第一話 天啓の間

 翌日。薄く白い儀礼服に身を包んだラグナは、天啓の間と呼ばれる部屋で一人、祈りを捧げていた。

 せめて、お父様に見限られないだけの運命でありますように。

 ただ縋るように一心不乱に願ううちに時は流れ、やがて一人の男が姿を現した。


「準備はできたかね?」

「……はい」


 ラグナは静かに頷いた。


「よろしい。では、これより託宣を下す。これを」


 銀の杯と小さなナイフをラグナに差し出す。

 杯の中には、葡萄酒が注がれていた。


「これを一口飲み、そして血を一滴、その杯の中に入れなさい」

「はい」


 言われるがままに葡萄酒を口に含む。喉がかっと熱くなり、軽い酩酊感に襲われる。

 そして親指の先をナイフで薄く切り、滲み流れ出した血を杯に注いだ。


「こちらへ」


 杯を男に返す。男は中に入っていた液体を一口、喉の中に流し込み、言葉を紡いだ。


「愚かなる原罪を背負いし迷い子は其の血をもって定められし運命を尋ねた。今ここに神の名において彼の往く路を指し示し給え」


 そして男はラグナの頭に手をかざした。


「じっとしているように」


 ラグナは不動をもって応えた。身動ぎはおろか呼吸や鼓動による振動ですら止まれと言わんばかりに自分を固めた。

 ズキリッ、と頭をかち割られたような痛みが走る。 その瞬間、頭に異物が入り込み、全身に根を這うように広がっていく感覚がする。

 その不快感が、時が経つとともに暖かさを持ち、心地よくなっていく。 その後、体の中で大きく深呼吸をするように、落ち着きを取り戻した。

 そして、程なくその時はやってきた。


「……っ、これは」


 男は驚きの表情を浮かべてラグナを見つめた。

 ラグナは一瞬びくりとしたが、すぐに元の姿勢に戻り動きを止めた。


「……いや、失礼。儀式は終わりだ。楽にしていい」


 その言葉に、ラグナはようやく力を抜いた。


「あの」

「なんだね」

「ぼ……わ、私の道は、その」


 どうだったのか、そう聞く前に、男がそれを遮った。


「それについては、追って知らせが入る。今日のところは部屋へ戻りなさい」

「え? で、でも」


 ラグナは戸惑った。聞いている限りでは、その場で教えられるのが通例だったはずだからだ。

 しかし男は、ラグナの戸惑いに取り合うことなく話を進めた。


「私は少々急ぎの身でね。これにて失礼する」


 それだけ言い残し、男は部屋を後にした。

 自分が何かしたのだろうか。いや、どんなことがこの先に待っているのか。

 不安と期待がないまぜになったような感情のまま、ラグナはその部屋を後にした。



   ●  ●  ●



「オリバー様、ご報告があります」

「入れ」


 ドア越しに短い言葉を交わす。 男は少し唇を釣り上げながら、ドアノブを回し部屋へ入っていった。

 オリバーと呼ばれた男は、椅子に深く腰掛け、丸眼鏡を傾けながら綺麗に並べられた書類へ筆を走らせている。

 オリバーは男の気配を感じると、少し手の動きを止めた。


「職務中のところ申し訳ありません。 あの……」

「ラグナのことか」


 顔は一向に机から離れてはいないが、手元の書類はインクで滲み、紙の端は軽く歪んでいる。

 その様子を見て、男は大きな生唾をゴクリと飲んだ。


「左様でございます」

「結果は、どうであった?」


 矢継ぎ早に言葉を投げるオリバーに、男は気を引き締めて口を開いた。


「はい。 結果から申しますと、ラグナ様は無事、神子様となられました。」

「そうか! それは良かった」


 結果を聞くやいなや、嬉々として両手を机に付き、前のめりになる。

 小さな声で「そうか、良かった、良かった」とつぶやきながら唇は弧を描いていた。

 男は、その光景に驚き、目を丸くする。


(オリバー様も自身や我が子の進退に関わる事となれば、緊張もするのだな)


 と、失礼ながらも男は好感を覚えた。

 普段は無骨で几帳面なため、こういった姿を目にしたことがなかったのだ。


「オリバー様、おめでとうございます」

「ああ、ありがとう。 これでやっと、ミドガルにも平穏が訪れる」

「ここ数年、適性者は現れず、枢機卿団や教皇様も手をこまねいておりましたから。 これも、オリバー様のお力のなせる技です」

「そんなことはない。 我が息子のおかげだ」


 先程までの緊張はどこへ行ったのか、にこやかに返答をする。


「では、これからラグナ様は」

「ああ、予定通りで頼む」

「承知いたしました。 あと、ラグナ様の教師は、ブレメ深魔学院のマヤにお願いをいたしました」

「マヤだと!? 深魔の奇人か!?」


 悪魔にでも玉を取られたかのような驚愕の顔を浮かべ、男に対してシワを寄せた。


「はい。 奇人と言われましても、ブレメ深魔学院きっての天才で彼女ほど文魔を収めたものもいらっしゃりません。 それに……」

「それになんだ」


 言葉によっては殴ることも厭わないと、眼前に迫り問うオリバー。


「枢機卿のお一人であられるデクスター様が託宣を受ける前から斡旋したようでして……」

「何!? ……あやつめ、我が息子を、あまつさえ奇人にあてがうなど」

「どういたしましょうか」


 苦虫を潰したような顔をし、外の景色に目を向け、爪を噛む。 数分、外に睨みを効かせたあと、諦めたようにため息をつき、男に顔だけ向き直る。


「斡旋していただいたのだ、無下にはできん。 そうだな、一年は様子を見よう。 ベン、それまではお主がやつの動向を監視し、何かあったときには逐一私に報告するように、良いな」

「承知いたしました。 では、失礼いたします」


 オリバーは、背を丸め部屋をあとにする姿を見送り、先程の話を反芻しながらこれからのことを少し物思いに耽ると、唇を固く結んだ。

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