003-Y_憑依(3)


 悠が驚いて音の鳴らされた方向へ振り返ると、其処には、一人の少女が立っていた。

 

 部屋の扉前だ。無論見知らぬ少女で、大きな革袋を背に携えいる――年齢としは十代半ばくらいか。肩のあたりで切り揃えている炎髪の煌めく美少女だ。その炎髪の下には、くすみのない乳白色の肌に、大きな碧い瞳が覗いている。その瞳はまさに、窓の外に見えた海のような力強い光をたたえており、凛とした意志の強さを感じさせられる。

 

 ふと悠が少女の足元に目を移すと、水瓶みずがめだろうか。白い陶器の破片と水が飛び散っていた。再び目線を上げると、少女は感極まった様子をして、瞳を涙で潤ませながら、口元を手で覆っていた。 

「目を覚ましたのね、……!」

 

 少女が発したのは日本語ではない、聞き覚えのない言葉。英語でもドイツ語でもない。だが不思議なことに、悠にはその一言一句すべてを理解することができた。

 

 ――僕は一体、どうしてしまったのだろう。

 

 見覚えのない少年に成り代わったかと思えば、其処は見知らぬ、日本どころか、おそらく知っている世界でもないであろう場所。さらには、知らないはずなのに意味の解せる言葉で美少女が話し掛けてくる。

 これは俗に言う、異世界転生だとか異世界転移だとかいうやつなのであろうか。頭は既に処理落ち寸前。悠はこれは夢であると叫びたくて堪らない。いっそもう一度布団に入って寝直してみたい。


 だが、この炎髪の少女が悠にそんないとまを与えない。やにわに悠の胸倉を掴んで、

「ハーヴェイ!やっと起きたわね、この安本丹あんぽんたん。仕事中に急に倒れるだなんて、吃驚させないでちょうだい。あんた急に病弱キャラクターにでも転向するつもりなの?心臓に悪いったら。止しなさいよね」

 

 すごい剣幕で捲し立ててくる。しおらしい少女が一転、鬼の形相である。悠は何を言えば良いのかもわからず、ただただ、目を回す。今にも卒倒しそうだ。


 すると、少女は胸倉から手を離し、今度はぐいっと悠の腕を掴み、部屋の外へ悠を引っ張って行く。 

「さっさと支度済ませて出発するわよ。ベアードさん、待ってくれているんだから」

 

 ハッと悠は我に返り、声を張った。

「ちょ、ま、待ってくださいっ!」

 

 気が急いて思いがけず大きな声になってしまう。そのことで悠は内心焦りで気が動転し、鯱張しゃちこばった。すると、少女は気味の悪いものでも見るかのような眼差しを悠に向けた。 

「ハーヴェイ。ちょっとあんた、急にどうしたの?敬語なんて、気持ち悪い」

 

 言い終えると、少女は悠の腕から手を放す。もはや恐怖を覚えているのではあるまいか、と感じられる程に引いている少女に、悠は少しばかり悲しくなった。が、とにかく言葉を続ける。

  

「ええと、すみません。ハーヴェイというのは僕のことで合ってますでしょうか?目が覚めたら何故か此処にいて……何がなんだか分からないんです」 

「........は?」

 

 何とも言えぬ沈黙。悠はいたたまれない気持ちで少女の様子を伺った。少女は啞然とした表情で悠を見つめていた。

 

「.....冗談じゃ、ないのよね。え、それ、本気なの?」 

「はい....本気です……」 

「……」

「……」

「……」

 

 暫しの沈黙の後、ようやく少女が口を開いた。 

「まさか、私の名前も分からないの?」 

「はい....申し訳ありません」

 

 教えていただいてもいいでしょうか?とおそるおそる悠は言葉を続ける。その言葉に、かなり衝撃を受けたらしい。少女はよろよろと壁に手をついた。さらには茫然自失となっているらしく、目を見開いたまま固まっている。

 

 再び沈黙。

 呼吸をしているのか心配になるほどに、少女は微動だにしない。悠は声をかけようかと少女に手を伸ばした。すると突として、少女は正気に戻ったように面を上げた。 

「……あんたの頭がおかしくなったことは、よく解かった。うん。倒れたときにきっと、頭でも打ったのね。きっとそうよね」

 

 自分自身に言い聞かせるように、少女は言葉を鳴らす。どうやら、悠の主治医や母親と同じような結論に至ることで、心の安寧を保ったらしい。

 少女は一寸黙りこくったものの、意を決したように、悠の目を見据えて続ける。

  

「私はオリヴィア・エバンズ。あんたはハーヴェイ・ブルック。ハーヴェイはあんたのことであっているわ」 

「ええと、僕とあなたの関係は…………恋人とか?」

 

 おずおずと悠が言葉を返すと、オリヴィアは顔を真っ赤にして、力いっぱい、悠の膝を蹴りつけた。思わず悠は大きな声で「痛っ!」と叫んでしまう。

 

「同僚よ!同僚。変な勘違いをしないでちょうだい!」 

「す、すみません……」 

「あんたは、ここ、クロレンスの冒険者組合に属する冒険者なの。で、私はあんたと同じパーティーのメンバー」 

「冒険者……?」

 

 ズキズキと痛む膝を抑えながら、悠はオリヴィアに問い返す。冒険者。蒼のよく読んでいた小説で見かけたことのある言葉だ。確か、怪物モンスターを狩ったり、未知の場所を調査したりしていたような気がする。


 呆れ果てたような面持ちで、オリヴィアは深く嘆息する。 

「自分の職業しごとのことも抜け落ちるだなんて、まったくもって悲惨ね」

  

 オリヴィア曰く、この世界での「冒険者」とは一般市民からお金を貰って頼まれごとをする、万屋みたいなものらしい。主な業務は大きく分けて三種類程度で、探偵業と代行業そして傭兵業である。

 

 探偵業では、人探しや浮気調査、身元調査などを請け負う。代行業では、家事代行や家業代行、恋人代行(ようは別れさせ屋である。)などを請け負う。傭兵業では、護衛や各領地の警備の手伝い、害獣の討伐または捕獲などを請け負う。「冒険者組合」とは、これらの仕事を、所属する「冒険者」に斡旋する組織なのだそうだ。


「その中でも、私とあんたは傭兵業が専門」 

「え……?」

 

 この可憐な少女が。なんとも似つかわしくない。彼女はもっと綺麗なものが似合いそうなのに。驚きで悠が目を白黒とさせていると、何かを察したのか、オリヴィアはおもむろに、背に携えた革袋から金属棒を取り出した。 

 鈍く光る、鋼のような、無骨な一振り。長さはオリヴィア本人程あり、その先には突起の付いた球体がある。

 

 その金棒をぶんと振ると、オリヴィアは冷たい声で言い放つ。 

「これ、持ってみてなさい」 

「え?」 

「いいから」

  

 促されるままに、悠はそれを受け取り、すぐさま声を上げた。

「……うわっ!」 

 その金属の塊は、想像以上に重たい。

 

「私の武器よ。鎚鉾メイス。これで理解した?」 

「……はい。なんかすみせん……」

 

 血生臭いものが彼女に似合わないといった先程の自分を思いっきりはたき倒したい。

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