第二章  第19話 #9-1 中田与志男三曹 呼吸停止

 #9 隊舎内で隔離中の中田与志男なかたよしお三曹

 

 基地内で居住する自衛隊員を営内居住者という。幹部や家族がいる自衛官は基地の外に住居をもっているが、独身者や入隊してしばらくの間は隊舎と呼ばれる基地内の居住スペースで生活する。隊舎はその基地によるが、ほとんどが大部屋で数名の同僚たちと部屋をシェアする集団生活だ。

 

 隊舎には隊員の私物を置く小さなロッカーとベッドがある。近年は電化製品の持ち込みが許可される基地もあるが、たいていの基地にはそれを置く場所がない。隊舎の中にはテレビの置かれた共同のスペースがあり、自販機が置かれている。病院の大部屋に入院した患者が過ごす場所のイメージに近い。下琉洲奈監視所には女性隊員もいる。3階建ての隊舎の最上階が女性用になっているが実際に使われている部屋は一室だけだ。南側の居室が女性隊員に割り振られていたので、中田の隔離病室として北側の一室が使われてた。

 

 この炭疽菌騒ぎは最初に佐世保市で起きた。佐世保市はオランダの街並みを再現した美しいテーマパークのハウステンボスがあることで知られえている。東京ディズニーランドの1.5倍の敷地面積があり、単独のテーマパークとしては日本最大規模だ。だが、佐世保市は軍港の町という側面を持つ。九州・沖縄を統括する海上自衛隊佐世保総監部と米海軍佐世保基地がある。米海軍第七艦隊の一部がここに駐留している。巨大な強襲揚陸艦の姿もみられるため、軍港クルーズの観光船が人気だ。

 

 2020年後半から、この佐世保市で異変が続いた。まず、2020年10月に海上自衛隊や陸上自衛隊水陸機動団が駐留する崎辺地区の自衛隊基地内に一般車両が侵入して基地内を走行、逃走した。2021年5月3日の深夜に海上自衛隊佐世保総監部の門扉に泥酔運転の一般車両が激突。門扉を破壊して基地内に突入した。この事件は泥酔者が進入路に間違って突入した事故として扱われたが、頻繁に佐世保管轄で不穏な事件が続いた。

 

 米海軍と海上自衛隊佐世保総監部は道を挟んで隣接しており、向かいにニミッツパークという公園になっている。佐世保総監部はその三叉路の一角で、奥に海上自衛隊旧佐世保病院があったが2022年の3月に廃止された。現在は人員を減らされて衛生隊診療所に縮小された。紛争時の自衛隊員の傷病治療を近隣の佐世保市総合医療センターで対応できるかの疑問の声が、新聞紙上に寄せられた。しかし、平和な今、自衛隊病院は国家予算削減の目的で次々消えてなくなる運命だ。

 

 この佐世保市には尖閣諸島や宮古島、そして琉洲奈島等の国境の島が外国からの軍事侵攻で奪われた場合にそれを奪還する作戦のための部隊が集中している。海上自衛隊の巨大なおおすみ型輸送艦に陸上自衛隊水陸機動団の精鋭、水陸両用車AAV7を搭載するのがその作戦の中心だ。奪われた島に侵攻した外敵を、航空戦力や海上戦力で牽制しながら陸上自衛隊の上陸作戦で島民を守る。美しいハウステンボスのあるこの町は日本の国を守る最重要拠点だ。

 

 2022年1月元旦、米海軍と佐世保総監部の目の前にあるニミッツパークのベンチに不審なドラム缶が置かれていた。虹色のカメレオンに「ハッピーニューイヤー」という吹き出しがついているシールが側面と蓋に貼られていた。早朝のランニングを日課とする米海兵隊隊員がそれを発見した。ドラム缶の中にはファスナージッパー付きプラスチックケースが一つ入っていたという。厳重に米海軍で鑑定された結果、そこに入っていたものは炭疽菌の芽胞の粉末だった。2001年の同時多発テロ直後に炭疽菌の入った手紙がマスコミや上院議員に送りつけられた事件があった。この時、米国で郵便局員や病院職員など5人が亡くなった。炭疽菌によるテロは過去に実行されている。

 

 才谷隆一郎が防衛医大の研究員だったこの頃、米国のCDC(アメリカ疾病予防管理センター)に派遣され、炭疽菌という病原体の忌まわしい事例について研究した。防衛医大や厚労省を通じて炭疽菌テロ事件やリシンテロといった生物化学兵器への対策を練る仕事も行った。隆一郎はこの炭疽菌に関して日本の第一人者だった。

 

 元海上自衛官であり炭疽菌に熟知した研究者であり、現在も臨床医として自由な立場で動ける隆一郎に米海軍、防衛省から連絡があった。琉洲奈島で炭疽菌への感染が疑われる事件が発した。まだ公になっていないのでパニックが起こらないように対処したい。琉洲奈島へ行って診断してもらえないかという連絡が最初だった。そして、この問題の対処を一任された自衛隊側の責任者が天寺還郷警備隊長だった。

 

 才谷隆一郎さいたにりゅういちろうは中田を診察する準備をしていた。

 

 「防護服の手持ちがありません。隔離室には私一人でいきます。隊長や隊員の皆さんはここで待機してください。必要なら動画を撮影しておきます」

 「わかった。何か他に必要なものは?」佐武が聞いた。

 「ドラム缶を入れて密閉できるものがあるといいのですが……布団密閉袋はどこかにありますか?」

 「すぐ持ってきてくれ」

 

 佐武はパメラに命令した。彼女は小走りにどこかへ走っていき、しばらくすると二重ファスナー付きの布団密閉袋を持ってきた。

 

 もう準備するものはないなと頭の中で隔離室内の状況をシミュレーションして、もう一度ペンギンカートを開けた。赤い弁当箱のようなものを取り出しバッテリーを確認した。この弁当箱にもなぜかニヤついた皇帝ペンギンシールが貼られていた。

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