第3話 きっとだよ

 奥平さんのお店から帰ってきた私は、まず部屋の準備をした。

 といってもすでに綺麗だったのですることはあまりない。リビングから彼が座るための椅子を持ってくる。机の上に持ってきたノートや参考書などを置く。

 お茶とお菓子も机の上に用意したら、ほっと一息つく。

 あと30分で彼がくる。


 服装も変えよう。きちっとしすぎず、でも部屋着のようにゆるすぎず。

 カバンとクローゼットをあさって、結局ワンピースにすることにした。黒地に白と青い花の模様の入った服。

 普段こんな服は着ない。夜におしゃれなレストランに行く時や、お父さんの知り合いの方の集まるパーティーなどの時に着ようと思っていたが、持ってきた服の中で一番大人っぽかったのでこれに決めた。

 高校生の女性はこんな服を普通に着ているのかな、彼は見慣れているのかな。


 インターホンが鳴って、彼がやってきた。

 玄関で出迎えて、お父さんとお母さんとの挨拶もそこそこに私の部屋に上がる。さすがにここでは手を引けとは言わなかった。


「どうぞ」ドキドキしながらドアを開ける。

「おぉ、すごいね。机からこんないい景色が眺めれるなんて」椅子に座りながら彼はそう言った。

 窓は海が一望できるようになっていて、その正面に机が置いてあるので、顔をあげると海が見えるようになっている。


 先に彼が座ったので、その横に自分から座りに行かないといけなくて、恥ずかしくて意味もなく手を組んで景色を眺める。

 憧れの彼と少しだけれど仲良くなれたと思ったのに、時間をあけたら元通りになってしまった。

「どうしたの? おいでよ」と彼が椅子を引いてくれる。


 彼に視線が合わず、導かれるように椅子に座る。なんとなく気配でわかる、彼の手は今もまだ私の椅子の背もたれに置いてある。

「静香ちゃんの雰囲気に合ってるね、その服」そんなことを言われた。

 素直に嬉しかった。自分の背伸びした分だけ報われた気がする。

「ゆ、優木さんも、青いシャツ、お似合いです」目は見れなかったけど、思い切って名前で呼んでみた。

「ありがと」

 そう言って私のおでこをツンとされる。

 

 頬杖をついた彼が、とりあえずノートを見せてもらおうかな、と言った。

 現実に引き戻される。急に、恥ずかしくなってきた。私変なこと書いてないよね。

 そう思いながらノートを彼に渡す。

 彼は少し俯いてじっとそれを見つめる。うぅ、品定めされてるようだ。

 私は目をつむってそれを見られることを耐えた。


「すごいじゃん、よくここまで自分でまとめれたね」彼は一通り見てから、振り返って私の腕をひじで小突く。

 その目はキラキラとしていて本当に感心しているみたいだった。くすぐったくて上目遣いに彼を見て、きゅっと口角を上げて少し頷く。


「関係詞が苦手かあ、そうだよね」と彼が言った。

「え、なんでわかったんですか?」と私。

「いや、ここ書いてあるよ」そう言って彼の指すとこには私のメモ書きが書いてある。

 関係詞わかんない、ぴえん。

 

 なんってことを書いてるんだ私。顔を手でかくしたい気持ちを抑えて彼の目を見る。口元は少し笑いに耐えるようにふるえていた。

 

 「いやいや、でもね難しいとこなんだよ。みんながつまずく。これも会話をしたら掴みやすいかも知んないけど、まずは基本の解き方から学んでいこっか」

「うぅ、はい」


 彼は参考書をひらいてから、口元に手をあてて何かを考えている。

 綺麗な横顔。あらためてそう思う。きっと私のために問題を考えてくれているのだろう、そのことがわかると彼の事がいっそう頼もしく見えた。

 

 そうして私は彼の作ってくれた問題を解いていった。そのあと彼は私に解説をしてくれる。質問をしてもきちんと答えてくれる。今までになく、かっちりと理解できている手応えを感じて、この人はすごい、と素直に感じた。

 

 わからなかったら質問する、当たり前のようだけどなんの気兼ねもなくそれが出来るのは、彼のおかげなのかも知れない。私の手をいきなり握ってきたり、ずっと耳元に手を添えたことで私のツッコミを引き出していたのも、私という「自分」を引き出しておいてなんでも言えるようにしたのかも知れない。

 彼はどんな過去を過ごし、何をみてきたのか。何が彼をこうまでさせたのか。

 私は初めて、その人のことを知りたいという明確な欲求を感じた。

 途中で休憩をはさみながらの2時間は、あっという間に過ぎていった。

 

「お疲れさま」そう言って私の背中をポンと叩く彼。

「あの、お疲れさまでした」そう言ってから私は、

「次も教えてくださいますか?」と聞いてみた。もちろんそのつもりだよ、と冷めたお茶を飲みながら彼は言った。


「えっと、そうですね、また明日にでも」という私に向かってうんうんと頷きながら彼はお茶を飲んでいる。

「私、知りたくて、ですね。英語もですし、えっと」喉元まできているその言葉。きちんと言葉にしないと伝わんない。分かっているけど、何を言えばいいのかも分かってるけど。私はスカートをぎゅっと握りしめる。


 すると彼はお茶を置いて、「静香ちゃん」と私のことを呼んで、私の頬に手を添えて自分の方を向かせると、


「僕の家に来たいんだね?」と聞いてきた。返事は言葉にならず、掠れた吐息が漏れる。恥ずかしくて熱くなるのとは違う、ドクンドクンという心臓の音、それと共に感じる、頬のほてり。

「いいよ、来いよ」

 彼にそう言われた。私の体を、まるで電気が走ったような、でも優しくあったかいものがゆっくりと流れるような、そんな感覚があった。


 今度こそ私は顔を手で覆った。体を走る心地よさのようなものが、こらえきれなくて。



 あと2日で、私は家に帰らないといけない。

 明日の午前中には帰ってしまうので、優木さんに会えるのはこれが最後の日。

 1週間という時間はあっという間だった。彼との予定もなかなか合わず、今日含めて4回教えてもらっていた。いや、いま思うと多いほうか?

 

 今日の彼は疲れていた。おとといの夜に布団をかけずに寝たら風邪をひいたみたいで、昨日から体調が良くなかったようだ。ごめん、ちょっと寝させてくれる? そう言って彼はカーペットのところの机に突っ伏して寝た。

 

「優木さん、範囲のとこは終わりました」

 彼に出してもらっていた課題をクリアさせたので呼んだが、反応がない。時計を見るとそろそろ終わる時間だった。


 起きるまで寝かせてあげよう。そう思ったが、起きたらお別れになってしまうと思うと寂しさがこみ上げてくる。

 なにか、最後に思い出がほしかったな。

 そう思って彼の横に座ってみる。頭をのせた腕。そこに見える手は大人のように大きい。


 彼の指を、人差し指でつついてみる。ドキドキした、起きないかな。

 なんの反応もない。ふふ、ぐっすり寝てる。

 私もなんだか眠くなって、彼のように突っ伏した。自分の腕に頭をのせて、彼の手を見る。

 握って、みようかな。

 最初はつまむようにして握った。自分より大きな指、手入れのされた爪。

 もう手を引くことはないのかな。思い出してフッと笑うが、寂しくなって彼の指に自分のそれを絡ませる。

 そこから私は、なんだか安心して、ウトウトしてしまった。



 私は起きた時、頭に何か乗っているのを感じた。

 彼の方を見ると、もう起きていた。彼に頭を撫でられているようだ。もう少しそうしてほしくて、ぼーっとした頭でされるがままにしていた。


「静香ちゃん、よく頑張ったね」と優しく言われた。そう思う?

「家でも頑張ってたでしょ?」うん、だって褒めてほしかったもの。

「びっくりしたよ、散々悩んでたのに、きちん喋れるようになってて」えへへ、こんなふうに撫でてくれたよね。

「あっという間だったね」うん。そう、だね。意地悪されたこと、笑ってる彼を叩いたこと、一緒に英語で会話して、真面目に考えてくれたあの横顔。

「僕は、役に立てた?」やめて、そんな、もう会えないみたいに言わないで。

 息は、震える。鼻がキンと熱くなる。涙も、溢れそうになる。


 私、あなたに相応しかったかな。

 背伸びして、年上のあなたに並びたくて。

 そんなこと口にはできなくて、自分の心に浮かべる。


「また来いよ」


 その言葉も私の心に浮かんだけれど、もう一杯だった。

 溢れるように、私の目から一粒、涙がこぼれた。

 

 

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「こい」恋、濃い、来いって 鳥野空 @torinosora

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