その花は夢を引いて空を往く

水永なずみ

「笛」「彗星」「アイス」

 一月下旬。息を吸えば肺がぱきりと凍りついてしまいそうなそんな朝に、暑苦しく私を呼ぶ声がする。


「おーい、ミア姉ー! 起きてんだろー? 遊ぼうー!」


 廊下を走り、部屋のドアが派手に開けられた。

 やってきた小さな招かれざる客を、抗議の意味を込めて無言で見つめてみるが効果なし。これは観念するしかないか……。

 私はモゾモゾと布団の中でしばらく身じろぎし、ようやく覚悟を決めて立ち上がった。ぶるりと体が震え、思わず舌を打つ。


 うぅっ、寒すぎ……。なんで日本の家ってエアコンしかないの? 温水暖房機カロリフェルくらいつけてよ。技術大国なんでしょうが。


「はぁ……。なに? まだ朝なんだけど」

「なーなー! すいせーってなんて言うの?」


 無邪気な目で、ガキンチョは私を見つめる。見つめておかまいなしに主語の抜けた質問をする。私はそろりと目をそらし、言った。


「Kuyruklu yıldız」

「くいっくるーいるです?」

「違う。えーと、クイルゥックルー、ィルドゥス。ほら言ってみ?」


 私が少しばかり日本語に近づけて伝えると、そのちびっこは「くい……くいっく……わいぱー?」とかなんとかよくわかんないことを難しい顔でつぶやきはじめた。やめやめ、付き合ってらんない。


「ミアちゃーん、ご飯できてるよー」


 ホームステイ先のマザーの呼びかけに「はーい」と答え、私はいまだにうなっている少年、アツシの手を掴んでさっさと一階に降りた。




 去年の春、母国トルコを離れて私は日本に来た。夢だった──花火師になるために。

 きっかけは日本のアニメだった。男女の恋愛模様を描く、よくあるボーイミーツガール。それがたまらなくキレイで、私は言葉もよくわからないのに何度も、何個も作品を見た。そして、ある日気づいたんだ。


 そんな私が好きな作品にはどれも決まって夏祭りのシーンがある、と。


 日本人は花火を感動と結びつける。

 トルコでも花火大会はあるけど、とにかく打ちまくる激しいもので風情を感じるよりも先に迫力に飲まれて終わる。


 だからこそ私は作品の中の夏祭りにのめり込んだ。


 いったいどんなものなんだろう、なんて画面の奥をのぞくように顔を近づけて。その中に入れるように体を乗り出して、そして。


「ミアちゃーん? あ、気づいた。だいじょうぶ? ぼーっとして」

「あ、はい。だいじょぶです」


 瞬きをすればそこは、日本式家屋の中だった。

 私は手に持っていたフォークを動かし、魚の煮付けを口に運ぶ。

 黙々と食べていると、ふと視線を感じた。ついと目をやるとアツシは慌てて目をそらす。


「なに、どうしたの?」

「なんでもなーい」

「本当は?」

「にんじん、食べてほしい」


 ぽそりと言った一言に力が抜ける。はぁ……。怒らないっての、あんたのグランパじゃあるまいし。


「はい、お皿」

「! ありがと、ミア姉!」

「はいはい」


 適当に頷きながら、心のどこかで思う。こんな小さい子より、私は花火を作るのが下手なんだ、って。




『花火は全部で四つの工程を経て完成する。


 火薬の配合、火薬の玉である「星」の作成、花火玉に星を込める作業、そして、仕上げの玉貼り。


 花火師はこの全四つの工程を丁寧に時間をかけて行い、いくつもの花火を作り上げる。

 どれも繊細な技術が求められる大変な作業だけれど、特に星の作成は別の意味で気が遠くなりそうになる。


 火薬を球状に成形した星を、さらに規定の大きさまで太らせるため「回り続ける釜の中に火薬を振り入れ乾燥させる」という同じ作業の繰り返しを何度も何度も行う。

 大きさにもよるけれど一尺(直径30cm)の花火玉を一つ作るのに20日はかかる、と言えばどれだけ丁寧に時間をかけて行うものかわかりやすいんじゃないかな。


 私はこれがどうしても苦手だ。火薬を振り入れ、時間をかけて乾燥させて出来上がったものを確認すると、いつも大きさが不揃いなものになっているのだ。

 いくら勉強し、職人の仕事を目に焼き付け、実際に自分でやってみても、結果がわかるまでに相応の時間がかかる。結果を急ぎ、焦れば焦るほど内容はひどいものへと変わっていく。

 それでも、やるんだ。私をここまで送り出してくれた両親のためにも』


 付箋ふせんを大量に貼り付け、反省点や対策をびっちりと書き記したノートを閉じて私は細く息を吐き出す。

 知識を書き出すのは自然と日課になっていた。日本語の勉強になるし、頭の整理もできる。それに、やったことが目に見える。でも。


「このままでいいのかな」


 これを続けるだけで私は届くのだろうか。私は日本人じゃない。まだまだ全然足りてない。だからもっと勉強して、もっと知らないといけないんじゃないだろうか。もっと、もっともっとたくさん。

 その時、机の上に置いていたスマホの画面が明るくなり、懐かしい顔が表示された。私は画面をタップし、スマホを耳に当てる。


「ママ」

『ミア、調子はどう?』


 懐かしい声にホッとする。その声に安心し、思わず弱音がこぼれそうになった口を閉じ、私は軽い調子で答えた。


「うーん、まあまあかな。でも上手くやってると思う」

『ママは心配だわ。あなたいつも張り切りすぎるから』


 その声は本当に心配しているのが伝わってくるものだった。でも、私だってただの憧れだけでここまで来たわけじゃない。


「大丈夫よ、心配しないで。きっと立派になって、二人も感動する、私の好きな本当の花火を見せてあげるから」

『ふふっ。ええ、楽しみにしてるわ。頑張ってね、愛してるわよミア』

「……うん。私も」




「てんでダメだな」

「はい、すみません」


 仏頂面のグランパ、テツジさんに私は頭を下げた。


「忍耐が足らん、もっと集中しろ。じっくり時間をかけろ。この世界じゃ10年やって一人前だ。わかってんだろ?」

「はい」

「そら、もう一度はじめから」


 私は花火の玉たちに向かい合い、回り続ける窯の中に腕を入れて、頭の中に叩き込んだテツジさんの技を模倣もほうする。

 頭の中の理想と現実の手が重なる。一切迷いのない手に、必死に食らいつく私の手。

 しかし、一手、二手と進むごとに視界がブレる。最初は同じ動きだった手が徐々に重ならなくなり、バラバラになっていく。


「ふっ……! くっ……!」


 追いつこうと早めるほどに何もかもが遅れていく。気づけば頭の中の理想は、すでに次の工程の準備に取り掛かっていた。


「今日はここまでだ」

「……はい。ありがとうございました」


 私は深々と頭を下げ、静かに洗面所へ向かった。

 鏡に汗だくの自分が映る。額からにじんだ汗が目の横をしたたり、ツンと鼻が痛くなった。


「私、才能ないのかな」


 ポトリと汗が落ちた。またポトリ、ポトリと。汗だくの額から止まることなく汗が落ちた。

 諦めないとそう決めてここまで来たのに、私は何をやってるんだろう。なんでここにいるんだろう。なんで、夢なんか見ちゃったんだろう。


「ミア姉」


 ためらいがちな声に思わずハッとなる。私は慌ててはちまきで目をぬぐって、入り口を振り返った。


「アイス食べよう、って母ちゃんが」

「……本当は?」

「いっしょに、アイス食べたい」


 アツシはそう言うと、カップのアイスを差し出してきた。はぁ。ホントに、力が抜ける。


「本気? ……今、冬だよ?」

「ミア姉知らないの? コタツでアイス食べんの最高なんだよ?」


 そう言ってパッと笑うアツシに手を引かれ、私たちは居間に向かった。


『ZTF彗星は2023年1月13日(日本時、世界時では1月12日)に近日点を通過(太陽に最も接近)し、その頃に彗星の活動自体はピークを迎えたと考えられます。その後は太陽から遠ざかるにつれて──』


 コタツの中でぽけー、とテレビを見ていたアツシはくるりと体ごと私のほうを向き、たずねてきた。


「ミア姉、すいせーってなんて言うんだっけ」

「クイルゥックルー、ィルドゥス」

「くいっ……るぅー、いるどす」


 カチカチのアイスにスプーンを刺しながらアツシは何度も、何度も「彗星」をトルコ語でつぶやく。

 その横顔に、私の中で暗い感情が湧き上がった。


「もうそのへんにしたら? もう少し大きくならないと言えないよ」

「できるよ。くいっるー、いるです!」


 自信満々のドヤ顔に「違う」と私は首を振る。

 それでもアツシは何度も繰り返す。何度も繰り返して、少しずつ、ほんの少しずつ良くなっていく。そして。


「クイルゥックルー、ィルドゥス!」

「……!」


 会心のドヤ顔で、少年はそう言った。

 ピュウと知らず口笛が室内に響く。


「クイルゥックルー、ィルドゥス! クイルゥックルー、ィルドゥス! やった、やったー!」


 飛び回り、跳ね回り、アツシは全身で喜びを表現する。その姿に私は──


「やるじゃん」


 まぶしいものを見つめるように、そっと目を細めるのだった。




「ねぇ、なんで諦めなかったの?」

「ん?」


 すっかり空になったアイスのカップをつついてアツシにそうたずねると、アツシはスプーンをくわえたまま当たり前のように答えた。


「いつか行ってみたいから」


 無邪気な目で、彼は私を見つめる。見つめて、主語の抜けた答えを返す。


「あっちは寒いよ、耐えられる?」

「できるよ、部屋ん中はあったかいんでしょ? いつもミア姉言ってるじゃん」


 あぁ、真っ直ぐだなぁ。本当に、本当に……。

 私は両手をかかげ、パンッと強く両頬を叩いた。


「よっし! やるよ、アツシ!」

「? なにを?」

「花火の特訓!」

「え、遊んでくれるの!?」

「もちろん!」


 一月下旬。息を吸えば肺が凍りつくような寒空の下、私は暑苦しい息を夢中で吐き出していた。

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その花は夢を引いて空を往く 水永なずみ @mizu1234

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