Re:birth(リ・バース)〜信託の神子と九つの世界〜

すだち缶

ミドガル編

神子誕生編

prologue ~木漏れ日と鏗鏗(こうこう)~

 ――――私が一体何をしたというのだろう。


 葉の隙間からかすかな木漏れ日が雨のように細かく各所を照らしている。 その清らかな雨を一身に浴びようと、一際照らされた大きな木を背にし、天をおぼろげに眺める一人の少女がいた。 服は奴隷のような襤褸切ぼろきれで、ここまで来るのに多くの獣道を通ったことがわかるほど、端々が切れ切れになっていた。 少女の体は白くやせ細り、元は美しいはずだった黒の長髪は、光も受け付けぬほど薄汚れてしまっている。 どこか諦観した顔で今まで自身が歩いた方角を見つめている。


 すると、奥から木の葉が揺れ、木々がざわめきだし、獣の荒々しい息遣いが、自分の生を蝕みに来るように一歩一歩近づいてくるのを感じた。


 ――――ああ、私はここで死ぬんだ。


 そう思った瞬間、無性に得も言えぬ怒りが込み上げ、それは数えるまもなくその音の主へと向いた。 爛々と光る二つの眼光と目が合う。 自分が唯一手にしていた小さな庖丁を飢えで震える手で握りしめ、光の主に飛びかかった。 四足歩行の毛だるまな主は牙をむき出しにし、細く折れそうな腕へ一直線に噛み砕こうとしてくるが、無数に広がる根に足を絡め取られつんのめる。 それを一筋の好機とばかりに一心不乱に首元へと腕を振り続ける。 数分後、主は、物になった。 その姿をじっと見て、全身がじわじわと痒くなる。 それは、内側からとろ火のように広がっていくかゆさだった。 


 数瞬の後、濁流のように襲ってくる飢餓に眼の前の物を食へと変貌させ、内に溜め込み続ける。 今の姿を誰かに見られたら、間違いなく、野蛮な野生児として気味悪がられるだろう。 だが、そんなことを気にしてはいられない。 いや、そもそも気にしようがしまいが、彼女は疎まれる運命なのだ。


 だから、彼女は今をつなぐため、一生懸命に生にしがみつくのだった。



         ● ● ●



 ————人間はよりよい世界を模索しなければならない、だが人々はそれを放棄した。



 ある大聖堂の一室。


 白を基調とした質素ながらも趣向を凝らされた一室で、金髪に蒼い瞳をした少年が本を 読んでいた。

 トントン、とドアのノック音が部屋に響き、少年は本をそっと閉じる。


「ラグナ、入るぞ」


  ドアが開き、祭服に身を包んだ壮年の男性が姿を現す。

 ラグナと呼ばれた少年は、本を置いて立ち上がり男へと頭を下げた。


「体の具合はどうかね?」

「大事はありません」

「そうか、何よりだ。明日は大切な儀式があるからな。体調を崩して不参加、というわけ にもいかない」

「はい。――大丈夫です。出られます」


  ラグナの言葉に、男は満足げに笑みを浮かべた。


「それは良かった、本日は明日に備えてゆっくり休むように」

「はい、お父......大司教様」

「うむ。ではな」


 そう一つ頷きを残し、大司教と呼ばれた男は去っていった。 ドアが自然と閉まるのを静かに見守り、ラグナはおもむろに窓へと近づく。 趣向が凝らされた豪華な庭の先に、天まで続く巨大な塔のようなものが見えた。


「あれ、木の根っこなんでしたっけ?」

「うん。『この世界は九つから成り、それら全ては根により繫がり一つの大樹へと成るもの である。そして神は樹上にて我々を見守るものなり』。ブレメ神話の一節だね」

「流石。いつも読んでるだけありますね、ラグナ様」

「まぁ、ね。お父様がくださったものだから。......って」


 ぼんやりと外を眺めていたラグナが目を見開いて勢いよく横を向く。

 そこには、赤い髪をした軽薄そうな男が立っていた。


「ロイ!? いつからそこにいたの!?」

「いやぁ、にしても大司教様もひどいっすよね。なんというかこう、もうちょっと優しい言 葉があってもいいと思うんですけど」

「ロイ、ねぇ、答えてよ。いつからそこにいたのさ」

「だってあの人、ラグナ様の父親っすよね? なんとも淡白っていうか、冷たいっていう か」

「ねぇロイ、僕の声聞こえてる?」

「聞こえてますよ。......で、実際どうなんです? 寂しくとかないんですか?」


  ラグナの顔を覗き込み、ロイが訊ねる。

 自分の質問には答える気がなさそうなその様子に、ラグナは嘆息した。


「あぁ、もう。僕にこんな態度をとるのはロイくらいだよ」

「そりゃ光栄です。で?」

「それ、答えなきゃダメ?」

「その返事で察しはついたんで、いいです」

「~~っ、ロイっ!」


 頬を赤く染めて睨んでくるラグナの頭を、ロイは乱暴に撫でた。


「ちょ、なん、やめっ!」

「ははは、相変わらずひょろっこいですね。ちゃんとご飯食べてます?」

「食べてるよっ!」


 ロイの手から逃れ、ラグナは荒げた息を整える。


「この程度で呼吸を乱すなんて、運動不足ですよ」

「これはそういうのじゃないから! っていうか、誰のせいだと思ってるのさ」

「いやぁ、誰でしょうね」

「............」


  ラグナのジト目に、ロイはそっと視線を逸らした。

  そんなロイの様子に、ラグナは小さく笑って問いかける。


「で、今日はどうしたの、ロイ。またサボり?」

「またって、人聞きの悪い。そんな頻繁じゃないですって」

「何度か繰り返してる時点で、また、だよ」


 そう言いながら、ロイをテーブルの方へと促した。


「まったく、こんなのが副団長だなんて、騎士団長様も大変だね」

「こんなのってのは酷くないですか。これでもちゃんと仕事はこなしてますよ」

「本当かなぁ」


  言葉を交わしながら、ラグナはティーセットを用意する。

 湯を沸かせるための魔工具を起動させると、慣れた手つきで紅茶を入れ始めた。


「いつ見ても魔工具ってのは便利っすねぇ」

「そうだね」

「俺も一つぐらい欲しいっすねぇ」

「魔工具ぐらい持ってるんじゃないの?」

「まさかぁ。それなりに高価なんですよ、それ」

「へぇ、そうなんだ」

「そうなんだ、って......まぁ、ラグナ様には見慣れたものなんでしょうけど」


  世間知らずなラグナに、ロイはそっと溜め息をついた。

 ラグナはそれに気付くこともなく、ティーカップを二つテーブルに置いてロイの向かい の席に着く。


「どうぞ。あ、お菓子もあるよ」

「いただきます!」


 言うや否や、ロイは勢いよく菓子を食べ始めた。


「......もうちょっと落ち着いて食べなよ」

「ほんはほほいふぁれへほ」

「うん、何言ってるかわかんないし、喋るか食べるかどっちかにしてくれる?」

「んぐんぐ」

「食べるの優先なんだ。......まぁいいや。ねぇ、ロイ」

「んむ?」

「ありがとね」


  ラグナの感謝の言葉に、ロイは勢いよく咳きこんだ。

 それを誤魔化すように紅茶を喉に流し込み、けれど優しげな表情を浮かべて見つめてく るラグナに視線を泳がせた。


「な、なんのことですかね?」

「心配してくれたんでしょ、明日のこと」

「さ、さて、なんのことやら。俺はただラグナ様が暇してるかなーって思っただけで」


 さらに言葉を重ねようとし、変わらず優し気なラグナの視線にロイは諦めて頭をかいた。


「......明日ですよね、洗礼の儀式」

「うん。僕も今年で六歳になるからね」


  ラグナは嬉しそうに頷いた。

 ロイはそれを複雑そうに見つめる。


「なんだってこんな儀式なんかあるんすかねぇ」

「なんでって、そうしないと自分がどう生きればいいかわからないじゃない」

「どう生きれば、ねぇ」


 ロイがつまらなさそうに諳んじた。


「『人の子は愚かであり、故に道を間違える。なればこそ、私たちが正しく導いてやらねば ならない』でしたっけ」

「そうそう。おかげで僕たちは悩まずに済むし、神様って優しいよね」

「優しい、っすか。......どうしてそうなるんだか」

「え?」

「いや、何でもないっす。それより、俺はそろそろお暇します」


 ロイはカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、席を立った。


「明日、頑張ってくださいね。って言っても、できることはなさそうっすけど」

「あはは、うん。ありがとう、ロイ」

「どういたしまして、ラグナ様。それじゃ、失礼します」


  そう言って、ロイは部屋を後にした。

 ラグナはそれを笑顔で見送って、置いていた本を手に取り表紙を撫でる。


「明日、かぁ。......お父様」


  祈るように小さく呟き、そしてそっと本を開いた。



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