第21話 不器用
「ありがとう、仕事頑張って」
お父さんを玄関で見送る。
「おう」
嬉しそうに手を軽く上げて去って行った。
寒い冬でも心は温かくなった気がする。
昼下がりにお兄ちゃんと風李さんが家に来た。
お兄ちゃんが、少しやつれている気がする。
「お兄ちゃん、お父さん帰ったからもう平気」
と言って私は買い物に出掛けた。
家に帰るとお兄ちゃんはソファーで寝ていた。風李さんはスマホから顔を上げて
「おかえり」
優しく言ってくれた。
私は会釈して、買ってきた品を冷蔵庫にしまう。風李さんは私に近づいてきた。冷蔵庫を閉めて、私は風李さんの方を向く。風李さんはそっと笑う。
「望、昨日ずーっと泣いてた。さっきもちょっと泣いてた」
「そう、ですか。別に怒ってないですけどね」
「でも、お父さんと二人っきりはどうだった?」
「……案外楽しかったですよ。私が思ったより父親でした」
「そうかー、望は信じてはくれないだろうけど、俺も佐名家のお父さんは悪い人ではないと思うよ。話を聞く限りはね。みんな不器用だね」
風李さんは一人で頷いている。
「それから……私が小さかった頃……少なくとも高校生になってない頃に、風李さんの弟さんとお会いしたことありましたっけ?」
風李さんは、思い出すために体育座りをしている体勢から、立って考えて
「あったのかもねぇ……。でも、あいつは言わないだろうよ。大事なことは尚更ね。死ぬ寸前とかに明かすんじゃないかってくらい、そんな感じ」
「それは困った……」
それから、数日経って今日は大晦日である。
お風呂に入った後、年越し蕎麦を食べながらお兄ちゃんと一緒の部屋でゴロゴロしていたが、お兄ちゃんは風李さんと電話をすると言って部屋を出て行ってしまった。
私は、お皿の片付けをしてテレビを見る。最近のはあまり面白くないなと思ってしまう。テレビを消して音ゲーをする。
時刻は二十三時。今年は本当に色々あったなと息を呑んだ。
中でも、風李さんの弟の向月先生と距離が縮まり、自分でも驚いている。自分の人生の上で、風李さんの弟が先生として登場するとは考えていなかったからだ。
「どうして、ここまでしてくれるんだろう」
私を気にしてくれるのも、私の家庭を気にしてくれるのも、風李さんと同じ感情だと、思っていたけど
「好きねー……」
と私は独り言を吐く。
先生が私のことを……私の気持ちを受け止めて慰めてくれた夜のことを考えると、嬉しさと恥ずかしさが込み上げてくる。
叫びたくなって自分の部屋に行き、ベッドにダイブする。
ベットの上で音ゲーしながら年越しをしてそのまま寝てしまった。
初詣には行かなかった。風李さんに会ったのは三ヶ日の最終日で、お兄ちゃんは風李さんと一緒にご飯を食べる約束をしていた。
「あけましておめでとうございます」
「うん、おめでと」
と挨拶を交わして、私以外の二人は近くのファミレスに行った。私は一緒に行こうと言われたが、風李さんと距離を置きたくて断った。
私は、まだ風李さんがしつこいほど好き。でも、向月先生の気持ちも考えるだけで泣ける。その感情はまるで少女漫画のヒロインのよう。
帰ってきた風李さんに聞かれる
「茉裕ちゃん、大丈夫?」
「え?」
「いや、なんか元気なさそうだからさ」
「あぁ、はい。元気ないですね」
「何か悩みでもあるの?」
「いえ、特にないですけど」
「そう、無理はダメだよ」
と言って玄関からリビングに向かって行った。
学校で向月先生に会ったのは授業開始の日だった。
私は緊張のあまりずっと俯いてしまっていた。
先生は相変わらずの暗い雰囲気に天パの髪、眠たげな声。
でも、私は知っている。
優しさを持っていて、天パの黒髪は案外サラサラしていて、眠たげな声は啜り泣く時には少し震えるということを。
先生はいつも通りの授業をした。
そして、授業後、教壇の上で教材を片付けている先生に
「あの」
と声をかけると振り向いた。
「はい?」
「話せませんか?出来れば……」
そう言うと、察したのか付箋にメモを書いて私の手の甲に貼って去って行った。
メモに書いてあった通り、私服に着替えて駅で待つ。生徒に見られないように露出がない、大人っぽい服を着て待っていた。そもそも肩出しや胸が見えるような服は持っていない。あの日とは違う色のロングコートを着て、マフラーをして、ヒールのあるブーツを履いていた。髪は久しぶりにくるくると巻いている。
「佐名さん」
黒いコートを着ている男性に声をかけられる。
「先生」
すると先生は頭を掻いて
「バレたら面倒だから、下の名前で呼んで」
と言われた
「兄さんのことも風李さんって言ってるじゃん」
「うっかり、学校で先生の下の名前を呼んでしまわないか心配です」
そう言うと先生は歩き出した。私もそれについて行く。
「じゃ、同じリスクを背負うよ」
「え?」
先生はこちらを振り向いて
「茉裕ちゃん……って呼ぶ」
私は少し顔が赤くなるのを感じる。先生の顔を直視出来ない。でも呼んだ。
「将次さん……」
と言って隣を歩いた。これじゃ、まるで恋人みたいだ。心が痛んだ。
先生の車に乗る。
「もう、向月先生でいいですか?」
シートベルトをしながら聞くと
「んー」
と眠たげな声で否定されそうな顔をしてきた。
「もう、二人です」
「だから?」
ムッとした顔は、駄々っ子の子供のようだ。
「周りの目線も、この車には先生の生徒は一人しかいません」
「んー、そんなに嫌?」
「そうじゃ、ないですけど」
「僕だって、どうかしてるよ」
私は、先生を見た。横顔は風李さんそっくり。メガネはかけていない。
「あの日の夜と今、茉裕ちゃんを口説いてる。おかしな話だ。君が好きなのは僕の兄で、僕が好きなのは君で、君は僕の生徒で、僕は君の先生で……」
切ない声は吃って、口を閉ざした。
「知ってます」
私もそれ以上何も言わなかった。そして
「……ごめんなさい」
少し経って私が謝ると先生は微笑んだ。
「なんで、謝るの?」
「私、自分の気持ちを押し付けてる気がします」
「それは違う。お互い様だよ。茉裕ちゃんだけじゃないんだから。それに……」
先生が言いかけたところで車を発車させる。
「それに?」
私が聞き返すと
「あの時の情けない僕を見ているんだから、茉裕ちゃんは僕をどうかさせてくれる。いい意味でね」
と言った。
車はゆっくりと発進している。生徒達が放課後はここらの駅にもカフェにもいるため、車の中から基本出ないことにした。
「お父さん、やっぱりお父さんでした」
「……どういうこと?」
先生は聞き返す。
「私とお兄ちゃんのことを大切にしてくれていた。お互いにすれ違っていただけ」
「……そうか」
先生は前を見ていた。
「お兄ちゃんには謝られました。毎年のことですけど」
「……」
「伝えて、通じ合うのって難しいことですね」
「……」
先生は黙って聞いている。
「先生が私のことを好きになったって伝えた時、動揺しましたけど、やっぱり嬉しかったですよ。自分を想って、心を許して、認めてくれたんだなって」
「先生じゃない」
「将次さん?」
「うん、そう」
「でも、風李さんはお兄ちゃんと一緒にいるべき。気持ちを伝えなくても分かる」
「……気持ちは伝えた方がスッキリするんじゃない?」
どこか引っかかるところがあるのだろう表情でそう言ってきた。
「私も、そう思う。でもその勇気がない。分かりきっていることに私が首を突っ込んで、お兄ちゃんの幸せな笑顔を奪いたいとは思わない」
「そう」
「でも、先生を見ると重ねてしまうって言いましたよね?」
「うん」
「先生自身を好きになりたいって」
少しの沈黙が長く感じた。それから先生はこう言った。
「でも、茉裕ちゃんはまだ高校一年だから色んな人と出会うよね、だから……僕に同情して僕だけしかいないって思わなくてもいいからね」
辛い言葉。一生懸命言葉に言っている。
「将次さんはズルいです」
「え?」
「私に選択肢を与えてるつもりでしょう?」
「まぁ……」
「先生って押し付けたりしないですよね」
「嫌かなって」
「そういうとこです」
「何が?」
「優しいねってことですよ」
「……」
「私、想いを伝えたら、受け入れてくれますか?」
先生は赤信号になったのを確認してこちらを向いた。
「うん、もちろん」
と微笑んで。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「先生」
「ん?」
「安心します」
「それは良かった」
先生の笑った顔はまだ風李さんに見える。
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