13 パシリ 淫魔も女も一人の少女

 あの人が魔王軍に入って来た頃を思い出す。当時十席だった獣人族の族長『恐竜人ディノス』が連れて来た時には、青年というにはあまりにも若く少年というにはそこまで幼くなかったのを覚えている。

 私はディノスが連れてきた子供を最初はからかい、誘惑するふりをして反応をみて楽しんでいた。でもあの子は一切反応せず冷めた目で私を見て冷たい声で鬱陶しそうに手で払われた。それはそれで興味が湧くもので、ちょいちょい悪戯しては冷静な声でピシャリと返されることを楽しんでいた。そんな態度をされたのは初めてだったからかもしれない。を馬が合うヴェラはガキで陰キャには興味ないとノリが悪かったが、私達のやりとりを見ては笑っていた。

 私は淫魔だ。その中でもとびきり魔力が高く、魔族も人間も種族も性別も問わず籠絡できた。その能力を買われ夢魔族の中から将軍に抜擢されたのだ。人間の子供なんて暇つぶしの対象として以外は興味ない。いちいち相手に興味をもっていたら籠絡などできない。相手をどれだけ自分のペースにのせるか。この媚びる視線も煽情的な肉体も官能的な声も婬靡な技も全てそのため。相手を快楽に陥れ私の事以外考えられないようにするため。当然あんな子供に欠片も使ったことはない。もともとそんな物を使わなくても私から滲み出る魔力だけで皆魅了されるのだから。


 あの子だってそのはず。

 我慢してるだけなんだから。

 そうに決まってる。

 ディノスにやりすぎるな、と窘められていたからやらなかったけど、ほんのちょっと力を使えばあの子はもう私の事以外考えられなくなるの。


 あの子が青年となり戦場に出るようになると、瞬く間に武功を上げ、異例中の異例のスピードで将軍の十一席へ抜擢される事になった。

 過去に何があったかは興味なかったけど、祝宴の際ちょっとだけ催眠かけたディノスから話を聞いたことがある。

 あの人はディノス率いる魔族軍が人間界に侵入し、とある村に辿り着いたときはすでに略奪と虐殺にあった後だった。おそらくひとりで村を守ろうとした男に寄り添っていた生き残りの子供。それがアシュランらしい。

 その倒れていた男はたまたまディノスが何度も戦場で対峙した無名の剣豪だったそうで、何かを感じたディノスはその子を連れ帰って来たのだそうだ。それを聞いた時はふ~んとしか思わなかった。戦争孤児なんてよくある話だし。やたら無口だったディノスが子供を連れて来た事の方が余程驚いたくらいだ。

 それからしばらくしてディノスは戦場で討死した。その後だったと思う。彼が魔王様から魔剣を賜ったのは。魔剣を手にした彼は鬼神のような強さだった。でも戦場から帰って来る度に疲弊して衰弱していた。しばらく収まっていた悪戯心が再び芽生えたのはそんな弱った彼を見たときだった。嗜虐心がくすぐられたんだと思う。私はちょっとだけ魅了の邪眼を使った。これでもう彼は私から目を離さなくなる───でも彼は私を一瞥すらせず部屋に戻っていった。


 次の日も使った───


 その次の日は少し強くした


 またその次の日はかなり強めにした


 この邪眼は私の目を見た者はもちろん、目を向けられただけで骨抜きになるくらいの強力なやつだ。でも、彼はなんの反応も示さなかった。


 次の日もまた次の日もそのまた次の日も、渾身の邪眼を使った。


 それからどれくらいたったのか。いつしか、私が彼にベタ惚れしているという噂が魔王軍にできていた。


 ある時ヴェラに言われた。


  “そんな堕とそうとしてて、まさか本当に惚れてるの?”


 まさか!───なかなか効かないから意地になってるだけ。


  “アシュランって魔剣に乗っ取られないで使えるじゃん。それって邪眼とか効かないってことなんじゃないの”


 そうか、そういうこと─── それではっきりした。そういう体質なのね。ありがとヴェラ、スッキリしたわ。


  “いいのよ”


 ───でも……それって私のこと、魅了とか邪眼とかに惑わされず、淫魔とか関係なく私のことを見れる人───ってことになるの?


 それからも積極的に絡むわけじゃないけど、邪眼はことあるごとに使っていた。たまに事務的な用件なんだけど、リリーと名前を呼ばれると胸が高鳴った。なんでだろうか。

 わざと怒られるようなことをして、名前を呼ばれるようにした。


 また少し経ったら噂が彼が私にベタ惚れしているという風に変わっていた。


 ちょっとだけ嬉しかったけどわかっている。今まであった噂を誰かが面白がって捻じ曲げただけだ。


 でも、なぜ私は───こんな期待をしているのかしら?

 ちょっとだけ胸が苦しい。


 前線に近い要塞の一番高い塔の屋根上で一人、闇夜で青白く輝く衛星に照らされた『淫魔のリリー』は、そっと胸を抑え珍しくため息をつく。その姿は誰が見ても思春期の少女にしか見えない一瞬であった。


 


「探しましたぞリリー殿」


 バルコニーから聞こえる声───


「え、あ、あ、ア、アシュラン!! ななな、な、なんのようかしら。ま、また何かの連絡かしら、ちょっと今そっち行くから───」


 慌てて屋根から飛び降りアシュランの隣に立つと先程苦しかった胸の高鳴りが何倍にも膨れ上がる。


 苦しい


 でも


 心地よい


 青白い衛星が魚眼レンズとなって夜の静けさのままに二人の姿を丸く包み黒きシルエットを照らす。

 黒衣の男が一歩踏み出す。手を差し出せば触れてしまう近さに───



「近頃妙な噂が広まっておりご迷惑をおかけしてるようで大変申し訳ない」


「え⁉ ええ、えぇ、何のことかしら! 何にも気にしてないわよ!」


 声がうわずる。ただでさえ高い声がよりいっそうに。


「そう言って頂けると助かる。次の軍議の場を借りてこの度のことは私から話す。こういうのは男たるものが先立ってやらねばならぬことだから───」


「え、お、男が、って……な、何を、まさか───」


「まだ夜は冷える。これを」



 露出の高いリリーの肩にそっと自らが羽織っていた黒革のコートをかけ、それでは、と振り向くことなくその場を去る黒騎士であった。



 きゅ?


 きゅきゅ?


 きゅきゅきゅ!


 きゅきゅきゅきゅきゅーーーーーーん!!!



 思考は止まり、鼓動はリズムを刻むのを放棄し間断なく叫び、スレンダーな肉体は鳴動する活火山の如く赤くなり、ショートボブの桃色の艷やかな髪は扇のように広がり四方を突き、チャームポイントのハートマークがついた尻尾は聖者を貫く槍よりも鋭くさを増し、もうなにもかもが沸騰してめちゃくちゃになっていたところを翌朝ヴェラに発見されたという。

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