第8話

 *



「朝……」


 陽光が石造りの城の一室をてらしている。見なれたボイクド砦の一日の始まり。


「変な夢を見た」


 思わずつぶやくと、アクビをしていたハシェドがふりかえった。


「どんな夢です?」

「カフェで傭兵をしている夢だ」


 ハシェドは笑った。その声はワレスを安心させる。


(変……だな。滑稽こっけいな夢だったはずだが)


 目覚めたとたん、滑稽であるより、無気味になった。


「鍵……」

「なんですか?」

「いや……」


 まあ、気にするほどのことではないだろう。昨日のエミールとの会話や、皇都から来たミレインのせいで、あんな夢を見たのだ。


「今日は文書室に行くか。昨夜も事件はなかったしな」


 ワレスはハシェドに言ったのだが、すでに着替えて、借りてきた座敷犬のようにお行儀よく椅子に腰かけたミレインが答える。


「私も同行しよう」


 今日はアイサラの四日。ほんとは大事な日なので、ハシェドと二人になりたかったのだが、ダメとも言えない。ワレスは承諾した。


「あなたがそうしたいなら、どうぞ」


 朝食のあと、文書室へ行くと、いつものように灰色の毛布がワレスに襲いかかってくる。


「右かッ!」


 サッとよけると、毛布は壁にへばりついた。


「……」


 そのまま動かないので、ハシェドが心配する。

「隊長。ちょっと、ひどかったんじゃないですか?」

「かまうものか。やつは地獄の番犬から九つの命をもらった化け物だ」


 ぐるりと毛布が反転する。

「誰が地獄の番犬から九つの命をもらった化け物で、殺しても死なないですか」


 両目に穴のあいたフードをかぶった制服姿の司書になる。当然、ロンドだ。


「なんで、よけるんですかぁ。痛いじゃないですか……」

「イヤだからだ。なんでもクソもない」

「ううううう……ま、負けません」


 フードのすきまから袖を入れてかんでいたが、じりじり近づいてくる。


「させるか!」


 ふたたび、さける。

 よけては襲いかかり、よけては襲いかかり……。

 あいた口がふさがらないのは、ミレインだ。


「ワレス小隊長は遊んでいるのか?」

「仲がいいんですよ」


 答えたのは、ハシェドだ。ワレスは思わず、叫ぶ。


「本気でイヤなんだ!」


 そこにが生まれて、背後から毛布のオバケに抱きつかれてしまう。


「さ……寒い!」

「うーん。満足ぅ」


 同じ経験のあるハシェドが、気の毒そうにワレスを見る。


「大丈夫ですか? 隊長」

「大丈夫じゃない——くそッ、いいかげん離れろ!」

「ああーん。もうちょっとぉ……」


 ワレスはロンドをつきとばした。白い目のミレインが、

「まさか、それも愛人だと言うのではなかろうな?」

 あきれた口調で言うので、ワレスは心の底から、おぞけをふるった。


「なんでおれが、こんなクラゲの親戚と! おれの趣味はエミールやカナリーですよ。やつらは金はかかるが見てくれが可愛い。あなたは美少年とオバケの区別もつかないのですか?」


 とっさにものすごい暴言を吐いたが、ミレインは意に反して怒ってはいなかった。というより、人間として、ワレスの趣味が理解の範疇はんちゅうであることに安堵したように見えた。


「なるほど。もう一人、愛人がいるのはたしかなのだな」

「うっ……」


 まったく、言わずもがなだ。それもこれもロンドのせいと思うと、しれっとしたヤツの態度が恨めしい。


「くそッ。ロンド。きさまはさっさと仕事に戻れ」

「わかっているでしょうに。司書のふだんの仕事なんて、あってないようなものですよ。ただの個別お勉強ターイムですから」

「じゃあ、おとなしく勉強してろ。そんなだから、いつまでたってもヘボ魔術師なんだ」

「ヘボじゃございませんよ。先日、五級の試験に合格しました」

「五級?」


 先月は七級だったはずだ。あれからひとつきで二階級も昇級していたのか。


「……いつのまに」


 ロンドは得意の絶頂だ。おーほっほっと高笑いをあげる。


「わたくしだって、その気になりさえすれば、いくらでもできるのです。今のうちにワレスさま、ひれ伏しといたほうがいいですよ? 今にわたくしの足もとにもおよばなくなっちゃいますよ?」


 ひれ伏すのはゴメンだが、まともだったころは皇都の騎士学校一の天才と言われていただけはある。たしかに、このところの上達は目覚ましい。


「足りないのはやる気だったのか」


 むしろ、正気が足りなかったのかもしれないが。


「まともになったなら、いちいち抱きついてきて、おれの精気を吸いとるクセをなおせ」

「それはムリぃ。わたくしのエネルギー源ですからね。でも……」と言って、急に真剣な顔をする。


「ワレスさん。何かありましたか?」

「何かって、何がだ?」

「だから、それを聞いてるんじゃありませんか。いつもと精気の味が違いました。なんと言うか、ちょっと不純物がまざった感じ。誰かの残り香というか」


「ここ数日は誰とも寝てない」

「ああん。そういう意味じゃありません。もっとこう、魔術的な何かです」

「傭兵は魔法なんて使わないぞ。そうだな。しいて言えば、夢見が悪いな」

「どんな夢です?」


 ハシェドが笑って、ワレスのかわりに答えた。

「カフェで傭兵をしている夢でしょう?」


 しかし、ハシェドの前で見たままを告げるのはためらわれた。ワレスはロンドの袖をひっぱって、書棚のあいだに入っていく。


「ただの淫夢だとは思うのだがな」

「きゃっ。エッチ」

「まじめに聞け」

「はいはい」


 ワレスが語ると、ロンドは首をかしげながら、腕をつねってくる。


「やめろ。おまえ、自分がけっこうバカ力だと自覚がないのか?」

「いいですよぉ。わたくしだって、オスカーがいるし……でも、そうですね。意味ありげな夢ではありますね。鍵ですか」

「明日が——そう。千年めとも言っていたな」

「うーん……」


 ロンドは腕を組んで考える。だが、

「何かわかるか?」

 たずねると、

「さっぱり」


 あっさり返されて、ワレスはガックリした。

「なんだ。やっぱり、ヘボのままだ」

「違いますよ。夢占いは、わたくしの専門ではないのです。いいですよ。司書長に相談しておきますから」

「司書長なら信用できる」

「……言っておきますけどね。司書長がいくら美少女だからって、くどいてもムダですよ?」

「そんなことわかってる! さっさと行け」

「ああーい」


 たよりないロンドの返事に、ワレスは嘆息した。

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