第39話 逃げてばかりだな

 十二月前に、私は推薦で専門学校に合格した。SNSで写真を簡単に撮ってフォトグラファーや写真家などが多数いる中、私はカメラマンになりたいと思った。

『写真は好き?』

『はい』

『じゃあ、やってみたら?』

お父さんはメールでそう言っていた。

『カメラ買おうか?』

私は

『大丈夫。持っているの』

と入力した。

風李さんのことは好き。まだ好き。風李さんに貰ったカメラを私は使い続けた。


 お兄ちゃんと風李さんは家でショートケーキを私の合格祝いで作ってくれた。少し高級のいちごを買ってもらい、生クリームは少し甘さ控えめにしてもらった。

「おめでとう」

「ありがとうございます」

私は言う。

「二人ともありがとう」

私は言った。二人は笑顔を見せてくれた。

「今日は泊まっていきなよ」

風李さんに言うと

「あー、じゃ、そうするよ」

と言って口の中にケーキを運ぶ。

 お兄ちゃんと風李さんとゲームを一緒にやると必ず負ける。でも楽しい。

 二人といると楽しい。将次さんと一緒にいるのも楽しい。安心する。

 風李さんに安心をもらい、将次さんにも安心をもらっている。

私は、この二人に何か返せているのだろうか。


「茉裕ちゃん」

「はい」

「おめでとう」

そう言って先生は、二学期終業式の日の放課後に車を運転しながら私に向かって言った。優しい声と表情だった。

「ありがとうございます」

「卒業まで、高校生活楽しんで」

そう言われて、涙が出そうになった。我慢して

「はい」

と返事をした。

「僕も教師になって四年かぁ、よくよく考えたら君のことばかり考えていたよ。気持ち悪い先生だね」

と笑う。

「そんなことはないですよ」

「ありがとう」

微笑んでくれる。

「これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ」

二人で笑った。

「茉裕ちゃんが、泣いて駅の改札通り過ぎようとするのを僕が止めてなかったらこんなにも距離は縮まらなかったかもね」

笑った。

「そうですね」

私も笑って返した。

「茉裕ちゃんは何にでもなれるよ」

「はい」

「応援しているからね」

「はい」

笑った。泣きたくなるくらい将次さんは優しい。向月先生の時より、将次さんとして接してくれる時には受け止められないぐらいの愛情が溢れてくる。

「魔法の言葉『大丈夫』だったんだよ」

「え?」

あれだけ私が知りたがっていたことを今なぜこのタイミングで言ったのだろう?

「手を握って言ってくれたね」

それ以上は語らず、私は幼い自分がませたようにきっと言ってるんだと思うと恥ずかしくなって聞いたりしなければよかったなと思った。

 将次さんは満足したように微笑んでいた。


 昨年のように積もりだろうけど、クリスマスが過ぎた今日、雪が降るらしい。お父さんが帰ってきた。高一の時のようにお兄ちゃんはお父さんと言い合いになったり問い詰めたりはしない。でも笑うことはない。ただ、『おかえり』や『ありがとう』を言うようになって嬉しいそうにお父さんは顔を綻ばせている。

「今日は、すき焼きだよ」

「ありがとう」

こう言う会話も、前より自然と出来るようになった。

「お兄ちゃん、なんか冷たい」

「いつもこうだろ」

「そうだけど」

「茉裕、いいんだよ。ありがとう」

そう言ってすき焼きを囲み食べる。

「お父さんもな、男の人が本気で好きだったことがあったよ。辛い記憶だったから、去年は言い出せなかったけど、今年はケリがついたから」

お兄ちゃんは箸を止めて、お父さんを見る。

私もお父さんを見る。少し痩せてしまった体は少し厚着をしていても分かるぐらい細くなっていた。

「だから、だからな、望が望むようになりなさい」

「うん……」

お兄ちゃんは細い声で頷く。

「ケリがついたって?話せるとこまででいい。多分お兄ちゃん知りたいと思う」

私は、お兄ちゃんの顔を一度見てお父さんを見た。お父さんは少し驚いた後に

「働き始めてすぐだった。お母さんに出会う数ヶ月前に、その男の人に想いが伝わってしまって、邪気な目で俺を見た後に、元の顔に戻って俺の元を去っていった。先輩だった」

「邪気……」

お兄ちゃんは呟いた。掠れた声。

「同性愛が許せないって人もいたんだろうなって思う。俺は、その時はどうしたら良いのか分からなくて、結局逃げたんだ。情けないなって思った」

「そうか……大変だったんだ」

お兄ちゃんが珍しくお父さんに優しく言葉をかけた。

「ごめんな、お父さんは逃げてばかりだよ」

「俺もだよ」

お兄ちゃんは微笑んだ。お父さんに向けて微笑んだ。優しさで包むような笑顔で。

「お兄ちゃんは優しいよ」

私は言う。お兄ちゃんは首を横に振った。お父さんは嬉しそうに少し目を潤ませていた。

「その……ケリがついたって?」

お兄ちゃんは言った。

「その先輩が、俺の職場の港に来て俺を見かけるなり『元気か?』って声かけてくれたんだよ。それで酒を飲んで色々話した。その人も逃げたって言ってたよ。でも、俺の気持ちが怖かったからで、俺が嫌いなわけではなかった。今は奥さんと娘さんが二人いるそうだよ」

それから続けて

「逃げてばっかりだな」

と笑った。

「そうかもね」

お兄ちゃんも笑った。

 窓の外の雪は、まるで私達を祝福するかのように静かに降り続けていた。

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