第七話 月明かりと覚悟

 エレナと別れた後、ラグナは久しぶりに父と自室で夕食を取っていた。

 相変わらず生活感のない質素な部屋は、節々にオリバーが買い与えたであろう、趣向の凝らされた小物や、家具の類が散見する。

 いつもラグナが一人、本を読んでいる丸い机の上には、その体に余りあるほどの潤沢な料理が彩り艶やかに置かれている。 オリバーはいかにも満足気に、「今日は疲れただろう。 たくさん食べなさい」と、目を湾曲させラグナへ勧めた。


「ありがとうございます。 おとう、大司教様」

「ははは。 何、食事の席だ。 今日ぐらい、父と呼んでも良い」

「……!? ほんと、ですか? おと…お父様……」

「ああ」

「ありがとうございます! 頂きます、お父様!」


 ラグナはこの会話を皮切りに沈んだ表情から、年相応の可愛げのある顔へと移り変わると、目の前にある食事に手を付けていく。 一品一品手をつけるごとに「お父様、これはなんですか?」と必要以上に『お父様』を呼んだ。 その姿を微笑ましく見守るオリバーは、一つ息を吸うとラグナへと言葉を投げかける。


「そういえば、ラグナ。 今日はどうだった?」

「はい! 信託受けてから、目が回るような一日でした。 それもあってか、神子としての実感がまだ湧かないです」


 一瞬、顔に陰りが見えたが、すぐに子供っぽい顔で頬をかきオリバーを見つめる。 その表情を目にしたオリバーは、少しの間口をつぐむ。


「……そうか、それは良かった。 あ、それと、あれはどうだったのだ? 授業、今日が初めてだったのだろ。 奇人と噂される者が教鞭を取ったらしいではないか。 なにか変なことはされなかったか? 大事はなかったか?」


 ラグナはその言葉に思い当たる節があり、数瞬固まるも、何もなかったかのように笑顔でうなずいた。


「はい、大丈夫です。 お父様。 確かにマヤ先生はとても不思議な方でしたけど、とても機知に富んでいて素敵な方でした。 お父様の思ってるようなことは何もありませんでしたよ」

「そうか、なら良いのだが。 悪かったな変なことを聞いて、ほら、遠慮しなくて良い。 もっと食べなさい」


 だが、ラグナの手は明らかに先程より重くなっている。 ラグナのそんな姿を訝しげに見つめるオリバー。


「ラグナよ、本当に」

「本当に大丈夫ですか? ラグナ様」


 伺うように言葉をかけるも、被せるように軽い男の声がこの場に響く。 二人は声のする方向に顔を向けた。 そこには三つ編みの赤髪をした男が、我が物顔でどこからか持ってきた椅子に座り、肉を頬張っている。


「ロイ? なんで」

「ロイ副団長。 何故こんなとこにいるのだ」

「いやー、すみません。 実は部屋の前を偶然通りかかったら、いい匂いがしたもんで、つい。 それに、腹の虫も声を上げてたもんで〜。 いや、ほんとに反省しております!」


 手に持った大きな骨付きにで合掌し、頭を下げるロイ。 その表情には明らかに反省の色が見えない。 ロイは頭を上げると、ラグナに向き直り、顔を覗き込む。


「な、なに。 なんなの、ロイ?」

「いや、元気なさそうだなっと思いまして。 あのマヤ先生と何かありましたか? それとも、さっきの庭であったことですか?」

「庭であったこと?」

「いや、お父様何でもないよ、うん」


 ロイの発言に引っかかり問い返すオリバー。 ラグナはというと、図星を突かれたのか少し動揺している。 だが、すぐに平静を取り繕い、笑顔でロイ達に向き直る。


「なんでもないよお父様、ちょっと気分転換に歩いてただけだから。 ロイも、本当になにもないから、大丈夫だから」

「なら良いのだが、何かあったら言うのだぞ」

「はい、ありがとうございます。 お父様」

「ふーん……。 そうはみえないですけどね」


 ロイは小声でボソりとつぶやく。 その言葉が父の耳に入ると面倒なことになると思い「ロイっ!」と小声で諌めた。

 いつもロイは誰よりもラグナの機微を敏感に察していた。 父を除けば、これまでラグナのそばに居た唯一の友達だったからなのかもしれない。

 オリバーはそんな二人のやり取りを見ながら、当初聞きたかったことを邪魔されたことを思い出しふつふつと怒りが込み上げた。

 それになにより、久しぶりのラグナとの食事を邪魔されたことは彼を立腹させるには充分だった。


「ロイ副団長、いい加減」

「失礼します。 はぁはぁ、オリバー様、申し訳ありません。 お急ぎの用が」


 オリバーの怒りがこの場に吐き出される直前、扉から足早な音がなり、信託の際に司祭を努めた中肉中背の男、ベンが焦った様子で息を乱しながら部屋へ入ってくる。


「なんだ。 今取り込んでいるのだが」

「大変申し訳ありません。 ですが、早急にお伝えしなくてはならないことが」

「何だ早くしろ」


 先程までの苛立ちの矛先が彼へと向いた。 瞼をシワだらけにするほど何度も目をつぶり、滝のように流れる汗をハンカチで拭く。 少し前かがみになると、オリバーの耳元へと口元を持っていき、今しがた手にしていたハンカチで覆い隠した。


「つい先程、デクスター様がお見えになりまして、オリバー様にお話があるとのことでした」

「なに!? あやつ、こんな忙しい時に、毎度毎度、気に食わぬやつだ。 まるまると太ってる割に、無駄に行動力があって困る。」


 怒りがデクスターへと向くと、ラグナには聞こえぬ程度で怒気を込め、罵る。 その後すぐに、笑顔へ代わり、ラグナの方へ見やる。


「ラグナよ、本当にすまない。 急用が入ってしまったので、ここで失礼するよ。 ロイ副団長も、気が済んだら早く自室に帰りたまえ。 ここはお主の家ではないのだからな。 では」

「ラグナ様、ロイ副団長殿、失礼いたします」


 二人が部屋を去ると、先程の賑やかさが嘘のように、外の廊下を歩く足音がラグナの耳に鳴り響く。 物寂しさがどっと押し寄せてくる。

 ロイは二人が出ていったドアを見つめ、すぐにラグナの顔を確かめる。


「ラグナ様」

「なに?」


 その言葉に、力がこもっていなかった。 ロイはその声を聞くやいなや、表情を変え、並べられた料理を咳き込みながらもものすごい勢いでかきこむ。


「え、ロイ、どうしたの?」

「ん”〜も”が、ん”」


 言葉にならない言葉で一心不乱に書き込む。 その光景に動揺したラグナ。


「ぼ、僕、食欲ないし。 お腹空いてるなら、全部あげるから。 お願いだから落ち着いて」


 その言葉を聞き、ロイは手を止め、ラグナを見る。


「やっぱり。 なんかあったんすね?」

「……」


 ロイにはどれほど取り繕っても気づかれてしまうのだと、ラグナは無言で下を向く。


「別に言いづらかったら、無理には聞きません。 でも、言いたくなったら、いつでも呼んでください」


 ラグナは、顔を上げロイを見る。


「だって、俺たち友達なんっすから」


 屈託のない笑みでラグナを見るロイ。 だが、口の周りに食べ物のかすやソースがこびりついており、様になっておらず、ラグナはその顔に思わず吹き出してしまった。


「なんで笑うんすか! これでも結構良いこと言ったつもりっすよ!!」

「う、うん。 ご、ふ、ごめん。 つい、アハハハ」

「ん”〜、別にいいっすよ。 代わりにこの料理全部もらいます!」


 一心不乱に料理にかぶりつくロイの姿を見て、口が弧を描く。 ラグナはその姿を脳に焼き付けるようにじっと見つめていた。


「ロイ」

「もん”〜?」

「いつもありがとね」


 その言葉に、口に食べ物を加えながら、ラグナに向けて親指を立てウインクをした。



      ◆  ◆  ◆



 その日の夜、やはりラグナは寝付けずにいた。


――――神子は自身を犠牲に世界のバランスを保たせるために産まれた存在なんです。


 マヤ先生に言われた言葉が、今もな頭の中で意志に反抗するように反芻される。 


(わかっていたはずなんだけどな……)


 月の灯が、窓を介し、ラグナの背を優しく照らす。 

 神子としての役目が、決定された死に帰着することは、フレメ神話にも記載があった。 ラグナはその事柄を知っていて、覚悟を決めていたと思っていた。

 だが、いざ他の人からその事実を告げられた途端、死というものが飢えた黒狼に追われるように恐怖を駆り立てた。


「お父様……」


 寂しさが言葉となって出る。 ラグナは空いた心に暖かさを持って包み込むように、赤子のごとくベッドの上で丸まった。 考えても、考えても、もう決定されたこと変わらない。 前までは神が役目を与えてくれることに、神様とはなんて優しいのだと思っていたが、今はあのときのロイの言葉が頭によぎる。


――――なんだってこんな儀式なんかあるんすかねぇ


 今まで思うはずもなかった、神様への疑念が思考を経るごとに増していく。


(ほんとうになんであるんだろう。 それに、なんで僕が神子なんて……。 僕、なにか悪いことでもした?)


 その後も、何度も何度も思案しては、何も変えられない現状に無力感を感じる。

 この空虚な一室と同じだ。 たしかに物はあるが、満たしてはくれない。 とても寒くて寂しい。


(夜は暗くなっちゃってだめだな)


 ラグナはより一層、強く自身を包み込む。 そして、誰にも届かない、ただ、こんな自分の心を少しでも埋めてほしい、温めてほしいと無意識に言葉が漏れる。


「ロイ……僕はどうしたら良いのかな……」

「呼びましたか、ラグナ様」


 いるはずもない声が窓越しからラグナを捉える。 驚き身を勢いよく起こし、声の先を見る。

 そこには、月の光と相反する、燃えるようなけどどこか優しげな赤髪の男が、三つ編みを揺らし、いたずらな笑顔でラグナを見ていた。


「夜遊びしに来ちゃいました。 ラグナ様、すいません。 ここ、開けてくれません?」


 ドアをノックしながら、こちらに訴えかける無邪気な彼の姿がどうしようにも可笑しく、ラグナは自然と笑みがこぼれた。 部屋が彼の来訪とともに一気に明るくなる。

 ラグナはベッドの下にある履物へ足を通し、窓の戸を開けにいく。


「なにしてるのロイ。 もう夜の刻だよ」

「何笑ってるんですか? 失礼ですよ。 夜は怖いだろうなと、せっかく来てあげたってのに。」

「ごめんね。 ありがとう」


 先程の寂しさか、それともロイの姿を見て安心したのか。 どれなのか、それともどちらともなのか。 目に浮かぶ水滴を笑いとともに拭い落とす。

 ラグナの表情には、先程までの寂しさは見えない。 むしろ、少し清々しいような顔つきになっていた。


「ほんとどうしたんですか、ラグナ様。 今日なんかおかしいですよ。 あ、俺で良ければ一緒に寝ましょうか?」

「うん、それもいいね」


 その言葉により違和感を覚えたのか、窓から部屋の中に入りより心配そうに、ラグナの顔を覗く。


(ロイは、ほんと……ふふ。 僕、本当に恵まれてるな)


 顔を不安そうに覗き見るロイに、暖かな笑みを返しながら、でも今度の言葉には思いを込めてより力強く発した。


「ロイ。 僕、頑張るよ」


 ラグナの言葉に動きを止め顔を見つめるロイ。 その言葉に乗せた思いを受けたのか、深くは聞かず、一言「はい」と答えた。

 数分すると、さっきまでの顔つきはどこに言ったのかと思うくらい年相応な柔和な笑顔で彼を席に促した。


「せっかく来たんだから、ゆっくりしていってよ。 僕紅茶入れるね」


 その姿に、いつものラグナ様を感じて一安心したと言ったように、席を立った。


「いえ、明日も訓練なんで、俺はここらでお暇します。 ラグナ様、おやすみなさい」


 そう言い、ドアの方へと歩むロイへ勢いよく止めに入るラグナ。


「一緒に夜更かししようよ。 実は僕、夜更かししたことなくて、ロイがいてくれるなら、やってみたいなって」


 無邪気な顔つきがロイを襲う。 これは敵わないと、頭をかき顔を下げる。


「わかりました、いいっすよ。 そのかわり覚悟しておいてくださいね」

「うん! え、なんの覚悟?」


 そんな話をしながら無邪気に笑い合う二人、その夜この部屋が初めて夜まで明るく暖かな空間となった。

 そして、案の定ロイは遅刻したのだった。

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