004-Y_憑依(4)


 僅かの間を持って、オリヴィアが話を切り出した。 

「で、話は戻すけど」

 

 彼女の鎚鉾メイスを今にも落としそうな悠を見兼ねたのか、片手でひょいと取り上げながら、だ。あの数十キロもありそうなものを片腕で持ち上げるとは、一体どんな筋力をしているのか。悠は唖然として、開いた口も塞がらない。


 だがそんな悠の様子を、オリヴィアは気に留めることないわそのまま話を続けた。 

「あんたと私は今、任務中なのよ」 

「任務、ですか?」 

「ええ。ベアード商団、という商団の護衛よ」

 

 ベアード商団というのは、アンディ・ベアードという男を中心とした、主に異国の宝石を扱う商人の集団のことらしい。

 

「私達に求められているのは、彼らを此処エルデンから、首都のイェーレンまで無事に送り届けることよ」 

「……二人で、ですか?」 

「いいえ。私達より先に、他のパーティーが既に雇われているわ。確か四、五人のパーティーね」

 

 悠はどうにも理解できず、顔を顰める。既に他の護衛を雇用しているのに、十代くらいの若造を二人も追加する意味などあるのだろうか。

 

「……ちなみに言っておくけど、あんたは冒険者の中では最高級の剣士なんだからね?」 

「え!?」 

「あんたはS級の冒険者よ。CやBを何十人かき集めても、比にならないくらいの戦力なの。そこのところ、ちゃんと理解しておきなさいよね」

 

 オリヴィアの言葉に、悠は血の気を引かせる。これは非常に不味いのではないか。

 彼女の言い様からして、「ハーヴェイ」は今回の任務で主戦力として据えられている可能性が高い。無論、健全な日本人男児の悠に、剣を振り回して敵を薙ぎ倒すことなど逆立ちをしたってできっこない。

 

 蒼然とする悠を前に、オリヴィアは深々と嘆息する。 

「……冒険者の基本のすら忘れているんだったわね。冒険者には、S、A、B、Cの階級があって、あんたはその階級で言うと一番上のS」

  

 冒険者の評価基準である経験年数、任務成功率そして依頼主からの評価の累計が全て最高レベルということよ、とオリヴィアが言った。

 

 冒険者は階級で実力を可視化している、のような下りが蒼の読んでいた小説にもあったことを悠は思い出した。読み飛ばしていたので失念していたが、考えてみれば日本の一般企業だって、職位の概念はあるのだ。冒険者にもそれがあっても何ら可怪しくない。

 

「でもそ、その。僕、戦い方とかも解からないのですが。それに、人や動物を傷付けるとかちょっと……」 

「……まあ、その様子だと、そうでしょうね」

 オリヴィアの返しに弁明の余地もなく、悠はしょんぼりと項垂れる。

 

「今回は、あんたが負傷したことにして、謝罪しておくわ。減給は覚悟しないとだけど……」 

「本当にすみません……」

 

 好き好んでこの世界に来たわけでも、この体を選んだわけでもない。ゆえに自分に非はないことは重々承知はしていた。しかしながら、役立たずな自分を不甲斐なく感じないと言えば嘘になる。

 

 オリヴィアは再び嘆息すると、ベアード氏に頭を下げに行くつもりなのか、くるりと背を向け、部屋の外へ出ていった。ようやく、一人の時間である。

 

 ――嵐が去った。

 

 悠はそう思わずにはいられない。 

 怒涛の如く押し寄せた出来事に、未だに現実感が伴わない。脳内は混乱を極め、思考が停止している。全身の力が抜け、その場に座り込もうとした――その矢先。

 

「そうそう。聞き忘れていたわ」 

「うわあああっ!」

 

 悠は跳び上がった。それはもう、見事に。

 

 魔法でも使ったのではないか、と思われる程に音もなくオリヴィアが再び目の前に現れたのだ。恐る恐るオリヴィアの背後を見ると、扉はしっかりと開いている。単に悠が気づかなかっただけらしい。

 

「何よ。化け物でも見たかのような声を出して。失礼ね」 

「す、すみません……。何でしょうか?」 

「あんた、子供は平気かしら?」 

「………………へ?」

 

 オリヴィアの意図が汲めず、悠は戸惑う。


 子供とは、何の子供を指しているのだろうか。そして、何に対して平気と問うているのか。これは平気という答え以外を許されている問いかけなのか。彼女に問い返したいところだが、既に諸々の迷惑をかけていることもあり、気が引ける。


 思案に暮れたまま返ってこない悠に対し、痺れを切らしたらしい。オリヴィアが語気を荒らげて言った。

「……ちょっと。ぼやっとしないで。十歳以下の子供は平気なの?それとも苦手なの?」

 

 オリヴィアの剣幕にぎょっとし、悠は急ぎ早口で答える。 

「に、人間の子供なら得意です!犬や猫はちょっとわからないです……!」 

「……あんた、馬鹿じゃないの。人間の子供に決まっているでしょう」

 

 聞いてない、理不尽だ。などと返せるはずもなく。悠はしゅんとして言葉を継いだ。

 

「……その、子供がどうかしたんですか?」 

「ベアードさん、今年十二歳の娘さんと七歳の息子さんがいるのよ」 

「……?」

 

 オリヴィアの返答に、悠は二の句が継げない。やはり、彼女が何を言いたいのかわからない。なんというか、言葉が色々と足りぬのだ。

 悠の呆れて物が言えない様子を感じ取ったのか、オリヴィアが数回ほど咳払いをした。

 

「……ベアードさん、子供たちも同行させているのよ。それで、その子供たちのお相手役も探していたの。いいのが見つからなかったのか、当初は私が兼任することになってたのよね」

 

 悠はようやく、合点がいった。要は、ハーヴェイが不在(彼女は不調と考えているのだろうが)の今、オリヴィアには子供の相手をするほどの余裕がなくなってしまった。それゆえに、子供の遊び相手を代わってほしい、ということであろう。

 

「とにかく、子供が苦手ではないのなら、それでいいわ。後はこっちで何とかするから、休んでいてちょうだい」

 と言うと、オリヴィアは再び踵を返した。


 悠は彼女の姿が見えなくなったのを確と見届けると、その場に座り込んだ。今度こそ一人の時間である。

 

 ――これ、て。

 ――現実なんだよね。


 先程までの慌ただしい、現実味のない出来事たち。それらが頭の中に反復され、次第に筆舌し難い不安を胸の内に呼びこむ。――これから、自分はどうなってしまうのだろうか。

 

 ふと、自分の住むワンルームマンションや東京にある実家、大学の友人たちや母の顔が意識の中に浮かび上がった。 

 自分は日本へ帰れるのであろうか。そもそも、日本にある自分の体は生きているのだろうか。

 

 悠は目頭が熱くなるのを感じた。

 

 家に、帰りたい。

 普段いつもの蒲団でぐっすり眠りたい。

 動画を観ながら、長風呂がしたい。 

 母さんの卵焼きが食べたい。


 ふつふつととり留めのない考えが浮かんでは消え、だんだんに陰鬱な気分が増して行く。


 もし、帰れないのだとしたら。

 

 これから一生、この体で生活をしなければならないのだとしたら、この先どうやって生きていけばよいのだろうか。

 憂心が、次第に恐怖心へと変容する。度し難い程の物恐ろしさに、身体が震えた。どんなに抑え込んでも、その震えは収まらない。徐々に脈拍がその速度を早めて行くのを感じた。


 ――怖い。

 ――嫌だ。

 ――帰りたい。


 悠はひたすらに嗚咽が溢れるのを堪え、唇を噛み締める。なんとか気を鎮めようと、親指の爪を噛む。ぎりぎりと噛み締めすぎて、指から血がつうっと流れた。しかしその痛みが、恐れで興奮した悠の気持ちを鎮めた。

 

 ――ああ、疲れた。

 

 ぷつん、と自分の中で何が途切れた。不安と恐怖で憔悴し、悠は思考を停止させた。


 ――きっと、これは悪い夢に違いない。

 

 寝てしまおう。きっと目が醒めれば日常いつもの生活に戻っている。目を醒ませばいつものワンルームマンションで、「ああ、夢だった。良かった」ときっと安堵しているに違いない。


 悠はトボトボと寝台ベッドへと向かい、そのまま布団に身を投げ――程なくして、悠は微睡みの中へといざなわれた。

 


 しかしその切なる想いは叶うこともなく。

 悪夢は醒めることは無かった。

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