第17話 どこか遠くへ
歩きながら泣いた。声は出さず泣いた。涙がポロポロと出てくる。どこに行くかなんて決まっていない。ただ、冷たい風に震えながら歩いた。泣きながら駅の方に向かった。
どこ遠くに行きたい気分だったためだ。駅に着き改札を通ろうとすると腕を掴まれた。
「佐名さん」
向月先生の呼び方だった。一瞬だが風李さんを期待してしまった。話したくない。ましては泣いている顔を誰かに見られたくない。マフラーをつけてくるのを忘れてしまったため、疼くめるものがない。無理矢理掴まれた手を離すがもう一度捕まれる。
「逃げないで」
「……今は見られたくなかった!」
「見ないから、落ち着こう。どこに行くつもりだった?」
「どっか」
改札前の人達は私達を見ることなく、横を通って行く。
「なんで?ここだって分かったの?」
「遠くに行こうとすると思ったから」
「違う!みんな嘘つきだ!嘘つき!」
「……兄さんが男の人の名前を呼んで急いで家を出てったから。佐名家で何かあったんだと思って、兄さん追いかけて、佐名さんのお兄さんの会話聞いちゃった。それで、残された佐名さんも逃げ出すだろうなって」
「……一人がいいです」
「顔は見ないから」
「嫌だ!」
「……車乗っていいよ。遠いとこ行こう」
「一人がいい」
「じゃ、僕の車でドライブしようか?」
「……」
「行くよ」
と言って引っ張られた。初めは反対するように手を離そうとしたが、力強く握られて逃げれなかった。
先生は何も言わないで車を走らせた。
「暖房今つけたから車内あったかくなるよ」
「……」
「寒いね」
私は俯いて顔を見られないようにする。涙を必死で我慢する。
「佐名さんも好きなように生きればいいんだよ」
「……好きなように?」
「うん」
「お兄ちゃんが羨ましい。好きな人がいて、何かあればそっちに助けてもらって、結局お兄ちゃんが逃げた処理を私がして」
自分でも分かるぐらいの声の暗さ。
「……うん」
「かまってほしい……」
弱々しくて、情けない。
「僕がいるよ」
「……嘘つき」
「佐名さんが、僕を引き離そうとしたんじゃないか?」
「先生っていう職業は特に信頼出来ない人が多い」
しばらくの沈黙の後
「祖母も亡くし、母親とは会ってない。多分風俗で働いている。お父さんは仕事」
「……」
「お兄ちゃんは好きな人がいて、その人と幸せそうで、楽しそうで、愛し合ってる。だから、余計に寂しい?」
図星だ。無言で頷く。
「好きな人を作ろうとはしないの?」
「います」
消えそうな声で言う。
「います。でも、ダメなんです」
もう一度言った。
「なんで?」
「お兄ちゃんが好きな人だから。やっとお兄ちゃんが見つけた好きな人だから。お兄ちゃんには幸せになっていてほしい」
先生は少しこちらを向いて、また前を向いて車を走らせた。
「お兄ちゃんのこと好きだね」
まるで、嫉妬しているような言い方。先生には好きな人がいるんでしょ?大人だけど、濁してるのは分かるよ。高校生の私でも。
「……」
「お兄ちゃんが幸せなら自分も嬉しい?」
「はい」
「お兄ちゃんがもし、他の人を選べば……と、思う?」
「……」
「兄さんね……」
先生はため息を吐く。
「でも、多分二人とも女の子を恋愛的な目で見ない」
分かっているからそう言った。
「……うん、そうかもね」
「それが余計に辛い」
と言うと自然と涙ができた。鼻を啜る。
「私、どうしたらいいですか?」
子供はもっと豪快に泣くのだろうけど、そんなに大きい声出して泣いたりしたら疲れてしまう。私には出来ない。
「……ティッシュあるから使って」
と言われて運転しながらボックスティッシュを渡されるので、それを受け取る。先生は私の顔を見ないで、前を向いている。
「泣け泣け、人生上手くいかないことだらけさ」
「はい」
「でも泣くことは悪いことじゃない。心がスッキリする」
「はい」
「泣ける場所があるなら思いっきり泣いてもいいと思うよ」
優しく言われた。
「そんな場所……は、ない、ですよ」
声が小さくなる。
「先生を見てると風李さんみたいで、そう見ちゃう自分が……嫌になる」
「……」
「先生、風李さんに似てるって言われるの嫌ですよね……嫌です。私もそう見ちゃう自分が。でも、風李さんが好きで、どうしたらいいか、いや、もうどうしようもないんですけど」
「佐名さんは、今のままでいいよ。無理に変わろうとしなくていいよ。大丈夫」
大丈夫は祖母が私を慰めてくれる時に言っていた言葉。それを今思い出す。
「ごめんなさい」
「謝らないでいいよ」
「はい」
風の音が、車内に居ても聞こえる。
「兄さんは昔っから影でモテてたんだよ。で、僕は比較されるわ、色々面倒だった。顔は似てるって言われるからメガネをかけるようになったけど、あんまり効果はなし」
「……風李さんが好きで堪りません」
私の震えた声は掠れている。
「うん、兄さんは、佐名さんのことが大好きだよ。今も、でも、多分そういうのじゃない」
「一方的に好きになっちゃっている自分が嫌で、今、先生、メガネつけてないから尚更、そう……見える」
私は二番手のヒロインのような気持ちになる。
「悪い、メガネ持ってきてない」
「いつもつけてる気がするんですけど」
「僕はメガネ好きじゃないし、今日は先生じゃないよ。先生だったら、今僕がやっている自分の車に生徒を乗っけて、ドライブしている行為は世の中には的にはよろしくない」
「……そうかもしれませんね」
午前零時前、一般道を走る。車の中で私達は無表情だった。
「どこに向かうんですか?」
聞いてみた。
「どっか」
それだけ言われた。
「決まってないんですか?」
「そう、どこか行きたいって言ってたからほんとに、どこか遠くに……怖くなった?」
先生の顔に影がかかっていたのが、少し明るく見えてきた。その顔はまるで、悪戯っ子の子供のように小悪魔な顔をしていた。
「別に」
私は無表情のまま下を向いた。
数十分すると海が見えてきた。私が外を見るようになったので
「そこのコンビニ寄ろうか」
と言って先生はコンビニの駐車場に車を止める。
「食べたいものとか買っていいよ。トイレも行ってきな」
車内で言われて先生は手際よくエンジンを切る。
トイレから出ると先生は財布を出していた。
「何食べたい?」
と聞かれたので
「肉まん……」
そう答えると、先生はレジのおじさんに
「肉まんと餡饅一つずつ下さい」
そう言って会計話してコンビニを出た。私が車の方に向かおうとすると
「歩こ」
コートの裾を引っ張られる。
「車、止めたままでいいんですか?」
「端っこだし、まぁ何時間も外にいるわけじゃないから。寒いでしょ。肉まん食べながらでいいから、おいで」
と言われ、先生の隣を歩く。
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