女ふたりぼっち心中恋歌

尾八原ジュージ

ぼっち×2

 サキちゃんは心中に失敗した。

 そして、また心中するために相手を探している。


 私とサキちゃんは、生まれ育った田舎町を一緒に出た。海が見える街で大学生活を始めるためだった。大学がある街は景色がきれいで、それなりに賑わっている繁華街を抜ければ海も山も近い。そういう土地だった。

「すごーい! JDがいっぱーい!」

 入学式の日、大学構内で無闇にはしゃぐサキちゃんこと羽多島井わだじまいサキを見て、あっ危ないなと思ったことを覚えている。サキちゃんは明らかに無理してテンションを上げていた。故郷を離れた不安を隠し、そして華麗な大学デビューを果たすために、むりやり明るく振る舞っていた。サキちゃんのことが大好きな私には、そういうことが手に取るようにわかるのだ。

 案の定サキちゃんは入学早々、大学祭実行委員会という、彼女が本来もっとも遠ざかりそうな集団の新歓コンパに参加した。そこで一浪かつ四月生まれなのをいいことに初めての飲酒、それはいいけどはしゃぎ過ぎた上に飲み過ぎて倒れ、病院に緊急搬送された。

 災難だったのは実行委員会の人たちの方だろうなと思いながら、私は退院するサキちゃんを迎えにいった。失態に落ち込んでメチョメチョになった彼女を労りながら、ほんのりと温かい気持ちになって帰るつもりだった。

 ところが当のサキちゃんは、ルンルンな足取りで病院から出てくると、私に向かってぶんぶんと手を振った。

 おかしい。どう見てもおかしい。あの危ぶむべきハイテンションとも違う、何かしら光属性の気に満ちた元気いっぱいのサキちゃん――という見たことのないものを目の当たりにして、私はなぜかイケナイことをしたような気持ちになった。

「やっちゃーん!」

 駆け足とスキップの中間でこっちに駆け寄ってきたサキちゃんは、マンホールにつまずいて派手に転んだ。

「大丈夫?」

 手を差し伸べる前に、サキちゃんはガバッと立ち上がった。バッキバキの笑顔だった。改めて見ると見た目だけはマジで美少女だなこの子と思ったけれど、このとき私の口から漏れたのは「こわっ」というひとことだった。

 私の原付の後ろに乗ったサキちゃんは、しきりに何か喋っていたらしいが、あいにく走行音とヘルメットのせいでほぼ聞こえなかった。とにかくやっちゃんやっちゃんと何度も呼ばれていたことだけは、なんとなく把握している。

 左手に海、右手には緑の芽吹く山、美しい四月の昼下がり。道路は空いているし原付の調子は最高によかったし可愛いサキちゃんは異様なテンションで、私もなんとなく楽しくなってきた。もしも今、世界に生き残っている人類が私たちふたりだけだったとしても、なんとか生きていけるような気さえした。

 しばらく走って、私はサキちゃんが住む学生マンションの前で原付を停めた。

「やっちゃん、わたし見ちゃったの」

 ヘルメットを外し、長い髪をさらさらとなびかせながらサキちゃんが言った。

「なにを?」

「倒れたときに。死後の世界を」

「ほぁ?」

 いわゆる臨死体験である。サキちゃん曰く、死後の世界はめちゃくちゃ綺麗なところだったという。

「すごく気持ちよかったんだよ! 色とりどりの花がワーッと咲いてて、いい匂いがして、きれいな歌が聞こえてねー」

 サキちゃんは死後の世界のよさについて、私に延々と語った。

 私は心配になって、その日はサキちゃんの部屋に泊まった。一晩中Z級映画の上映会を開催していたので、サキちゃんは罵倒混じりの感想をSNSに投稿することに一所懸命になっていた。そのおかげか、その夜は特に何も起こらなかった。


 大学に戻ったサキちゃんは、そう広くもないキャンパスにおいて「美人だけど新歓コンパで調子こきすぎて飲酒し救急車に乗ったやべー女」という風評に晒されることとなった。

 まぁ概ねその通りだ――と思いつつも心配だった。サキちゃんはさぞ落ち込むだろう。もしかしたら「もう大学なんか行きたくない」と言い出してそのまま退学、実家に帰ってしまうかもしれない。

 ところがそれは杞憂だった。

 サキちゃんはバッキバキのテンションのまま、大学に通い続けた。そして五月の半ば、なんと彼氏ができたという。

 彼氏は普通の人だった。いい意味での「普通」だ。「いい人そうじゃん」ってみんなに言われてそうな男の子で、私も実際そう言った。

「この子、同じ高校だったやっちゃん」

「はじめまして」

「よろしく」

 なんて会話をした彼の名前を、私はもう覚えていない。覚えているのはその年の七月、サキちゃんがそいつと心中を企てたってことだ。

 サキちゃんたちは夜、人気のない海の上にビニールボートを浮かべて漕ぎ出した。そして海上でお酒を飲み、泥酔した頃にボートの空気を抜いた。幸いそんなに沖に出ていなかったらしく、気がつくとサキちゃんは浜辺に打ち上げられていた。でも男の方は不幸にも沖に流されたらしい。翌々日、サキちゃんは彼氏の訃報を受け取った。

 色々あってそれは事故ということで片付いたらしいけど(ちなみに羽多島井家はお金持ちだ)、私はちゃんとわかっていた。あれは心中未遂だった。サキちゃんは再び死後の世界に至りたいがために、あんなことをしたのだ。

 その考えを裏付けるかのように、その後サキちゃんはわざわざ私の住むアパートにやってきた。

「やっちゃん、死後の世界はやっぱりきれいだったよ~。あのままいられたらよかったのにな〜」

 そんな話を延々と、まだ飲酒できない私の隣で缶チューハイを片手に、サキちゃんは何度も何度も繰り返すのだった。


 見た目はとにかく美少女ということが幸いしたというか災いしたというか、夏休みの間にサキちゃんはまた新しい男を捕まえた。が、秋になる前に別れた。

 口先だけの男だったとぶつぶつ言っていたから、たぶん心中に誘おうとして失敗したのだろう。ていうか、よくもまぁ最初の彼氏は「心中? いいよ」なんてことになったもんだと思う。

 それからは悪化の一途、サキちゃんのあだ名は「死神」になり、死んだ彼氏の悪霊に取りつかれているとか人間の魂を食ってるとかいろんなバカみたいな噂が流れた。あっという間にサキちゃんはぼっちになった。

 いや、正確には私がいたので、まったくのぼっちではなかった。サキちゃんの友達であるところの私もアオリを食って孤立したので、ふたりぼっちになったのだった。幸いというかなんというか、近代日本文学をはじめとする英語開講クラスの単位が非常にやばかったので、私はサキちゃん以外の誰からも誘われない大学生活を謳歌した。

 その間、サキちゃんは単位を落とすことも厭わず(死ぬつもりなのだから当然だ)、頑なに心中相手を探し続けていた。出会い系アプリを使い始め、色んな男とくっついて別れてくっついて別れてを繰り返した。それでも心中の相手はなかなか見つからないらしい。

「ていうかサキちゃん、一人じゃ死なないんだ?」

「だってさびしいじゃん」

 薄暗い部屋でZ級映画上映会をやりながら、私たちはそんな言葉を交わした。


 やがてクリスマスイブの夜がきた。当然のごとく、私たちはふたりぼっちである。

 パーティー帽をかぶったサキちゃんは、来る年末年始は帰省なんかしないと宣言した。

「出会い系のこと、親にばれて怒られた。気まずい」

「おじさんとおばさん、そういうの厳しいんだ」

「なんたって心中未遂したからね」

「あ、そこばれてるんだね」

 とはいえ、両親ともに鬼籍に入っている私には、帰省できるアテがあるというだけで羨ましかった。幸い、親の遺産と保険金のおかげで金銭面は何とかなっている。でも出会い系アプリの云々がばれて叱ってくれたり、気まずくなったりするような家族はいない。

「もう諦めたら? 心中なんか」

「んー。だってさ」

 現実に絶望したかのような顔でサキちゃんは呟く。なにが「だってさ」なのか、その先は何も言わない。

 タブレットの中では、ハリボテくさいサメに襲われた人間がわざとらしい悲鳴をあげている。なんだかんだいって、サキちゃんとふたりで観る映画は、こんな感じのものばっかりだ。

 玩具みたいな生と死。

 そのときふと、魔が差した。

「ねぇサキちゃん、どうしてもだったら私と死のうか」

 私がそう言うと、いい加減酔っ払ったサキちゃんは、こっちを振り返ってふにゃっと笑った。私は素面だったけれど、それが答えだと思った。


 酔っ払ったサキちゃんにヘルメットを被せ、原付のバックシートに乗せて出発した。酔っ払いを振り落とすといけないので、ベルトで二人の胴体を縛った。

 私たちこれから心中しにいくの? まじで? クリスマスイブなのに? 頭の中の若干冷静な私が騒ぎ立てていた。あと数十分後には死んでるんだ、と思うと震えがきた。

 でも、戻る選択肢はない。

 やっぱり心中やめようかなんて、口が裂けても言えない。

 サキちゃんと一緒にいたくて、無理して一年待って同じ大学に同じタイミングで進学した。酔って醜態を晒したサキちゃんが、どんなに周囲にドン引きされても離れなかった。

 私から「やめよう」なんて、絶対に言えない。

 雪がちらほら降り始めていた。ホワイトクリスマスだ。後ろでサキちゃんが何か叫んでいるが、もちろん運転中なのでよく聞こえない。またやっちゃんやっちゃんと私の名前を連呼している気がする。よく聞こえないまま私は原付を走らせた。

 舗装道路はまもなく山を登るルートに続く。海を臨む山道には、崖沿いだっていうのにガードレールが切れているところがある。そこを海に向かって走り抜ければ、私たちは十数メートルの高さを原付と共に落下するはずだ。

 死ぬだろうな。仮に生き残ったとしても大怪我だろうな。そう思うとゾクゾクしてきた。今思えばどうかしていた。

 やがて、左手に海が見えてきた。

 真っ暗な海は死後の世界そのものみたいだった。死んだ人の魂が還る場所があそこなのだと本気で思った。あの海を経てサキちゃんと美しい世界に至れるなら、私はそれでいい。

 原付のスピードを可能な限り上げる。飛ぼう。できるなら『ET』みたいに飛んで、なるべくドラマチックに死のう。

「やっちゃーん! やっちゃんてばー!」

 そのとき、奇跡的にサキちゃんの声が耳に届いた。

「無理! 無理無理無理無理! 酒切れたから無理いいぃ!!」

「は!?」

 急ブレーキ。

 対向車がいないのをいいことに、道いっぱいに大きくカーブを描いて原付は止まった。焦げた臭いとタイヤ跡、冬の夜の冷たい空気。千切れたベルトが私の胴体からぽとりと落ちた。

 そして私は見た。遠心力によってガードレールの向こうへ吹っ飛んでいくサキちゃんの姿を。

「んぎゃあああぁぁぁぁぁ」

 悲鳴が長く尾を引いた。

 そして、サキちゃんは消えた。ガードレールの向こうに。

 駆け寄ったガードレールの下は、暗くて見えないが一面の海らしい。遠くでバシャーンという音が聞こえた気がした。

 私はしばらく人気のない山道にぼんやりと立ち尽くした。やがて風の冷たさに我に返ると、原付にスチャッと跨って逃走した。正常な判断力を失った頭は「うわーどうしよう殺しちゃったサキちゃん殺しちゃった」とめちゃくちゃに混乱していた。

 必死で原付を走らせてアパートにたどり着き、ベッドの中で布団をかぶって震え、そして寝た。

 この期に及んでようやくビビり始めた私は、眠ることによって全てをなかったことにしようと決めたのだった。クズだった。どうしようもないクズだった。

 そもそも何で死のうとしたのか、自分でも一切わからなかった。本当に魔が差したとしか言えない。警察に通報することもせず、私は無理やり眠った。浅い夢を見ては何度も目を覚ました。

 そして明け方、インターホンの音で完全に覚醒した。

 もう警察が来たのか? サキちゃん殺しの罪で逮捕されてしまうのか? 私は恐る恐るベッドから抜け出して玄関に向かい、ドアスコープから外を見た。

 ところがドアの向こうにいたのは警官じゃなくて、サキちゃんだった。幽霊でもない。顔色は真っ青だし、頭にでかい海藻が乗っかっているけど、実体がある。本物のサキちゃんだ。

「サキちゃん!!」

 私は一気に元気を取り戻し、ドアを開けた。サキちゃんはやっぱり本物で、生きていて、ガタガタ震えながら、

「がああぁあぁあぁっ!!!」

 と雄叫びを上げて私に殴りかかってきた。


 なんでもサキちゃんが落ちたところには、たまたま網を満載した漁船が停まっていたのだとか。その上に落下して奇跡的にほぼ無傷で生還したサキちゃんは、今回臨死体験をすることもなく、それどころかぱっと憑き物が落ちたようになった。

 かくして、サキちゃんは心中相手を探すのを止めた。私に絶縁宣言を叩きつけたサキちゃんは入学当初のテンションに戻り、遅ればせながら大学デビューを果たすべく、あちこちの陽キャ系サークルの部室や飲み会に乗り込んでいった。

 完全なるぼっちになった私は、今のところ何もせず、ただサキちゃんが戻ってくるのを待っている。

 サキちゃんのことだから、あのテンションはそう長くもたない。きっとまもなく心がメチョメチョになるだろう。実際あちこちであれこれやったらしく、最近のサキちゃんは大抵ぼっちで、私の方をチラチラ見てくるようになった。

 声をかけようとすると逃げてしまうから、まだ静観している。でもきっと遠からぬうちにサキちゃんは私のところにやってくる。あんなことをしたけど結局サキちゃんのことが大好きな私は、その日を楽しみに待っているのだ。


 サキちゃん、海に落としたとき逃げてごめん。また一緒にクソ映画観ようね。

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