1-3 ある冬の朝
三学期が、お正月休み明けから始まった。僕は高校一年生の最後に、写真部に入るかどうかを決めかねていた。写真部とはいっても正確には同好会で、三名で成立しているらしかった。
静かに雪が降っている。静寂の中に、雪を踏みしめる音だけが響いた。
この山河市では、雪が積もることは余り無かった。積もっても五センチ位で、今年のように十センチも積もることは稀だった。
「おはよう、宮島君」
通学の途中で、同じクラスの三上美希さんと出会った。三上さんとは、時々話したことはあったが、クラスが同じというだけで、余り親しくは無かった。
「宮島君は、お年玉で何か買った? 私、小さなキーボードを買っちゃったんだ」
いつになく、気さくに話しかけてくる三上さんに、僕は嬉しくなって答えた。
「実は僕、デジタル一眼レフを買ったんだ。子どもの頃から貯めてたお金を使って、思い切って買ったんだよ。この買い物で、何か新しいことをはじめてみようと思って……」
「素敵ね」
僕は少し照れてうつむいた。
「買ったら使いたくなって、昨日の日曜日に、山河湖に行ったんだ。姉さんと父さんと三人で」
「いいなぁ、家族が仲良しで……。私の場合、いつも独りで過ごすことが多いから」
三上さんは泣きそうな声になっていた。
「ごめん、悪いコト言っちゃって……」
「いいの。事実だから」
−− 三上さんて、とても繊細な人なんだな。
「今度、一緒に写真を撮りに行ってみない? 三上さんの好きな所へ」
「気を遣ってくれて、ありがと。でも、私いいの。独りで過ごすことも、そんなに悪くないのよ」
三上さんは、そう言って笑った。瞳が美しく潤んでいた。僕はドキリとして、思わず顔が紅潮するのを感じた。
「私ね、本が好きなの。将来、小説家になりたいんだ」
三上さんは隠していた言葉を、突き出してきた。その言葉は僕の胸を突いた。
「そうなんだ。すごいね」
僕にはそれしか言えなかった。三上さんと同じ、文系大学進学クラスに在籍していた僕だったが、その言葉は初耳だった。
「今、ピアノ弾きの少年が主人公の小説を書いているの。それで、ピアノを弾くとどんな気持ちになるのかを知りたくて、キーボードを買ったのよ」
三上さんは、少しはにかみながら告げた。
「それで、どんな気持ちになったの?」
「ピアノって、すごく自由なんだってことが判ったの。自由になれるのよ、ピアノって」
「自由? 決まった譜面を弾いていても?」
三上さんは、深く頷いた。
「どんな曲を弾いてもいいの。そしてどんな組み合わせになるのかは、無限のパターンが有るんだって判ったの」
「それは自由だね」
僕がにこやかに応じると、三上さんはとびきりの笑顔を見せた。
「小説の主人公の少年に、こう言わせるの。『ぼくは鳥のように自由に空を飛ぶことはできないけれど、鳥が飛ぶのと同じくらい自由にピアノを弾くことができるんだ』って」
僕たちの肩に少し雪が積もった。ふたりで歩く道には新雪があって、薄く積もった雪にまぶしい朝の光がきらめいた。それはまるで宝石箱に入っている無数のダイアモンドのようだった。
沈黙がふたりの間にやさしく流れた。
それは、美しいある朝の出来事だった。
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