第8話結界と契約という存在



〈神官エギル・スカラソンの視点〉


 ローズウッドの地は特別な場所。


 幼い頃から何度も聞かされてきた。



 純血のエルフながら人族の国で生まれ育った私には故郷と言う想いは薄い。



 なぜなら神以外のものに心を動かされた事が無いからだ。



 それでも女神に加護されし最後の楽園と呼ばれるローズウッドには興味があった。


 出来れば一度足を運んでみたいものだと思う程には。



 特に見事な精霊石を目にしてからは、いっそうそれが強まった。


 確かにエルフの秘宝と呼んでも差し支えないほど素晴らしい品だ。





 有る日の事、ベルンハルト侯爵が神殿を訪ねてきた。


 天秤のオークションに出された精霊石を手に入れたいとのこと。



 俗物どもめ。



「実はマルグレーテ様が是非に欲しいと申しておりましてな。なにとぞ神殿のご協力を」


 欲望が透けて見えた。言葉は丁寧だが、腹の底に見下した意識が見える。世事には興味が薄いとはいえ、この国が揺れている事くらいは知っている。


 おおかた王妃の関心をかって有利に事を進めようと思っているのだろう。



 世間では秤の神を祀る神殿がスヴェアに属していると勘違いしている輩が多いが、元々あったのは神殿の方で後からスヴェアが出来たのだ。


 だからどんなに国が荒れようと、欲にまみれた人族などのやる事に興味を持つ事は無かった。


 もっとも荒れる原因に秤の神がからんでいるとあれば無碍にも出来ないのも事実。



 王都の喧騒にこの神殿が巻き込まれるのも面倒な事から、これ幸いとローズウッドに行くことに決めたのだ。







 秤の神に感謝しながらの馬車の旅は楽なものだ。


 盗賊はおろか魔物に会うことも決して無い。



 目的地に近づく直前、何かを圧し抜けた気配を感じた。


 退屈な風景に飽き飽きとしていた私は、そこで初めてエルフの領地に足を踏み入れた事に気付いたのだ。



「ん? 炎の結界を張っているのか?」


 思わず声を出した私は、ローズウッドを守る結界が炎の属性を持っていることに気が付いた。


 これは珍しい。決して不可能で無いが、炎の結界を広範囲に張るのは難しいものだからだ。


 それこそ神の力を借りなければ、エルフといえども一人二人で張れる代物では無い。


 しかもかなり古い術式の様で興味を引かれた。




 術式に触れようとして、古き血がざわめいた。なんだ! これは? 渦巻く思いに肌があわ立つ。とたんに溢れんばかりの感情が流れ込んで来た。



 慌てて誰の記憶と感情かは分らないが、術者の込めた思いに敬意を込め黙祷をささげる。


 川沿いの曲がりくねった道をゆっくりと進む馬車の窓を開けて、やはりこの地には何かがあるのだろうと思った。





 だが、期待は失望に変わった。




 ローズウッドの当主に会って力が抜けてしまう。


 なんだ唯の子供では無いか。しかも純血でも無い。


 値付けの事ですらすぐには決められないと言う始末。


 これではわざわざ出向くまでも無い、代理の使者でも立てれば良かったと思ったほどだ。



 早々に目的を果たして立ち去ろうと決めたところ、王都まで出向きあらためて答えると言う。



 勝手にすれば良い。



 「ではヨールの祭事──冬を迎える祝宴──までにご返答を」


 


 これ以上の付き合いは無駄と思い客間に引き上げる事にした。



 館は歴史を感じさせる素晴らしい場所で、与えられた客間の一室も重厚な趣を感じさせる。


 それに何と言ってもこの石鹸の素晴らしさはなんだろう。


 泡立ちは極め細やかで香りはバラ。ふむ、正直に言えば香料は苦手だったのだがこれなら問題は無い。


 石鹸はエスタの特産品と聞く、バラン共和国から南の国だったか。



 見るべきものも無いと思ったが思わぬ収穫を見つけ、王都に帰ったら誰か大手の商会主でも呼び寄せて手に入れることにしようと決めた。


 商会主なら商品名が無くても、バラの香りのする石鹸と言えば分かるだろうと思いながら。



*******



「ダメダメだ────ナ!」


 相も変わらず、日課となっている魔法修行は駄目出しの連続です。僕がスヴェアに行くと聞いて、なんとか一つでもモノにしようと特訓を付けて貰っているのに、一向に成果が出ない僕でした。



「いや、少しは進歩してない? ほ、ほれ、精霊石があれば火も出せるし」


「そんな事はダレでも出来るでケロよ」


 偉そうに石柱の上でカエル座りをしているアスクさん。


 態度が妙に人間くさく見える。


「世界はキケンなのだケロ、せめて魔法を使えるくらいは覚えるでケロ!」


 首からさげた金の鎖の先には小さな水晶から淡い光が灯っていて、時々ニヤニヤとしながら顔をすり寄せるのが微妙にキモイ。


 カラスとかが光物を好きなのは知ってたけど、カエルもそうなのかね。



 親指ほどの水滴型の精霊石は、アスクさんが持ってきた原石に魔力を込めろと言われた物だ。


 どこで見つけたのか結構なサイズの原石からは二つの精霊石が出来た。あっという間にエムブラさんがそれを割って取り出し、持ってきた金の鎖をパパット繋げて泉の中へ。


 まあ、アメンボでは首から下げられないよね。



 火を出せるというのは機嫌の良いエムブラさんに教えて貰った。


 精霊石を取り出す過程で余った水晶のかけらに魔力を注ぐと、魔石と同じように精霊が潜り込む。かけらだと魔力を喰い尽した後は元に戻ってしまうのだけれど、一回で三日くらいかな? 閉じ込めることが出来た。



 これが意外に使えるのに気が付いたんだ。



 水晶は脆いから簡単に壊すことが出来た。それこそ硬い物にぶつけるだけでも割れるのだ。


 そのとき、中の精霊は開放されていく。


 そして魔力も一瞬で開放されるから「僕の物だ! とっちゃいやっ!」とばかりに魔力を喰い付くしていくんだ。


 いやホント。そんなふうに感じるよ。食いしん坊のイメージがあるからかな。



 魔力を消化するときに精霊は属性を顕わにして、込めた魔力にもよるけど小指の先くらいの水晶で半径三メートルくらいが燃え上がった。



 即席の火炎魔法の出来上がりというわけさ。



 それから水晶を好むのは火の精霊だけで、他の連中は入りたがらない。


 やっぱ好みとかあるのかね? 魔石だと争うように入るのに。



「本来ならオマエはもっと魔法を使えるはずなのにナンデケロか?」


 そう言われても困ってしまう。


「ソーソー、精霊と契約してるのにヘタすぐるー!」


 ん? なにそれ!


「契約ってなに?」


 精霊の事はイネスに聞くに限る。


「ぬぅ! 何をとぼけておる! 我としたであろうが」


 えっ!? えぇええええええええええ!!!いつしたの?


「ちょ、ちょっと待って! 僕ってイネスと契約してるの?」


「もちろんじゃ!」


「ど、どこで!?」


「アホカー! オマエは!! 覚えてナイのカー! 薄情モン!」


 すかさずエムブラさんから非難の声があがったけれど、覚えて無いと言うか記憶に無い。



「どこでって、名前を付けたではないか? あれが契約じゃ!」


 いやいやいや、ドヤ顔で簡単に言うけど、契約だよね? 普通はお互いの了承って・・・・・・えっ、いらないの? マジっすか!



「アレスが名前をくれると言って、われが了承した。これ以上の何が必要なのじゃ?」


 どうも認識に差があるようだけれど、お互いに望まなければ出来ないと思うのだが。



「だいたい我がこの森を出るなど、アレスと結ばれなければ無理だろうに」


 嘘っ! 初めて知った。


 いや! 知らなくて普通だろと、声を大にして言いたい。それと知らないうちに結ばれた契約に不安を感じる。



「──って言うかさ! 契約すると何があるの!?」


「ふむ・・・・・・。うーん、さて? 何があったかの?」


 こう言う話になるとイネスはからっきし駄目になる。感覚で生きる精霊は理屈が苦手なのだ。


「むぅ」


 いや、ジーッとつぶらな目で見て誤魔化しても無理。


「もしかして? 知らないとか無いよね?」


 まさかと思いながら聞いてみた。


「────────!」


 ビンゴ! 首をブンブンふってもしっぽが物語っているよ、思いっきり慌てて逆立ってるじゃん。


「もちろん高位の精霊だから知ってるよね?」


 ちょっと腹が立ってきた。勝手に契約を結んだのは許そう無知な僕も悪いからね。でもそれを今日まで教えてくれて無いのは駄目だ。


「も、もちろんじゃ! そうそう、あれはな・・・・・・」


 うんうん唸っても無理。あああ、困った時に丸まって、死んだフリするのはどこで覚えたんだか? でも無駄だから。


「さあ、それで?」


 ふふふふ、困った顔をしても無駄なのさ。あはは、ちょっと可愛いと思ったのはナイショだ。



「それまででケロ! 百年待ってもイネスでは無理でケロ」


 イネスをいじって遊んでいたら、流石にアスクさんが割って入った。



「精霊と契約したら、魔法が使えるでケロよ」



 どうも普通は精霊の力を借りて魔法が自由に使えるみたいだ。あとは精霊を認識できたりなんだけど、これは精霊の目を持ってる僕にはあんまり関係なかったりする。


 結局、イネスがローズウッドの森から出れる以外にこれといった変化も無く。


 元々属性魔法の使えない僕には関係のない事と思うことにしたのだ。





        ※





 ヨールの祭事とは本来冬至に行われていた。これを現在の祝宴に変えたのはエドワー一世だという。



「今夜はここで泊まるぞ」


 御者を務めるギレアスはそう言うと宿屋の前で馬車を止め中に入って行く。


 掲げられた『兎の寝床亭』と書かれた看板は古く字がかすれ趣があるな。



 僕たちはスヴェアでの商談に向かうために今朝早く館をでていた。生まれて初めてローズウッドの地を出た僕は少し興奮していたのだけれど、馬車の旅は何事も無く最初の町に着いていた。



 ここロタの町はスヴェアの北端。すなわち国境の町にあたる。



「どちらまで行かれるのでしょうか?」


「この先は盗賊も多い。良ければ隊列を組んで行きませんか?」


 食事を取っていると話しかけられた。もちろんギレアスがね。


 だって僕の容姿は幼いから誰も主人だとは思わない、来ている服もわざと平民に見せているし。



「そうだな安全な事に成るならかまわんでしょう」


「はははは、そうしましょう。命は金で買えませんから!」


 聞こえてくる会話は商人との交流だ。彼らはエルフとの交易をしているため普段はローズウッドを素通りして行った。当然、領主の僕の顔など知らないしローザやギレアスの事も唯の行商人くらいに思っているだろう。


 まあ、エルフを連れた行商人なんてめずらしいんだけど、皆無では無いらしい。


 実際、まとまって動くほうが安全だね。いくらギレアスが鬼のように強くても──実際村にオーガが出たときに一刀両断したらしい──固まった方が安心だと思う。



「アレス様。ここからしばらくは、商人と同行することになりました」


 こっそりとローザが教えてくれた。


「良かったな坊主。これでいざと言うときは囮に出来るぞ」


 物騒なことを言ったギレアスは嬉しそうにエールを飲んでいる。



 こいつさっきから見れば飲んでばかりだな。



「アレス、もっと食べたい」


 口のまわりをいっぱいに汚して強請るイネスは可愛い。


 こいつも当然のようについてきたけど、まあ、ちょっとみは獣人に見えるからかまわないのか。


「ここの兎料理はなかなかですね」


 ローザがナプキンで口を拭ってやって追加を頼んだ。どうやらエルフの口にもあったらしい。




 スヴェアの王都まで出向くというのは僕の発案だ。もちろん回答まで時間が欲しいのもあったけど、じつは外の世界を見てみたいと思っていたんだ。



 僕はまだ見ぬスヴェアの王都に思いを馳せながら、初めての冒険にわくわくしていた。


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