サクラ・サイクリング

渡貫とゐち

兄弟サイクリング

 目の前で兄貴が撥ね飛ばされた――


 自転車から投げ出された兄貴は、地面に叩きつけられ、その後、転がった先のガードレールに背中をぶつけて勢いが止まる。


 兄貴を撥ねた車はそのまま通り過ぎてしまい――

 逃げる犯人を追いかけるよりも先に、倒れた兄貴に駆け寄るべきだ。


「兄貴!!」


「い、てて……クソ……やっちまった……」


「急に車道に飛び出すからだよ……っ。

 それよりも! 頭から血が出てる! とにかく救急車を、」


 パニックになっているからだろう。

 普段、当たり前にできていることができなくなっている……。


 スマホで電話をかければいいだけなのに、焦っているせいで、なかなか、電話をかけることができなかった。


 打ち慣れているはずのパスコードを、なんど間違えれば気が済むんだ、ぼくは……っ!


 気が動転しているぼくに代わって、周囲の大人が救急車を呼んでくれていたらしい。


 あまり待つことなく、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。


「兄貴、がんばってくれ……もう少しで救急車がくるからさっ!」

「悪い……、俺のミスだ、ちくしょう……ッ」


「兄貴のミスなのはそうだけど……、仕方ないよ、ちょっと乱暴な運転だったのは確かだけど、兄貴も好きで轢かれたわけじゃないんだから」


 ……兄貴の返答がなかった。

 痛みで意識が飛んだのか? だとしたら、危ない……っ。


 痛みに痛みを上乗せすることになってしまうけど、ここは強く、平手打ちを浴びせる。


「――兄貴! 寝るな、意識をしっかり!!」

「雪山じゃねえんだぞ……ッ」


 不満そうな声のトーンだけど、兄貴は笑っていた。


「ありがとな、ハルカ。

 今のビンタでなんとか、こっちも火が点いたってもんだ――」


 サイレン音が近づいてくる。

 すぐそこまで、救急車が辿り着いたらしい。


「……ここまで怪我をする予定じゃなかったんだが……」

「え?」

「慣れないことは、するもんじゃねえな」


 担架で運ばれる兄貴の言葉の意味を、ぼくは救急車が去ってから考えても、分からなかった。



 … …



「――うっす、先輩。

 割のいいバイトがあるって言うんできましたけど、ヤバイ内容なら帰りますからね」


「違法じゃねえよ、ちゃんとしたバイトだ――裏では政府も一枚、噛んでる」


 違法でなくともヤバイ内容なら帰るつもりだが、まあ聞くだけ聞いてみることにしよう。


 金がないのは本当だ。

 弟の誕生日プレゼントを買うためにも、金が必要だからな……。

 こんなことになるなら、希望が薄めの女に貢ぐんじゃなかったぜ。


 結局、返ってきたメリットなんてほとんどねえし。

 肉体的な関係もなかったしな……、ほんと、飲み友達で終わっちまった。


 まあ、ヤバイ彼氏がいたみたいだから、仮に付き合っていたとしても、痛い目を見ていたのは俺だ……付き合えていなくて良かったのかもな。


 取られたのが金だけで済んだのだ、まだマシである。


「で、なんのバイトなんすか?」


「お前、自転車に乗る時はヘルメット、してるか?」


「ヘルメット? ……ああ、努力義務とかなんとか。義務じゃないんすよね、確か……。していなくとも特に罰則がないっていう――、いっそのこと、『義務』にしちゃえばいいのにって俺は思いますけど……――それがどうかしたんすか?」


「努力義務と言ったせいなのか、ヘルメットの着用率がなかなか上がらなくてな……、急に『着用義務』にしたら反発があるだろ、だから最初は緩めに努力義務にしているんだが――

 それにしたって、着用率が低いって、『上』は嘆いているらしいんだ。

 緩いまま、だらだらと努力義務の期間を設けたところで、後に義務化をすれば急に義務になった時と同じ反発があるんじゃないかってな――。かと言って、ヘルメットの着用を不要に戻すことも、するわけにはいかない。

 実際、ヘルメットをしていない場合の、事故による死者が多いわけだからな」


 原因がはっきりとしているのに、なにもしないわけにもいかない、とのことだ。

 上の人も大変だねえ。


 少数でも、問題視している意見がある以上は、対処しなくてはならない。


 通報を受けたら、どんな内容でも一応は駆け付けなくてはならないようなものか。


「で、ある仕事が、事情を知るオレのところへ下りてきたってわけだ。

 言っても聞かない連中には、見せるしかねえだろ――つまり、ヘルメットをしないと大怪我をするぞ、という結果を日常的に見せるのが効果的かもしれない、と案が出たわけだ」


「ああ……サクラ、ですか。

 スタントで事故を作る……、あとは血糊ちのりで、集まった野次馬を騙して、ヘルメットがあれば怪我は最小限で済んだ――という光景を見せることでヘルメットの必要性を訴えかけるってことですか。

 確かに、口で危険性を語るよりも、実際に見せる方が早いですんもね……、次は自分かもしれないと思わせれば、人は動きますから」


「少し前の感染症の時もそうだっただろ、楽観視していた流れが、大物スターの死で緊迫したわけだ――思いもよらなかった衝撃を与えてやれば、現実味が出てくる。

 別世界の話じゃないんだぞ、と思わせればいいんだ。世間では騒がれているけど、自分の身内にはいないから安全、なんて思っている層にも刺さるように、日本全体で事故を点在させる――だから人手が足りていないんだ。大学生をバイトで雇うくらいにはな――」


「……俺みたいな大学生を雇っているなら、起こっている事故はサクラだって、多くの人にばれていそうなものですけど……」


「かもな。でも、お前が知らなかったことが証拠じゃないか? 当然、守秘義務があるし、怪我はそう見せているだけで、実際は作り物だが、家族を騙すためにも本当の怪我だった証明は残している。そのへんの辻褄合わせはお前の方でもしてもらうことにはなるが……

 ――給料もかなり良い仕事だ、どうする、やるか?」


「…………でも先輩、これを聞かされた俺は、当然もう、そっち側なんすよね……?」


「まあ、そうだ。

 断ると言っても、しばらくはちょっとした手続きで残ってもらうかもしれないな――」


「脅しじゃないですか。

 まあ、いいですけど……やりますよ。給料が良いなら、多少の不都合には目を瞑ります。……先輩の紹介なら、ちゃんとしているはずですし、恩があるので断ることもできないですしね」


「恩は、今は度外視しろ、お前の意思で決めるんだ――

 なにかあった時にオレのせいにされても困るからな」


 当然、自分の意思でやると決めた。


 納得した先輩からバイトの詳細を聞くと――


 単刀直入に。

 俺は自転車に乗って、車に撥ね飛ばされればいいらしい。


「い、痛そうですけど……」


「痛くないよう、プロが指導してくれるし、本番の車に乗っている運転手もプロだ。大事故に見せても、実際には痛くない運転をしてくれる――。

 ただ、息の合ったコンビネーションでできることだからな、相方プロにおんぶにだっこでも困るぞ? お前も本番では、怪我をしないように指導通りに動くんだ――気を付けろよ」


「……ちなみに、日程とかって、こっちで決められるんですか?

 できれば目の前で見せたいやつがいるんすよ――」


「まあ、スタントマンの人に頼めば…………お前、もしかして、弟に見せるつもりか?

 兄貴が目の前で撥ね飛ばされるのは……トラウマになるだろ」


「いいんですよ、頑なにヘルメットを被らないあいつには、多少の荒療治が必要ですから――

 大切だからこそ、後悔しないやり方を選びます」


「……お前がいいならいいけどな――じゃあ、指導の日程は後で伝える。お前なら大丈夫だと思うが、適度な運動はしておけよ。急に動いて、運動不足で怪我をしたら意味がないからな」


 そして、プロからの指導を受け、入念な打ち合わせを重ね――本番を迎えた。


 予定通り、俺は車に撥ね飛ばされ――

 仕込んでいた血糊を使い、頭部に怪我を負った。


 ヘルメットを被っていなかったから――、こんな大怪我をしたのだと弟に見せるために。


 ついでに、周囲にいたヘルメットを被る気がなさそうな人たちにもアピールをしておいた。

 俺の今の悲惨な状態を見て、「危ないから今度からヘルメットを被ろう」と思ってくれるなら、今回のバイトは成功だな。


 俺を心配する弟には悪いことをしたが……これは必要な指導だ。


 お前の命を守るためである。

 多少、夢に出るようなトラウマになっても許してくれよ?


 … …


「兄貴、誕生日プレゼント、欲しいものが決まった」

「ん? なんだ?」


 退院後(フリだけど……当然、俺は怪我をしていない。あっても膝の擦り傷くらいなものだった)、バイトも成功し、提示されていた給料も受け取っているので、今の俺の懐事情は潤っている……、誕生日プレゼントどころか、このまま焼肉食べ放題にもいくことができるくらいだ。

 なにが欲しい? ゲームか? トレーディングカードか?

 もちろん、食べ放題でも遊園地でもいいけど……さて、どんな無茶ぶりがくるのか――


 しかし、弟が欲しがったものは、俺の予想とは離れていたものだった。


 そうするよう、促したのは俺だけど……まさかここまで効果てきめんだったとは。


 弟も、意外と素直なやつである。


「かっこいいヘルメット――ぼくと、兄貴の、お揃いがいい」


「……おう、よし、買いにいくか!

 たまには歩いて遠出をするのもいいもんだしな」


 弟と手を繋ぐ。

 こうして二駅分も歩くのは、久しぶりだった。


 自転車で移動する時とは、また違った景色が見えてくる。


「……でもいいのか? ヘルメットなんかでさ」

「うん」


「まあ、お前がいいなら、文句はないけどさ――

 でも俺もお前も、自転車にそんなに乗らなくない?」



 ―― 完 ――

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サクラ・サイクリング 渡貫とゐち @josho

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