使い魔として召喚されてしまいました〜廃墟の扉は異世界の

碧野 悠希

第1話



 ジルド王国国立魔法学校敷地内。


 東別棟一階第一実技教室。

 

 


「え……と」



 魔法の練習をしていた一人の男子生徒は予想外の出来事に戸惑いを隠すことができずにいた。



「誰?」



「ーー」



 何も考えずに口から滑り落ちた言葉に返されたのは、聞いた事のない言語。


 口を動かしているので何やら話している様だが、理解出来なければ意味がない。

 加えて見慣れぬ顔つきに、見慣れぬ服装。

 充血した目に濡れた頬。



 彼は状況把握に努めた。



 記憶が正しければ召喚魔法の練習をしていた。筈だ。


 自分が契約を交わす使い魔を呼び出す為の練習。



 放課後。

 クラスでただ一人。

 使い魔召喚の成功をしていない彼は、召喚術の教師であるリンドール先生に許可を得て、特別教室を使用していた。


 学校で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られ、魔法部屋で己の力を使いこなせる様、居残り練習をし続ける毎日。


 勉強は努力次第で幾らでも上位をキープする事は可能だった。

 剣を振るう事も交友関係を崩さぬ様振る舞う事も、何もかも完璧を求められた。

 しかしそれら全てにおいて、裏で努力している事を知られてはならないと言われ続けた。



 それは、王の血を継ぐ者として他と比較できぬ程までに卓越した存在でなくてはならないから。



 一番上の兄は国王として万能に。

 二番目の兄はブレーンとして。

 三番目の兄は剣として。


 そして四番目の彼は国を守る盾として。



 国民を守る為、生まれながらに彼らは役割を与えられていた。


 上二人は既にここジルド国国王である父親の公務を手伝っていたが、去年そこに三番目も加わり、学生なのは四番目の王子デューイ・リンダルだけになってしまった。

 それは勿論生まれた順なのだからそこに悔しさを覚えようにもどうにもならない。


 常に優秀な兄たちと比較され続けた彼は兄弟中で誰よりも強い魔力を持って生まれた。


 本人が望む望まないとに関わらず、王立魔法学校へ入学するレールが敷かれ、自らの魔法技術向上の為に兄たちと異なる学校へ通う事を求められた。

 勿論、この国には魔力持ちが多くいる為、多少の力であれば王宮へ顔を出す家庭教師陣でも間に合った。

 理由は、微かな魔力は生活に困らぬ程度の魔法、例えば既に薪をくべられている暖炉に火種をつける事やぬるくなった紅茶を温める程度の事に使うものなので、例え扱いきれず暴走したとしても、被害は最小限に止める事が出来てしまうから。

 

 だが、デューイは周りと違った。

 幼い頃顔を合わせた王宮魔法士は、その濃い水色の瞳の奥に強い魔力の源があると進言し、事実、その後、魔力暴走を起こした場に居合わせた従者の証言により、第四王子の進学先は自ずと高い魔力を持つ子どもたちの通う魔法学校へと決められてしまった。


 身体に宿る魔力は国の盾となる為に使うべきであろう。と。

 そして時には切り込み隊として敵陣に脅威を見せて欲しい、と、盾と矛にもなれるのでは、と大人たちが考えている事に彼はまだ気付いていない。



 そんなまだ純粋な部分が多く残るデューイは、自らの身体の中で燻る魔力の小さな火種を生かすも殺すもこれからの努力次第なのだ、と自らを奮い立たせて努力している。

 だが何故かいくら努力しても魔法が上手く扱えず、学校の生徒たちが陰でコソコソと「王家の出来損ない」とおもしろおかしく話している事は知っている。



 だがそれも事実。

 現在こうして使い魔ではないものを召喚してしまったのだから。




 ズズズズという鼻をすする音が聞こえ、デューイは意識を目の前の事柄に戻した。

 

 先程から状況は何も変わらず、広い室内には二人だけしかいない。


 机も椅子もロッカーも何もない実技教室は、生徒が居ない分、とても静かで落ち着いている。


 魔法は教師の見ている時にしか発動してはならない校則の下。

 彼もそれに倣っていたのだが、召喚魔法を発動する直前、教師であるリンドールに呼び出しがかかり、彼は退室してしまった。


 一度手をつけ始めてしまった召喚を途中で止めるわけにもいかず、デューイが続けた結果が、今。である。



「え……と」


 対処法が分からず、その場から動けない二人。

 言葉が通じなければ何も伝える事が出来ないし、召喚してしまった相手を知る事ができない。



「デューイ君?突然吹き出した魔力……は」


 バタバタと騒がしい足音が聞こえてきたかと思った瞬間。


 これまた騒がしく扉を開き、慌てた様子のリンドールが飛び込んできた。


 初めは嬉しそうに弾む音だったのだが、魔法陣の中に座る存在に気付いた途端、彼は口を噤んでしまった。



「使い……魔。ではない。よね」



 確認する様な言葉に、デューイは「恐らく」と短く返す。



 まだ魔力の安定していない魔法学校の生徒は、幾通りもの魔法陣を身体の中に巡らせるまで、何かしらの物体に魔法陣を記してから魔法を発動しなければならない。

 この学校に通う生徒たちは何度も魔法を繰り返し発動し、身体にそれを刻み込み、魔法の構造を理解していく。いわばスパルタ教育的なものをやり続けなければならなかった。


 頭で理解し、身体に叩き込む。


 それを必要に応じた場面で瞬時に発動出来てこそ、魔法を使いこなせたと言える。


 その為、魔法学校に通っていても自身の魔力が使いこなせず、退学を余儀なくされる生徒も少なくはなかった。

 そういった生徒は強大な魔力が制御できないとみなされ、魔力の暴走を防ぐ為、魔法士たちによって心臓に近い部分に印を彫られてしまう。

 それは、魔力を抑制する為のものであり、決して自分の未熟さを示すレッテルではない。

 魔法関連の仕事に携わる事が出来なくなるだけで、大多数の国民と同じ生活は不自由なく送る事は可能だ。



 デューイはそのボーダーラインにいた。



 恐らくこの日。

 使い魔召喚が成功しなければ、そうなる確率は増してしまう。



 魔法陣は綺麗に書けていたし、もう幾度となく唱え続けてきた文唱を努力家の生徒が間違える筈もない。


 この状況は大人がその場に居ようと居まいと関係なく生じてしまった。


 だが、最初から終わりまで教師という監視人がいるのといないのとでは、現状におけるアシストの仕方が異なってくる。



「あの子は魔法陣から出て来たの?」


「はい」


「使い魔用の陣を使ったよね」


「はい」


「でもあれはただの人間に見えるのだけれど」


「はい」



 見えているものを一つ一つ言葉で互いに確認する。



 突然湧いてでた魔力の正体を、リンドールは生徒が召喚した使い魔だと思っていた。

 だが目の前にいるのは、羽の生えた妖精でも鋭い牙を持つ真っ白い狼でもなければ、水を操る水龍でもない。


 しかし、彼からは確かに魔力の存在を感じる。




 デューイは異世界から何を喚び出してしまったのか。




 召喚したものの正体が分からなければ、対応のしようがない。


 使い魔にはいろいろな形がある。

 だが、そのまま自分たちと同じヒトガタをしている使い魔は未だかつて聞いた事がない。



「話せないの?」


「何やら言葉らしきものを発している事は分かるのですが、理解できません」



 使い魔と契約を結ぶには、己の力を示した後、相手の名を呼ばなければならない。

 とはいえ、まだ学生の内は魔力が不安定な為、使い魔とも一年契約で、波長があうペアに関してはそのまま関係を継続する事も可能である。



 突然魔法陣から出てきた人間を警戒しつつも、口を噤んだままの相手は見知らぬ場所に恐怖を感じているのか、少し身震いしている様にも見える。



「なら聞いてみよう」



 恐らく害はないだろうと判断したリンドールは、口元で何やら唱え、中指と親指で軽い音を出すと、デューイが書いた魔法陣の方へ歩いて行った。



「こんにちは」


「……」


 掛ける言葉は柔らかいのに、目の高さを合わせることもしてこなければ、その眼差しはとても冷たいもののように思える。


 召喚された相手は、何故突然言葉が理解出来たのか分からぬまま、頭をぺこりと下げる。


「……こ、と、ば。分かる?」


「こんにちは」と挨拶を返されなかった事が不満だったのか、今度は嫌味な程ゆっくりと言葉を発する。


「……」

 と、またしても再び言葉を発する事なく相手はひとつ頷く。


「……」


 リンドールが彼に向ける空気は依然と冷ややかで、まるで交流を図ろうとしてこない態度に、彼自身も口を閉ざす。



「あの。先生」


 沈黙が続く空間に、おずおずと質問を投げかけてきたのは彼女を召喚してしまったデューイだ。


「なんだい?」


「あの。今のは?」


 言葉少なげな質問にリンドールは首を傾げる。

「今の魔法は何ですか?」

 と、言い直すと質問の意味を理解したのか、表情を明るくする。

「強制的に言葉を理解させる魔法です。この世界にはたくさんの国があり、それ故に言語もバラバラです。しかし、かといってそれら全ての言語を網羅する事は困難に近い」


 王家の血を継ぐデューイも、勿論七カ国語までは話せるが、微妙なイントネーションや言葉選びまで含めると完璧に扱えるのは三カ国語程になってしまう。


「他国と親交を深める為には互いの文化の理解や歩み寄りが必要になります。あらかじめ相手の事を勉強するのは当たり前の事として、それらを例え完璧に叩き込んだとしても、相手と実際対面した時に、状況に合わせた言葉が出て来なければ、相手を不快にさせてしまったりしてしまう。そういった不安要素を一つでも取り除く為に。まぁ、ズルと表現されては元も子もありませんが、少し魔法を使わせてもらって互いの言葉を理解し、話せるようにしてしまう魔法ですね」


 短い質問に、回りくどく説明するその姿は、彼が教師という立場にあるからなのだろうか。

 しかし、それにしては普段の丁寧さが抜け落ちている様にも、言葉が冷気を帯びている様にも思えてしまう。


 生徒ではないもう一人にも話していると言われても過言ではない程。


 デューイは魔法陣に現れた彼を見やると、「と。いう訳ですので」とリンドールが続けた。




「言葉。分かっていますよね」


 ニコリと口の端は上へ上がるが、目は笑っていない。

 それは初対面の彼にも伝わっている様で、その背筋が伸びたのはデューイにも伝わり、相手の首が先程と同じく頷こうとして固まってしまう。


 理由は相手が声を出しての返事を求めている事に気が付いたから。


 閉じていた唇を軽く開くが、何と返せばいいのか考えているのだろうか。

 リンドールはその様子を目を逸らす事なく見下ろしている。



「は……い」


「それは良かった」


 リンドールは間を開けずに言葉を発する。


「それで貴方のお名前は?」


「……」


 矢継ぎ早に質問してこようとするのが目に見えていて分かっているのに、それに何故答えなければならないのか。


 確かにひたすらに顔はいい。

 だが、見つかった時からひたすらに見下され、加えて知らない人間たちが勝手に会話を進めていれば尚更に好印象を抱きにくい。

 彼は意を決すると、長髪の先生と呼ばれる男をキッと睨んだ。


「聞くのであれば、貴方がたが名乗るのがマナーではないですか?」



 突然、訳の分からないカビ臭い部屋に飛ばされて、知らない言語で何やら会話が飛び交っていたかと思っていたら、目の前の彼が何か唱えた。


 有り難い事に言葉は理解できる様になったが、高圧的な物言いはただただいけすかない。



「それは失礼しました」



 リンドールは右手をお腹辺りにもっていくと、頭を下げて

自身の名を告げた。


「そして、彼は」


 二人の間に割って入る様に強制的に言葉を投げかけられたデューイは彼女からの視線を感じ、リンドールと同じ様に姿勢を正すと「デューイと申します」と続けた。


 ひとまず余計な事は口にしない方がいい、という教師からの視線の意味に気付いた生徒は素直にそれに従った。



 すると、それぞれの名を聞いた、まだ魔法陣の中に座る彼も、軽く首を垂れ、上げると


「紗倉維真さくらゆうまと申します」


 と、ようやく名乗った。



「さ……くら?」


「はい」


 リンドールに呼ばれた維真は、少し機嫌悪そうに言葉を返す。



 これでやっと話が進む。

 そう胸を撫で下ろしたリンドールは、ひとまず場所を移そうと、維真の前に手をかざし、彼からのアクションを待つ。


「大丈夫です。そんなことされなくても一人で立ち上がれるので」


 維真はそう言い放つと、言葉通り立ち上がり、パッパッと、床に座っていた部分をはたく。


「……」


 行き場を失ったリンドールの右手は彼の元の位置に戻り、何事も無かったかの様に屈んだ姿勢を正した。


「ここでは落ち着いて話も出来ませんので、場所を移します」


「はい」


 そのまま何も言わずに後に着いて来いといった男の態度に、維真は文句の一つも言いたくなったが、見知らぬ場所はあまりにも分が悪すぎる。


「では参りましょう」


 と、教室らしき部屋を出る直前で、再び何かを唱えたリンドールに、維真は大人しく着いて行った。




 ***




「あの」



 何やら豪華な学校らしき建物を後にした彼らは、リンドールが用意した馬車に乗り込んだ。


 流石にここでは馬車の乗り方の分からない維真は彼の手を取り、乗り込んだ。

 その行為がここでは女性に対するエスコートだとは微塵も思わないまま。


「わっっ」


 突然発車した馬車は思いの外強い振動がお尻に伝わり、幼い頃に乗ったゴーカートに似てるかも、と、維真は思い出さなくてもいい事を考えてしまった。


 揺れる車内に、身体は身を任せ、揺ら揺らと揺れてしまう。

 だが、目の前に座るリンドールとデューイは何食わぬ顔で座っているので、彼も騒がず座っていようと思った。


 何を話そうか。

 何を聞こうかすら思い浮かばない維真は、「これが夢であればいいのに」と両目を瞑って振動に身を任せる。


 このまま寝てしまえたらどれだけ楽か。


 そう思うのだが、あまりにも強い振動は身体に苦痛を感じるばかりで、これが現実なのだという事実を身体に押し付ける。



「あの。リンドールさん」



「はい」



 あまりにも沈黙が続くのが嫌で、維真は黙っている事を止めた。

 それは、目の前に座る男が視線を逸らす事なく観察されているから。


 何を聞くか分からなくても、ただ口から出た事を会話のきっかけにすればいい。



「ここは何処ですか?」

「……」


 維真の質問に何を考えているのか分からない彼は口を閉ざす。


「それは貴方がこの国ではない何処かから来た、という意味で捉えてもいいでしょうか」


 回りくどく表現されるが、互いに互いを牽制し合っているのだから仕方ないのかもしれない。


 いつまで口を噤んでいても状況は好転しないだろうし、どうなっているか分からない状態で情報収集しないのも分が悪い。


 それに、聞けば応えてくれそうな様子は見受けられる。

 しかしその逆に、聞いた分だけ応えろと要求されるのは目に見えているが、今置かれている状況を知らなければ身動きできない。



「耳馴染みのない言葉を使われる様でしたので」



 それは、居心地悪そうにチラチラ視線を向けてくるデューイという彼から聞いたのだろう。

 リンドールが何かを唱えるまでは彼の発する音が言語だという事の理解さえ追いつかなかった。


 それが言葉であると頭が分かった頃には、脳が何の苦もなく言葉を拾い、まるで見下す様に舐め回す彼の態度に嫌悪を覚えた。



「貴方がそう感じるのであればそうなのだと思います」



 維真は外の景色に意識を向けながら答えた。



 彼の瞳が映すのは、来た覚えもなければ見た事もない風景。




 少し前まで。

 維真は山の麓まで車を運転し、日常とかけ離れた澄んだ空気を味わっていた。


 何処まで車を走らせただろうか。

 面白味のない平坦な道路を走り続け、トンネルを抜け、山を登った。


 ハンドルを握る手は、流すまいと堪える涙を時折拭い、何となく走らせていた車はようやくのろのろと停まる気配を見せ始め、そして、まだ時期前の廃れて人気のないスノーゲレンデ場の、停車出来そうな横道でブレーキを踏まれた。


 まるで人が消えた小さな街。

 昔は白い雪山に映える様な、色鮮やかな色で溢れていたのだろうが、今は薄汚れて手入れのされていない建物が道沿いに並ぶ。

 人が住まなくなるとこうなるのか。という物悲しさが目の前に広がる。



 平気な振りをしたくなくて。

「大丈夫?」なんて腫れた目を覗き込んでもらいたくなくて。


 車を降りた維真は人目を気にせず、目に飛び込んだ建物の方へ足をすすめる。


 随分高くまで登ってきたのだ、と、緑の所々に見える町を見下ろしながら息を吸った。


 木製の階段は、砂だらけで手入れもされておらず、手すりは長年の雨風にさらされ、崩れ落ちている場所もある。

 上った先のガラス張りの大きな扉の向こう側は、この建物がレストランだった事を証明する、テーブルや椅子たちが散乱している。



 この場所も雪の時期になれば人の手が加わり、ウインタースポーツの客たちで賑わうのだろうか。



 今の街の侘しさが、まるで今の自分を表している様で、つい車から降りてしまった。

 特に目的地も何も決めていなかったので、何処を目的地に設定してしまっても良かったが、流石にこの場所は何もなさすぎる。


 それに、例え人が居なくとも勝手に入ってしまっては不法侵入で訴えられてしまうかもしれない。と、怖くなった維真はボロボロのレストランを背に、上ってきた階段を慎重に降りていく。



 何処か遠くへ行きたい。



 そう願って車を走らせたのに、常に頭の中を占めるのは彼の存在。


 物理的に離れても心に住み着いてしまっているのだから、きっと離れられない。



 どうしたら忘れられる?

 


「……」


 想うだけで涙が込み上げてきそうになる所をグッと堪え、維真は一歩足を踏み出した。



「わッッ」



 あと5歩。

 残り5段。



 歩く度に足元は軋んでいた。

 気付いていたが、生活していてそういう場所を歩く事はあるので、気にしもしなかった。


 だが、今。

 ミシミシと軋んでいた階段はついに限界を迎え、維真は踏み締める足場を失った。



 落ちる。

 


 直面する恐怖に目の前が途端に暗くなる。



 背筋が粟立ち、安全ベルトのない絶叫マシーンに乗せられている浮遊感に、維真は目をギュッと固く瞑った。



 苦しいのならせめて一瞬で。


 胸はもう苦しいくらいにずっと痛いから。




「……」




 覚悟した。



 何処まで落ちるのかも分からない山の上。

 階段から落ちたら、何処に地面があるか想像もつかないが、身体を突き刺す鋭い枝だって致命傷になるし、例えすぐ下が地面だったとて、落ち方が悪ければそれだけで息は止まる。




「……ん?」




 突然、身体に感じていた浮遊感が止まった。


 瞼を固く結んでいたので、目の周りの筋肉がピクピクと痙攣している。



 痛くない。


 無事?



 そう、今自分の置かれている状況を確認しようと目の力をゆっくりと抜いていく。

 視界は少し明るくなってくるが、まだ薄暗く、目の前はまるでキラキラと星空を見ている様な感覚。



 息を吸い込むと、さっきまでは自然の匂いで覆われていたが、今は埃っぽく、お世辞にもいい空気とは表現し難い。


 というのに、何処か懐かしい空気。




 そう思い、維真が視線を彷徨わせる。




「どこだ」




 山の中で落ちた先とは到底考えつかない言葉の通じない場所。




 今は不思議と言葉が通じ、色々聞きたい事は山々あるが、誰が味方になってくれて誰が敵かも分からない状況で、そう安易に情報提供してしまえる程、お気楽には生きていない。




 維真は流れる景色を見ながら、再び瞳を閉じ、痛みを感じてもいいから戻りたいと願っていた。




 ***




 リンドールの後ろに付き従ったまま、辿り着いたのはまるでホテルのスイートルームと勘違いしてしまいそうな部屋だった。

 まだそんな夢のような空間に宿泊した事もなければ、そんな予定もない。




 馬車を降りてから珍しいものばかりでキョロキョロ落ち着かない維真と、何やら彼に視線を送りつつ、どう振る舞えばいいのか戸惑うデューイ。


 先頭を歩くリンドールはそういった空気感など我関せずといった様子で、維真の歩調を気遣いながらもスタスタと前を歩く。



 座ると立ち上がりたくなくなる様な座り心地の良いソファに掛けた維真は、背筋をピンと伸ばしながらも、あまりの豪華な光景に野次馬心が隠しきれない。


 本当なら近寄って色々観察してみたいが、今はそういった観光に来ている訳でもない。




 写真に残したい。


 今は何を待つ時間なのか。

 向かい合う二人は何もアクションを起こさず静かにしている。

 リンドール位は何か言ってきても、と思うが、何もない。



 大人しくしているつもりだったが、とうとう好奇心が競り勝ち、携帯の存在を思い出した維真は右ポケットに手を突っ込んでみる。



 カチャ。


 その金属音は車と家の鍵の音で、左側のポケットは空を掴む。


 例えあったとしてもそれで何処へ連絡をとればいいのか。



 なんとなく置かれている状況を飲み込もうとする維真の頭には、既にここが自分の知る場所でない事は分かっていた。

 だが、例えそうだったとしても、自分を知ってくれている人たちとの繋がりを身に付けていれば今のこの状況が夢である、と、思い込めたかもしれない。



 だが誰に連絡をとればいい?



 パッと頭に浮かぶ幼馴染の二人を思い浮かべた維真は、キュッと奥歯を噛み締める。

 ただ隣に居られればいいと思っていたのに、それだけじゃ足りないと思ってしまった瞬間。


 自分の抱いた感情は叶わない事を理解する。


 嫌いになってしまえれば。

 距離を置くことが出来たらどれ程楽だろう。

 けれど、そうなるには幼い頃から一緒に居すぎてしまった。




 気持ちを落ち着ける為に走り続け、辿り着いた先がまさか予想だにしない世界だと説明したとして、誰が分かってくれるだろう。




 俯き、今にも涙が零れ落ちてしまいそうな維真の目の前。




 ーーカチャ




 ほんの小さな食器の音が意識が遠くに飛んでいた彼をここへ引き戻す。


「あ……りがとうございます」


 それが温かな紅茶だと気付いた維真は可愛らしいメイドの格好をした彼女に頭を下げると、そのまま淡々と己の仕事をこなすその姿に見入ってしまった。


 気付いた頃には彼女はそのまま部屋を後にしてしまった後で、

「テト産の茶葉を使ってます。どうぞお召し上がり下さい」

 というリンドールの言葉で我に返る。

 自らが率先して喉を潤すその姿を見ると、恐らくこの屋敷に暮らしているのは彼なのだろう。

 目の前に座る彼を見つめ続けていると、ニコリと微笑まれ「飲みなさい」と無言の圧を掛けられる。


 その通りにしてしまうのは癪だが、出されたお茶にも彼女にも罪はない。


 しかし、たかがお茶を飲むだけだというのに、その所作がとても様になっている二人を眼前に、正しいマナーを会得していない維真はなかなかカップに手を伸ばせない。


「さくら殿も是非」


 手を付けない理由を知りながらわざとすすめてくるのか、もしくは出来て当然なのだからそんな事すら頭にないのか。


 どちらにしても第一印象が悪くて捻くれた考えしか浮かんでこない。


「ねぇ」


 そりゃ、喉も乾いているし、今にもお腹が鳴ってしまいそうでドキドキしている。

 しかも見知らぬ世界で、目の前には見目麗しい人間たち。


 頭の中は誰も想像つかない位にぐちゃぐちゃしていて、受け身の姿勢しか取れない事が情けない。


「ほら」


 維真の意識は常に不安定で、あっちを向いたりこっちを向いたりを繰り返す。


「ン」


 唇に無理矢理ザラザラとした乾いた物を押し当てられた維真は、条件反射でパッと身体を仰け反らせる。


「美味しいよ」


 今まで静かに身を潜めていたデューイがテーブルに身を乗り出し、出されたクッキーを彼の口元に寄せる。

 彼自身もそれを食べているのか、もぐもぐと口を動かしながら、出した物を引っ込めようとしない。


 だから維真も口を開けてしまった。

 すると、おずおずと開いた中に優しくクッキーが入り込み、デューイは嬉しそうに笑っている。


 ザクザクとした食感の中に、控えめな甘さが広がる。

 噛みごたえがあると言ってしまえばいいのか、ここにスライスのナッツでも加わっていればこの舌触りにも納得がいく。


 口に残るざらつきに、維真の手は自然と出された紅茶に手が伸び、ごくごくと一気に飲み干してしまう。


「美味い」


「そうなんだ。美味しいよね」


 思わず溢れた言葉に、デューイが笑顔で答える。


「お茶……ですか?」

「ええ。この時期のテト産の紅茶は華やかな中に感じる独特の渋みがいいですね」

 眉を顰めるリンドールに対して、デューイがハッキリと物申す。


 見るからに教師と生徒、という間柄の様に見えるが、互いに丁寧な物言いを交わしているのは違和感を覚える。



「まぁ。それは兎も角として」



 何か引っ掛かりの取れないリンドールは、軽く咳払いをすると「本題に入りましょう」と、真っ直ぐ維真に向き合う。




「貴方はこのデューイに召喚されました」




「……」




 突然。




 本当に突然、そう宣言されても、「はい。そうですか。それで自分は何をすればいいのですか」などとはならない。




 リンドールを見て。

 デューイを見て。


 次の言葉を聞く為にリンドールを見る。




「だから?」


 頭の中に色々な疑問が浮かぶが、それらにいちいち反応していては、先に進まない。


「俺は何故呼び出されたんだ?」

「補習授業です」

「はい?」

「だから」



 居残り授業で。


 デューイは背中を丸め、居心地悪そうに維真からの視線を浴びる。



「何の?」

「使い魔召喚ですね」

「使い魔?なにそれ」


 召喚。といった響きに何かとてつもない目的を持って呼ばれたのだと思っていたのだが、飛び出してきた答えは「補習授業の一環」だという。


「魔法を扱う者の手助けをしてくれる存在の事です」


「何?ここ。ゲームかなんかの世界な訳?」


「大丈夫です。互いに名を交わさないと契約できませんから」


 リンドールの言葉に、だから、契約者としてデューイは俺の名前を呼ばないのか。と、頭の隅に少しだけ浮かんでいた謎が解け、そこからただひたすら眉を顰め、申し訳なさそうにしているデューイを横目で見遣る。



「じゃあ俺は名前を呼ばれない限りは契約完了にはならないという事だな」

「まあ、簡単に言ってしまえばそういう事です。まあ、ヒトガタの使い魔というのも珍しいので、勿体なくはありますが」




 リンドールの言葉に維真は視線を鋭くして彼を睨んでみるが、当の本人は涼しげにお茶を啜っている。




「まだ契約出来ていないのなら帰して」

「元よりそのつもりでしたよ」

「なら何故あの場でそうしてくれなかった」

「誰かに見られたら危険と判断しただけですよ」



「なら今」



 言葉のキャッチボールはとてもスムーズだが、いかんせん彼の言う事は信用ならない。



「それとも何か隠している?」

「まさか」



「あの」



 二人が言い合いをしている中。

 説明中はひたすら沈黙を貫いていたデューイが口を挟む。



「あの。申し訳ありませんでした」


 ソファから立ち上がり、デューイは軽く頭を下げ、謝罪を口にする。


「デューイッッ」


 突然の事にリンドールは立ち上がり出てくる言葉を止めようとするが、明らかに年下の彼が瞳でそれを諌めると、彼は浮かしていた腰をソファに沈める。



「僕が上手く魔法を使えないから、貴方を呼び出してしまったこと」

「え?」

「深くお詫びしてもこの罪は償えません」

「いやいや。そんな」

「知らない場所に呼び出し、不安を感じさせてしまった」



 確かに突然足場が抜け、死ぬかと思ったら言葉も何もかも知らない世界に来てしまえば不安にもなる。


 リンドールから感じる空気は冷たいし、その生徒らしきデューイはどこかおどおどしていて頼りなさげ。


 誰が自分を守ってくれるのか、と、問えばそれは自分しか居ない。


 だが、先程説明があった様に、呼び出されてもまだ契約解除できると知ってしまえば話は別だ。


 受けた謝罪を許せるだけの心の隙間は生じる。




「だって、まだ学生なんだろ?」


 この世界の学歴なんて知ったことではないが、見るからに自分より幼い彼を責める気にもなれない。



「はい」


「なら間違うのも仕方がない。失敗は成功の元っていうしな。これから挽回すればいい」



「……」



 帰れる。


 と、分かれば気持ちに余裕も生まれるし、フォローだってしてやれる。

 周囲の状況を観察出来るだけの余地も生まれる。



「……りがとう」



 維真から放たれた言葉に、今まで緊張していた気持ちが解れたのか、デューイの顔が年相応に破顔する。




「こう言っては失礼かもしれませんが」



 言いながらソファから離れた彼は、維真の近くまで寄ると、まるで物語の世界の王子様の様に膝を付く。


 そして座ったままの彼を見上げ、膝に置かれている手を取り、微笑んだ。




「呼び出したのが、維真様で良かった」



「デューイ」



 彼は自然な流れで令嬢たちにするのと同じ様に、維真の甲に唇を寄せる。


 勿論、そういった習慣に慣れていない彼は顔を赤くし、手を引っ込めながら、つい、彼の名を呼んでしまった。




「あ」


「え?」



 

 その場に居合わせた皆が気付いた時には、既に遅し。



 維真を中心に、召喚の時に記した陣が出現し、契約完了の印がデューイが触れた右手に刻まれる。




「え……と」



 来た時と同じ様な光に包まれた維真は、呆気ない程簡単に結ばれてしまったであろう事実を認めたくなくて、言葉を飲み込む。


「これって」


「そうですね」



「もしかして」

「『契約完了』」



 リンドールと声が重なった維真は、あまりにも呆気ない物語の進行に脱力し、渇いた笑い声さえも出せなかった。




 ***




「ひとまず貴方の正体が分かるまでは私といて頂きます」




 互いの気の緩みから、名前を交わしてしまい、維真はデューイの使い魔として契約を結んでしまった。


 というのは、紗倉維真という個体を指し示す名前が、サクラなのかユウマなのか、彼らには全く検討もつかなかったからで、紗倉はその名字を継ぐ血族の呼び名を示し、維真は生命を授かった彼にだけ与えられた名であるが故に、契約は下の名を呼ぶだけで成立してしまったのだ。


 使い魔と言っても、まだ学生の彼とは一年間が契約期間で、それ以降は破棄も継続も可能だという。


 まだ気持ちを切り替えた訳でもないが、身に起こってしまった事は仕方がない。


 もしかしたらこのまま寝て起きれば夢の可能性だって十分に考えられる。という事で、彼はこのファンタジーみたいな夢の世界を、今は楽しむ事にした。




「お前とは嫌だ」



 夢の世界なら。と、自分の意見をはっきり口にする。

 このまま居住を決めてしまえば、帰してもらえない気がしたし、思いを伝えない事で起こした自分の行動が、こうなってしまったから。



「そう言われましても、デューイとは暮らせませんから」

「どうして?契約したのは彼なんだろ。一緒に居なくていいのかよ」

「無理ですよ。王子ですから」

「王子?」



 言われて彼の方へ視線を向けると、維真と契約を結んでしまった事により、更に肩を落としてしまっているデューイ。


 ブレザーに似た制服を纏った姿は学生にしか見えず、王族だとか皇族だとかそういった立場の人間が近くに居る環境にいなかっあ維真は「だから何だ」としか思えない。



「ひとまず、魔力の高さで私にスカウトされた一般人という事でこの屋敷に居て下さい」


 何だかお荷物を抱えてしまった。と、言わんばかりの言いように「私に迷惑かけるんですから、役に立って下さいよ」と続けられると、いくら泊まる場所を提供してくれたからといって、素直に感謝する事などできやしない。



「使い魔って。俺は何をする為にここにいるんですか?」



 分からない事が多すぎて、ひとまず頭に浮かんだ疑問から質問していく。




「そうですね。私のは」



 そう言ったリンドールは出会った頃の様に何やら呟くと、空に現れた陣から、視界いっぱいに広がる程の翼を持つ、穢れなき白色の鳥が出現した。

 それは、維真の姿を認めた途端、「きゅうううう」と甘い声を出しながら彼に寄っていく。


「わわっっ。なんだこれ、威嚇されてる⁈俺」


 いきなり見た事もない大きな鳥が飛びかかって来る気配を察した維真は、凄い勢いで立ち上がると、それから逃げようと部屋の中を走り回る。


 初めて通された時にはとても広いと感じた室内は、鬼ごっこするには狭すぎる。


 背の高い人間が必死に逃げ回る姿は側から見るとどう映るのだろう。


 リンドールとデューイは彼が走り回るのを黙って見てい

るだけで、手助けする意思は微塵もない。



「おい。どうにかしろ」

「どうにか……とは」

 息が切れてきた維真は、彼らに助けを求めるが、召喚した当の本人は楽しそうにその光景を眺めるだけで、何もしてくれそうもない。



「リムトール」



「……」




 召喚した人間に呼ばれたリムトールという名の使い魔は、そのまま天井に近い辺りをクルクルと飛び回ると、差し出されたリンドールの腕に着地する。



「な……なに?なに?何で?」

「ただ、戯れていただけですよ」

「じゃれ……って。今のが?」


 明らかに攻撃を仕掛けられていたとしか思えない維真は、再び飛びかかって来たそうにウズウズした空気を醸すリムトールに警戒心剥き出しにする。



「貴方は珍しい」



 自身の指先で使い魔の気を晒しながら、感嘆の声を上げたのはリンドールだった。

 

「人の姿を持ちながら、こうして使い魔に好かれる。それも、警戒心の強いこいつに、ですよ。貴方がいらっしゃった世界は、もしかしてこういった召喚獣たちと共存している場所だったのでしょうか」


 突然。

 何を素っ頓狂な事を言い始めたのだと、いう目でリンドールを見る維真は、早口で捲し立てる。


「そんなことある筈ねぇだろ。あったらさっきみたいに逃げ回ってないし」


 彼らもまた、魔法を学ぶ身でありながら、使い魔たちがどういった世界から来ているのかは未知の領域らしく、「そうですか。一つの謎が解明されたかと期待したのですが残念です」と落胆する。


「ひとまず、もう月が主役の時間です。デューイはお帰りにならないと」


「はい」


 突然名を呼ばれたデューイは、声がそちらから聞こえなければ、今まで魔法で姿を消していたのでは、と、勘違いしてしまう程、存在感を感じられなかった。


「私の方から先んじてお城の方へ連絡は飛ばしておきましたが、あまり余計な事は口になされませぬ様」


 声を潜めて会話をしているものの、リンドールの視線がチラリと自分の方へ向けられれば、何か良くない意味で名が呼ばれたのだ、という事は安易に想像ができる。



 俺の何が余計な事だって?

 勝手に魔法を失敗して『使い魔』にしてきたのはそっちだというのに、何と身勝手ないい分だろう。


 だが、この世界について何一つ知らない維真は、沸々と湧き上がる怒りを必死で抑え、無理矢理口端を引き上げると、自分に向けて深々と頭を下げるデューイに、ヒラヒラと手を振った。


「維真様」

「何?」


 そしてツカツカと歩み寄ってきたデューイは、申し訳なさそうに腰を九十度折った姿勢のまま、「この度は大変申し訳ありませんでした。貴方のお手を煩わせない様に私も精進致しますので」と続けると、維真に背を向け、そのままリンドールに軽く視線を送ると、その足を止めぬ様開けられた扉の向こうへ歩いていく。



「……?」



 異変を感じたのはその瞬間。


 デューイが部屋から一歩出た時に。


 チクリ、と、針を刺す様な痛みを右手に感じた維真は、それを気のせいだと判断し、左手で痛んだ部分をさする。


「どうされましたか?」


 その異変に気付いたリンドールが自分の姿を見て顔色を変える。


 初めて会った瞬間から似合わぬ笑みを顔に浮かべていた男の顔が歪む。



 美男はどんな顔をしても格好いいんだな。



 そんな、相手の切羽詰まった表情とは似つかわしくない間抜けな事を考えながら、維真は自分の意識を手放した。




 ***




「……」


 丸まって眠っていた維真は、寝心地のとてもよい、柔らかくて温かいその空間から出たくない、と、足で掛け布団を挟み、寝返りをうった。


 身体に何の負荷も感じないこの空間は、今まで彼が感じたことのない天国の様な場所である。



 自分の感情に気付いてから、ずっと胸がキシキシ痛み、眠れない日々が続いた。


 自分がおかしいのではないかとただひたすらに悩み、けれど顔を合わせる度に飛び跳ねる心臓を見て見ぬ振りも出来なくて。


 そうして自分の気持ちを笑顔の奥に隠し続けている内に。

 維真の感情は誰にも知られる事のないまま、身体の奥に沈んでしまった。



「……」



 そうして寝返りを何度かうち、幸せな夢からようやく起きる決心が出来た所で、維真は何かから見られている事に気が付いた。



 その視線は自分の真正面から感じ、維真はゆっくり瞼を開けた。



「維真様」



 その声は安堵の気持ちが込められており、維真はその音を聞いた途端、自分の身に起きた事を理解する。


 召喚陣に捕まり、不本意ながら使い魔とやらになってしまった事を。



「目覚めて良かったです」


「ん?」


 上半身をベッドから起こし、寝汚い自分の格好に気付いた維真。

 背筋を伸ばし、全てが完璧に仕上がっているデューイと自分を見比べ、「もうここまで無意識下の行動を見られてしまっていてはとりつくっても仕方ない」と開き直り、そのままの状態で相手からの反応を待つ。



「身体は大丈夫ですか?」

「ん?よく寝た」



 相手の心配度とは裏腹に軽く言葉を返すのは、維真が記憶を失ってからの周りの慌て振りを知らないからに他ならない。



 昨夜。

 突然リンドールの胸に倒れ込んだ維真は、誰の呼び掛けにも答えなくなり、デューイは背後で騒がしくなった状況に気付き、部屋へ戻ってきた。


 痛みにのたうち回る維真の姿を認めたデューイは駆け寄り、暴れる身体の一部に手が掠めると、彼は途端に力無く床へ崩れ落ちた。

 そこで落ち着いたと思いデューイが再びその場を離れようとするとまた同じ状況になる。


 その結果。


 デューイに召喚されてしまった維真は、主と物理的に離れると痛みを伴うという事ではないか。

 というリンドールの判断の下、デューイは先生の屋敷、イダバルド侯爵家に一泊する事となった。


 デューイは魔力はあるが他の生徒たちと比較すると、実技面で遅れをとっている。

 故に教師であるリンドールが直々に面倒をみる、という便りを城は承認し、現在に至っていた。

 いくら学生とはいえ、第四王子には早々に戦力になってもらいたい。

 故に公にされない特別扱いは大歓迎なのである。

 それはデューイの無能振りを誰もが知っているから。

 兄たちの有能振りは広く周知され、彼らがいるので国は安寧を存続出来ている。

 弱い部分を突かれても痛くもないのだが、万一の事を考慮すると、早く成長してもらわなければ困るのだ。



「ずっとここにいたのか?」


「ええ。私たちは離れられないみたいなので」


「ふーん」


 

 この世界の事を何も知らない維真はそれしか返す言葉もなく、どちらも無言のまま、ただひたすらに時間が過ぎる。



「なぁ」


 そんな沈黙を破ったのは、やはり維真の方で、ただひたすらに申し訳なさそうに視線を落とすデューイはその声に頭を上げる。


「使い魔。……てさ。何するの?」



「え……と『絶対的な主従関係で結ばれた関係』なので」


 教科書に書かれている事を復唱したデューイは、その言葉を発すると申し訳なさそうに維真から視線を外し、具体的に何をする、という例は挙げられぬまま言葉を飲み込む。

 座学に関しては学年一位なので、彼の言葉に偽りはない。



 主従関係というからには、主は召喚陣を描いたデューイであり従はそこに現れた維真だろう。



 使役されるなんてたまったもんじゃない。



 と、心では思うが、どうも肩を落とし申し訳なさそうにしている目の前の小型犬を見ていると、なかなかどうしてそこまで非道になりきれないのだ。


「俺もさ」



 勿論頭の中はごちゃごちゃだ。

 落ちたと思ったら突然言葉の通じない世界に放り込まれ、気付けば学生の描いた陣に召喚されてしまった。


 訳の分からない事しか身に起きていない。


 元いた世界で自分はどんな扱いを受けているのか。とか、もしかして死んでしまって転生?みたいな感じになっての結果なのか。とか。


 恐らくファンタジーに似た世界に足を踏み入れたであろう自分に今、出来ることはない。


 だが、学生のデューイとその教師のリンドールの協力があれば、ここでは何とかなるかもしれない。という楽観的考えが頭に浮かび、維真はベッドに座ったままの王子様を見下ろした。

 その姿は国を背負って生きている、などといった威厳も何もなく、どんな風に扱われているのかを想像してしまうと、少し哀しささえ感じてしまう。




「じゃあ俺と一緒に強くなるか?」



 一人で成長するのではない。


 維真は自身がこの世界で生き抜く術を。

 デューイは自分に自信を持つ為の心の強さを。


 ひいては、彼の魔力のレベルが上がれば元の世界に戻れる可能性が生まれるかもしれない。という打算は勿論ある。



 維真から発せられた言葉におどろいたデューイは、パッと顔を上げて、ニカッと笑う維真と視線を交わす。


 デューイは彼の陽の気に引き寄せられ、言葉に耳が目が集中する。




「デューイ。俺と一緒に強くなろうぜ」




 維真に名を呼ばれた第四王子は、久しくそんなキラキラな声を掛けられた事などなかった。


 皆が皆、小馬鹿にした様な、期待のしていない声で接してくる。


 だから、つい、彼も頷いてしまった。



 兄たちの後ろについて言われたことだけをやるのではなく。


 自分も国を護る一員なのだと。


 遠い日に抱いていた希望の未来を。


 維真となら掴めるのだろうか。





 これは、珍しい人間の姿をした使い魔が自分に自信の持てない第四王子の力となり、再び元の世界へ帰るまでの一年間という期限付きの物語である。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

使い魔として召喚されてしまいました〜廃墟の扉は異世界の 碧野 悠希 @aonoyuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ