第51話 戦いの行方 その一



『オーディーンのかけらよ』


 重たげに頭を持ち上げ黒い龍がアレスに声をかけた。



 本来、ニーズヘッグとは冥界の門に立ちふさがる絶望である。暗闇に立ちふさがり送られた死者を喰らい尽くす冥界の番人だ。


 問答無用で襲い掛かる存在だ。


 ニーズヘッグ自身、永い年月で誰かに話しかけるなど無かった。


 死者に取ってそれは理不尽の塊であり、生前の魂の穢れを清算させる絶望の象徴なのだ。



『聞こえておるのだろう?』



 弱弱しいとはいえ、地の底から響くような声にアレスは「ひっ!」と悲鳴を上げた。



『……ふふふ、怖がる必要は無い。我には生者は喰らえぬ。いや、すでに我の命の終わりは近いのだ。今更糧にならぬモノをどうにかする必要も感じ無いからのぉ。それに指一本動かすのも辛いくらいじゃ、どうこうする事もできぬわ』



「お腹空いてるんですか? ええとぉ……ご飯って?」


 アレスは会話が成立できることに驚き、また飢えているのに自分を食べれないと聞いて不思議に思った。



『……ははは、安心するがよい。我は死者の魂を喰らう。とは言ってももう永いこと口にしてはおらぬが』



 食べられないと聞いても龍を前にして怖い。


 その圧倒的な身体は触れただけでアレスなど消し飛ばしてしまうだろう。


 それでも頑張って会話しているのは、アレスの周りを囲む闇の精霊たちが盾になってくれるのを感じているからだ。



『ふむ、ラグナロクが起きて世界が切り離されて全てが終わった。予言では神々は正しきものたちと暮らし、人族は世界樹ユグドラシルで新しい世界を築くと聞く。だが冥界が切り離されるはずは無いのじゃ……輪廻の輪はちぎれるモノでは無いのだから。それは世界の作った理。しかし現実には神階は崩れ冥界は閉ざされた。それから死者が訪れることも無い。ふふふ、死すら寄せ付けぬ孤独な世界……。我の終わりには相応しいかもしれんのぉ』



 ドヴォルグがあれほど怯えていた死の国ニヴルヘイム。ここは伝説の国で死者の住む場所。なのに……死者が来ない?



「死者ってじゃぁ、どこに行ったんでしょう?」


『さて……。どこかの性悪な神が弄んでいるのかもしれん』


 そう呟くニーズヘッグの声は悲しそうだった。



『ああ、そうじゃ。もう一人の生者が居ろう?』


「えっ? あっ! ドヴォルグさん?」



『おお、そうじゃ、それ』


 闇の中はぐれたドヴォルグをこの場に呼べると言う。



「もちろん、お願いします」


『ふむ、では……*********』


 アレスでは聞き取れない不思議な音。呪文でも唱えているのか? わずかな闇の精霊の震えと共に空間が歪んだ。



 そしてその中から、うずくまったまま嘆くドヴォルグが現れたのだ。


「くそっ! くそっ! 離せっ! あああああ……お願いだ! 許してくれぇええ!」


「ドヴォルグさん!」


「ああああ、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃのドヴォルグはアレスの声が耳には届いていないようだ。かなり混乱している。



『闇に飲まれかけて混乱しておるようじゃな』


 アレスが途方にくれていると。


『仕方が有るまい』


 そう呟き、また不思議な音を唱えてくれた。



「え、あれ? ……………………?」


 正気に戻ったドヴォルグは、何がおきたか理解できない様子。


「ど、ドヴォルグさん? 大丈夫ですか?」


「あ、アレス様? こ、ここは」


「もう大丈夫です。ニーズヘッグさんが助けてくれましたから」


 そう笑顔で答え、視線でニーズヘッグを示したが……。


「へっ……………………。っ! ぎゃぁああああああ@sdfghjkl;!!!」



 また奇声をあげて目を回してしまった。


「ちょっ! だ、大丈夫ですか!」


『やれやれ、ずいぶんとココロが弱いのぉ』


 内心アレスは(そりゃ誰だっていきなり、目の前にドラゴンが現れれば気を失うよ)と思ったが、流石に言葉に出すことは止めた。






   ※※※※※※






 鬱蒼と茂る深い森に囲まれた一本道。


 イネスは精霊たちが怯えているのを感じた。



 エルフが暴れている隙に『ヴァナディス』に潜り込むことが出来た。


 いや誘い込まれた。



 あれほど強固であった結界に出来た綻び。領境を越え現れたのは、女神の住む館まで指し示すかのような整った石畳だった。ほのかに灯る石畳の周りは、鬱蒼と茂った深い森に囲まれている。


 どこかで見た風景。懐かしいような、戻ってこれたような景色だった。


 けれど、これはまやかしだとイネスは感じた。


 ローズウッドの森に似ているが根本が違うと思った。



「……死者の気配?」


 禍々しい気配と怯えた精霊が教えてくれている。生有る物が住む世界では無いと。


 伝わる感情は危険と険悪。



「ローザ」


「ん? なに」


「精霊が怯えておる。気をつけて」


「ええ、分っているわ。まったく、どこで見てるのかしら? 悪趣味にもほどが有るわよ」


 視線を感じたローザは、気味悪そうに辺りを見渡すと心底嫌そうに吐き捨てた。



 気配は最悪を示すのに、ここまで妨害どころか、まるで招き入れられたようにさえ思える。



 結界を越えたのはイネスとローザ、それにルオーが連れたククリ族の戦士。もっともククリ族には戦力として期待はしていない。



「あはは、正直言えば、今すぐにでも尻に帆をかけて逃げ出したい気分。悪いが僕らは役には立ちそうにないよ」


 ルオーが珍しく弱音を吐いた。逆立った髪の毛が物語るように、油断をすれば気を失いかけない。


 それほど濃厚な死の気配が漂っているのだ。



 人族相手ならどこまでも強気で戦えるというのに、流石に神相手では分が悪いようで、付き従うククリ族の戦士の顔色も悪い。皆怯えているのか? 元気が無い。



「安心して、貴方たちに戦わせる気は無いから」


「ふむ、使徒を抑えてくれれば、後は我らが何とかしよう」


 普段は幼さが残るイネスは、何かに覚醒したかのように力強く答える。


 それはアレスと離れている時間と共に強くなって、まるで急速に大人になったように見えた。



 だからと言ってローザとイネスにも勝算が有る訳では無かった。それでもアレスのために負けることは許されない。



 ここは女神フレアの神域。現人神とはいえ相手の手の内だろう。


 罠と思いつつもこのチャンスを逃す手は無い。



「待っていろフレア! アレス様はこの手に必ず取り戻す」


 自分に言い聞かせるようにローザは誓った。


 その強い思いを示すように手の平に喰い込んだ爪が痛みを見せる。


 心が煮え立って、苛立って、壊れそうになるが、ぐっと心を抑え。歯を食いしばると笑顔を見せた。



 世界のどこまでも縛り付ける氷のような微笑を。



 誰とも無く歩き出すなか。


「道標の灯りとなれ」


 イネスの頼みに淡く光った精霊たちが前に飛び立った。


「大丈夫だ。アレスは強い」



 アレスに危害を加えられる事は無いだろうと思いながらも、ローザは無事を祈らずにはいられない。



「アレスお願い無事でいて」


 体は無事でも心まで大丈夫だとは言えないのだから。







   ※※※※※※







 その頃。


 圧倒的な戦いを繰り広げていたのは。


 やっぱりエルフだった。



「ぬんっ!」


 殴る。


 殴る殴る蹴る!


「ぐびゃっ!」


 槍の『ゲイラ』と剣の『スカルド』は戦闘氏族である。


 その戦いは凄まじい。



「ふふふふふ……ぬるい! ぬるすぎる!」


 互いに競うかのように、ただひたすら殴る殴る殴るのは『ゲイラ』の戦士長。



 対して。


「うぉおおおおおおおおお!!!」


 蹴る蹴る蹴り飛ばす! のは『スカルド』の戦士長だった。


 一体、槍と剣はどこに行ったのだろう?



 すでにフィエット公爵領を守る防衛線は崩壊し、戦いは別宮内での蹂躙の様相を示していたのだ。



「死ねっ! 邪悪なエルフ! ファイヤ!」


「うがっ!」


 普段はねぐらで惰眠を貪るしかなかった『スカルド』エルフの戦士。部族の女からは産廃と呼ばれている筋金のニートだ。彼は物陰からいきなりの攻撃を受けた。



「だ! 大丈夫か?」


「なに……問題ない」


 内臓をやられたのか口から血を吐き出すと、すかさず誰かが差し出した金平糖を口に放り込む。


「ぬぬぬぬ! うおぉおおおお!!! キタキタキタ!!!」


 金平糖を噛み砕きながら奇妙な踊りを見せ「パワァアアアアーアップゥウウウウ!」


「ぎゃぁあああああ!」



 殴り飛ばす。


 剣の『スカルド』はどこ? と問いかけたくなるほど腰の入った良いパンチは、魔法使いを炸裂させた。



 人族の兵士も決して弱い訳ではない。


 充分な時間と資金をもって精兵を集めたフィエット公爵領。その守りは強固とさえ言えた。



 だが……。


 誰に想像がつくというのだ。


 剣に槍に魔法に倒れたエルフの戦士が、たった数粒の金平糖によって屍人のように蘇る事を。



「コンペイトウ」


「コンペイトウ」


「ひっ! く、くるな! ぎゃ! ぁあああああーっ!」


 屍人に次々と襲われる兵士たち。



 こんな景色がそこらで繰り広げられ、辺りは血と肉片で染められた。



「よぉおおおし! 突入ぅううう!」


 奥の殿を守る近衛兵を殴り飛ばして吼える戦士長。


 もう誰にも彼らを止める事は出来ないだろう。



















 たとえ作者でも。

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