第50話 ニーズヘッグという存在



 闇の中から叩きつけられる衝撃。


 もう動けない。アレスはとうとうしゃがみこんでしまった。


 頭を抱えうずくまる姿は子供そのものだ。



 誰か助けてよ。


 身体に突き刺さる痛みに身がすくむ。


 ただただ己に向けて繰り返される悪意。


 理不尽な攻撃から少しでも身をかわそうとした。



『憐れなものだな』


 悪意が話しかけてきた。


 身をよじって逃れようとした。


 誰の助けも無く、闇の中で周りさえ見えない。


 痛いよ、嫌だよ、酷いよ。


 手を伸ばして哀願する。


 ここから救われたいと。



『ただ逃げるだけなのか』


 悪意が問いかけてきた。


 だって無理じゃないか、僕には力も無い。


 アレスは呪った何もかも。


 だって、だって、僕には力がないんだ。



『では力があれば良いのか』


 そうだイネスのように強力な精霊の力が使えればって……?。



「えっ? だれ!」


『どうなのだ。小さく憐れで愚かな、オーディーンのかけらよ』



 いつしか精霊の攻撃は止んでいた。


 ちがうまだ続いている。


 けれど、それは何か必死で、まるで何かからアレスを守るように。



 精霊の感情が伝わってくる。聞こえてくる。


 壊れろ、壊れろ。


 闇の精霊は身体をぶつけているのだ。


 開放しろ、放せ、押さえつけるな。


 アレスに付けられた腕輪を壊そうとしているのだ。そこに、悪意などなかった。



 アレスにとってこの世界は精霊とともにあったと言って良い。


 生まれたときから、生まれ変わったそのときから、精霊はそばにいたのだ。



「……狂ってなんかいない」


 そう精霊は狂ってなどいない。


『ふん、今ごろ気が付くとは遅いわ』


 闇に閉ざされた世界でもアレスを助けようとしていたのだから。



『まったく、自分を守ろうとするものから逃げるとは』


 目の前には黒い。


「……龍?」



『はっ!? ドラゴンなどという下等な生物と同じにするな!』


 吐き捨てるように言われた。


 地面に横たわりうずくまるようにしながら、頭を持ち上げる。


 その姿はどこか弱弱しい。



『久方ぶりに訪れる者が来たというのに』


 そう呟くと目をつむり一言『すまぬ』と言った。



 死の国ニヴルヘイム唯一の出口は冥界の門。


 それを守るのはニーズヘッグ。目の前で瀕死に喘ぐ黒い龍だった。



『閉ざされてから幾年過ぎたであろうか』


 死者が送り込まれなくなって数え切れないくらいの時が過ぎたという。


 はるか昔、神話の時代。


 ここは死者の国だった。


 ニーズヘッグは死者を飲み込み浄化して再生の道を歩かせる。


 転生の番人、それがニーズヘッグの役割なのだ。



 未練、執念、生への渇望。


 怒りもあれば悲しみもあった。


 生きることを全うしての満足は美味で、理不尽に奪われた絶望は珍味でもある。


 それがニーズヘッグの生きる糧であり、存在をつなぎとめるエサだったのだ。



 だが、いつのまにか尽きた。


 冥界の門は開かれることがなくなる。



 ラグナロクが起きたからだ。



『残念ながら我も終わりを迎えるだろう』


 生者は喰らえぬからと乾いた笑いを見せた。



『朽ち果てるまでこうしているのだ』




 そう言ったニーズヘッグは悲しそうだった。







        ※※※





 誰かの叫びが聞こえる。



「──やっ、やめろ!」


 肉体が炸裂し、白と赤の欠片が飛び散った。



 エルフは善良な生き物ではない。



 個は個であり、欲望に忠実ともいえた。


 世界には関心はなく、通貨も必要とせず、勝手で我がままで利己的だ。


 欲しければ奪えば良いし、無ければ諦める。


 自然と共生などと言われても意味さえ分らないだろう。


 実体は面倒くさいから必要以上に動かないだけである。



 究極のニート。



「悪いごはいねーがー?」


 辺りを見渡すエルフの視線は厳しい。


 新たな獲物を求めて徘徊するようだ。



 また一人の兵士の胸元を腕が突き抜ける。


「がっ、はっ!」


「はんっ面倒くせーから、武器を持っていないやつは殺すな!」


 ともすれば暴走しそうな連中に注意を入れ、自らの指先に付いた血を振り払った。



 悲鳴と怒号が渦巻く。


 東の都と呼ばれ豊かで平和な領都の日常は終わりを告げた。


 突然の邪竜の群れを見て、見張りが立ち尽くすなか殺戮は始まったのだ。



「コンペイトウ」


「コンペイトウ」


 と、意味不明な合言葉を聞いた兵士は震え上がった。


 乗り手を失った邪竜がうっぷんを振り払うかのように暴れまわる。



「ここは勝手にやらせておけ!」


 白い歯を見せた戦士長は、ひときわ大きい邪竜に「戻るまで暴れておけ! ただし! 逃げるやつは喰うなよ!」と声をかけ一発殴りつけた。



 家財も捨てて逃げ惑う領民たち。


 領都アーレムは地獄の様相を見せていく。



「GYAAAAAAAA!!!!」


 吼える巨大な邪竜。


 それに従うように、五十を超える災厄は統制の取れた動きで再び暴れだした。




「おい! 野郎ども! ついて来い!」


 領都アーレムを急襲したエルフの戦士たちは、警備の領兵をまたたくまに始末すると矛先を別宮に向けた。



 その日フィエット公爵領を襲うエルフたちに告げられたのは「壊滅させろ!」の一言である。


 カーラから出された指示は一点だけ、他領と歯向かわない者は殺すなだった。


 エルフたちはそれを的確に守る。



 向かう兵士を魔法で吹き飛ばし、うずくまる者は無視した。



 そして……。



 ジョセフ皇子のいる別宮を包囲したのだ。

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