学び舎3

「やぁ、隣いいかい」



 教室に入り座っていると声をかけてくる人間がいた。上品に仕立ててある服を着た身形のいい少年だった。田舎者特有の野暮ったい発音ではない洗練された言葉遣いと整った顔立ちから一目で上流と判断できる。俺は「どうぞ」と少年の要望を認めた。もし酷く不清潔な人間が同じ事を言ったとしても断らなかったと思うが、難色は示していたかもしれない。俺は自分に正直な男だし、他者への完璧な気遣いができる程の余裕もなかった。



「僕はヘルムート・ハルトナー。君は?」


「オリバー・ロルフ」


「ロルフ。ロルフか、格式高い言葉だけれど、名字としては珍しいね。歴史的ではない。最近名乗り始めたのかな」


「……」


「あ、すまない。気を悪くしないでくれたまえよ。僕はまだ庶民の方と付き合った事がないんだ。言葉や接し方に誤りがあるかもしれないから、その際は遠慮なく忠告してほしい」


「はい……」



 俺はハルトナーと名乗る男の無礼な態度を咎めなかった。というのも、俺が生まれた異世界エニスにある大国“ジャマニ”は長く貴族主義が続いていたため上流階級の子供はこんなものだろうという理知での判断ができたからである。貴族主義は俺が生まれた頃になると民衆運動のおかげか多少の平等化が計られるようになっており、貴族の特権が一部市民にも許されるようになっていた。その一例として、名字の使用許可がある。ハルトナーが言ったように俺の名字は父親役の人間が最近領主から賜ったもので、ロルフという名もその領主が決めたものだ。なんでも、偉大なる狼という意味があるらしい。領主の厩舎を立て直していた時、その手際を讃えられいただいたと本人はいたく喜んでいたが、俺にしてみれば権力者の気まぐれで餌を投げられ喜んでいる犬のようにしか思えなかった。もっとも名字があるだけで民としての格が上がり仕事もしやすくなる。家族を養うための力が付いたと思えば、その気持ちも分からなくもない。あくまで本や映画を観て得られる程度の共感であるが。



「恐れながら、ハルトナー様は貴族の方でございましょうか」



 俺は相手がどの程度の家柄か知りたかったので暇潰しも兼ねて聞いてみた。すると、ハルトナーは気さくな笑いを浮かべたのだった。



「おいおい。よしてくれないかそんな畏まった言い様は。僕らの関係は主従じゃない。友として平等な立場だ。もっと気軽に、君が普段喋るようにしてくれたまえよ」


「ならそうさせていただきます……そうするけれど、君はどこの貴族様のご子息なんだい? 爵位とかある?」


「質問に答えよう。僕の父はシュトルトガルドの貴族で伯爵さ」


「伯爵。シュトルトガルドの」


「そうとも。今は大学で教鞭を執っているよ。貴族院の顧問なんかもやっているね」



 シュトルトガルドはこの辺りで一番栄えている都市だった。殊、教育や研究レベルにおいては首都であるバイルリンに勝っているとされている。そこの出の爵位持ち。それも伯爵かつ教授で、政治顧問まで兼任しているともなるとその位はかなりのものである。名家中の名家といっても過言ではない。



「結構なお家柄じゃないか。それがどうしてこんな辺鄙な田舎町に」


「父の方針でね。“これからは貴族以外とも深く交友し、埋もれた才覚や人徳を発掘しなければならない。そのために庶民の生活を体験しよく観察せよ”とのお達しがあったのさ」


「それはご愁傷様。シュトルトガルドで過ごしていた方が遙かによかったろうに」


「そうでもないさ。都会はどうも辛気臭くていけない。誰も彼もが口を開けば戦争だの魔王軍だのとため息交じりに語り終末気分だよ。誰一人として勇者がいない。もっと勇敢な人間が多くいればこんな戦争、人類の勝利で終わるというのに。一人一人が高次元の勇気と捨て身の覚悟を持てば勝てない事はないんだ。貴族も庶民も、それを分かっていない」


 

 ハルトナーは本気でそう思っているようだった。戦争や、それに伴う不景気がどれだけ人間の気力を削ぐかちっとも分かっていない様子で精神論を騙っていた。子供故の無知と貴族育ちのお坊ちゃん気質がそうさせるのか、ともかく世情に流れる感情と思想から逸脱していた。きっと父親から紳士貴族としての教育を施されたのだろうが、俺にはドン・キホーテにしか見えなかった。本の一節か誰かの言葉か分からないが、彼の言葉はどこかから拝借してきたものであると明白で聞き苦しかった。

 しかし、悪い奴ではない。貴族だからといって見下す事はなかったし(態度や言葉遣いに先天的な差別意識が滲んでいたとしても)、彼の語る精神性については、彼自身が体現しようと努力している姿も見られた。これは入学後少し経ってからの話であるが、彼の性格が災いして陰湿ないじめを受けていた時、俺もその標的になった事があった。

 子供のやる事だと別段気にもせず生活していたのだが、ハルトナーはいじめの主犯格に対して拳を突き立てこう言ったのだった。



「僕に対して君がどう思うが勝手だし、気に入らないのであればなにをしてもいい。貴族として、庶民の反感は受け入れる。しかし、しかしだ。関係のない人間を巻き込むのはやめたまえ。そんな事をしても君の品格品位が下がるだけだぞ。自分自身を貶めてどうするのだ」



 甘ちゃんだが筋は通っているし根性はあった。中々どうして見どころのある人間だと思った。そして、閃いた。この名家のお坊ちゃんと懇意になっておけば後々人生が有利となるに違いないと。俺は早速、ハルトナーと友達になる事を決めた。


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