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「真夏にも雪解け切らぬ寒島をアッツ熱田と誰が名づけむ」


アッツ島は

明けても暮れても濃いミルクのような霧が全島を覆い

太陽がその顔を出すことは滅多にない

アッツ島の霧は並みの霧ではなく、一寸先は牛乳のなかに顔を突っ込んだような感じで

皆目何がなんだかわからないほどものすごい霧である

とにかく不毛の島なので、鳥類もほとんどいず、獣も狐以外いなかった


満足に食事が摂れず、霧または霧と酷寒の鬼気迫るような島に加え

連日地軸を揺るがす空爆に見舞われる日々が続いたから

しだいに精神的機能を冒される兵隊、そして将校が増えてきた

顔色が土気色に変わり、目の焦点が虚ろになった罹病兵士のなかには

毎日突然暴れ出し、相手かまわず殴りかかったり、一日中喚き散らす者もいた


ある罹病兵は、上官であろうと同僚であろうと、自分に対して敬礼をしない

――と喚いて銃剣を抜いて暴れた


とある日

ある准尉と出合い頭に、突如准尉の急所を猛烈に蹴り上げた罹病兵がいた

准尉は、目を吊り上げて気絶してしまった

その罹病兵は、すぐ憲兵が逮捕し、悶絶した准尉は野戦病院に運ばれたが

准尉は遂に意識を回復することなく、アメリカ軍上陸を前にして亡くなった

だが当局へは、急所を部下に蹴られて悶死した――というのではなく

敵機と応戦中壮烈な戦死を遂げた――という「名誉の戦死」として報告された


また「アッツぼけ」と称される奇病に捕りつかれる者も続出した

この奇病は、潜伏症状というものがなく

突然発作が起こり、激しく泣くように笑い出したり

青筋を顳顬に浮きたたせて怒り出して乱暴狼藉を働く――のである


この奇病に罹ると、所かまわず排便放尿することも特徴的だった

そのような精神病、奇病の患者が続出するのは

日本軍独特の“真空地帯”的極端な閉鎖状況に加えて

苛酷きわまりない、“地獄の島”の自然と

連日の空爆と絶望的日々が続いた結果だと想像できる

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