第18話 好意

 冬らしい冷たい風が頬にあたって寒い。先程の車内と気温差が激しい。

 私はちょびちょび肉まんを食べながらチラチラと先生を見る。なんだか今更だが申し訳なくなってくる。血の繋がってない人で、ここまで迷惑をかけたのは、生まれてはじめてだった。自覚はしてる。私は迷惑な子だ。

「申し訳ないとか、そういうのはいいからね」

先生は口いっぱいに餡饅にかぶりつきながら言ってきた。いつもの眠たげな声ではあったが、優しく泣けてしまいそうな声。

「……はい」

先生はまだ、私の顔をちゃんと見ていない。ちゃんと守ってくれている。

「もっと豪快に食べなよ」

と言われた。やっぱり見ていたのだろうか?

「僕しかいないよ?」

私は思いっきり大きな口を開けて食べた。

「美味し?」

「ありがとうございます……」

声が震えてきた。


 昔、私の古い記憶。恐らく保育園も入園していないであろう頃、お父さんとお兄ちゃんと私で、この時期に出掛けた。給料が入ったからと言って家の近くのコンビニに行って好きなお菓子をお兄ちゃんは五百円まで、私は三つまで買っていいと言われた。当時、足し算も出来なかったため、私にはそう言われたのだろう。

 ぼんやりとした記憶だが、優しい記憶。

 お母さんは水商売をしてお金を稼いでいた。たまに家に客を連れてくることもあって、行為をしているのは何度も見ていた。だから、こうして性行為というものに対しての恐怖だったり、恥ずかしさだったりが麻痺しているのだろう。麻痺というより、どうでも良かった。ただ、性行為は構ってもらえないものなんだと思っていた。愛し合っている行為だとそう知った頃にはお母さんとお父さんは離婚していた。

 ベランダにお兄ちゃんと出されることもあったし、祖母の家に居させられることも多かったと思う。お兄ちゃんは小学校に入りたてだったと思うから、私よりもはっきりと覚えているだろう。そういう記憶も。

 お父さんはお母さんの行動に気付きたくなかっただけだろう。二人はお母さんの客として出会ったわけではない。お母さんは話を聞く限り、お父さんが中卒で働いている港町の寮の近くの定食屋の近くの高校のギャルだったと言う。若い時に産んだ子供達を育てるのに二人とも必死だったのだろう。だからお母さんは水商売に手を出したかどうかは分からないが。


 冬の海辺は冷たい。堤防を二人で横並びで歩いていく。

「先生」

「んー?」

「先生はどうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」

「さぁ」

「さぁって……」 

やっぱりどうでもいいのだろうか。私なんて誰の特別にもなれていないのだろう。

「消えちゃいそうだったから」

「風李さんもそういう理由で優しくしてくれるんのでしょうね」

「……」

「嫌味っぽかったですね。すみません」

横にいる先生に八つ当たりをしてしまったことを謝る。

「……僕は悩んでるよ」

「え?」

「君をどう慰めるのが一番か」

「もう、十分です」

私の腫れ切った目に先生は触れる。私達の足音は止まる。

「甘えなよ、僕に」

先生がポツリと言った。真剣な顔。

「……慰めは口説きになるんですか?」

「僕はね、人間なんだよ。分かるでしょ?そういう目で見てもいいんだよ」

「先生は風李さんに似てますけど、風李さんじゃないですよ」

「うん、分かってる」

「先生のこと好きになれば良かったな」

「ごめん」

「ましてや、先生と生徒。男と男でも色んな問題があると思いますが、先生と生徒だったら大変でしょうね」

「そうだね」

先生は歩き出す。

「風李さんの代わりだなんて先生が辛くなるだけです。もういいですよ。ここまで私を良くしてくれなくても」

先生は立ち止まって後ろを振り向く。

「佐名さんのこと好きだから」

ああ、またそうやって嘘をついているんだと思った。

「嘘」

「本当」

「同情でしょ?」

「違う。佐名さんは僕のことを好きになってくれなくていいよ。ただ、兄さんの代わりにならなれるよ。僕は。兄さんみたいになれるよ。僕は」

「先生……泣いているの?」

先生は涙ぐんでいるように見えた。先生は私に近付いてきて

「兄さんの前の性対象は僕だった。それがすごく嫌になって、勉強して留学した。僕的にはそれでよかったんだけど、恋愛対象が男ってなると色々心配……」

「はい、お兄さん想いですね。でも、なんで風李さんの代わりになれるって言ったんですか?同情ですか?」

私は先生を責めた。

「臆病なんだよ、僕も彼も。人を好きになるという行為に対してよく分からなくなっている。佐名さんもそうでしょ?僕は少しでもサポート出来たらって思ったわけ、でも、まぁ人間そんなもんだから、この人がいいって思えるように視野を広く持たないとね」

「じゃあ、好きな人とか愛したい人とかどうでもいいってわけですか?」

「自分が幸せになれる恋愛を世間では推奨してるよね」

私は先生を信じられないと側を離れようとした時に

「最後まで聞きなさい。僕は講師だ。だけど、立派な行いをしている人間じゃない。教える資格なんて本当はないと思う。でも、好きになった人には僕を見てほしいと思うものなんだよ。僕自身のことを教えていきたい」

「本当に好きなの?」

「ああ、そうだよ」

「なんで、私を先生の特別にしてくれるの?世間では禁断の恋ってやつになるんじゃないの?リスクを背負ってまで、私を助けようとしたり、好意を伝えてくれたのはなんで?」

風が強く冷たく頬にあたる。

「昔、ずっと昔に佐名さんに会ったことがある。君に褒めてもらったことが、何にでもない僕を君が人として、生きていきなさいって言ってくれたようなものだ。だから、ずっと好きだったのかもしれない」

私はその昔を覚えていないことを伝えると

「佐名さんが覚えていたらすごいよ。ほんのちょっとだもん」

なんて言ったのか聞くと

「魔法の言葉を教えてくれたんだよ」

「それじゃ……分かりません」

私は思わず口角を上げてしまった。

「やっと、笑ってくれた」

先生を見ると先生も微笑んでいた。赤子が初めてだった時みたいに嬉しそうに目を細めていた。

 そんな先生に、私は手を広げた。先生は不思議そうな顔をしていたため、私から先生を包み込むように抱き締める。

「私は温もりが欲しいだけかもしれません」

「一人は寂しくてやってらんないよね。よしよし」

と言いながら先生は両手を背中に持って来て、私を撫でた。

「……子供扱いですか?」

「あまりドキドキしてないね」

「しませんよ」

と言って私は離れた。

「帰ろうか、寒くなってきたし」

元来た道を戻って行った。

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