローズは河川敷の両岸を目でなぞる。そこには人影は無かった。村人すらいない。


「あなた、今こう考えているんじゃない?どうして合流するはずの味方が来ないんだろう、って?」


 ローズは鼻で笑った。


「あいにくだけどグレンバーンさん、あなたの仲間は来ないわ。サイレンを鳴らすために公民館まで走ったのでしょうが、どう急いでもここに来るまでに30分はかかります」


 おそらくはそれが、サナエがここに来ない理由だろうとグレンも思った。もしも村人に怪しまれず公民館へ潜入できるとしたら、それは彼女しか考えられない。


「アタシが考えているのはただ一つ……」


 グレンは棍の先をローズの顔に向けた。


「これがアンタの全力か?ってことだけよ」


「全力……ねぇ」


 ローズが不敵な笑みを浮かべた。


「なかなかいい勘をしているわ、グレンバーン。あなたがここでなら全力を出せると考えてワタクシをここに誘導したのでしょうが、その実、ここなら本気を出せるのはワタクシも同じですのよ」


 その言葉と同時に、ヒスイローズの認識阻害魔法が消えた。つまり、人間の姿を捨て、彼女もまた醜い蔦人間に変わったのである。足元の蔦を川の中に広げていく。しかし、それはグレンを攻撃するためではなかった。水を吸収するためである。


「植物と水……この世にこれほど相性のいいものはありませんわ!」


 彼女の体が筋肉質に膨らみ、膨張していく。やがてグレンの目の前に、身長2メートルを超える緑色の巨人が出現した。グレンは吐き捨てるように言った。


「悪の怪人が追いつめられて巨大化なんて、負けパターンの筆頭みたいなものじゃない」

「ヒーロー番組の見すぎですわ、グレン」


 そういう声まで野太くなっている。


「それがアンタの全力ってわけ?」

「さぁ、どうかしら?それよりも、あなたが全力を出せるか心配したほうがよろしくてよ?植物としてのワタクシの勘が告げていますの。もう間もなく降ってくる、と」

「あ?」


 グレンは頬に冷たい物を感じて空を見上げた。雨だ。今まで沈黙を保っていた曇天が、ここにきて急に雨を降らし始めたのだ。降水確率50%の賭けに負けてしまった事を悟る。


(まずい!)


 雨は徐々に勢いを増していく。当然ながらそのような天候が続けば、グレンの炎はそのパワーを失うだろう。となれば、短期決戦をしかけなければ、ローズは倒せない。


「おらあっ!!」


 グレンは槍投げよろしく炎の棍を投げつけた。緑の巨人と化したローズは、苦もなくそれを払いのける。グレンにとって残念ながら動きも速い。しかし、その動きのせいで体の正面ががら空きになった。


「隙あり!!」


 グレンがローズのみぞおちに右正拳突きを叩き込んだ。ローズの動きが止まる。だが、まもなく右ラリアットがグレンを吹き飛ばす。ローズが叫んだ。


「効きませんわ!」


 グレンの体は、小さなクレーターができるほど、コンクリート製の堤防に叩きつけられた。だが、グレンの闘志はくじけていない。すぐさま手刀に炎をまとい、貫くようにまっすぐローズの顔へ突き出す。右腕でガードしたローズの肉体に手刀が突き刺さり、そこからぶくぶくと泡をたてて水分が蒸発した。だが、ローズは足元の川から、あるいは今も空から降ってくる雨から、いくらでも水分を摂取してグレンの炎に耐えることができた。問題なのはグレンの方だ。天地の水が、グレンのパワーをどんどん奪い去っていく。


「観念なさい!」


 ローズの左フックが宙を切る。身をかがめてかわしていたグレンは逆に下段回し蹴りでローズの足を狩り倒そうとした。だが、ローズの足は根でも生えているかのようにビクともしない。あるいは本当に根が生えているのかもしれない。


「無駄だと言いますの!」


 ローズが上段からのハンマーパンチでグレンを叩き伏せる。うつ伏せに倒れたグレンを無造作につかむと、まるでボロ布のように水面に投げつけた。


(コイツは……強い……!)


 雨のせいで本来の力を発揮できないのはたしかだが、もしも万全の状態で戦えても、この巨人化したローズを焼き尽くすのは不可能ではないかとグレンは思った。満身創痍のグレンがそれでも立ち上がろうとするが、体に力が入らない。


「耳鳴りとか……しないわよね……?」

「はぁ?とうとう頭がおかしくなりましたの?」


 デジャブなのだ。蜘蛛の魔女に、同じように痛めつけられていた時に、彼女は現れた。本当の意味での暗闇姉妹、トコヤミサイレンスが、である。だが、彼女はいない。前兆とも言える耳鳴りも聞こえない。助けてくれるなら早く来てほしいとグレンは願った。そんな彼女の願望など知る由もないローズは、彼女に止めを刺そうとする。


「もはやあなたと同化できる望みが無いのであれば、ここで死んでいただきます。さようなら、グレンバーン」


 ローズがグレンの首を片手で掴み、持ち上げる。指が喉に食い込み、気道と血管を圧迫していった。まずは、目が見えなくなってきた。そして、意識が遠のいていく。そういえば、人間は死ぬ時に、最後に残るのは聴力らしい。そんなつまらない雑学をグレンが思い出した時、たしかに水面を誰かが走る音を聞いたのだ。やがて、ガラスが砕け散る音が聞こえる。


「はぁ!?」


 ローズの握力がわずかに緩み、グレンは視力が回復した。何か黒い影がローズの周りを走り回って、彼女を翻弄している。


  ツグミだ。戦いの騒ぎに気づいて駆けつけてきたのだろう。その顔に浮かんでいるのは氷の表情ではない。人間として、確固たる決意に満ちた顔をローズに向け、彼女の顔目掛けて2本目の瓶を投げつける。中身はもちろん、昨晩詰めておいた灯油だ。ローズは腕でガードしたが、割れた瓶から灯油が飛散した。


「またですの!?ツグミさん!!」


 ツグミから灯油瓶を叩きつけられて上半身が灯油にまみれになったローズは、自由な方の片手で川底の小石を鷲掴みにし、ツグミに向かって投げつける。猟銃から発射された散弾のように小石がツグミに襲いかかるが、その直前にはツグミもまた竹筒をローズに向け、狙いを定めていた。


「その手を離せ!!このアバズレ!!」


 小石がツグミにぶつかるのと、ツグミが持つ竹鉄砲が火を吹いたのは同時だった。ジュンコ特製のその武器から発射された弾丸が、火薬の燃焼エネルギーで灯油を発火させる。


「あああああああああ!?」


 ローズと、彼女に掴まれていたグレンの体が炎上した。悲鳴をあげるローズは思わずグレンの首から手を離す。グレンは無言で水面に落下し、ローズは浅い水深の川をのたうち回って体から火を消そうとした。もっとも、雨はまだ降り続いているのである。体の炎上はすぐに収まった。驚きはしたが、たいしたダメージはない。見ると、ツグミは仰向けに倒れていた。散弾の一つが頭に当たったらしく、そこから血を流して気絶している。


「あなたという人は、二度までも……!」


 ローズはツグミを殺すべく、倒れている彼女に迫った。


「待ちなさいよ」

「!」


 ローズが声の方へ振り向くと、グレンバーンが立っていた。そう、たしかな足取りで、彼女がそこに立ち上がっているのである。


「アンタの相手は、このアタシでしょ?」

「……ふふ、なるほど」


 ローズが嗤う。


「さきほどの炎を吸収して回復したというわけですか。ですが、何も状況は改善していませんわ。あなたはワタクシには勝てない。わかりきっているでしょう?」

「ハングリーさが……」

「はい?」

「さっきはそれが足りなかったのよ。ハングリーさが足りなかった。心のどこかで、誰かが助けに来てくれると思っていた。アタシの心に足りなかったのよ。飢えた獣のような心が……」

「なにをぶつくさとわけのわからないことを」


 ローズが再びグレンの首を締めようと右手を伸ばす。その手が近づいた瞬間、グレンはさっと、両掌を自分の方へ向けて、それで顔を隠すような動作をした。


「痛っ!えっ!?」


 鋭い痛みと同時に、ローズの手首から血が吹き出した。蔦人間の流す血の色は、緑色である。2つできた傷口を観察すると、鋭い刃物で斬られたように、手首の腱を切断されていた。これではもう、手を握ることができない。


「何なの……!?あなたが刃物を振ったようには見えませんでしたわ!このかまいたちで斬られたような傷は、一体何ですの!?」


 思わず後ずさりするローズに、グレンが歩いて迫る。


「獣は、いつだって飢えてなくっちゃあいけない。誰に頼ることなく、自分の牙を研ぎ澄まさてなくっちゃあいけないのよ」

「牙……?」

「そして……その牙で獲物を狩る!」


 グレンは再び、今度は右の二の腕で自分の顔を隠すような動作をした。すると今度は、ローズの右の二の腕から血が吹き出る。


「っ!?っ!?」


 ローズは恐怖の表情を浮かべた。何をされたのかまったくわからないのだ。グレンは炎の魔法を使っているように見えなかった。彼女の体は雨に濡れて、体中から水滴を滴らしている。グレンは倒れているツグミに顔を向けた。


「ありがとう、ツグミちゃん。あとは……アタシがこいつを倒すから……」

「な、なんなのよ、あなた!?本当にグレンバーンなの!?」


 グレンは、さきほどのツグミと同じ表情をしていた。確固たる決意に満ちた顔をローズに向けて、彼女が応える。


「ちがうわ」

「はぁ!?」

「アタシは、閃光少女のグレンバーンじゃない」

「だったら、あなたは一体……」


 グレンは瞑目し、呼吸を整えた。やがて目を開き、その問いに答える。


「天罰代行、暗闇姉妹」

「!」


 戦慄するローズに対し、グレンはおもむろに腕を直角に曲げて、自分の体の前に構えた。グレンが拳を握り締めると、肘の先から赤く輝くダガーのような刃が飛び出す。炎の結界を肘の先端に一極集中させて作ったその牙は、まるで鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていた。


「アンタに殺された人たちのうらみは、アタシの牙で晴らす!」


 その後の戦いは、一方的なものになった。いや、もはや戦いとは呼べなかった。


「ま、待って!お願い!どうか……!」


 両足の腱を切断され、背中で這って後ろへ下がろうとするローズが、懇願しながら左手を伸ばす。


「ひいいいいい!?」


 その左手の指がグレンに切断され、宙に飛んだ。両肘に牙を形成しているグレンは、落ちた指を踏み潰しながら、なおローズに迫る。グレンはさきほどから、こうしてローズの突出した体の部分から、両肘の牙で斬り刻んでいるのだ。


(ヒーローの戦い方じゃない……!)


 そう思ったローズは口にこそ出さなかったが、もしも口に出していたらグレンに否定されただろう。もうヒーローではない。かといって、なぶり殺すつもりでもない。結果的にはそうなるとしても、確実に殺せる手法でやっているだけだと。今やっているのは戦いではなく、処刑であると。


「があああっ!!」


 ローズは最後のあがきとばかりに、その巨大な口を開いてグレンの首筋を噛み切ろうとする。だが、グレンにヘッドバットでカウンターをされ、ローズの頭がのけぞった。そして、逆にローズの首筋に激しい痛みが走る。


「いやあああああっ!?」


 グレンが、逆にローズの首筋に噛みついていた。


「――――――――ッッ!!」


 人間のそれとは思えないような唸り声をあげ、グレンがローズの首を食いちぎると、そこから緑色の血が大量に吹き出す。グレンは、肉とも野菜とも形容し難いローズの破片を、彼女のそばに吐き捨てた。


「う、ううううう、うう……」


 泣き声をあげるローズを前にして、グレンの動きが止まった。体がどんどん萎んでいき、そしてまたしても草笛ミドリの姿に……つまり人間の姿に戻っていた。指が無くなった左手で、血を吹き出す首を抑えながら涙を流している。


「ううう……ひどい、ひどいですわ!こんな人間とも思えない仕打ちをするなんて!」

「アンタねぇ!なに自分のやったことを棚に上げているのよ!」


 言葉とは裏腹に、これ以上ローズを痛めつけるのは、グレンの良心が痛むことだった。


「たしかにそうね!でも……結局は他人にした事じゃない!?あなたに対して、ワタクシが何をしたというの!?」

「……相談してくれなかった」

「えっ……?」


 グレンの表情が曇る。


「アンタのこと……本当に友だちだと思っていた。相談してほしかった!アンタが生きてるって知ってたら、アタシは何だって協力してあげたわ!アタシをあげてもよかった……でも、もうだめなのよ!どうしようもないのよ、アタシたちは!」


 意を決したように、グレンは肘の牙を振り上げる。


「だからお願い……ミドリ!死んで!」

「死ぬのはお前の方ですわ!!」

「うっ!?」


 ローズがムチのように蔦を飛ばすと、それが刃物のような鋭さでグレンの右目を襲った。


「ちっ!浅かったですわね!この手応え……眼球は無事かしら!」

「ミドリ!!」

「おっと!動くんじゃあねぇですわ!」


 グレンはハッとして、いつの間にかローズの体からツグミの首筋に伸びていた蔦に気づく。川の水は、今なお流れ続けるローズの血によって濁っていた。その濁りに隠れて、気絶しているツグミを人質にとっていたのだ。


「ワタクシが、何の意味もなく無様に命乞いをしているとでも思ったのかしら?さぁ、グレンバーン!今度はワタクシがあなたを斬り刻んで……」

「気づかなかったのね」

「はぁ?」


 グレンの言葉にローズの動きが止まる。


「そうね。あんたはコソコソと、ツグミちゃんを人質にする機会をうかがっていたから、まったく気づいてなかったのね」

「だから、何がですの!?」

「雨……もう止んでいるわよ」

「ハッ!?」


 ローズは驚いて天を仰ぐ。たしかに雨が止んでいた。降水確率は50%。ならば、雨が降った後に、雨が止むこともあるのは道理だ。今度は賭けに勝ったグレンの体が、徐々に熱を帯び、水蒸気の煙をあげる。そして一気に、炎に包まれる。


「ツグミさんを殺……!!」


 最後まで言う前に、ローズの体が空に飛んでいた。グレンの、すくい上げるようなアッパーカットによって上空へ打ち上げられたのだ。ツグミへと伸ばした蔦は、根本から切れてしまっている。


「どうやら、アンタに対するアタシの怒りがいまいち足りなかったようね」


 だが、もうその心配はない。


「おおおおおおおおおお!!」


 グレンの体が真っ赤に燃える。そして、落下してきたローズに、灼熱の拳によるラッシュを浴びせた。


「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらああああっ!!」

「……!!」


 ローズの体は灰すら残らず、燃え尽きた。悲鳴を上げる瞬間さえなかった。あるのは川のせせらぎと、沈黙だけである。


「ツグミちゃん!」


 グレンは倒れているツグミに駆け寄った。投石の一つが頭に当っていたので心配したが、幸い命に別状はなく、すぐに目を覚ました。


「……グレンちゃん」

「ツグミちゃん!アタシ、やったわ!ヒスイローズに勝ったのよ!」


 何気なく周りを見たツグミが目を見開く。


「ダメ!まだいる!」

「えっ!?」


 グレンに抱きかかれられていたツグミが指さす先に、たしかにいた。蔦人間である。足が4脚に変わり、頭の先が棒状に伸びる。まるで、戦車の主砲のように。


「まずい!」


 グレンがツグミを突き飛ばすのと、蔦人間の砲身が狙いをつけるタイミングは同時であった。川の水を吸い上げた蔦人間はその水を圧縮し、ウォータージェットの勢いで射出する。水鉄砲と呼ぶにはあまりにも恐ろしい威力をもった武器が、グレンの脇腹を貫いた。


「ぐふっ!?」

「グレンちゃん!!」

「おらあっ!!」


 グレンは落ちていたポールを再び赤熱化させ、砲台型の蔦人間に投げつけた。投げやりのように突き刺さった箇所からグツグツと沸騰し、蔦人間は死亡する。だが、それで終わりではなかった。ツグミが山に面している方の堤防の上を見て、言葉を失っている。


「…………!!」

「嘘でしょ……!?」


 そこにはヒスイローズがいた。深緑色の修道服のような衣装をまとった、閃光少女がそこに立っている。しかも、一人ではない。堤防の上に、横並びに何十人も、さらには山の奥からも続々とやってきている。


「わざと急所を外しましたのよ」


 先ほどの水鉄砲のことだろう。余裕顔で集団の中央に立つヒスイローズがそう言うと、周りのヒスイローズたちもオホホホと笑った。


「先ほどの人形たちは、所詮素早く数を揃えるための粗製濫造品に過ぎませんわ。しかし、こうして時間をかけて作ったワタクシたちは違います。あなたが倒したワタクシよりも、より強くなっている。あなたはどう転んでも、ワタクシには勝てない運命でしたのよ。これからそれを、じっくりと教えてさしあげます」


「ツグミちゃん!早く後ろの堤防に登って!…………ダメよ!足手まといになるわ!」


 戦う意思を見せるツグミを無理やり後方の堤防の上に避難させると、グレンは前方の堤防に視線を戻す。

 中央に立っているヒスイローズを除き、続々と川に飛び降りてきたヒスイローズたちは、あるものは巨人化し、あるものは4脚の砲台へと姿を変え、その砲身をグレンに向ける。最後に飛び降りた中央のヒスイローズは、閃光少女の姿のまま、ただニッコリと微笑んだ。


「それが……アンタの全力なの?」


 グレンの問いにローズが答える。


「あなたって、こういうシチュエーションが好きなんじゃない?負けるとわかっていながら多勢に無勢で立ち向かい、なるべく多くの敵を道連れにして、骨になるまで戦う……的な?」

「だーかーらー!!」


 グレンが地団駄を踏む。


「それがアンタの全力なのかって聞いてるの!!」


 ローズは眉をひそめた。そういえば、巨人化して戦った時もそんな質問をしていた。それがグレンバーンにとって重要な質問なのだとしたら、「多勢に無勢で骨になるまで戦う」のが好きなのは、図星なのだろうと思った。ならば、答えてやらねばなるまい。


「ええ、ええ!これがワタクシの全力!ワタクシが用意できる全兵力をあなたにぶつけてさしあげますわ!最高の死に場所を与えたことに感謝なさい!」

「……その言葉を待っていたわ」


 そうつぶやいたグレンは両腕を十文字に構え、自分の体に炎のパワーを集中しはじめた。彼女の体から生じる熱気に押され、そこだけ川の水が無くなり、川底の石が露出する。


(自爆する気!?)


 ローズは狼狽するが、すぐに思い直す。たしかに自分たち蔦人間の集団を殲滅する方法としては有効かもしれない。だが、蔦人間は密集隊形ではなく、川に沿って軍団が伸びている。仮にグレンの全エネルギーで自爆したとしても、倒せるのはせいぜい3分の1程度だろう。その程度の損害であれば許容範囲だ。


(そうであれば、花火見物のようなものですわ)

「せいぜいワタクシを楽しませなさい。グレンバーン」


「はあああああああああっ!!」


 十字を切って体を広げたグレンバーンから、炎の柱が上がった。炎の柱は天を突き、空を裂き、そして雲を吹き飛ばす。グレンを中心に、晴れ間が広がった。堤防に登ってそれを見ていたツグミの体が震える。


(グレンちゃん、アレをやるつもりなんだ……!)


 ツグミはあたふたと堤防から離れる。


(たいへん!もっと遠くに逃げなくちゃ!)


 この様子を遠くから見ていた者たちがいる。西中学校の男子たちである。教室の窓から外を眺め、天に登る炎の柱に目が釘付けになっている。


「なにあれ!?」

「やっべー!」

「グレンバーンさんだ!きっとグレンバーンさんが戦っているんだよ!」

「見に行ってみようぜ!」

「コラ!そこの男子たち!」


 気の強そうな女子がピシャリと叱る。


「私たちがどうしてここにいるのか、忘れたの!?それに、あんたたちが行っても邪魔なだけよ!大人しく待ってなさい」

「待つって、何をだよ?」


 女子が、まるで自分の事のように誇らしげに言う。


「勝利に決まっているでしょ!グレンバーンさんが負けるはずがないわ!」


 グレンを間近に見ていたローズは、むしろ困惑していた。自爆ではなかった。だが、それにしても何か大技を撃ってくるのを予想していた。天に登る炎の柱を見た時、例えばそれが空中で分裂して、火球が降り注ぐような技を想像していた。だが、結果はどうだ。ただ空が晴れただけである。それに、こんな事ができるのなら、最初からやれば雨に苦労することは無かったのでは?ローズは訝しんだ。


「はぁ……」


 しかし、その場でヤンキー座りでへたり込むグレンを見てローズは納得する。


「スカートの中が見えますわ。はしたないですわよ」


 ローズはこう思った。おそらくこの技は体への負担が大きいのだ。パワーの消耗が激しすぎて本来の技を完成できなかったか、天候を変えた後の次の手が打てなかったのだろう。


「……サイレンはすでに鳴っている。川に近づく人間はいない。たぶん、みんな避難している。学校とかに」

「はい?何をぶつぶつ言っておりますの?」

「アンタ、気づかなかったの?」


 グレンはヤンキー座りのまま顔を上げ、ローズを睨みつける。


「アンタさぁ、ここに長いこと住んでいるのよねぇ?この川のことも当然知っているわよねぇ?アンタ、こう思わなかったわけぇ!?どうして昨日一日雨が降っていたのに川の水位が低いんだろうって?どうしてさっきまでの雨で水嵩が増えてないんだろうって?」


 ローズは足元に振動を感じた。


(地震!?)


 振動は徐々に大きくなる。まるで、暴れる牛の群れでも近づいてくるかのように。横を振り向いた時、思わずローズは叫んだ。


「なんですってぇー!?」


 水である。川上から水の壁が、ヒスイローズの軍団目掛けて襲いかかってくる。砲台化した個体はもちろん、巨人化した蔦人間たちも、まとめて激流に押し流される。だがグレンは、すでに後方宙返りをして堤防の上に飛び移っていた。眼下で押し流されているヒスイローズの群れを、氷の表情で眺めている。


「うわぁ……」


 その横から恐る恐るツグミが顔を出す。グレンが炎の柱を、天候を変えるために使わなかったのは、ローズが考えていたような理由ではない。それが合図になっていたからだ。ここより上流で、結界による簡易ダムを作っているオトハに対しての、事前に取り決めておいたメッセージである。水を全て開放しろ、と。


「グレンちゃん、一人残ってる!」


 ツグミが指をさす方向に、閃光少女のヒスイローズが一人だけ見える。まさに溺れる者は藁をも掴むという成句の通り、激流に耐えながら必死に山に面している方の堤防に取り付き、山中に逃げようとしている。


「逃しはしない!」

「でも遠いよ!」


 グレンの表情に、再び炎がやどった。ローズの攻撃で傷ついた右目の血を拭い、両目で敵を睨みつける。


「問題無いわ!」


 グレンは左手を腰にあて、何かを目指すように右手の人差し指をまっすぐ前に伸ばした。狙いはもちろん、振り返りもせず逃げようとしているローズの背中だ。

 グレンの右手に、野球ボールのような火の玉が生じる。それをしっかり握りしめると、高々と左足を振り上げ、まさに野球のピッチャーの投球フォームで火の玉ストレートを投げつけた。


「おらあああああっ!!」


 ここでやっと川から上がったローズが振り向く。グレンの投げた火の玉は風を切ってうなり、彼女の胸に吸い込まれていった。


「あ?」


 それが最後の言葉である。直後に爆散したローズを見て、グレンがつぶやいた。


「だから言ったのよ。自分の事しか見てないって……」


「まだ仕事は終わっていないよ」


 西ジュンコが集まった少女たち4人にそう話す。


(そうだ!山中で養分にされているケンジ君たちを助けなければ!)


 グレンバーンはそう考えていた。


 山中に再び潜入するのは、グレンとアケボノオーシャンのペアである。二人の閃光少女は基礎体力が高いため、急峻な山道をすいすい進むことができた。目指すのは草笛ミドリ……の種だったもの。今は被害者を取り込む大木となっている、本体である。もう道に迷う事はない。本体を見つけた時の座標は、ジュンコがサーマルゴーグル破損の前に記録していた。あとは発信機を兼ねた無線機の液晶画面を見ながら、ひたすらそこを目指すだけだ。


「あ……」


 グレンが何かを見つけて止まった。彼女を追い越してしまったオーシャンが尋ねる。


「どうしたの?」

「防水バッグ。山に落としていたのを見つけたのよ」


 サーマルゴーグルなどの機材を山中に持ち込むために使ったそれを、グレンは拾い上げ、中身を確認した。中にはガイガーカウンターと、A3の画用紙が四つ折りになって入っている。


「それは?」

「寄せ書きよ。中学校でもらったの」


 グレンは画用紙をオーシャンに開いて見せる。月並みな応援メッセージもあれば、こんな内容も書かれていた。


『田口君を家に帰してあげてください』

『田村君を見つけてください』

『関口君のお母さんが心配しています』


 他にも数名の名前が見える。いずれも今回の事件の被害者たちだ。


「彼らを必ず家に帰してあげましょう!」

「……」


 グレンがそう決意に燃えるほど、オーシャンは複雑な心境になった。


「あった!」


 二人がその大木を見つけた時、やはり人間の姿が浮き出ている樹皮の口が、ずっと助けを求めていた。


「タスケテくれよ、グレンバーン……タスケテくれよ、グレンバーン……」


 グレンはその表面を手で抑える。力を加えると、人間の骨格の形が浮き上がった。


「オーシャン、あなたの魔法で切開して彼らを取り出せないかしら?」

「やってみるよ」


 閃光少女アケボノオーシャンの得意魔法は結界だ。グレンが肘に牙を付けたように、彼女もまた結界を刃物のように使うことができた。というより、彼女の技の方がずっと洗練されている。トランプの形に結界を作り、それを指に挟んで、ゆっくりと大木に近づく。


「ハッ!?」


 背後から物音がしてグレンが振り返った。蔦人間がまだ残っていたのだろうか?いや、違う。そこに立っていたのは常闇の魔法少女だ。


「トコヤミサイレンス……」

「……」


 漆黒のドレスを身にまとった魔法少女の処刑人。暗闇姉妹の全ての始まりとも言える彼女が、無言で立っている。その表情には何の色もない。だが、彼女の能力を知っているグレンは明るい顔になった。


「ちょうどよかったわ!あなたの回復魔法で、ケンジ君たちを元に戻してあげてよ!」

「……」

「どうしたの?力を貸してくれないの?」


 トコヤミサイレンスはヒーラーである。グレンは単純に、回復魔法でヒスイローズに取り込まれた被害者たちを救い出せると思っていた。


「グレン……それはダメなんだ……」


 動かないトコヤミにグレンがじれったい思いをしていると、そうオーシャンが口にする。その指に挟まれたトランプ型の結界が、鮮血に赤く染まっていた。蔦人間の緑色の血ではない。人間の血である。


「アア……アア……」


 大木の中に取り込まれた被害者が苦痛にうめいている。


「ちょっと、気をつけて!中にいる子たちを傷つけないように……」

「そのつもりでやったんだ!」


 オーシャンが言葉をさえぎる。


「でも、ダメなんだ。もう、この子たちと、この木は同化してしまっている。グレンから薔薇の呪いの話を聞いた時に、もしかしたらこうなるんじゃないかと思っていた。ヒスイローズへの攻撃は子供たちへの攻撃になるし、もしも子供たちを回復させたらヒスイローズも復活する」

「そんな……そんなのって、あんまりだわ!」


 オーシャンは立ち尽くしているトコヤミに視線を送る。


「だからトコヤミサイレンスは動かない。回復魔法を使えば、また蔦人間の軍団が現れる。さっきはなんとか洪水で倒せたけれど、再び現れたら私たちには倒せない」

「なら、どうしたらいいのよ!?」

「……トコヤミサイレンスは知っている」


 オーシャンがポツリとつぶやいた時、トコヤミの手には短い棒が握られていた。彼女がそれをひねると、端部からダガーのような刃が飛び出す。極端に柄の短い槍のようだ。そしてそれを構え、ヒスイローズの本体の木に近づいていく。


「待って!」


 グレンがトコヤミを止めると、オーシャンが彼女に語りかける。


「グレン、誰かがやらなければいけないんだ。被害者ごと、ヒスイローズを殺さなくてはいけないんだよ」

「わかっているわよ。だから聞きなさいよ」


 何を聞けと言うのか?グレンが指さす先を怪訝そうに見たオーシャンは、木に浮かぶ被害者の少年が、ずっと同じ言葉を繰り返しているのを耳にする。


「タスケテくれよ、グレンバーン……タスケテくれよ、グレンバーン……」

「指名されているのは、アタシなのよ……」


 グレンはゆっくり木に近づき、その手で被害者たちの面影を撫でる。そして、静かに語りかけた。


「助けて……ほしいのね?」

「タスケテくれよ、グレンバーン……タスケテくれよ、グレンバーン……」

「だめなのよ……アタシたちではあなたを救えない。せめて、あなたたちを楽にしてあげることしかできない……」

「…………」

「殺してほしいの……?」


 木はしばらく沈黙していた。やがて、口を開いた。


「コロシテくれよ、グレンバーン……」


 それを耳にした途端、グレンの呼吸が荒く乱れる。だが、やがて落ち着きをとりもどした彼女は、ポツリと口にした。


「わかったわ」


 グレンは西中学校、すなわち被害者たちの母校でもらった寄せ書きをそっと大木に添えた。


「悪い夢はもう終わりよ。でも、忘れないで。あなたの帰りを心待ちにしていた友だちがいたことを。家族がいたことを」


 グレンはオーシャンに結界を張ってくれるように頼んだ。大木の周りが青い壁に囲まれる。結界に入っているのは、グレンとその木だけだ。


「はああぁぁぁ」


 グレンが気合を入れると、彼女の背中に6本の細い羽が伸び、羽の先をなぞるように丸い日輪が浮かぶ。そして真紅の籠手が炎に包まれた。グレンは両腕をそれぞれ天地に向け、大きく円を描くように回す。すると円の中心に、小さな太陽のような炎の球体が生まれた。田口ケンジがビデオで何回も巻き戻してみた、グレンの必殺技が今ここにある。


「おらあああっ!!」


 炎球をドッジボールのように投げつけると、ヒスイローズの本体が瞬時に燃え上がった。まもなく大木は灰となって燃え尽き、炎が鎮火した後、オーシャンが結界を消す。努めて、強い戦士の顔をしていたグレンの目から涙があふれ、表情が崩れていった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 膝から崩れ落ちたグレンは地面に積もった灰を握りしめ、その場で慟哭する。


「わあああああああああっ!!あああああああああああっ!!」


 トコヤミはいつの間にか消えていた。一人残されたオーシャンは、しばらくの間、グレンに声をかけることができなかった。


 その後、田口邸に一人の男が訪れた。中村刑事サナエである。中村は田口トモゾウから出された茶を一口すすると、彼の目を見て言う。


「子供たちを連れ去った犯人。草笛ミドリは、死にましたよ」


 すると、トモゾウは手を滑らして自分の湯呑を倒してしまった。


「……そうですか」

「あんた、これからどうなさるんです?」

「わからん」


 布巾でこぼれたお茶を拭きながらトモゾウが喋る。


「わしは、復讐さえ果たせたら、気持ちを切り替えて生きていけると思っておった。前に進めると思っておったんじゃ……」

「実際は違ったと?」

「ああ、今はただ……虚しい……」


 中村が田口邸から立ち去ろうとすると、玄関まで見送りに出たトモゾウがその背中に語りかける。


「中村さん。あんたは、やっぱり……」


 田口トモゾウとて馬鹿ではない。すでに目の前の人物が何者なのかを察していた。だが、中村はそれをさえぎるように言う。


「そいつはお互いに言いっこ無しにしましょう。後ろ暗いのは、俺もあんたも同じなんだから」

「……」


 沈黙するトモゾウに、中村は最後にこう言った。


「甥っ子さんの家に、厄介になりなさい。一人にはならんことですな」


 田口邸をバイクに乗って去った後、中村サナエは思う。


(難しいですよね。ハッピーエンドって……)


 ミニバンの運転席に座っているジュンコは、助手席のオトハから事の次第を聞いていた。後部座席ではツグミが疲れ切って眠っている。


「大丈夫なのかな、アカネ君は」


 グレンバーンこと鷲田アカネは、今や静けさを取り戻している下山川を眺めている。山を下りてから、かれこれ2時間近くそうしているのだ。そのためミニバンを出発させることができなかった。


「暗闇姉妹として、やっていけると思うかい?」

「さぁ、どうでしょう?でも、彼女の存在は私たちに必要ですよ」

「強いからかい?」

「いいえ、その逆ですよ」


 オトハの謎かけにジュンコは困惑する。


「アッコちゃんはとてもうぶなんです。今どき珍しいですよ。だから必要なんです」

「君はずいぶんと達観しているみたいだがねぇ」

「閃光少女として、人の生死を何度も見たせいだと思います。そういう子は、だいたい無感覚になるか、変な価値観に凝り固まったりするんです」

「君とオウゴンサンデーの事を言っているようにも聞こえるが」

「そうでしょうか?」


 オトハは笑えないようだ。話を続ける。


「悔しければ泣き、許せない事には怒り、誰かを助けられたら嬉しいと思う。そんな魔法少女が仲間にいなければ、私たちもまた人でなしに堕ちて、次に現れる暗闇姉妹に殺されると思うんです。ハカセも、そう思いませんか?」


 その時、ミニバンのスライドドアが開いた。ツグミである。いつの間にか目を覚ました彼女が車から降りて、アカネの傍まで歩いて行く。


「アカネちゃん。私たち、もう行かなくちゃ」

「……そうね」


 ツグミに手を引かれてアカネが川の土手を登っていく。そこにジュンコが待ち構えていた。何も言わずに、アカネを見つめている。二人はしばらく見つめ合っていたが、やがてアカネの方から口を開いた。


「アタシがヒーローではないって言葉……やっと意味がわかった。心から、そう思う」

「ほぅ?」


 ジュンコが続きを促す。


「アタシは悪人になる。いいえ……誰よりも悪い、悪を超える悪にならなくっちゃいけない。人でなしどもの、その上をいかなくては殺せない。どんな手を使ってでも」


 アカネの言葉を聞いていたジュンコが、輪ゴムで丸めた紙幣の束を差し出した。


「今回の仕事料だが……受け取れるのかい?」

「当たり前でしょ」


 アカネは奪うようにして手に取った。


「アタシは暗闇姉妹のグレンバーン。このお金には、追いつめられた人たちの泣き声がこめられている……アタシたちがそれを聞かなくて、どうするの?」

「……そうか」


 ジュンコはその答えに満足した。


『暗闇姉妹』

 人でなしに堕ちた魔法少女を始末する者を、人はそう呼んだ。

 いかなる相手であろうとも、

 どこに隠れていようとも、

 一切の痕跡を残さず、

 仕掛けて追い詰め天罰を下す。

 そして彼女たちの正体は、誰も知らない。


 翡翠編 了

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天罰必中暗闇姉妹 翡翠編 村雨ツグミ @tenbatuhittyuu

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