第一章 第3話 #2 女性海上自衛官パメラ

イヤーフックから着信音が聞こえた。相手は琉洲奈島の海上自衛官ウェーブだった。女性自衛官は陸上自衛官がワック、航空自衛官がワッフという。女性海上自衛官をウェーブと呼ぶのは波乗りとは無関係だ。


 「才谷先生、吉村パメラです。今、電話して大丈夫な状況ですか?」

 「ちょっと待って、外にでるから」


 待合客の邪魔にならないように席をたち、屋外にでた。雪は今も絶え間なく降りしきっていた。あのカリカリした女性の気に障ると困る。


 「いいよ、外に出た。通話できる。今フェリー乗り場の待合室だ。もうすぐ乗船する。要件を手短に」


 「琉洲奈島に先生が来られると聞きました。陸自での御用の後に竹式沢村の海自へ往診をお願いできませんか? 心配な患者がいます。」


 吉村パメラは琉洲奈島駐屯地のレーダー監視員だ。


 「新型コロナか?」

 「先生に指定していただいた厚労省お墨付き抗原検査キットで検査しましたが、陰性でした。三十八度五分の熱と腕にへんな斑点がでていて隔離しています。先生が島に来られるなら診察していただきたいです」


 「わかった必ず行く」

 パメラは短くありがとうございますといって電話を切った。


 水疱やかゆみを伴うブツブツといった皮膚の症状がでる病気はたくさんある。感染症でなくともアレルギーでもそういった症状はある。細菌が原因の場合、中には重篤な病状を引き起こすものもある。すでに発熱しているとなると確かに気になる。


 売店で買っておいたパック式のコーヒー牛乳をあけてストローを刺した。隆一郎は正統派のコーヒーよりもコーヒー牛乳が好きだ。酒は辛口が好みだが、コーヒーは甘くないと許せない。これもまた、鳳看護師長に体のために控えては?と止められることもあるが、嗜好なのでしかたない。甘ったるいコーヒー牛乳が限りなくラブなのだ。


 以前パメラ三曹にコーヒーは嫌いだが、コーヒー牛乳は好きだなと言ったら、可愛らしいですねと言われた。


 その後あわてて、彼女は言い直した。

 「いえ、才谷先生が可愛らしいというのではなく、コーヒー牛乳が可愛らしいということで。ええっと、発言を撤回します。何でもないです。謝罪します。」

 彼女は真っ赤になって自身の発言を撤回して詫びた。


 「落ち着け、吉村パメラ。大丈夫だから。」と真っ赤になったパメラを思い出し、隆一郎はフッと笑ってしまった。


 吉村パメラ三曹は海上自衛隊に所属する実に可愛らしいWAVE(女性自衛官)だった。特徴がある名前ですぐに覚えた。身長が百五十三センチとかなり小柄だ。印象的な黒目が大きな瞳。

 かわいらしさのカテゴリーはたくさんあるが、小さくて元気な子犬、ポメラニアンや柴犬のような天真爛漫な子だった。また一度慌てふためくと元の状態に落ち着くまで時間がかかる性質だった。このオロオロする様子がさらに、よろしい。特に階級や目上の人間などには顕著に表れる。それがイジリガイあって、上官にも同僚からも可愛がられる隊員だ。


 数か月前の新型コロナの職域ワクチン接種が最初の出会いだった。琉洲奈島の新厳原港の近くに陸上自衛隊があるが、海上自衛隊はそこから離れた竹式沢村にある。その時に車で迎えに来たのが吉村パメラ三等海曹だった。


 「才谷病院の病院長、才谷隆一郎先生ですね。御出でいただきありがとうございます。」


 彼女はビシッと敬礼をした。隆一郎も条件反射で敬礼を返した。長い自衛官生活の反射は恐ろしいなと苦笑した。


 「私はもう自衛官ではありませんので、敬礼は無用です」

 敬礼を返した後で、あわてて言い添えた。


 「先生は三等海佐であったとお聞きしております。失礼のないようにご案内しろと上官にきつく言われています。本日のご案内を務めさせていただく吉村パメラ三曹であります」


 パメラはよく通る声で一気に自己紹介した後、もう一度敬礼した。


 才谷病院は新型コロナ感染症の指定医療機関だった。中等症までの患者に対処する設備をもち、福岡の多くの軽症・中等症の患者を治療してきた。


 過去には自衛隊の医官として米国に留学し、生物化学兵器も含め勉強した経験があり、そのキャリアを大いに発揮した。


 ワクチン接種にも積極的に協力し、琉洲奈島の陸海空の3自衛隊が職域接種を希望していることを知って志願した。琉洲奈島の3自衛隊側も自衛隊の元医官だった経歴を知って、歓迎してくれた。自衛官として琉洲奈島に赴任した経験はないが、自衛隊施設内でのワクチン接種が古巣での生活を懐かしく思い出させてくれた。


 思い出にふけっていると、館内スピーカーからまもなく乗船手続き開始しますと放送された。乗船チケットの販売が始まり、船着き場へのゲートも開いた。


 待合室で座っていた人達も椅子から立ち上がってチケット売り場へ向かって歩き始めた。隆一郎も椅子に張り付いた腰を持ち上げてチケット売り場へ体を向けた。すると受付付近で誰かがもめているが見えた。


 「あんたさ、この列が見えてねえのか!割り込むんじゃねえよ!」

 列の一番前に並んでいた作業着姿の男性がかなりイラついた様子で怒鳴っていた。揉めている相手は先程受付で悪態をついていた毛皮のコ-トの女だった。


 女は、相手の怒鳴り声をものともせず相手を睨みつけてその場を動こうとしなかった。

 「アタシは急いでいるんだ。あんたらどうせ呑気な旅行でしょ。チケットぐらいさっさと買え!愚図!」


 言い返されると思っていなかったのか男は一瞬、彼女の迫力にちょっとたじろいだ。しかし、さすがに頭にきたのか「ふざけるなよ!おばはん!」と並んだ列を抜けて女につかみかかった。終始様子を窺っていた係員がすかさず間に入りその女と男を引き離していた。係員に静止されながら男は女に再度文句を言おうとしていたが、女の異様な様子を見て気が変わったらしい。



 その後さっさとチケットを購入して売り場から離れていった。女はというと止めた係員に対してあんたらが遅いから悪いだとか文句をいっていた。係員からこれ以上の迷惑行為は乗船拒否をお願いする場合があると告げられると、係員を再度睨みつけると黙って列の後ろへ並んだ。


 隆一郎は無事にチケットを購入し、乗船口へ向かう途中、列の後にいる例の女をチラッと横目で見た。女は心ここにあらずといった様子で周りの視線など何も感じていないようだ。毛皮の下は膝上のペラペラのハーフパンツだった。スポーツウェアか部屋着だろう。


 連日の大雪と身を切るようなこの寒さの中、女のコートの下はまったく季節に合わない恰好だった。左足にはスライディングしたような長く広範囲の擦り傷があった。浅い傷だが赤く腫れ、血がこびり付いていた。


 医師としてはその擦り傷に消毒くらいしてやりたいと思ったが、触らぬ神にたたりなしだ。キャリアカートを引いて隆一郎は琉洲奈島行きヴィーナス号へ乗艇した。


ジェットフォイルは2階建てで、航空機メーカーのボーイング社が設計製造した。一般の商船の動力はディーゼル機関だが、これはガスタービンエンジンだ。


 この船は水中に翼があり、速度が上がると水中の翼に揚力が発生して船体が浮上する。「離水」して最後は「翼走」となる。つまり、浮いて水の上をすべるのだ。さすがはボーイング設計だ。水の上を浮揚するため、波の影響を受けにくく、船酔いしにくい。フェリーでは五時間の航路がジェットフォイルでは二時間強で到着する。波の上を飛ぶように高速航行するイメージだ。


 乗客室に入ると中は少し薄暗くなっていて暖房がほどよく効いていた。しかし乗客室は息苦しく感じるくらいに湿気を帯びていた。まるで生暖かいサウナのような空間に不快指数が急上昇した。ぐっとこらえて後ろの席を目指しながら周りを見た。乗船客は自分を含めて20人程度だった。


 この大雪を考えると多いほうだ。空いている席に深く座りこむ。一息ついていると毛皮のコートの女が急いで乗客室に入ってきた。室内を素早く見回すと一番後ろの空いた席へ足早に向かった。


 自分の座っている位置と対角線上の後方に女は座った。先程からの様子から女を警戒していた。スマートフォンの自撮り機能を使って振り返らずに女の様子を確認した。女は顔を隠すように手で頭を抱える姿勢で項垂れていた。


 高齢の乗組員が非常口と通路の確認のために隆一郎の目の前を通り過ぎた。隆一郎は乗組員を通路横で呼び止めて耳元で囁いた。乗組員が女の方向をチラッと見た。


 「わかりました」

 乗組員はそう答えて乗務員室に戻った。


 隆一郎は予定通りジェットフォイルに乗船したことを知らせる短いショートメールを天寺還郷一等陸佐に送った。「了解」と愛想の欠片もない短い返信が返ってきた。




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